2012/05/15 - 2012/05/29
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jijidarumaさん
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Romantische Strasseロマンチック街道、Schwaebische Alb Strasseシュヴェービッシュ・アルプ街道、Burgenstrasse古城街道の旅
期間 :2012年05月15日(火)~05月29日(火)15日間の旅
Sagen aus dem dreissigjaehrigen Krieg30年戦争にまつわる伝説:その1
≪RothenburgローテンブルクのMeistertrunkマイスタートリンク“見事な一気飲み≫
ロマンチック街道のRothenburg ob der Tauberローテンブルク・オプ・デア・タウバーはCreglingen クレクリンゲンから20kmの距離になる。
写真は市参事会館の仕掛け;左に皇帝軍・旧教派ティリー将軍と、右に新教派の旧市長ヌッシュ
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- レンタカー
- 航空会社
- ルフトハンザドイツ航空 ANA
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
このバイエルン州ミッテルフランケン地方に残る中世の町は人口12千人と小さな町である。旧市街の周辺をぐるりと高い城壁が囲み、3つの門、北と南に2つの稜堡を持った町の姿を西の谷となるタウバー川から80m上の町を見上げると、それは見事な城塞都市である。
今は美しい庭園・教会がある場所はこの町の基礎となったホーエンシュタウフェン王家の帝国城塞があった所だ。この町は第二次大戦の被災で旧市街の40%を失ったが、昔のままに再建され、中世そのままの様子を残している。
http://www.rothenburg.de/
写真は城塞都市ローテンブルク -
古城街道は“活きている中世都市”、”ロマンチック街道の宝石箱“と称されるローテンブルクでロマンチック街道と交差するが、最もドイツ的魅力を感じさせる二つの街道の接点なので、この町には何度も訪れた。
いわく、ロマンチック街道に始まり、ロマンチック街道で終わる・・・というのが多くの日本人の観光スタイルかもしれません。
写真はブルク公園から見たローテンブルクの遠景 -
≪伝説:マイスタートルンクMeistertrunk“見事な一気飲み”≫
時は中世から近世に入り、新旧の宗教戦争である三十年戦争(1618〜1648年)の頃。
舞台は新教派の町ローテンブルクを旧教派の皇帝軍が攻囲戦を行った。
主役は皇帝軍・旧教派Graf von Tillyティリー伯・将軍と新教派の旧市長Nuschヌッシュ。
特にローテンブルクにとっては町の救世主、英雄と呼ばれたヌッシュ。
写真はHotel Eisenhutホテル アイゼンフートのレストラン:マイスタートルンクの場面を描いた絵 -
三十年戦争のさなかの1631年、ローテンブルクは旧教派の皇帝軍・ティリー将軍と彼の率いる6万人の兵に攻撃されました。
ローテンブルクは抵抗することができず、このままでは町は破壊、焼き払われ、抵抗した市民の運命も危ういということになりました。
白旗を掲げたローテンブルクの人々はやってきた皇帝軍のティリー将軍の気持ちを鎮める為に、ワインがなみなみと入った“選帝侯の大ジョッキ”と称された大きなマグカップ(3.25リットル・・何故3.25リットルなのかは?だが)を差し出しました。
写真はマルクト広場で市民の方が踊る -
そのワインを見た将軍は『もし、このワインを一気に飲み干せる者がいるならば、この町を破壊するのは止めよう!そしてまた、お前たちの命も助けてやる!』と云ったそうです。年老いた旧市長ヌッシュはそれを聞くと、私が飲んで見せましょうと、将軍の前に進み出て、ワインがなみなみと入った大きなマグカップを受け取り、一気に飲み干したそうだ。
一気に飲み干せる事は絶対に無理と思っていた将軍はこれには驚き、約束通りに町や市民を許したと、伝えられています。
(尚、付け加えると、ティリー将軍はローテンブルクにやってきた事実はないそうですが・・・。)
写真は市庁舎前で舞踊団の皆さん -
≪30年戦争(1618〜48年)とは?≫
100年前のルターの宗教改革に始まった、新旧キリスト教徒の対立が17世紀に入るとドイツ国内では争いが先鋭化した。
新旧キリスト教徒の宗教戦争は1618年パプスブルグ家がボヘミア(現チェコ)の新教徒を弾圧した事に端を発する。
旧教派のオーストリア/スペイン・パプスブルグ家と新教派のフランス・ブルボン王家が政治的・現実的観点から、ドイツ国内の其々に荷担し、更に新教派に当時の最盛を誇ったスウェーデン王が介入するなど、国際紛争になった。
この戦争は新教派優勢で終わり、1648年北ドイツのMuensterミュンスター・Osnabrueckオスナーブリュックで66カ国によりヴェストファリア条約が調印された。
この間に全ドイツの人口は3分の2に減少し、国土は荒廃したという。
この事でドイツは300もの小国家が分立する。
このためドイツは絶対王政・中央集権のフランスなどに200年の遅れを生じたとされている。
反面では全ドイツの国民文化の均等な広がりを育み、自由・自治の都市を形つくったともいえる。
今、私共が旅を楽しむ町々にその事の有りがたさを見ることができる。
XXX
写真は1572年当時のローテンブルク -
≪Historisches Festspiel時代祭り≫
2015年は聖霊降臨祭の2015年5月22日~25日の4日間に催される。
5月22日(金)Die Belagerte Stadt「攻囲された町」、
5月23日(土)Die Besetzte Stadt「占領された町」、
5月24日(日)Die Gerettete Stadt「救われた町」、
5月25日(月)Die Glueckliche Stadt「幸せな町」とそれぞれに名前がある。
2012年は5月27日(日)がPfingstsonntag聖霊降臨祭なので、この日の前後、ローテンブルクは“時代祭り”で一色になる。
旧教派の皇帝軍と新教派のローテンブルク市民の戦いなどを再現する祭りだ。お祭りの期間中、ローテンブルクは当時の衣装を身にまとった市民たち700 人以上、馬が130頭も参加し、往時の歴史的な様々なシーンが見られる。
マイスタートルンク“見事な一気飲み”の話をもとにした市民による歴史劇も行われると云う。
写真はティリー将軍 -
毎日、市参事会館の仕掛け時計(1910年製)がマイスタートルンク“見事な一気飲み”をスタートさせる。
その時間は11時・12時・13時・14時・15時である。
今日は15時の出番を見た。Rathaus市庁舎(13世紀)横の市参事会館の左右の窓が開き、左にティリー将軍、右は旧市長ヌッシュの人形が出てきて、大杯を飲み干す場面を演じる。ほんの5分ぐらいの時間だが、この時間になるといつの間にか、広場は人だかりになる。
http://www.meistertrunk.de/
写真は市参事会館の仕掛け時計:マイスタートルンク -
<2012年5月18日(金);朝方小雨、その後、晴、20℃、101km>
6時起床。8時朝食・散策。古城ホテル アルテス・アムトハウスを9時30分に出発。Mulfingen ‐Ailringenアイルリンゲン−>L? (M-Hollenbach・N-Adolzhausen・Weikersheim)−>L? 30km Roettingenレッティンゲン到着・町見学10:00〜10:35 −>L? 12km Creglingenクレクリンゲン到着・教会見学 10:55〜12:40 −>L? 17km Detwangデトヴァンク到着・教会見学13:00〜13:45−>L? 2km Rothenburg ob der Tauberローテンブルク・オプ・デア・タウバー到着・市内見学13:50〜16:00−>L? 40km Mulfingen‐Ailringenムルフィンゲン・アイルリンゲンには17:20着。
(Romantik Hotel Altes Amtshaus古城ホテル アルテス・アムトハウス)
写真はホテル アイゼンフートの鉄兜の看板 -
<お茶:Hotel Eisenhut 古城ホテル アイゼンフート(鉄兜)にて>
Wintergarten冬の庭(温室); 15:20〜16:00 Euro17(1,820円)
Apfelstrudelリンゴのシュトルーデルとリンゴのトルテ。コーヒーに紅茶。
陽のあたるパノラマレストランには大勢のお客がみえる。私共は陽に焼けたくないので手前のWintergarten冬の庭(温室)と称する所で、お茶にした。
町一番のホテルにしては、ケーキはぱさぱさして、残念ながら、味はちょっと?付きであった。
一見さんの観光客に、昨日のケーキでも出してきたのかな?
古城ホテル好きで、アイゼンフートも古城ホテルの類として、ちょっと思い入れもあって、期待していたのですが、アウトでした。
写真はリンゴのシュトルーデルとリンゴのトルテ -
その分、ホテル内部をしっかり見てきたから、それはそれで良いのですが・・・。これからは夕食や昼食をここで食べる気にならないだろう。
帰り際、折角なのでホテル内を見せてもらう。メイン・レストラン、サロン、朝食あるいは宴会などに利用する吹き抜けの在る長方形の広間もなかなかのものでした。
写真はアイゼンフートの正面 -
≪Hotel Eisenhut古城ホテル アイゼンフート≫
D-91541 Rothenburg o.d.Tauber 、Herrengasse3‐5/7
Tel:+49 (0)9861−7050 、Fax:−70545
http://www.eisenhut.com
この町一番の歴史ある古城ホテル アイゼンフート(鉄兜)には鉄兜がホテルの入口にぶら下がっている。マルクト広場傍にあり、目印ともなる鉄兜はかつて、この地で1876年、ワイン酒場を開いていたゲオルク・アイゼンフートの名に因んだものだ。全78室。
写真はアイゼンフート:朝食あるいは宴会などに利用する吹き抜けの在る長方形の広間 -
15〜6世紀の貴族の館を改造したホテル内は中々重厚な佇まいで、趣のあるものだった。
レセプションからして、重々しい色合いで、立派な天井が目に入る。奥に入ると、サロンがあり、メイン・レストランがあり、ローテンブルクの逸話マイスタートルンクの場面の絵が掲げられていた。
写真はアイゼンフートのサロン -
ダイヤモンド社のドイツの古城ホテルにも掲載されているので、次女たちも新婚旅行でここに泊まりました。
私共は何度もローテンブルクを訪れながら、何時も外観だけ、不思議に泊った事もなく、食事もしていない。
そんな次第で、漸くお茶をしたわけだったが・・・。
写真はアイゼンフートの別棟 -
ヘレンガッセの向かい側にもかつては無かったアイゼンフートのホテル別棟がありますから、業容は悪くないのでしょう。多くは日本人観光客が宿泊する事で寄与したものでしょう。
かつて次女たちが宿泊した際、あまり対応が良くなかったとも聞きました。
私共が行った時も、レセプションの対応は少し鼻についたもので、日本人観光客が寄与した分、ホテルをスポイルしたかもしれません。
この旅でローテンブルクを外して、田舎の古城ホテルに泊ったのはやはり正解だったようです。
写真はアイゼンフート:レストランWintergarten冬の庭(温室) -
写真はアイゼンフート・レセプション
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写真はアイゼンフート・テラスレストラン
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写真はHistorisches Festspiel時代祭り
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写真はHistorisches Festspiel時代祭り
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写真はHistorisches Festspiel時代祭り
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