2014/10/13 - 2014/10/13
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たびたびさん
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広島から東京に帰るのに、この日は大型台風が接近中。この日に限って、春秋航空というLCCを予約していたのが大失敗。JALやANAは台風の接近を見越して、前倒しで予約変更に応じていたのですが、一日二便しかない春秋航空は、午後の様子を見て決めるという硬直的な対応。しかし、それでは帰れっこありません。広島空港ではかなりしつこく交渉したのですが、結局、意は通じず。仕方がないので、転んでもただでは起きないぞという気持ちでまっさんの竹原に向かうことにしました。
実は、広島空港から竹原って、すごく近いんですよ。エアポートリムジン 竹原線というマイクロバスがあって、料金は1000円。所用時間は約30分なんです。
そして、広島市でもう一泊することになるのですが、竹原から広島市までは、かぐや姫号というバスがあって、これも便利なんですよね。このバスも、台風でかなり危なかったんですが、何んとか走ってくれて、この日は無駄にはなりませんでした。そういう意味では最悪の天候ではあったんですが、結果としてはまあまあの観光はできたかなあと思います。
ちなみに、今年は、尾道、鞆の浦、竹原と広島の瀬戸内海側にある代表的な観光地を回り直すことになりました。それぞれに特徴はあるのですが、観光資源という意味では、尾道がナンバーワン。ざっくり言えば、その6割が鞆の浦で、そのまた半分が竹原といった感じかなあと思います。
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広島空港から、竹原に向かいます。本当は、東京に帰れるはずだったんですが、仕方ありません。。
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到着したバス停すぐにあるのが、神田もち店。竹原市重要伝統的建造物群保存地区もすぐのところです。
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イチオシ
バス停から保存地区に向かおうとして、このお店に気が付いて。小さな丸餅を買いましたが、まだあったかさもあって柔らかい。これはうまそうです。帰ってから、お鍋に入れて食べましたが、もっちり感がたまりませんでした。久しぶりにお餅のおいしさを堪能させてもらいました。
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竹原市重要伝統的建造物群保存地区の入口にあるのが頼山陽広場です。
頼山陽は、江戸時代の後期、文化文政年間に活躍した儒者であり、歴史家、思想家、漢詩人、文人としても、広く名前を知られる人物でしょう。生まれは大阪のようですが、その後、広島で育ち、竹原がルーツのよう。主著は、「日本外史」と「日本政記」の二つ。これは幕末の尊皇攘夷運動に影響を与え、明治維新の原動力となったと評価されていますが、さらには、伊藤博文の愛読書とされるなど、頼山陽的な歴史観、国家観が戦前の大日本帝国期にも大きな影響を与えたとまで聞いてしまうと、何やらとんでもない伝説的な匂いもしてきます。整然とした理論よりも、広い知識や活動でいろんな解釈ができる曖昧さのようなものが実態以上に大きな存在に見せたのかもしれません。川のほとりにあるこの銅像の姿も、ちょっと異相だと思いました。 -
さらに保存地区に近づいたところにあるお菓子屋さん。ちょっと、レトロな店構えだし、すぐ目につきます。
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中に入ると、それにしてもすごい品数。逆にこれじゃあ、何が名物なのかよく分からない。
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「小京都たけはら銘菓 美栗」って、こちらがびっくりですけど、こんなダジャレのものまであるんです。これをいただきましたが、おいしいけど、逆に、まとまった味わいで、特徴らしい特徴がない栗饅頭。なんでも上手に作ってしまうということなんでしょう。御主人が応対してくれましたが、なんか器用な職人さんと言う風に見受けました。
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さて、ここから保存地区に入ります。
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前回来たのはいつだったかなあ。
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まあ、見覚えのある景色です。
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当時は特に注目もされていなかった竹鶴酒造。今では、NHK「まっさん」の主人公のモデルとなった、ニッカウヰスキーの創業者、竹鶴政孝の生家として必見の場所になっています。
竹原は塩田で栄えた街ですが、酒蔵もいくつかあって、竹鶴酒造も老舗の一つ。切り妻の大屋根が並んでいて、豪壮です。
ちなみに、屋号は「小笹屋」。小笹屋酒の資料館という施設がありましたが、あいにく、これは日曜だけの開館だとか。外から、雰囲気を感じるだけになりました。 -
ここからは、本町通り。
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保存地区のメインストリートです。
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主要な観光スポットが書いてありますが、極めて限られたエリア。どこに行くにも、近いです。
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イチオシ
松阪邸は、本通りでは一番目立つ建物。入母屋造りの平入り、ゆるやかにカーブした本瓦葺の屋根が表通りと並行して、建物の外観に独特の美しさがあります。
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初代は江戸初期に広島から移住、沢田屋と称して塩田にかかる薪問屋・石炭問屋をはじめ、塩田経営、廻船業、醸造業など多角経営を行いました。竹原が塩田で栄えたことはあまり知られていないことかもしれません。内部は、生活の様子をしのぶ、着物や家具、生活道具など。ただ、豪華なのか、けっこう質素に暮らしたものなのか、そこの加減は道具類からはよく分かりませんでした。
建物の意匠に凝ったことの方が見どころでしょう。料金は200円。 -
さらに石畳の街並みを進みます。
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佐倉酒店という小さな酒屋さん。というか、酒屋さんなのに、ここのご主人は道行く人を呼び止めて、竹原の街歩きの仕方について、あれこれ教えています。何かの役目があるのかどうか分かりませんが、すごく奇特な人ですねえ。私も地図をもらったりして、けっこう助かりました。
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まずは、西方寺の普明閣へ。
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竹原の市街を見下ろす高台なんですが、
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保存地区から石段を登ればあっけないほど簡単に行ける場所です。
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本堂を過ぎて、
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少し上がったところ。
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イチオシ
傍らに、ボタンを押すと建物の説明が流れる仕掛けがあって、延々と説明が流れます。
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京都の清水寺を模して建てられたのは、宝暦8年(1758年)。
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規模はまったく比べ物にならないかわいらしい建物ですが、
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逆に古さもさほど感じない。
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面白い建物だと思います。
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西方寺を下って、また本町通りに戻ります。
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竹原市町並み保存センターも、本町通り沿い。無人の施設です。
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自分でボタンを押すと竹原の街を紹介するビデオが放映される仕組み。後は、全国の重要伝統的建造物群保存地区の地図がありまして、広島だとここが唯一のよう。そんな意識はなかったので、図らずも認識を新たにしました。
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雨もだんだんきつくなってきましたね。
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この先の春風館と隣りの復古館は、
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竹原の重要伝統的建造物群保存地区でも見どころの一つなのですが、内部の見学は不可。
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塀で覆われているので中は窺い知る余地もありませんが、公開されている光本邸は、春風館の離れだった建物。こちらでほんの少しでしょうが、それなりの気分を味わうことができました。
なお、春風館は頼山陽の叔父、頼春風の家。山陽の名著、日本外史の名前は春風が授けたものとも言われます。 -
ただ、この建物だけじゃなくて、
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近くの建物もそれぞれが趣のあるもの。街全体の雰囲気が見どころになっています。
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イチオシ
竹原市歴史民俗資料館は、本町通の中ほど。
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ライトブルーのモダンな建物で、昭和5年に、竹原書院図書館として建てられたものです。
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今は、NHKのまっさんの企画展をやっていて、竹鶴酒造で生まれた亀山政春の紹介をしていました。
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亀山政春とリタさんのカラー写真もありましたが、リタさんなかなか美人です。
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写真の展示が中心ですけど、
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当時の雰囲気がよく分かります。
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なお、有料エリアは塩田の道具類や酒樽の展示。
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見応えはさほどでもないんですが、
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100円なので、まあよしとすべきでしょう。
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重要伝統的建造物群保存地区の本町通りから脇道に入って
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細い石段を登った先。
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赤い衣をまとった小さな石仏があって、これが「お抱え地蔵」。
願い事を思いながら地蔵を抱えて、軽く感じたなら願い事が叶うというお地蔵さん。なるほど、ちょうど抱っこしたくなるくらいの大きさですね。 -
本町通りを先に進んで、これはまちなみ竹工房。
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竹細工を売っているお店でもあり、竹細工の作り方を教えてくれるところでもあるといった感じ。それに、地元の方のようですが、何人も人がいて世間話をしていましたが、ちょっとした集会所のような使われ方もしているのではないかと思います。
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少し先にあるのは、頼惟清旧宅。
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この惟清という人物は、頼山陽の祖父。紺屋を営む傍ら、紀行文を著書したりして、なかなかの文化人であったよう。建物は、重層屋根、入母屋造、本瓦葺きの重厚なものですが、この通りの建物の中では平均的なものでしょう。私は、この日、外観を見るしかできませんでしたが、内部の拝観ができるかどうかは不明です。
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胡堂は、本町通りの北端です。どん詰まりのところに建っている祠。
前室付、一間社流造りというちょっと大きめの祠ですが、これが有名になったのは、大林宣彦監督の映画「時をかける少女」のロケで使われたから。確かに、建っている場所も含めて、雰囲気がある祠でしょう。 -
その傍らに、忠孝厳煎餅と書いたお店。あまり目立たないのですが、せんべいなら歩き食べでもしようかと寄ってみました。
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で、「食べ歩きしたいんですけど」と尋ねたら、「うちは高級せんべいです」とバッサリ。職人気質のようなご主人です。
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では、ということで600円の袋のせんべいを買いまして、結局、うちに帰ってからいただくことになりました。
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なるほど、せんべいは、生姜がコーティングしてあって、香りがすごい。小麦粉の甘さとのコラボが面白いせんべいです。
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ギャラリーSもその辺り。二人の女性が自分たちの描いた絵を展示していました。絵は、旅先で見た風景や花など。やっぱり、写真だけでは感動を伝えるには今一つ。才能がある人はいいなあとうらやましくなってしまいました。
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胡堂の奥にあるのが照蓮寺です。
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ここは、曹洞宗の禅寺で、
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竹原小早川氏の子弟が学ぶ学問所となっていました。
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小早川家が唐物貿易により寄進したといわれる高麗鐘は国の重要文化財。
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住職にお話を聞きながら拝見しましたが、鐘の飛天はまだ浮遊感がなく、これは高麗の初期の文様だとか。
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イチオシ
ちなみに、高麗は、918年から1392年までの5世紀続いた統一王朝。小早川家が唐物貿易をしていたのは、秀吉の朝鮮出兵の前の頃と考えられ、既に李氏朝鮮の時代。仏教の栄えた高麗に対し、李氏朝鮮は儒教を重んじ、仏教を軽んじたため、こうしたものが市場で売買されることになったのではないかということでした。なかなか興味深い話です。
結局、私に言わせれば朝鮮は中央集権とか儒教とかで、多様性ということを認めないのが伝統文化。セオール号の問題でも反省はするのですが、意見百出と言った現象が起きないで、なにか一つのことに原因を求めようとする。これは、日本だと幕末の水戸藩に起きた現象。藤田東湖とか、何が正しいか正しくないかという議論に凝り固まってしまって、内部抗争に明け暮れ、時代の変革に取り残されてしまいました。議論が拡散しているようでも、結局は多様な意見の中から、次への一歩が始まることは歴史が証明していて、韓国の文化の危うさに思いが及んだりしてしまいますた。
ただ、それにしても見事な銅鐘。ドキドキするようなオーラがあるように思いました。 -
藤井酒造酒蔵交流館は、光本邸 今井政之陶芸の館と同じ通り。竹原町並み保存地区では、北西の端になります。
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そばの食堂などもありますが、基本は藤井酒造の建物を開放したショップ。街歩きのついでにちょこっと寄ってみるくらいでいいと思います。
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今井政之陶芸の館は、本町通りの筋ではないですが、保存地区の一角。
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かつて春風館の離れだったという光本邸の敷地内にあります。
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この塀の向こうが春風館。
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塀のうちにはちゃんと気持ちの良い空間があることが分かります。
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さて、象眼の技法の焼き物は、絵というかデザインというかがきちんと整った美しさ。苔泥彩という名前は、雰囲気が出ていますが、収縮率の違う土を組み合わせることのむずかしさ等も説明されていました。二階には二人の息子の作品もあります。
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次に向かったのは森川邸。
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こちらは、元竹原町長森川八郎の邸宅。
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塩田で財をなした大正期に建てられた和風豪邸で、
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竹原街並み保存地区にある建物では、一番豪華な建物です。
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周囲は、石垣に土塀が巡り、むしろ、武家屋敷のような雰囲気もあります。
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玄関を入って、部屋がいくつも続きます。
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江戸末期から明治初期の町家を移建改築した主屋のほか、
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風呂場、離れ座敷、
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茶室、隠居部屋、
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土蔵、表門、脇門の8棟の建物につながります。
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建物は、それぞれ、ゆったりした庭園に面しており、
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イチオシ
保存状態もいいのが、高く評価されているようです。
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屏風も
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惜しげもなく公開していて、やっぱりこれだけ広いと屏風も必需品。美術品というよりも生活様式に欠かせないものであったことが分かります。
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部屋は広くても、
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それぞれにちゃんと庭に面しています。
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一方で、家屋の
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建て方には
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そんなに変化はないような。
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むしろシンプルな方かも。
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敷地の広さが
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イチオシ
十分あるし、
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庭と建物を
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ゆったり配しているので、
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無駄な意匠は必要ないということでしょう。
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こまごました意匠より、屋敷全体を楽しむといった感じです。
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土間には、塩田の道具類も展示されていまして。
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料金は300円。
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松阪邸より広い分、維持費もかかるので、100円高いようです。
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本通りに戻りましょう。
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ここは休みでした。残念。
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本町通りの南側に向かいます。
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こちらも保存地区です。
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竹原町並み保存地区にある町家では、森川邸や松阪邸が代表的なものになるのですが、無料で見学できるのは、本町通りの南側にあるこの旧笠井邸になります。確かに、規模は二つの邸宅に比べれば小ぶりですが、こちらの方が一般的な家屋と思えば、意味があると思います。
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竹原町並み保存地区は限られたエリアですが、地蔵堂は、南端にあって、その町の境界神というもの。反対側には胡堂があって、この二つで街の両端を守っています。こちらの建物は昭和2年に建てられたもの。境内には、地元の発展に貢献した人たちの顕彰碑も立っています。
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その少し奥が長生寺。ここは、伊予水軍ゆかりの寺なんです。
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天正15年(1587年)、秀吉の四国攻めの中で、
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小早川氏に降伏し竹原にいた伊予水軍最後の当主、河野通直が病没したのを悼み、
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小早川隆景が建立しました。石段を登った先の楼門が立派で見応えがあります。
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伊予水軍の歴史が
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ここで終わりを迎えていたとは。
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ちょっと
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感慨深いものがありますね。
天下統一の流れに水軍は無用の存在とならざるを得なかったということでしょう。 -
奥には、ここにもお抱え地蔵がありました。
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道の駅たけはらは、竹原市内。竹原町並み保存地区も至近です。一階には産直コーナー、二階には観光案内所があるのですが、利用勝手がいいのは、一階の休憩スペース。広いスペースで、腰掛もゆったり。バスの時間までここで、ゆっくりと寛がせてもらいました。
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道の駅たけはらを出て、駅の方に向かおうとしたら、松屋二重焼本舗の看板が見えています。今川焼の店は日本全国どこにでもあるのですが、ここのお味はどうでしょう。
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なるほど。餡子がしっとりちょっと柔らかめ。練って練って作り上げた餡子の味わいです。おばあちゃんが一人でやっていて、長い積み重ねの中でここまで完成度が高くなったような。竹原の名物だと思います。
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そして、かぐや姫号。台風で、危なかったんですが運休になることはなく、無事に広島市に向かいました。ただ乗客は私一人。こんな日に乗る人はやっぱりいませんね。でも、一日がこれで無駄にならずに済みました。以上で竹原は終了。お疲れ様でした。
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