2014/08/13 - 2014/08/13
188位(同エリア365件中)
滝山氏照さん
徳川幕府岡部藩主安部氏歴代藩主2代から13代まで合祀されている源勝院に隣接する白蓮寺(びゃくれんじ、埼玉県深谷市岡部)は徳川譜代安部信勝(あんべ・のぶかつ、1552~1600)が御母堂の菩提を弔うために建立した浄土宗の寺院です。
境内設置の本堂改築竣工記念石碑によれば鎌倉時代に一の谷合戦で平家の武将平忠度(たいらの・ただのり、1144~1184)を討取った岡部六弥太忠澄(おかべ・ろくやた・ただずみ、生誕不詳~1197)の童子が当寺の過去帳の初筆に記載されているとの記載が見られ忠澄に縁のある一宇だったと思われます。
天正18年(1590)小田原北条氏との戦いで勝利した豊臣秀吉は北条氏遺領の関八州を徳川家康に与え、本貫地三河を含む遠江・駿河・甲斐・信濃を没収、家康はこれに従い本拠江戸に入部、同時に主たる重臣を要衝に配する中、安部信勝は5千万石を以て岡部に入部します。
信勝は岡部に移る時御母堂も旧領駿河国安部谷から同道しますが環境の急な変化のためか同年12月21日に急逝します。
然しながら安部氏の菩提寺は安部谷にあるため前身の庵に埋葬、戒名は「白蓮院殿玉鳳桂林大姉」で開基は白蓮院殿、開山は広蓮社大誉とし、山号及び寺号は戒名より採っています。
2022年11月20日追記
当該寺境内に建てられた説明板には下記の通り紹介されています。
『 岡部末指定文化財(史跡)
白 蓮 院 の 墓
平成6年12月9日指定
白蓮院は岡部藩主の祖、安部大蔵元真の室である。安部氏は元真の子、弥一郎信勝の時に徳川家康の寛容入国に従い、天正18年(1590)下野国簗田郡と武蔵国榛沢郡内から5千250石を領して岡部に陣屋を構えた。そして旧領の駿河国安部谷より当地に移る際に、始祖元真の夫人も岡部に同行してきたが、同年12月21日にこの地に没した。
当時、安部氏の菩提寺は旧領の安部谷にあったので、この地に一寺を建立して夫人を葬った。法号は「白蓮院殿玉鳳桂林大姉」開山年月日はは不明だが、法号をもって山号、寺号とした。「新編武蔵風土記稿」によると、開山である広蓮社大誉は慶長8年(1603)9月示寂とある。安部大蔵元真は天正15年10月10日現在の静岡市の居宅で死亡、井川の龍泉院に葬られている。(龍泉院殿心清浄安大居士)
なお、南に接する岡部藩主菩提寺の源勝院は、信勝が亡父元真追善のために深谷市人見昌福寺八世賢達和尚を招いて建立したものである。信勝は慶長5年1月2日に大阪にて死亡、大阪鳳林寺に葬られる。法名千手寺殿山源勝大居士と号した。源勝院は白蓮院及び信勝の法名から玉鳳山源勝院と号した。源勝院は白蓮院及び信勝の法名から玉鳳山源勝院千手寺と称される。
白蓮院の墓は台石の上に立つ角せん石安山岩製の五輪塔で、中世末期の特徴がよく示しており、地輪に刻まれた銘文は安部氏の岡野領有の年代を示す貴重な資料である。
岡部町教育委員会 』
- 旅行の満足度
- 3.0
- 交通手段
- JRローカル 徒歩
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