2014/10/08 - 2014/10/08
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滝山氏照さん
福岡城から北進した小高い西公園に福岡藩の藩祖である黒田如水(くろだ・よしたか、法名:如水、1546~1604)及び嫡男で初代福岡藩主の黒田長政(くろだ・ながまさ、1568~1623)を祀る光雲神社(てるもじんじゃ、福岡県福岡市中央区西公園)があります。
社号の「光雲」は如水と長政の二人の法名である「龍光院」と「興雲院」から「光」と「雲」を取り合わせたもので、六代藩主である継高(つぐたか、1703~1775)の頃福岡城内に二人を祀ったのが始まりとされています。
慶長4年(1600)関ヶ原の戦いで長政は東軍として戦功をあげ豊前中津から戦後筑前一国52万3千石を与えられ翌年12月入封、長政は当初備前国に転封した小早川秀秋(こばやかわ・ひであき、1582~1602)の居城であった名島城(なじまじょう)に入ります。
同城は地の利が悪く城下が狭い為発展性乏しく、長政は父如水と相談して商業地博多の西方にある福崎に新城を築くことに決定、併せて黒田氏発祥の地名を採って「福岡」と名付けます。
かつて西公園は荒戸山と言われ二代藩主忠之(ただゆき、1602~1654)の時、この山に徳川家康を祀る東照宮を建立します。
明治4年(1871)廃藩置県により黒田家が東京に移転するにあたって、地元有志が11代藩主長溥(ながひろ、1811~1887)に懇願して福岡城内の祠堂より小鳥吉祥院跡に移転、そして明治40年(1907)にこの地に移されましたが、戦災で焼失し、その後社殿は昭和41年(1966)に再建され現在に至っています。
2023年10月3日追記
当該神社ホームページには数々の項目について紹介されています。
『 光雲寺由緒・歴史
福岡市中央区、中心市街(天神)の西、福岡城址の北に荒津山と呼ばれると呼ばれた山があります。この山は九州で唯一「日本さくら100選」として指定されている福岡県管理の西公園です。
春には、山丸ごとが見事に桜色に染められ1300本もの桜が咲き誇り、その西公園の山頂付近にあたる荒戸山中央に光雲神社は鎮座しています。
黒田官兵衛孝高(如水)と黒田長政の両公をお祀りし、官兵衛公の法名「龍光院殿」と長政公の法名「興雲院殿」から一字ずつを採り「光雲(てるも)神社」と名付けられました。
慶長5年、筑前国主として藩祖である二公が移封されると、当時の警固村に舞鶴城を築き、大濠を掘り、、那珂川を境として福岡と博多のまちづくりを行い、徳川政治300年の間、民意を尊び、産業を奨励し、今日の福岡市の繁栄の礎をなしたことは両公の遺訓によるところが実に多大です。また、福岡という名称は黒田家ゆかりの地である備前国邑久郡福岡(岡山県瀬戸内市長船町)のな名前から取ったもので、両公が名付け親であることも知られています。』
『 黒田両公の入国
慶長5年(1600年)、黒田長政は筑前52万3千石の太守として名島城へ入国しました。関ヶ原の戦いに如水と共に徳川軍に味方し、多大なる軍功を挙げたことによるもので、外様大名としては破格の恩賞でした。
天下分け目の戦いの後、敗軍の将であった石田三成が家康の陣中に引き出されましたが、長政ひとりが「治部殿(三成)、勝負は武士のつね、お気の毒に存ずる」と縄目の上に衣をかけていたわりました。
この時、三成が長政の耳に口を寄せ「長政殿、この度の働き、あっぱれ、恩賞のあかつきは筑前(現在の福岡県あたり)を所望されよ。筑前一国を治められれば全国を支配できましょうぞ」と教えたと伝えられています。
三成こそ、かつて太閤秀吉の「町割り」の時の工事奉行であり、筑前の地の重要性を誰よりも熟知していたとされ、巷説はこの間の慈樹を興味深く伝えています。』
『 福岡城築城
それまで小早川隆景の居城であった名島城(福岡市東区)。乱世には機能したものの、太平の統治にとっては東に偏りすぎているとみた長政は、新しく西方に築城を思い立ちました。自ら住吉、箱崎、荒戸を視察した後、那珂川郡警固村の福崎に白羽の矢を立てます。
城郭は福岡の地形を見事に利用した大規模な物で、東は那珂川、西は金屑川を境に北は博多湾、西の荒津の入り江を大きな堀(現在の大濠公園)としました。今の春吉三光町あたりの処にあった三つの川口(数馬門)から取水した水量を、旧佐賀藩鍋島公の苦役をいただきき、備前堀と呼ばれた幅60~70m位の濠を直線に西へ掘り込み、赤坂門と呼ばれる福岡城の門の所で南北に分け、今の明治通りと国体通りに平行に掘って城西部の大堀へと結びました。今の天守台あたりにあった、小高く丘陵帯を成していた赤坂山を割り、その土で荒津山(現在の西公園)の岬の入江と長浜の間を埋め立て、黒門~伊崎を結ぶ水路(黒門川)を造って人工的に水の環流を計る水を活かした大土木事業を7ヶ年の歳月で行いました。これにより四面水に囲まれた日本でも屈指の難攻不落の城となりました。
本丸は、昔の国立病院付近、平和台球場一帯には家老、馬廻り役窓重臣屋敷が並んでいました。
系統12年(1607年)に完成したそれは天守閣も無く、城というより城主を取り巻く重臣クラスの団地と呼ぶ方が相応しいものでしたが、その天衣無縫ぶりに如水、長政親子の和船療養の和戦両用の妙計が秘められ、戦国期っての築城名人である加藤清正も舌を巻いたといいます。』
- 旅行の満足度
- 3.5
- 交通手段
- 高速・路線バス 徒歩 ジェットスター
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光雲神社大鳥居
地下鉄大濠公園下車、昭和通りを西進して西公園入口交差点を右折してコンビニを右に見ながら暫く歩くと大鳥居が視野に入ります。 -
西公園沿革説明
説明によれば西公園は江戸時代には「荒津山」と言われ、家康を祀る東照宮、その祭祀を司る松源院、家光を祀る源光院があり、更に麓には福岡藩の要港「波戸」を備え城下防衛と景勝の地でした。 -
光雲神社参道
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光雲神社周辺地図
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光雲神社石段
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イチオシ
光雲神社鳥居
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イチオシ
横断幕「軍師官兵衛」
鳥居の右側には大河ドラマ「軍師官兵衛」の横断幕が取り付けられています。そしてその上部には各説明板が掲示されています。 -
「黒田入国」説明板
慶長5年(1600)長政は徳川方として関ヶ原戦いに軍功をあげ筑前52万3千石の大大名となりますが、戦い終わり西軍石田三成が家康陣中に引き出された折り、長政は三成に挨拶をすると、「恩賞の暁には筑前国を所望されよ。筑前を治めれば全国支配はできる」と教えたと言う。三成はこの地の秀吉「町割り」の時の工事奉行本人で、当地の重要性を熟知していた言われています。 -
「福岡の城」説明板
それまでの名島城は泰平の政治にはふさわしくないと判断した長政は新地に築城を考え、那珂郡警固(けご)村福崎に白羽の矢を立て築城に向けて着工します。城郭は東は那珂川、西は金屑川を境に、北は玄界灘、西の入江を大きな堀とし、これが今の大濠公園にあたります。 -
「英知の洞察」説明板
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「開墾と植林」説明板
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「チンチクどん」説明板
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イチオシ
光雲神社石柱
鳥居の右側には黒田氏紋所である「藤巴」を付した社号が刻されています。 -
「光雲神社縁起」説明板
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母里但馬守太兵衛友信像
黒田25騎の1人で長政の命を受けて福島正則に使いした時、禁酒の母里がなみなみと注がれた大杯の酒を飲み干し、秀吉から拝領の福島家家宝である「名槍日本号」を持帰った話はつとに有名です。 -
黒田長政水牛の兜
母里家21代と有志が長政の有名な兜を守護像として奉納されます。 -
「母里但馬守太兵衛友信像」説明
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イチオシ
光雲神社拝殿
御祭神は黒田孝高(法名:龍光院殿)及び嫡男長政(法名:興雲院殿)となっており、光雲神社は親子の法名の一部から命名されています。 -
拝殿扁額
拝殿上部には「光雲神社」と刻された扁額が見えます。 -
拝殿内部
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黒田氏紋所
拝殿の賽銭箱には黒田氏の紋所である「藤巴」が描かれています。 -
境内風景
拝殿階段から鳥居方向を見定めます。 -
光雲神社本殿
拝殿に連なった奥に本殿が造作されています。 -
堅若神社(かきわじんじゃ)
説明では当社は如水の祖父重隆、父職隆と共に二代藩主忠之、六代藩主継高14女阿津姫が祀られており、継高時代に建立されたと言われます。建立当時は天守台下東側にあった如水を祀った水鏡権現、長政を祀った聖照権現の二社を一緒に祀っていた社の鳥居でその後当地に移築されたと言われています。(掲額は15代長久直筆の由) -
堅若神社説明
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荒津神社
当社の建立時期は不明ですが鳥居の柱には次の記載があるそうです。即ち左側には「天明三年発卯夏六月十五日」、右側には「筑前国主源姓賜松平氏黒田長晟建立」とあります。上記は左側のうち天明三年は西暦1783年を示し、右側は九代藩主黒田済隆(なりたか)で、実兄は11代将軍徳川家斉とのこと、恐らく嗣子が出せない事情によって将軍家から済隆を当主に迎えたと思われる)
この鳥居は荒戸山東照宮がこの地にあった頃に造られたと考えられます。 -
荒津神社説明板
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さくら茶屋
神社境内右側から橋を渡るとさくら茶屋という建物が見えます。 -
神社周辺風景
境内の右端は急崖で下は道路となっています。 -
「大軍師 黒田官兵衛」
神社境内の空間には上記の如く官兵衛のPRが盛んに行われています。 -
市街地展望
高台の神社境内から樹木の彼方には市街地を見渡します。 -
「軍師官兵衛」幟
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参道
車輌の往来は少ない参道を下って歩きます。やや汗ばんだ体に涼しい風が吹いてきます。
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