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JR両毛線前橋駅北口から県庁に行く途中に岡崎龍海院(りゅうかいいん)の別院として漕洞宗の龍海院(りゅうかいいん、群馬県前橋市紅雲町)があります。<br /><br />境内設置の縁起によれば享禄3年(1530)元旦、家康の祖父である三河岡崎城主の松平清康(まつだいら・きよやす、1511~1535)が「是」の字を左手に握る夢を見、「是」は「日の下の人」であり天下統一の端夢であるという模外惟俊(もがい・いしゅん)大和尚の予言を信じて同師を開山とし岡崎城下に一寺を建立し「満珠山是字寺龍海院」と名付けます。<br /><br />然しながら松平家には既に菩提寺があったので譜代の酒井正親(さかい・まさちか、1521~1576)に龍海院の外護(げご)を命じ、以降龍海院は酒井氏の菩提寺となります。<br /><br />天正18年(1590)家康が関東入国となり正親二男重忠(しげただ、1549~1617)もこれに従い同年川越に移転、慶長6年(1601)前橋に移転することになり、万治元年(1658)当地に寺院を建立します。(岡崎にある龍海院は慶長6年(1601)岡崎藩主となった本多康重(ほんだ・やすしげ、1554~1611)により再興されます)<br /><br />龍海院の境内には幕府大老を勤めて「下馬将軍」と言われた四代忠清(ただきよ、1624~1681)の建立という本堂、山門、鐘楼、位牌堂、禅堂、開山堂などがあります。<br /><br />尚境内には酒井氏初代の重忠から15代までの歴代当社の墓石があり、途中酒井氏は寛延2年(1749)に姫路へ転封となりますが以降の藩主も当菩提寺に葬られ歴代藩主は墓参を欠かさなかったとのことです。<br /><br /><br /><br />2022年11月29日追記<br /><br />境内に建てられた説明板には下記の通り紹介されています。<br /><br />『 曹洞宗大珠山是字寺龍海寺院珠山<br /><br />宗名   曹洞宗(禅宗)です。<br /><br />伝統   曹洞宗はお釈迦さまより歴代の祖師がたによって相続されてきた <br />     正伝の仏法です。<br /><br />日本開宗 曹洞宗は今から800年ほど前鎌倉時代に高祖道元禅師さまが我   が国に伝え揺るぎない基礎を築かれ4代目の太祖?山禅師さまが一層盛んになさいました。このお二方を両祖大師と申し上げます。<br /><br />大本山  福井県 永平寺 (高祖道元禅師さま御開山)<br />     横浜市 総持寺 (太祖?山禅師さま御開山)<br /><br />本尊   大恩教主本師釈迦牟尼仏 <br /><br />略縁起  享禄3年(西暦1530年)元旦、徳川家康公の祖父清康公が是の字を左に握る夢を見、これを天下統一の瑞夢であるという模外惟俊大和尚の予言を信じ、同師を開山として岡崎城下に伽藍を建立しました。その後龍海寺院は徳川家の命により外護者となった酒井家の転封とともに天正18年川越、慶長6年前橋に移りました。酒井家9代姫路転封の時も龍海院は当地に留まり、世人開運出世の寺として人々の信仰を集めてまいりました。<br /><br />伽藍   慶長年間に酒井重忠公が岩神に造営し、元禄年間に至り酒井忠挙公が現地に移しました。現本堂と山門は文政年間のものです。なお、前橋藩姫路藩15代の藩主型の墓はほぼ現状のままです。<br /><br />         龍海寺院第三十七世 龍しょう一雄  代  』<br /><br />

上野前橋 家康祖父松平清康創建し徳川家より外護者の使命を受けた譜代酒井氏が関東移封後も菩提寺となって初代重忠から15代まで眠る『龍海院』散歩

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2014/08/13 - 2014/08/13

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滝山氏照

滝山氏照さん

JR両毛線前橋駅北口から県庁に行く途中に岡崎龍海院(りゅうかいいん)の別院として漕洞宗の龍海院(りゅうかいいん、群馬県前橋市紅雲町)があります。

境内設置の縁起によれば享禄3年(1530)元旦、家康の祖父である三河岡崎城主の松平清康(まつだいら・きよやす、1511~1535)が「是」の字を左手に握る夢を見、「是」は「日の下の人」であり天下統一の端夢であるという模外惟俊(もがい・いしゅん)大和尚の予言を信じて同師を開山とし岡崎城下に一寺を建立し「満珠山是字寺龍海院」と名付けます。

然しながら松平家には既に菩提寺があったので譜代の酒井正親(さかい・まさちか、1521~1576)に龍海院の外護(げご)を命じ、以降龍海院は酒井氏の菩提寺となります。

天正18年(1590)家康が関東入国となり正親二男重忠(しげただ、1549~1617)もこれに従い同年川越に移転、慶長6年(1601)前橋に移転することになり、万治元年(1658)当地に寺院を建立します。(岡崎にある龍海院は慶長6年(1601)岡崎藩主となった本多康重(ほんだ・やすしげ、1554~1611)により再興されます)

龍海院の境内には幕府大老を勤めて「下馬将軍」と言われた四代忠清(ただきよ、1624~1681)の建立という本堂、山門、鐘楼、位牌堂、禅堂、開山堂などがあります。

尚境内には酒井氏初代の重忠から15代までの歴代当社の墓石があり、途中酒井氏は寛延2年(1749)に姫路へ転封となりますが以降の藩主も当菩提寺に葬られ歴代藩主は墓参を欠かさなかったとのことです。



2022年11月29日追記

境内に建てられた説明板には下記の通り紹介されています。

『 曹洞宗大珠山是字寺龍海寺院珠山

宗名   曹洞宗(禅宗)です。

伝統   曹洞宗はお釈迦さまより歴代の祖師がたによって相続されてきた 
     正伝の仏法です。

日本開宗 曹洞宗は今から800年ほど前鎌倉時代に高祖道元禅師さまが我   が国に伝え揺るぎない基礎を築かれ4代目の太祖?山禅師さまが一層盛んになさいました。このお二方を両祖大師と申し上げます。

大本山  福井県 永平寺 (高祖道元禅師さま御開山)
     横浜市 総持寺 (太祖?山禅師さま御開山)

本尊   大恩教主本師釈迦牟尼仏 

略縁起  享禄3年(西暦1530年)元旦、徳川家康公の祖父清康公が是の字を左に握る夢を見、これを天下統一の瑞夢であるという模外惟俊大和尚の予言を信じ、同師を開山として岡崎城下に伽藍を建立しました。その後龍海寺院は徳川家の命により外護者となった酒井家の転封とともに天正18年川越、慶長6年前橋に移りました。酒井家9代姫路転封の時も龍海院は当地に留まり、世人開運出世の寺として人々の信仰を集めてまいりました。

伽藍   慶長年間に酒井重忠公が岩神に造営し、元禄年間に至り酒井忠挙公が現地に移しました。現本堂と山門は文政年間のものです。なお、前橋藩姫路藩15代の藩主型の墓はほぼ現状のままです。

         龍海寺院第三十七世 龍しょう一雄  代  』

旅行の満足度
3.5
交通手段
JRローカル 徒歩

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  • 龍海院・入口<br /><br />入口の左右には石燈籠その奥には仁王像がそれぞれ控えており寺院の格式の高さを感じさせます。

    龍海院・入口

    入口の左右には石燈籠その奥には仁王像がそれぞれ控えており寺院の格式の高さを感じさせます。

  • 龍海院・参道<br /><br />車輌が出入りできる参道は敷地の広さがあります。

    龍海院・参道

    車輌が出入りできる参道は敷地の広さがあります。

  • 龍海院・仁王門(山門)<br /><br />二階建ての仁王門(山門)は見応えがあります。二階部正面には寺号である「是字寺」の金文字が確認されます。

    イチオシ

    龍海院・仁王門(山門)

    二階建ての仁王門(山門)は見応えがあります。二階部正面には寺号である「是字寺」の金文字が確認されます。

  • 有栖川宮御祈願所<br /><br />仁王門右側に「有栖川宮御祈願所」の柱標が見られます。

    有栖川宮御祈願所

    仁王門右側に「有栖川宮御祈願所」の柱標が見られます。

  • 龍海院・仁王門<br /><br />左右には寺号「龍海院」及び山号「大珠山」と刻された説明板が見えます。

    龍海院・仁王門

    左右には寺号「龍海院」及び山号「大珠山」と刻された説明板が見えます。

  • 龍海院縁起等・説明板

    龍海院縁起等・説明板

  • 酒井氏菩提寺・説明板<br /><br />「龍海院と前橋藩主酒井氏歴代墓地<br />大珠山是字寺龍海院は、徳川家康の祖父清康によって建てられ、重臣酒井正親をこの寺の外護者とした。以来酒井氏は龍海院を菩提寺とした。このため寺も川越・前橋と移転した。しかし酒井氏が姫路に去っても、龍海院はそのまま、この地にあって初代重忠以後の酒井氏歴代の墓所を設けた。(昭和39年前橋市指定史跡)酒井氏は慶長6年(1601)、重忠が前橋城藩主となって以来9代150年間にわたって前橋の地を治めた。また初代市長下村善太郎の墓もある。<br />                         前橋市観光協会 』   <br /><br /><br />

    酒井氏菩提寺・説明板

    「龍海院と前橋藩主酒井氏歴代墓地
    大珠山是字寺龍海院は、徳川家康の祖父清康によって建てられ、重臣酒井正親をこの寺の外護者とした。以来酒井氏は龍海院を菩提寺とした。このため寺も川越・前橋と移転した。しかし酒井氏が姫路に去っても、龍海院はそのまま、この地にあって初代重忠以後の酒井氏歴代の墓所を設けた。(昭和39年前橋市指定史跡)酒井氏は慶長6年(1601)、重忠が前橋城藩主となって以来9代150年間にわたって前橋の地を治めた。また初代市長下村善太郎の墓もある。
                             前橋市観光協会 』   


  • 龍海院・仁王像・右

    龍海院・仁王像・右

  • 龍海院・仁王像・左

    龍海院・仁王像・左

  • 龍海院・本堂<br /><br />正式には「大珠山是字寺龍海院」という漕洞宗寺院で、始めは岡崎城下に建立され、家康の関東入部の際徳川家の外護者となった酒井氏の入封とともに当地に移されてきました。

    イチオシ

    龍海院・本堂

    正式には「大珠山是字寺龍海院」という漕洞宗寺院で、始めは岡崎城下に建立され、家康の関東入部の際徳川家の外護者となった酒井氏の入封とともに当地に移されてきました。

  • 龍海院・本堂扁額<br /><br />「大雄殿」と刻された扁額が見えます。

    龍海院・本堂扁額

    「大雄殿」と刻された扁額が見えます。

  • 龍海院・鐘楼堂

    龍海院・鐘楼堂

  • 龍海院・酒井氏歴代廟入口

    龍海院・酒井氏歴代廟入口

  • 龍海院・「前橋藩主酒井氏歴代墓地」石標<br /><br />

    龍海院・「前橋藩主酒井氏歴代墓地」石標

  • 龍海院・酒井氏墓地表門

    龍海院・酒井氏墓地表門

  • 龍海院・「歴代墓地」レイアウト<br /><br /><br /><br />

    龍海院・「歴代墓地」レイアウト



  • 龍海院・酒井氏墓地内部

    龍海院・酒井氏墓地内部

  • 龍海院・酒井氏墓地内部

    龍海院・酒井氏墓地内部

  • 龍海院・酒井氏墓地内部

    龍海院・酒井氏墓地内部

  • 龍海院・初代藩主酒井重忠墓

    龍海院・初代藩主酒井重忠墓

  • 龍海院・初代藩主酒井重忠と室の墓

    龍海院・初代藩主酒井重忠と室の墓

  • 酒井重忠夫妻墓の柱標

    酒井重忠夫妻墓の柱標

  • 龍海院・酒井重忠夫妻の墓説明板

    龍海院・酒井重忠夫妻の墓説明板

  • 龍海院・酒井重忠夫妻の戒名石碑

    龍海院・酒井重忠夫妻の戒名石碑

  • 龍海院・廟内部

    龍海院・廟内部

  • 龍海院・廟内部<br /><br />酒井重忠夫妻墓から表門方向を捉えます。

    龍海院・廟内部

    酒井重忠夫妻墓から表門方向を捉えます。

  • 酒井忠世墓<br /><br />初代藩主酒井重忠の長男で将軍秀忠・家光に仕え老中などの重職を果たします。<br />

    酒井忠世墓

    初代藩主酒井重忠の長男で将軍秀忠・家光に仕え老中などの重職を果たします。

  • 酒井忠世説明板

    酒井忠世説明板

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