1996/02/29 - 1996/03/08
1位(同エリア6件中)
pacorinさん
- pacorinさんTOP
- 旅行記567冊
- クチコミ237件
- Q&A回答0件
- 1,052,740アクセス
- フォロワー123人
学生時代、ペルシア語課のみなさんとイランへ旅行に行きました。
当時は少しだけペルシア語を話せたし、イランなんてそうそう行く機会もないしということで、イラン人の教授や先輩方が手配してくれた団体旅行に参加しました。
この度、当時の紙切れ類を発見したので、アルバムと記憶を突き合わせながらどんな旅行をしたのかをたどっていこうという、大変暇人的な旅行記を作成することにしました。
写真のフィルムは一部スキャンしましたが、面倒くさいし、ネガのないものも多いので、例によって写真をiPhoneで撮って載せていくという、雑な作りとなっています。
情報としてはほとんど役に立ちませんが、90年代のイランの様子に興味のある方は御覧になっていただけたらと思います。
- 同行者
- 社員・団体旅行
- 一人あたり費用
- 20万円 - 25万円
- 交通手段
- 観光バス
- 航空会社
- イラン航空
PR
-
<ペルシア語で書かれた日程表>
イラン旅行は希望者のみが参加しました。同じクラスでは5名が参加。いろんな学年、さらには西と東の大学の合同旅行だったので、全体で何人参加したのかはよくわかりません。今となっては日付と宿泊地ぐらいしか読めないなぁ… -
2月29日(1日目)
7時10分発の「のぞみ」で東京へ。10時3分発の「成田エクスプレス」で成田空港へ。15時30分発のイラン航空IR801便でテヘランへ!
(15:30 成田→19:20 北京 21:00→1:30 テヘラン)
こんなものまで残していたなんてね。しかも下にちらっと写っているのはイランで買ってきたガラムカール(ペルシャ更紗)ですよ。我ながら物持ち良すぎ。現在はイラン航空の日本への乗り入れはないみたいですね。
飛行機では機内食が合わなかったのか、気持ち悪くなって「おえ~っ」てなったり、着陸前に女子はスカーフをかぶったり、夜中に到着したというのに空港には恐ろしい数のイラン人が詰めかけていて驚いた思い出。到着したのは中心地に近いメヘラーバード空港ですが、今は郊外のイマーム・ホメイニー空港という新しい空港ができているようです。
イラン人の教授のおかげで航空券がかなり安くなり、ビザは取ったけど、税関はフリーパスだったというメモあり。ちなみに教授は旅行に参加せず、引率はイスファハン大学のイラン人関係者だったような気がします。 -
3月1日(2日目)
夜中にテヘランに到着。そのままツアーバスでカスピ海近辺にある映画のロケ地(コケールとポシュテの隣り合った村だそう)に向かったようです。
映画というのはアッバス・キアロスタミ監督の「友だちのうちはどこ?」(1987年)で、ペルシア語の授業で教材として見ていたんですよね。映画の中に印象的なシーンがあるのですが、その場所を見に行ったのです。 -
それがこのジグザグの道。(写真がなかったのでネットから拝借)
友達のノートを届けるために、男の子が一生懸命走った道なのです。 -
ジグザグ道を見た後、朝食をいただき、ラシュトのPardis Hotelへ。
わかりにくいけど、右が部屋の窓からの景色、左の写真がシャワーとトイレが一体化したコーナー。シャワーを使うとお湯が便器に流れ込むという、まあまあ衝撃的な光景でした。
ここでマグナエ(女性用のかぶりもの)が支給され、ロングコートが貸し出され、イランスタイルにお着替えしました。(以降、毎日マグナエとコートは必須) -
イランスタイルになってカスピ海にやってきました。水はきれいじゃなかったけど、カスピ海近くの町は魚が豊富でランチも美味しかったのを覚えているな~。食堂では日本のアニメ「キャプテン翼」をやってました。
カスピ海 滝・河川・湖
-
ランチの後は車で2時間ほどの山間の小さな村、マースーレへ。
メモでは「雪で激寒、山の斜面に家が建っている」としか書いてなかったけど、ここはすごい観光地みたいですね。夏場には沢山の観光客がやってくるらしい。
イランスタイル(マグナエ&コート):最初はお互い見慣れない姿に笑ってしまったけど、そのうち服がダサかろうが、髪がはねていようが全部隠せるので意外に楽なことに気づく。 -
今ネットで見ると「屋根が道になっている」ことがアピールされているけど、この時はペルシア語の説明をちゃんと聞いてなかったか、気にしていなかったかで、あまり注目しておらず。とにかく寒かった思い出。
-
この写真だとちょっと屋根が通路っぽいのがわかるかな。当時は選挙前で、どの町にもいたるところに選挙ポスターが貼ってありました。
-
マースーレの図書館で。
パン屋でもらった大きなナーンを持ってます。メモに人が親切って書いてありました。日本を出発してからまともに寝ていないので、みんな変なテンションです。 -
3月2日(3日目)
この日はカスピ海近くのラシュトから首都のテヘランへの移動日でした。
朝6時半にホテルを出発、6時間ぐらいで到着するということだったけど(ちなみに距離は3百数十キロ)、最初のルートが工事中、2番目のルートが土砂崩れで通行止め、3番目のルートは雪でノロノロ運転という、現在ではありえないような状況で、結局テヘランのホテルに着いたのが日付が変わった午前2時!こんな距離の移動なのに、19時間半もバスに乗っていたのです!!
むくんでゾウのように太くなった脚をホテルで見た時は驚愕しました。 -
3月3日(4日目)
この日の朝は実家に電話して、早くも泣き言を言ってたみたいです(笑)
考古学博物館やガラス&陶器博物館を見学したようですね。考古学博物館は写真がないから全く記憶に残ってないけど。
この写真はガラス博物館の前ですが、一緒に写り込んでるおぢさんは全く関係ない人だったと思います(爆)
http://www.glasswaremuseum.ir/ -
元々は誰かの邸宅だったようで、豪華な内装でした。
-
美しい展示物の数々☆
-
ゴレスタン宮殿
http://golestanpalace.ir/
カージャール朝の王宮。写真不可だったので記憶に残っていないけど、メモによると現在は博物館になっていて、生活の様子などを展示してあり、人形がこわかったと書いてありました。2013年、富士山と同時に世界遺産になったらしいです。ゴレスタン宮殿 城・宮殿
-
この日のランチはアーブグーシュト。アーブは水、グーシュトは肉という意味で、シチューのようなものを棒でつぶしていただきました。
ちなみにマグナエは顔の周りを覆っているので、ゴハンが食べにくい。ボロ隠しにはなるけど、食事の時はジャマだな~と思ってました。 -
水タバコにも挑戦。ペルシア語ではガリヤーンと言います。特にフレーバーはなく、ただの煙を吸うだけで気に入りませんでした。
ランチの後は近代美術館に行ったようです。
http://www.tmoca.com/
メモには「キャラバンサライをモチーフにした広いきれいな建物。すごく良かった。」と書いてあったけど、きれいさっぱり、何も覚えていません。 -
この日の夕食はテヘランに駐在する日本企業の方のおうちに招待してもらいました。わたしは羊肉が苦手でイランの料理は食べられないものも多かったので、ここでいただいた日本食は感動の美味しさでした。
この旅で一度だけ、アルコールを飲んだのもこの日のこと。メモによると、クルドから運んできた密輸のトルコビールだったんだって。
イランの打弦楽器・サントゥールの演奏も聴かせてもらい、ちょっとだけ弾かせてもらいました。充実の一日。
あ、写真はテヘランで泊まっていたホテル、エンゲラーブ前で夕食の帰りに撮ったもの。 -
3月4日(5日目)
ナーン屋さんを2軒見学。ナーンにも種類があって、これは一番よく食べたタイプ。 -
朝から大忙し。
-
これはバルバリーというナーン。ちょっと分厚くて焼きたてはとっても美味しい。
-
ホメイニ廟
ものすごく広かったので単独の建物かと思ってましたけど、Wikiによると、ベヘシュテ・ザフラー墓地の一角にあるんですね。 -
シーア派の重要な聖地の一つとされていて、熱心にお祈りをする巡礼者が沢山いました。
-
ホメイニ師は、1979年にパフラヴィー皇帝を国外に追放し、イスラム共和制政体を成立させたイラン革命の指導者で、革命後は「イラン・イスラム共和国」の元首である最高指導者(師)として、同国を精神面から指導しました。
ここには1995年に亡くなった2番目の息子、アフマドさんも埋葬されています。命日は3月7日とメモってあるから、ちょうどこの1年前に亡くなられたのですね。 -
ペルシア絨毯に座ってちょっと休憩。
-
5日目の午後、カーシャーンにやってきました。
Borujerdi House・・・自分のメモがペルシア語だったので、ネットで英語表記を検索。カージャール朝の裕福な商人の妻のために建てられた邸宅。
建物の上にある煙突のようなものはバードギールといって、温度調節のために風を採り入れる塔です。この辺りは乾燥地帯なので、自然の風を採り入れる工夫がされているのですね。 -
メモによると外はイスラム風、中はヨーロッパ風。そういえば、アルハンブラ宮殿と似てますよね。
-
カーシャーンは中北部の乾燥地帯に古くから栄えた絨毯、陶器、タイルなどを産出する伝統工芸の街です。
地下の部屋で機織り見学。 -
鏡にうつして模様を見せてくれています。ものすごく細かい柄で、一日に10cmしか織れないんだそう。
-
「ランチを食べたレストランの前で。ゴンバットがきれい。」ってメモに書いてあるので、わたしはモスクの玉ねぎ型の部分のことをゴンバットと呼ぶのだと思っていたのですが、調べてみるとゴンバット文様というデザインのことみたいです。
-
ランチの後は7千年前の住居跡だという「タッペ・スィアルク」へ。
日干し煉瓦でできた住居跡に陶器の破片が落ちていて、子どもがそれを売ったりしてました。丘をのぼると遠くに雪をかぶった山々が見え、砂漠の街の眺めはとてもきれいでした。 -
フィン庭園
「イランで最も好きな場所」ってメモってる割には写真が少ないペルシア式庭園。
泉からひいた水路のせせらぎや噴水の音が素敵でした。2011年に他の8つの庭園とともに「ペルシア式庭園」として世界遺産に登録。って意外と最近のことなんですね。
上述のタッペ・スィアルクの住民はここのカナートから水を引いていたらしい。 -
この方のおうちで絨毯織りを見学しました。地下の家でした。デザインの見本を持って実際に織られている絨毯と比べて見せてくれています。
イランの人は素朴でもてなし好きな印象。 -
かわいい、というか美人さんな女の子。
話は飛びますが、イランのお菓子は大体わたしの好みではなかったけど、コムのお菓子(ソーハーン)とカーシャーンのお菓子は甘くなくて美味しかったな。
この日はナタンズという街に泊まりました。 -
3月5日(6日目)
ナタンズのホテル前で。冠雪した山がきれいで撮ったけど、写ってないですね。
ちなみにナタンズのホテルはすんごいチープな感じの部屋で、今でも思い出せるぐらいのインパクトがありました。当時はフィルムカメラだからそんな写真は撮ってないけど。 -
ホテルがしょぼすぎたせいなのかどうかはわからないけど、この日の朝食は外でいただきました。雪が残って寒いけど、気持ちよかった。(とメモってた。)
-
朝食のメニューはいつも同じで、ナーンにチャイ、ゆでたまご、チーズ、バター、いちごジャム、という感じ。
-
毎日欠かせないナーン。
それにしてもこのシュールな光景。マグナエ姿で大きなナーンを持って雪の中にたたずむ、とかもうありえないから。 -
アビヤーネにやってきました。
メモによるとゾロアスター教を信仰するササン朝の末裔が住む村で、パフラヴィー語(中世ペルシア語)を話すとか。 -
酸化鉄を含んだ土と日干し煉瓦でできた赤い建物がアビヤーネの特徴です。
-
この村も雪がたくさん残ってました。
1千年前のドアと言われたのでパチリ。
赤い壁に描かれた落書きがキュート。 -
おじいさんと一緒にひなたぼっこ。
お店の前でパチリ。
バラ柄のスカーフ、独特の衣装を来た村のおばさんと一緒に集合写真。もしかして、この中にフォートラベラーさんがいたりして?? -
小学校を訪問。ここは男の子だけの学校。とってもかわいい子たちが国歌をうたってくれているところ。教科書がペルシア語の授業で使っていたのと同じでびっくりでした。
-
再びナタンズの町に戻ります。カーシャーンとアビヤーネとナタンズの位置関係はこんな感じ。ラシュト~テヘラン~カーシャーンと南下してきて、次に向かうのはイスファハンです。
-
ナタンズの中央モスク。700年頃に建てられたらしい。高い塔からアーザーンで礼拝の呼びかけをします。
-
中央モスク。
-
イーワーンの装飾が立派です。
-
モスクから拝火壇跡に向かっているところかな?日干しレンガの廃墟があります。
-
ゾロアスター教の拝火壇跡。
ふーん、そうですか、というような遺跡です。ゾロアスター教に興味のない人にはつまらないと思われます。
この日のランチのタイミングで、「料理が毎日全く同じ!!もう飽きた」と書いてました。たぶんチェロキャバーブのことだろうなあ。ご飯と羊の串焼きね。
ジュージェキャバーブ(若鶏の串焼き)は好きだけど、マトンは苦手だから、今まで行った国の中で一番食を楽しめなかった国がイランだったような気がします。期間も長かったしね。 -
イスファハンに向かう途中、ザバーレという町に立ち寄り、住宅街やバザールを散策。暇な人が多いのか、日本人が珍しいのかわからないけど、大人も子供も大勢で後ろからついてきて怖いぐらいでした。
車窓を楽しみながら移動。カナート(地下水路)も見ました。 -
21時ごろイスファハンに到着。3泊しました。
これまでテヘラン以外は地方の小さな町や村を訪れていたので、ものすごく都会だという印象を受けました。
ホテルはこぎれいそうに見えて、シャワーが途中でとまったり(シャンプーの途中だったので、バスタオル巻いてコートはおって隣の部屋に行った思い出)、アリが大発生したり、まあまあ大変でした。 -
3月6日(7日目)
イスファハンは団地があったり、街に緑があったり、人や店も多かったです。洋服屋をのぞいてみるも、ものすごくダサいロングコートしか売ってなかったり。
イスファハン大学にも行きました。広大な敷地で厳格な雰囲気。
「ハトの家」という塔に登りました。鳩のフンだらけの狭い階段を上って景色を眺めていたら軍事施設があったので、こっそり写真を撮ろうとするもやっぱり止められました。 -
マスジェデ・ジョムエ(金曜日のモスク)
イスファハンで最も古いモスク。
なんだけど、肝心な部分が切れてるし、こんな失敗写真しかありませんでした。 -
「芸術家の家」
イランでこれはいいの?というような、なかなか官能的な絵を描く画家さんと。イランで一番の陶芸の大家とかいう人の、足でまわすろくろ実演も見学しました。
この日の夜は自由に街歩き。郵便局で切手を買ったり、お菓子をもらってイマーム広場で食べたり。イランの人は夜行性っぽい。22時で花屋が開いていたり。 -
3月7日(8日目)
この日は銀行で両替をしたようです。「おそろしく要領が悪い」とメモっているから時間がかかったのでしょう。1万円が大量のお札になったのを覚えています。
今回の旅行記に載せたくて必死で探した5000リアル札。デザインがきれいなのとアラビア数字の5がハートのさかさまみたいでかわいいから1枚だけ残しておいたのです。(現在のお札はこのデザインではありませんね。)
通貨はリアルだけど、トマーンという補助単位を使っていて(1トマーン=10リアル)、支払いの時はリアルかトマーンかを確認していたような記憶があります。 -
イラン人女性スタッフの家にお呼ばれしました。
女性部屋と男性部屋に分かれていて、女性陣しかいないのでマグナエをはずして良いのです。ファミリーの女の子たちとパチリ。 -
ごちそうになった昼食です。床の上に敷物を敷き、その上にお皿を並べるスタイル。
-
「ゴレ サンギャン」の歌詞。
この歌は有名な歌謡曲か何かで、ペルシア語の授業で教えてもらってみんなが歌える曲だったんだけど、お宅訪問の時に歌詞を書いてもらったものです。やはり現地の人はこなれたペルシア文字を書きますね~(当たり前か) -
ミナーレ・ジョンバーン(揺れる尖塔)
イスファハンの西の郊外にある、12世紀に造られたレンガのミナレット(尖塔)。門の両端にある一方の塔にのぼり、これをゆすると他方も揺れてくる。 -
ということで、狭い階段をのぼったものの、どうやってゆするのかわからずジタバタしていたような、いなかったような・・・
-
アーテシュガー
ゾロアスター教の寺院の遺跡。ものすごい岩山の上にあって、登るのがめちゃくちゃしんどくて、靴が泥だらけになったというメモあり。夜景がとてもきれいだったみたいだけど、写真は真っ暗なものしかありませんでした。
この後スィー・オ・セ・ボル(33橋の意味)に行って途中まで渡ったけど、写真は真っ暗でした。イスファハン最大の橋です。 -
ハージュ橋
スィー・オ・セ・ボルの東1.5kmにある、ハージュ橋の途中にある素敵なチャイハネ。ここは雰囲気も良くて、お菓子もおいしくて、また行きたいと思えるところでした。
この日の夜も21時にホテルに戻った後、男性の先輩たちと一緒にタクシーで街に出かけ、アイスやフライドポテトなんかを買ってぶらぶら歩きを楽しんだようです。女子だけで夜出かけるのは控えるように言われていたんだろうな。 -
3月8日(9日目)
イスファハーンの町から140キロ程離れ、キャビール砂漠の北側に位置するナーイーンという町にやってきました。
絨毯が有名ということで、絨毯屋に来ましたが、ここで買った人は帰国時の税関で面倒なことになっていました。 -
ナーイーンのマスジェデ・ジャーメ。
ナーイーンは歴史ある街で、このモスクはイランの初期の建築様式が維持されているとのこと。素朴な印象です。 -
「モスクでは何か出てきそうな洞窟のようなところに入る」とメモってるけど、これがその写真なのか、今となっては謎。
-
モスクの近くにある民族博物館。(たぶん)
-
ナーレンジ・ガルエ(ナーレンジ城)
紀元前3世紀から紀元3世紀の間に築かれたという城砦。日干しレンガの遺跡は見応え十分。
この後、ヤズドへ移動します。ちょうど旅程の半分なのでここで旅行記を区切ります。我ながらものすごい暇人ぶりを発揮して、わざわざiPhoneにペルシア文字を入れて地図検索したり、どこかにしまい込んだお札を探したりしました。(メモ類とは別に保管していたので)けど、「こんなところに行ったのか」と振り返るのはちょっとおもしろい作業でもありました。
後半はヤズド、シーラーズ、ペルセポリス、イスファハンの有名スポットを訪れるので、内容的には平凡になると思いますが、自分で楽しむためにも続きを作成予定です。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
旅行記グループ
暇人的アーカイブス
-
前の旅行記
【暇人的アーカイブス】 カナディアンロッキー・ナイアガラ <1995>
1995/04/07~
ナイアガラ・フォールズ
-
次の旅行記
【暇人的アーカイブス】イランの思ひ出 <1996> 後編 イランの有名観光スポットあれこれ
1996/03/09~
ペルセポリス
-
【暇人的アーカイブス】 カナディアンロッキー・ナイアガラ <1995>
1995/04/07~
ナイアガラ・フォールズ
-
【暇人的アーカイブス】イランの思ひ出 <1996> 前編 イランのおもしろい村々
1996/02/29~
ラシュト
-
【暇人的アーカイブス】イランの思ひ出 <1996> 後編 イランの有名観光スポットあれこれ
1996/03/09~
ペルセポリス
-
【暇人的アーカイブス】 チャオ イタリア <1996>
1996/04/01~
フィレンツェ
-
【暇人的アーカイブス】カナダ ハミルトンの思ひ出 <1996>
1996/07/13~
その他の都市
-
【暇人的アーカイブス】 神秘の国トルコ <1997>
1997/03/27~
イスタンブール
-
【暇人的アーカイブス】 インド世界遺産紀行 <1997>
1997/09/10~
インド
-
【暇人的アーカイブス】 二度目のイタリア <1999>
1999/03/19~
バチカン
-
【暇人的アーカイブス】はじめてのリゾート in ハワイ
2000/06/23~
ハワイ島
-
【暇人的アーカイブス】初めての海外一人旅はロンドンでした
2001/06/01~
ロンドン
-
【暇人的アーカイブス】英国 湖水地方・コッツウォルズ ドライブ旅行
2001/06/05~
湖水地方
-
【暇人的アーカイブス】はじめての〇〇 サイパンで初体験<2002>
2002/08/24~
サイパン
-
【暇人的アーカイブス】リベンジグアムで楽しかった思ひ出
2003/08/22~
グアム
-
【暇人的アーカイブス】2004年の上海
2004/11/20~
上海
-
【暇人的アーカイブス】白菜と角煮
2005/01/06~
台北
旅行記グループをもっと見る
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
旅行記グループ 暇人的アーカイブス
0
67