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秀吉を天下人に導き豊臣政権樹立に多大な役割を果たした「軍師官兵衛」こと黒田如水(くろだ・じょすい、1546~1604)嫡男である長政(ながまさ、1568~1623)が7年の歳月をかけて築城したのが福岡城(ふくおかじょう、福岡県福岡市中央区城内)を訪問しました。<br /><br />慶長5年(1600)、徳川家康の東軍に属して関ヶ原の戦いで勝利した黒田如水・長政親子は12万石の豊前6郡を知行とする中津藩から筑前国52万3千石に加増され転封、それまでに小早川隆景(こばやかわ・たかかげ、1533~1597)が築城した名島城(なじまじょう)に入城します。<br /><br />然しながら名島城は海に囲まれた城郭の為広がりが制限され城下の発展に期待ができないとして新たに城を築くことになり、その場所は古代から交通の要衝でありかつ流通の拠点であった博多に近い福崎で長政はこの地を福岡と改めます。<br /><br />福岡と改めた理由は如水の曽祖父が備前福岡村に移り住み父職隆(もとたか、1524~1585)もここで生まれ、換言すれば福岡村は黒田氏発展の地であり、如水親子は本来ならば備前の地を知行として期待したが実現できなかったので、せめてものとして新知行地の居城の地をゆかりの福岡と名付けたようです。<br /><br />慶長6年(1601)から築城に取り掛かり慶長12年(1607)に完成、城の様式は梯郭式(ていかくしき)の平城でその規模は24万坪に及び、地勢的に博多湾を取り囲む地形となっており、羽を広げた鶴の姿に似ていることから別名「舞鶴城」とも呼ばれています。<br /><br />長政は新城郭築城に際して海岸よりの北側に大手門を二門設けそれぞれ東から上之橋御門及び下之橋御門と称し、搦手門として城郭南側に追廻門を設置、要所には大小47の櫓を設置して重厚な城構えほ施し、その中で大手門(渦見門)、潮見櫓、祈念櫓などが現存しています。<br /><br />尚 長政の父である如水は城内の西北、三ノ丸の小高い丘に御鷹屋敷と呼ばれる質素な居館を建て簡素な晩年を送ったと言われています。<br /><br /><br /><br />2023年10月2日追記<br /><br />福岡城公式ホームページには下記のように爽快されています。<br /><br />『 福 岡 城 ( 国 史 跡 )<br /><br />1600年(慶長5年)、黒田長政は関ヶ原の戦いの徳川家康に味方し、戦功を挙げ、筑前国ほぼ一国(50万石余、後に52万石余)を与えられ、豊前国中津(大分県中津)から移り、福岡藩初代藩主になりました。<br /><br />長政は初め、名島城(福岡市東区)に入りますが、城下の平野が狭く、十分な城下町を展開させられないため、福崎(旧那珂郡警固村・現舞鶴公園)に1601年(慶長6年)から7年の歳月をかけて、内郭面積約41万m2(約12万4千坪)、東西約1Km、南北700mの全国でも有数の規模の平山型の城を築城しました。城名は、黒田氏の故地である備後国邑久郡福岡(岡山県)に由来します。海側から望むと、敦が羽ばたく姿に似ていることから、「舞鶴城」とも呼ばれていました。<br /><br />天守閣の存在は定かではありませんが、城跡には天守台・多聞櫓(国指定重要文化財)・(伝)潮見櫓(県指定有形文化財)・下之橋御門(県指定有形文化財)・旧母里太兵衛邸長屋門(県指定有形文化財)・名島門(市指定有形文化財)・御鷹屋敷跡などがあり、当時の様子をうかがうことが出来ます。<br /><br />また、本丸表御門(県指定有形文化財)は、黒田家菩提寺である崇福寺(福岡市博多区千代)の山門として移築されています。』

筑前福岡 官兵衛をたずねる 関ヶ原戦功により名島城を経て福崎の地に出自地名を冠して黒田如水嫡男長政築城の筑前52万石の『福岡城』訪問

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2014/10/08 - 2014/10/08

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滝山氏照

滝山氏照さん

秀吉を天下人に導き豊臣政権樹立に多大な役割を果たした「軍師官兵衛」こと黒田如水(くろだ・じょすい、1546~1604)嫡男である長政(ながまさ、1568~1623)が7年の歳月をかけて築城したのが福岡城(ふくおかじょう、福岡県福岡市中央区城内)を訪問しました。

慶長5年(1600)、徳川家康の東軍に属して関ヶ原の戦いで勝利した黒田如水・長政親子は12万石の豊前6郡を知行とする中津藩から筑前国52万3千石に加増され転封、それまでに小早川隆景(こばやかわ・たかかげ、1533~1597)が築城した名島城(なじまじょう)に入城します。

然しながら名島城は海に囲まれた城郭の為広がりが制限され城下の発展に期待ができないとして新たに城を築くことになり、その場所は古代から交通の要衝でありかつ流通の拠点であった博多に近い福崎で長政はこの地を福岡と改めます。

福岡と改めた理由は如水の曽祖父が備前福岡村に移り住み父職隆(もとたか、1524~1585)もここで生まれ、換言すれば福岡村は黒田氏発展の地であり、如水親子は本来ならば備前の地を知行として期待したが実現できなかったので、せめてものとして新知行地の居城の地をゆかりの福岡と名付けたようです。

慶長6年(1601)から築城に取り掛かり慶長12年(1607)に完成、城の様式は梯郭式(ていかくしき)の平城でその規模は24万坪に及び、地勢的に博多湾を取り囲む地形となっており、羽を広げた鶴の姿に似ていることから別名「舞鶴城」とも呼ばれています。

長政は新城郭築城に際して海岸よりの北側に大手門を二門設けそれぞれ東から上之橋御門及び下之橋御門と称し、搦手門として城郭南側に追廻門を設置、要所には大小47の櫓を設置して重厚な城構えほ施し、その中で大手門(渦見門)、潮見櫓、祈念櫓などが現存しています。

尚 長政の父である如水は城内の西北、三ノ丸の小高い丘に御鷹屋敷と呼ばれる質素な居館を建て簡素な晩年を送ったと言われています。



2023年10月2日追記

福岡城公式ホームページには下記のように爽快されています。

『 福 岡 城 ( 国 史 跡 )

1600年(慶長5年)、黒田長政は関ヶ原の戦いの徳川家康に味方し、戦功を挙げ、筑前国ほぼ一国(50万石余、後に52万石余)を与えられ、豊前国中津(大分県中津)から移り、福岡藩初代藩主になりました。

長政は初め、名島城(福岡市東区)に入りますが、城下の平野が狭く、十分な城下町を展開させられないため、福崎(旧那珂郡警固村・現舞鶴公園)に1601年(慶長6年)から7年の歳月をかけて、内郭面積約41万m2(約12万4千坪)、東西約1Km、南北700mの全国でも有数の規模の平山型の城を築城しました。城名は、黒田氏の故地である備後国邑久郡福岡(岡山県)に由来します。海側から望むと、敦が羽ばたく姿に似ていることから、「舞鶴城」とも呼ばれていました。

天守閣の存在は定かではありませんが、城跡には天守台・多聞櫓(国指定重要文化財)・(伝)潮見櫓(県指定有形文化財)・下之橋御門(県指定有形文化財)・旧母里太兵衛邸長屋門(県指定有形文化財)・名島門(市指定有形文化財)・御鷹屋敷跡などがあり、当時の様子をうかがうことが出来ます。

また、本丸表御門(県指定有形文化財)は、黒田家菩提寺である崇福寺(福岡市博多区千代)の山門として移築されています。』

旅行の満足度
4.5
交通手段
私鉄 ジェットスター

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  • 福岡城大手門前通り<br /><br />大手門前通りである「明治通り」に出て福岡城を目指します。

    福岡城大手門前通り

    大手門前通りである「明治通り」に出て福岡城を目指します。

  • 福岡城大手門付近<br /><br />大手門に向かう途中から水堀を捉えますが、堀の中は植物で覆われている状況です。

    福岡城大手門付近

    大手門に向かう途中から水堀を捉えますが、堀の中は植物で覆われている状況です。

  • 福岡城大手門<br /><br />舞鶴公園となった現在は公園を貫通する道路を車輛が往復している状況で、本来の大手門は隣接する「下之橋大手門」となります。<br /><br />

    福岡城大手門

    舞鶴公園となった現在は公園を貫通する道路を車輛が往復している状況で、本来の大手門は隣接する「下之橋大手門」となります。

  • (伝)潮見櫓と下之橋御門<br /><br />自動車通行の路を入ってすぐ右側には(伝)潮見櫓と下之橋御門が眼に入ります。

    (伝)潮見櫓と下之橋御門

    自動車通行の路を入ってすぐ右側には(伝)潮見櫓と下之橋御門が眼に入ります。

  • 下之橋御門<br /><br />城内から見た下之橋御門があります。

    下之橋御門

    城内から見た下之橋御門があります。

  • 下之橋御門<br /><br />更に門に近づいてみます。

    下之橋御門

    更に門に近づいてみます。

  • 下之橋御門<br /><br />門の左側は「切り込みはぎ」の石垣となっています。<br /><br />

    下之橋御門

    門の左側は「切り込みはぎ」の石垣となっています。

  • 下之橋御門<br /><br />御門をくぐり表に出ると、左側には潮見櫓の層が視野に入ります。

    下之橋御門

    御門をくぐり表に出ると、左側には潮見櫓の層が視野に入ります。

  • 下之橋御門(表側)<br /><br />

    下之橋御門(表側)

  • 下之橋御門説明<br /><br />御門入口には説明板が立ち、添付の古地図では城内に入る門は堀に架かる橋が三つあって、当門の他に東側に上之橋御門(=上之橋大手門)と反対側の南側に追廻御門(おいまわしごもん、搦手門に相当)でありました。

    下之橋御門説明

    御門入口には説明板が立ち、添付の古地図では城内に入る門は堀に架かる橋が三つあって、当門の他に東側に上之橋御門(=上之橋大手門)と反対側の南側に追廻御門(おいまわしごもん、搦手門に相当)でありました。

  • 下之橋御門説明<br /><br />説明には復元前の「下之橋御門」とともに明治時代初期の「上之橋御門」の写真が掲載されています。

    下之橋御門説明

    説明には復元前の「下之橋御門」とともに明治時代初期の「上之橋御門」の写真が掲載されています。

  • 下之橋<br /><br />御門から離れて明治通りに向かって下之橋を歩いてみます。当然ながら左右には水堀が施されています。

    下之橋

    御門から離れて明治通りに向かって下之橋を歩いてみます。当然ながら左右には水堀が施されています。

  • 下之橋御門石垣<br /><br />下之橋から振り返ると御門石垣が見えます。

    下之橋御門石垣

    下之橋から振り返ると御門石垣が見えます。

  • 下之橋側水堀<br /><br />下之橋から左側を一望します。

    下之橋側水堀

    下之橋から左側を一望します。

  • 下之橋御門一望<br /><br />明治通りから改めて下之橋御門(大手門)を一望します。

    下之橋御門一望

    明治通りから改めて下之橋御門(大手門)を一望します。

  • 下之橋御門石垣<br /><br />明治通りから下之橋を渡る際右側には御門石垣を見ることができます。

    下之橋御門石垣

    明治通りから下之橋を渡る際右側には御門石垣を見ることができます。

  • (伝)潮見櫓<br /><br />下之橋途中からみると潮見橋が正面に見えます。

    イチオシ

    (伝)潮見櫓

    下之橋途中からみると潮見橋が正面に見えます。

  • (伝)潮見櫓<br /><br />福岡城に50近くあった櫓の一つで大正初期に浜の町の黒田別邸に移築され、昭和31年(1956)に再移築されました。現在の位置ではなく三の丸の北西角であり、またこの建物は調査の結果、潮見橋ではなく城内の別の櫓であると考えられています。

    イチオシ

    (伝)潮見櫓

    福岡城に50近くあった櫓の一つで大正初期に浜の町の黒田別邸に移築され、昭和31年(1956)に再移築されました。現在の位置ではなく三の丸の北西角であり、またこの建物は調査の結果、潮見橋ではなく城内の別の櫓であると考えられています。

  • (伝)潮見櫓説明

    (伝)潮見櫓説明

  • 三の丸土塁

    三の丸土塁

  • 三の丸土塁

    三の丸土塁

  • 黒田如水隠居地入口<br /><br />隠居した如水が三の丸の一角に隠居屋敷を構え、後にこの地を「御鷹屋敷」と称される事になります。

    黒田如水隠居地入口

    隠居した如水が三の丸の一角に隠居屋敷を構え、後にこの地を「御鷹屋敷」と称される事になります。

  • 如水隠居屋敷説明

    如水隠居屋敷説明

  • 隠居屋敷への通路

    隠居屋敷への通路

  • 三の丸土塁(左側)<br /><br />隠居屋敷に向かう途中には三の丸土塁が見えます。<br />

    三の丸土塁(左側)

    隠居屋敷に向かう途中には三の丸土塁が見えます。

  • 三の丸土塁(右側)

    三の丸土塁(右側)

  • 三の丸跡

    三の丸跡

  • 三の丸跡<br /><br />樹木が散立している植物園の様相が感じられます。

    三の丸跡

    樹木が散立している植物園の様相が感じられます。

  • 黒田如水御鷹屋敷跡<br /><br />この付近が如水が晩年を過ごした屋敷跡と言われています。

    黒田如水御鷹屋敷跡

    この付近が如水が晩年を過ごした屋敷跡と言われています。

  • 如水屋敷跡石標<br /><br />「黒田如水公御鷹屋敷跡」と刻された石標が寂しく建立しています。

    如水屋敷跡石標

    「黒田如水公御鷹屋敷跡」と刻された石標が寂しく建立しています。

  • 如水屋敷跡風景

    如水屋敷跡風景

  • 母里但馬守友信邸長屋門<br /><br />黒田二十四騎の一人である母里友信(もり・とものぶ、1556~1615)の屋敷に構えてあった武家屋敷長屋門が天神二丁目から当地に移設されています。友信は黒田節の源流となる筑前今様「酒は飲め飲め」で知られています。<br /><br />

    母里但馬守友信邸長屋門

    黒田二十四騎の一人である母里友信(もり・とものぶ、1556~1615)の屋敷に構えてあった武家屋敷長屋門が天神二丁目から当地に移設されています。友信は黒田節の源流となる筑前今様「酒は飲め飲め」で知られています。

  • 母里但馬守友信長屋門説明

    母里但馬守友信長屋門説明

  • 名島門(なじまもん)<br /><br />黒田長政が小早川隆景築城の名島城から福岡城に移す時、家臣の林掃部に下げ渡され、邸宅の門として使用されたものだそうです。

    名島門(なじまもん)

    黒田長政が小早川隆景築城の名島城から福岡城に移す時、家臣の林掃部に下げ渡され、邸宅の門として使用されたものだそうです。

  • 舞鶴中学校校舎<br /><br />名島門が中学校の玄関で門を越えると左側に校舎が控えています。

    舞鶴中学校校舎

    名島門が中学校の玄関で門を越えると左側に校舎が控えています。

  • 名島門説明

    名島門説明

  • 福岡城跡地図<br /><br />地図を見ると福岡城は公園化されその名は「舞鶴公園」と称され、有名な平和台陸上競技場、平和台球場跡、福岡高等裁判所そして野球場やラグビ−場などが配置され、当寺の福岡城は大規模であったことが想定されます。

    福岡城跡地図

    地図を見ると福岡城は公園化されその名は「舞鶴公園」と称され、有名な平和台陸上競技場、平和台球場跡、福岡高等裁判所そして野球場やラグビ−場などが配置され、当寺の福岡城は大規模であったことが想定されます。

  • 福岡城拡大図

    福岡城拡大図

  • 舞鶴公園主なスポット説明<br /><br />ここでは鴻臚館(こうろかん)、福岡城そして平和台が紹介されています。鴻臚館は平安時代における外交の迎賓館だったそうです。説明では奈良時代以前から大陸との往来が盛んに行われていたようで既に「筑紫館」なる建物があったそうです。(今回は残ながら時間の都合で鴻臚館見学は断念しました)

    舞鶴公園主なスポット説明

    ここでは鴻臚館(こうろかん)、福岡城そして平和台が紹介されています。鴻臚館は平安時代における外交の迎賓館だったそうです。説明では奈良時代以前から大陸との往来が盛んに行われていたようで既に「筑紫館」なる建物があったそうです。(今回は残ながら時間の都合で鴻臚館見学は断念しました)

  • 福岡城跡説明<br /><br />黒田家の出身地である備前国福岡(現在の岡山県瀬戸内市付近)に因んで福岡城と命名しています。

    福岡城跡説明

    黒田家の出身地である備前国福岡(現在の岡山県瀬戸内市付近)に因んで福岡城と命名しています。

  • 福岡城跡石柱

    イチオシ

    福岡城跡石柱

  • 松ノ木坂御門跡説明<br /><br />三の丸に入る入口に松ノ木坂御成門があって、ここから二の丸を経て本丸・天守台へと城内を登っていくル−トのひとつだそうです。三の丸は主には家老たちの屋敷がありました。

    松ノ木坂御門跡説明

    三の丸に入る入口に松ノ木坂御成門があって、ここから二の丸を経て本丸・天守台へと城内を登っていくル−トのひとつだそうです。三の丸は主には家老たちの屋敷がありました。

  • 二の丸石垣

    二の丸石垣

  • 松木坂御門跡

    松木坂御門跡

  • 松木坂御門跡

    松木坂御門跡

  • 二の丸跡

    二の丸跡

  • 二の丸跡梅園

    二の丸跡梅園

  • 本丸<br /><br />二の丸から石段を経て本丸に続きます。

    本丸

    二の丸から石段を経て本丸に続きます。

  • 石段<br /><br />本丸への石段の登ります。

    石段

    本丸への石段の登ります。

  • 本丸跡

    本丸跡

  • 本丸跡

    本丸跡

  • 祈念櫓<br /><br />祈念櫓(きねんやぐら)は本丸の北東隅に鬼門封じのため建立された二層の櫓で、棟札によれば万延元年(1860)3月起工、同年10月竣工しています。

    イチオシ

    祈念櫓

    祈念櫓(きねんやぐら)は本丸の北東隅に鬼門封じのため建立された二層の櫓で、棟札によれば万延元年(1860)3月起工、同年10月竣工しています。

  • 表御門跡・祈念櫓説明<br /><br />本丸にあった表御門はここにはなく、大正7年(1918)に黒田氏の菩提寺である崇福寺に移築され同寺の山門として使用されています。

    表御門跡・祈念櫓説明

    本丸にあった表御門はここにはなく、大正7年(1918)に黒田氏の菩提寺である崇福寺に移築され同寺の山門として使用されています。

  • 福岡城祈念櫓説明

    福岡城祈念櫓説明

  • 本丸跡

    本丸跡

  • 本丸跡土塁

    本丸跡土塁

  • 井戸跡

    井戸跡

  • 本丸跡

    本丸跡

  • 本丸跡

    本丸跡

  • 本丸跡石標

    本丸跡石標

  • 鉄御門跡

    鉄御門跡

  • 天守台石垣

    天守台石垣

  • 鉄御門跡石標

    鉄御門跡石標

  • 天守台跡石段

    天守台跡石段

  • 天守台石段

    天守台石段

  • 中天守台<br /><br />石段を登りきると天守台に向かう踊場的なスぺースがあり区別するため「大・中天守台」と呼ぶことにします。ここには大天守台への案内が見えます。<br /><br />

    中天守台

    石段を登りきると天守台に向かう踊場的なスぺースがあり区別するため「大・中天守台」と呼ぶことにします。ここには大天守台への案内が見えます。

  • 中天守台<br /><br />更に鉄製の階段が設置されこの階段を登ります。

    中天守台

    更に鉄製の階段が設置されこの階段を登ります。

  • 大天守台石垣

    大天守台石垣

  • 大天守台への階段<br /><br />更に階段を登り連絡橋を渡ります。<br /><br />

    大天守台への階段

    更に階段を登り連絡橋を渡ります。

  • 中天守台展望<br /><br />大天守台に向かう階段・連絡橋から振り返って中天守台を一望します。

    中天守台展望

    大天守台に向かう階段・連絡橋から振り返って中天守台を一望します。

  • 大天守台途中

    大天守台途中

  • 市街展望<br /><br />大天守台に向かう途中で福岡市街を展望します。<br /><br />

    市街展望

    大天守台に向かう途中で福岡市街を展望します。

  • 大天守台<br /><br />大天守台への連絡橋をこのまま前進します。

    大天守台

    大天守台への連絡橋をこのまま前進します。

  • 大天守台<br /><br />虎口を過ぎて特製の展望台に向けて階段を登ります。

    大天守台

    虎口を過ぎて特製の展望台に向けて階段を登ります。

  • 大天守台跡<br /><br />大天守台を石垣がぐるりと囲んでいるのが判ります。<br />

    イチオシ

    大天守台跡

    大天守台を石垣がぐるりと囲んでいるのが判ります。

  • 大天守台特設展望台連絡階段<br /><br />大天守跡一隅に設置された特製展望台めがけて階段を登ります。

    大天守台特設展望台連絡階段

    大天守跡一隅に設置された特製展望台めがけて階段を登ります。

  • 大天守台特設展望台<br /><br />鉄柵とコンクリートで造られた大天守台跡は公園化されたため味気ない雰囲気となっています。

    大天守台特設展望台

    鉄柵とコンクリートで造られた大天守台跡は公園化されたため味気ない雰囲気となっています。

  • 市街展望<br /><br />大天守台特設展望台から市街を一望します。

    イチオシ

    市街展望

    大天守台特設展望台から市街を一望します。

  • 市街展望

    市街展望

  • 天守台説明<br /><br />説明によれば天守閣が存在していたかどうか確認取れていません。

    天守台説明

    説明によれば天守閣が存在していたかどうか確認取れていません。

  • 市街展望

    市街展望

  • 本丸跡展望<br /><br />大天守台から本丸跡を一望します。

    本丸跡展望

    大天守台から本丸跡を一望します。

  • 大天守台虎口<br /><br />特製展望台から石垣をつたって虎口方向に向かうと虎口が狭くなっていることを確認します。

    大天守台虎口

    特製展望台から石垣をつたって虎口方向に向かうと虎口が狭くなっていることを確認します。

  • 大天守台虎口<br /><br />大天守台を離れて帰路に着きます。大天守台から階段方向を見れば今まで歩いてきた通路が窮屈になって見えます。

    イチオシ

    大天守台虎口

    大天守台を離れて帰路に着きます。大天守台から階段方向を見れば今まで歩いてきた通路が窮屈になって見えます。

  • 本丸説明<br /><br />

    本丸説明

  • 天守台案内

    天守台案内

  • 大天守台石垣<br /><br />本丸に降りた後左側に廻り、石段を登ります。

    大天守台石垣

    本丸に降りた後左側に廻り、石段を登ります。

  • 小天守台跡<br /><br />石段を昇ると芝が敷かれ、小天守台跡のスぺ−スが広がります。<br /><br />

    小天守台跡

    石段を昇ると芝が敷かれ、小天守台跡のスぺ−スが広がります。

  • 小天守台跡石標

    小天守台跡石標

  • 小天守台跡

    小天守台跡

  • 大天守台跡石垣<br /><br />小天守台跡から大天守台跡を見上げます。

    イチオシ

    大天守台跡石垣

    小天守台跡から大天守台跡を見上げます。

  • 小天守台虎口

    小天守台虎口

  • イチオシ

  • 屏風櫓跡

    屏風櫓跡

  • 本丸裏御門・本丸図<br /><br /><br /><br />

    本丸裏御門・本丸図



  • 本丸裏御門説明<br /><br />

    本丸裏御門説明

  • 本丸図面

    本丸図面

  • 屏風櫓跡

    屏風櫓跡

  • 下之御門橋<br /><br />再び下之御門橋を渡って福岡城跡を離れます。

    イチオシ

    下之御門橋

    再び下之御門橋を渡って福岡城跡を離れます。

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