2014/08/13 - 2014/08/13
328位(同エリア379件中)
滝山氏照さん
JR高崎線岡部駅から徒歩で約20分、岡部神社(おかべじんじや、埼玉県深谷市岡部)は武蔵七党の一つである猪俣党の傍流で、古くは源義朝(みなもと・よしとも)に従って保元の乱・平治の乱で活躍した武将の岡部忠澄(おかべ・ただすみ、生誕不詳~1197)の祈願所と伝えら寿永年間(1182~84)に建てられています。
忠澄は治承4年(1180)の源頼朝の挙兵に従い、木曾義仲との戦い、続く平氏との戦いにも義経のもとで活躍、とりわけ一の谷合戦では平忠度(たいの・ただのり)を討ちその名を高めています。
江戸時代の宝永2年(1705)岡部藩の藩主となった安部摂津守をはじめとする歴代藩主の崇拝の神社として毎年の大例祭の3月17日には参拝していたようです。
安部(あんべ)氏は元々今川家の重臣で、天正18年(1590)徳川家康の関東入府の際、信勝(のぶかつ、1552~1600)が5千石を拝領し当地を支配し、嫡男信盛(のぶもり、1584~1674)の頃会津・上杉景勝討伐および大坂冬夏の陣で武功をあげ、大番役などの幕閣の要職に就き、寛永13年(1636)に三河国に4千石加増、更に慶安2年(1649)摂津国に1万石の加増を受け大名に列せられています。
その後所領2万石となった岡部藩は、岡部を本拠として飛地の所領を統治し、転封や改易もなく江戸時代を治め、慶応4年(1868)に最後の藩主信発(のぶおき)は新政府に対して三河半原へ本拠移転認められ以降半原藩となります。
境内には当該神社に関する説明板があり、下記のように記述されています。
『 岡 部 神 社
沿革 従来は聖天宮と称されており、本殿には勧喜天の木像が安置されている。明治12年(1879)年、岡部神社と改称し、現在に至る。祭神は伊弉なぎ尊・伊弉丹尊という。
岡部六弥太忠澄の祈願所とも言われ、寿永年間、忠澄は一の谷の戦功を感謝し、記念に杉を植栽したと伝えられている。
後に、徳川家康の関東入国とともに、岡部の地を領地とした岡部藩主安部氏は、当社を崇拝し、代々祈願所として、毎年3月17日の例祭には参拝した。
祈願者は近郷より集まり、縁結び、家内安全、五穀豊穣、夜盗徐等を祈願した。昭和20年代以前の夏祭りには、御輿が出てたいへん賑やかなものであったと言う。
この神輿は、町指定文化財となっており、現在は、神社境内の倉庫(御輿宿り)に保管されている。御輿は、大中小と三種類あり、いずれも四角形、木製無地で鉄の金具がつき、屋根は銅板ぶきとなっている。このうち最も大きなものは、屋根の中央に鳳凰がつき、屋根下の欄間四方に、鶴、ひばり、昇り龍等の彫刻が繊細に施され、四隅に獅子二頭ずつが彫刻されており、たいへん豪華な造りとなっている。
平成3年吉月
埼 玉 県 岡 部 町 』
- 交通手段
- JRローカル 徒歩
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