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黒田如水父子を祀った光雲神社にほど近い福岡城を臨む地に建つ照福山・顕光院・圓應寺(えんのうじ)は黒田如水(くろだ・じょすい、1546~1604)室である光(てる、1553~1627)の方開基による寺院です。<br /><br />慶長5年(1600)9月、黒田如水・長政父子の関ヶ原の戦いの軍功により、黒田家は家康より豊前中津12万5千石から一挙に筑前一国52万3千石の知行を受けて大大名となります。<br /><br />その後筑前名島城(なじまじょう)を経て福岡城を築城、慶長7年(1602)4月、黒田如水の室・阿弥陀信仰者の照福院殿(光の方)は自ら福岡に一寺を開基し黒田家の菩提寺とします。<br /><br />当寺院のパンフレットによれば照福院殿は長男長政(ながまさ、1568~1623)が治める福岡城と二男熊之助(くまのすけ、1582~1597)が亡くなった玄界灘が良く見渡せる福岡城大手門に創建しますが子を想う母親の気持ちがよく表れています。<br /><br />開山は当該寺ホームページによれば天蓮社真誉見道上人で武門の名門赤松氏の流れで播磨国出身の黒田如水と同郷で、かつては如水の家臣の一人であったと伝えられています。<br /><br />同上人は如水の父職隆(もとたか,1524~1585)を祀る心光寺においては住職を務め播磨における黒田家菩提寺に深い縁を持つ僧侶で、その後如水が播磨から豊前中津転封にも黒田一族に同道し中津円応寺を開山して黒田家菩提寺とします。<br /><br />その他唐津教安寺・小倉円応寺を開山し、福岡圓應寺の開山に際して小倉から招請を受けその役割を果たし慶長17年(1612)当寺で入没します。<br /><br /><br /><br />2023年10月3日追記<br /><br />現地で入手の二つ折りのパッフレットには下記の通り紹介されています。<br /><br />『「圓應寺代々略伝」によれば最愛の夫官兵衛如水が亡くなり光姫は出家して照福院殿となり、先祖、敵味方の区別なく御霊の追善供養に益々励まれ、一族、福岡藩有縁無縁の繁栄を祈願していたようです。<br /><br />照福院殿が亡くなり、圓應寺は福岡を見守り照らすという夫人の思いを忘れることのないよう「照福山」を追号して「照福山顕光院圓應寺」と称しました。<br /><br />また、黒田二十四騎、野口佐助一成、桐山丹波守、久野四兵衛重勝、小河伝右衛門信章、その他、生田木屋(昆陽)之助などの黒田家家臣の菩提寺でもあります。<br /><br />大手門前から海岸までの広大な寺領を持つ屈指の威容を誇る名刹、筑前国の中本山触頭として知られていましたが、照福院殿の墓碑、遺髪はもとより如水公をはじめとする黒田家由縁の墓碑は福岡大空襲で瓦礫となりました。昭和55年に照福院殿の墓碑は再建されました。現在、今様黒田節を作詞した国学者二川相近の墓があります。<br /><br />空襲から難を逃れ、最澄作「大黒天像」、空海作「弁財天像」が現存しています。福岡大空襲の実子地区戦災者を葬る無縁仏地蔵尊もあります。』<br />

筑前福岡 官兵衛をたずねる 嫡男長政が治める52万石の福岡城を臨む黒田如水室光の方(光姫)開基の『圓應寺』散歩

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2014/10/08 - 2014/10/08

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滝山氏照

滝山氏照さん

黒田如水父子を祀った光雲神社にほど近い福岡城を臨む地に建つ照福山・顕光院・圓應寺(えんのうじ)は黒田如水(くろだ・じょすい、1546~1604)室である光(てる、1553~1627)の方開基による寺院です。

慶長5年(1600)9月、黒田如水・長政父子の関ヶ原の戦いの軍功により、黒田家は家康より豊前中津12万5千石から一挙に筑前一国52万3千石の知行を受けて大大名となります。

その後筑前名島城(なじまじょう)を経て福岡城を築城、慶長7年(1602)4月、黒田如水の室・阿弥陀信仰者の照福院殿(光の方)は自ら福岡に一寺を開基し黒田家の菩提寺とします。

当寺院のパンフレットによれば照福院殿は長男長政(ながまさ、1568~1623)が治める福岡城と二男熊之助(くまのすけ、1582~1597)が亡くなった玄界灘が良く見渡せる福岡城大手門に創建しますが子を想う母親の気持ちがよく表れています。

開山は当該寺ホームページによれば天蓮社真誉見道上人で武門の名門赤松氏の流れで播磨国出身の黒田如水と同郷で、かつては如水の家臣の一人であったと伝えられています。

同上人は如水の父職隆(もとたか,1524~1585)を祀る心光寺においては住職を務め播磨における黒田家菩提寺に深い縁を持つ僧侶で、その後如水が播磨から豊前中津転封にも黒田一族に同道し中津円応寺を開山して黒田家菩提寺とします。

その他唐津教安寺・小倉円応寺を開山し、福岡圓應寺の開山に際して小倉から招請を受けその役割を果たし慶長17年(1612)当寺で入没します。



2023年10月3日追記

現地で入手の二つ折りのパッフレットには下記の通り紹介されています。

『「圓應寺代々略伝」によれば最愛の夫官兵衛如水が亡くなり光姫は出家して照福院殿となり、先祖、敵味方の区別なく御霊の追善供養に益々励まれ、一族、福岡藩有縁無縁の繁栄を祈願していたようです。

照福院殿が亡くなり、圓應寺は福岡を見守り照らすという夫人の思いを忘れることのないよう「照福山」を追号して「照福山顕光院圓應寺」と称しました。

また、黒田二十四騎、野口佐助一成、桐山丹波守、久野四兵衛重勝、小河伝右衛門信章、その他、生田木屋(昆陽)之助などの黒田家家臣の菩提寺でもあります。

大手門前から海岸までの広大な寺領を持つ屈指の威容を誇る名刹、筑前国の中本山触頭として知られていましたが、照福院殿の墓碑、遺髪はもとより如水公をはじめとする黒田家由縁の墓碑は福岡大空襲で瓦礫となりました。昭和55年に照福院殿の墓碑は再建されました。現在、今様黒田節を作詞した国学者二川相近の墓があります。

空襲から難を逃れ、最澄作「大黒天像」、空海作「弁財天像」が現存しています。福岡大空襲の実子地区戦災者を葬る無縁仏地蔵尊もあります。』

旅行の満足度
3.5
交通手段
JRローカル 徒歩

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  • 圓應寺・山門<br /><br />福岡城水堀を南に臨む明治通りに圓応寺があります。<br /><br />

    圓應寺・山門

    福岡城水堀を南に臨む明治通りに圓応寺があります。

  • 圓應寺・寺標<br /><br />山門右側には「浄土宗照福山圓應寺」と刻された石標が見えます。

    圓應寺・寺標

    山門右側には「浄土宗照福山圓應寺」と刻された石標が見えます。

  • 黒田氏・紋所<br /><br />開門状態の山門扉には黒田氏の紋所である「藤巴」と同じ寺紋が付されています。

    黒田氏・紋所

    開門状態の山門扉には黒田氏の紋所である「藤巴」と同じ寺紋が付されています。

  • 参道<br /><br />この辺りはすっかり住宅化されており、左右は民家が迫っていて参道だけが確保されています。

    参道

    この辺りはすっかり住宅化されており、左右は民家が迫っていて参道だけが確保されています。

  • 圓應寺・由緒<br /><br />黒田如水の室である光姫が慶長7年(1602)当寺を開基したとのことです。

    圓應寺・由緒

    黒田如水の室である光姫が慶長7年(1602)当寺を開基したとのことです。

  • 圓應寺・本堂<br /><br />本堂玄関先には「照福山」と山号が書かれています。正式名は「照福山顕光院圓應寺」で御本尊は阿弥陀如来となっています。

    圓應寺・本堂

    本堂玄関先には「照福山」と山号が書かれています。正式名は「照福山顕光院圓應寺」で御本尊は阿弥陀如来となっています。

  • 照福院殿(光姫)墓碑<br /><br />『法名「照福院殿然誉浩栄大尼公」1980年(昭和55年)に再建立。歴代上人の口伝によると、戦前の墓石内には照福院殿の毛髪も納められていたといわれます。<br /><br />平成25年8月過去帳、略伝書より「光姫」の読みが、「ミツ」と見つかりました。<br /><br />墓碑の横には光姫がお生まれになった加古川市志方城跡に櫛橋家を鎮魂する観音寺より寄贈いただいた約350年前の鬼瓦が墓碑を護る形で鎮座しています。』<br />(当該寺パンフレットより)<br /><br /><br />

    イチオシ

    照福院殿(光姫)墓碑

    『法名「照福院殿然誉浩栄大尼公」1980年(昭和55年)に再建立。歴代上人の口伝によると、戦前の墓石内には照福院殿の毛髪も納められていたといわれます。

    平成25年8月過去帳、略伝書より「光姫」の読みが、「ミツ」と見つかりました。

    墓碑の横には光姫がお生まれになった加古川市志方城跡に櫛橋家を鎮魂する観音寺より寄贈いただいた約350年前の鬼瓦が墓碑を護る形で鎮座しています。』
    (当該寺パンフレットより)


  • 頭山家累世之墓<br /><br />明治から昭和初期にかけて活動したアジア主義の巨塔といわれている頭山満(とうやま・みつる、1855~1944)の菩提寺でもあります。

    頭山家累世之墓

    明治から昭和初期にかけて活動したアジア主義の巨塔といわれている頭山満(とうやま・みつる、1855~1944)の菩提寺でもあります。

  • 観音寺瓦<br /><br />観音寺は光姫が生まれた加古川市志方城跡に櫛橋家(光実家)を鎮魂した寺院で、当寺院より寄贈された約350年前の鬼瓦が墓碑を護っています。

    観音寺瓦

    観音寺は光姫が生まれた加古川市志方城跡に櫛橋家(光実家)を鎮魂した寺院で、当寺院より寄贈された約350年前の鬼瓦が墓碑を護っています。

  • 境内風景<br /><br />本堂から山門を眺めた時の状況で、手狭の中で右側に墓地が確保されています。

    境内風景

    本堂から山門を眺めた時の状況で、手狭の中で右側に墓地が確保されています。

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