2014/02/10 - 2014/02/11
110位(同エリア784件中)
たびたびさん
- たびたびさんTOP
- 旅行記735冊
- クチコミ35228件
- Q&A回答420件
- 5,352,769アクセス
- フォロワー666人
五島列島は、福江島が五島市、上五島が上五島町と行政区域で二つに分かれます。
江戸時代には五島列島全体が五島藩だったんですが、上五島から福江島に移動するとかなりの違いがあるのに気付かされます。
ちなみに、福江島は五島藩の城下町だったこともあって、市街地がそれなりに賑やかです。福江島は福江に集中しているのですが、上五島は、奈良尾、若松、青方、鯛の浦、有川と港が複数あって、有川辺りが一番賑やかだとは思いますが、中心地がはっきりしないんです。
観光スポットについても、上五島が教会ばかりの印象だったのに対して、福江島は、五島藩に遣唐使や倭寇の遺跡まで含まれていて幅が広い。後半になって、五島列島の多彩な歴史と文化を感じて、最後にバランスが取れたような気がしました。
PR
-
イチオシ
奈良尾港からジェットフォイルで福江港に向かいます。
-
高速船で、船体は水上に浮いているんですが、想像していたより、船内は静かだし安定していて、とっても快適です。
-
遠くの島を眺めていても、船の速さが実感されますね。順調、順調。
-
あっという間に福江港に到着です。これが福江港ターミナル。
-
一階に五島市観光案内所のブースがあります。福江島は、上五島と違って、キリスト教会群だけでなく、遣唐使や倭寇に、石田城・武家屋敷ほか福江藩や仏教関係の見どころなど、かなり多彩なようですね。予備知識はあったつもりだったのですが、やはりここで少し頭の整理をした方がいいでしょう。資料類もけっこう充実していました。
-
イチオシ
まずは、福江港からすぐの五島観光歴史資料館に向かいます。五島城の石垣の中に、お城の形をした博物館がでんと建っていました。
-
上五島では教会めぐりばかりだったのですが、やはり、五島列島全体で考えれば、キリスト教の歴史は一部でしかありません。五島列島全体の歴史は、平清盛の弟家盛が宇久島へ上陸し、同島の領主となって以降、五島列島を統一し五島藩の基礎を作ったことに遡って、大陸との関係では遣唐使に倭寇の歴史など、多岐に渡っています。この博物館でそうした概観を確認して、観光スポットの軽重を整理しました。ここを見ずして五島の理解はできない施設だと思います。
-
同じ敷地にある城山神社です。福江藩主、五島氏の祖先は平清盛異母弟、平家盛。源平の乱を逃れ、宇久島に移り、宇久次郎家盛と名乗りました。その後、宇久氏は五島列島を統一し、福江に移ってきたのです。
神社は、その家盛と、その後、朝鮮役で出陣した純玄が祀られています。 -
ここは城跡ではあるのですが、城郭跡はまだ先にもあるようで、今度はそちらに移動します。
-
と、移動中に目に入ったのは松風軒。けっこう派手な色彩のお店です。看板には、五島民俗銘菓「八匹雷(はっちかんかん)」とあります。とても面白そうで、さっそく、寄ってみることにしました。
-
八匹雷は、上質のもち米ときな粉を使ったお菓子。天皇皇后両陛下献上菓子にもなったようです。
-
包みから出てきたのは、串に刺した小さな求肥のおだんご。シンプルな薄い甘さのおだんごです。
-
五島の福江は、福江藩1万5千石のれっきとした城下町。こちらには立派な石垣にお堀も残っていて、石高からするとちょっと立派過ぎるきらいもないことはないのですが、威厳のある姿を今に留めています。
-
築城は、江戸の末期、1863年。幕末期の海上防衛や異国船の来訪に備えるため、幕府から急きょ建築を認められた城で、日本最後の城と言われているようです。
-
入るとすぐにあるのが、五島邸。
石田城を築いた五島盛成が隠居所として、城内の一角に造りました。 -
その庭は、心字が池という林泉式の廻遊庭園。
-
池には亀を模した小島は面白いのですが、
-
樹齢数百年を経た大木が池を覆い、ちょっとおどろおどろしい雰囲気もありました。
なお、庭は金閣寺の庭を模したものといわれています。 -
建物の方は大規模な工事中。と言っても、かなりボロボロな感じ。ちゃんと修復できるんでしょうか、ちょっと心配なくらいです。
-
再び外に出て、石垣沿いに少し歩いてみます。
-
これは学校です。城の中にあるんですね。
-
次に向かったのは、福江武家屋敷通り。ここは、福江藩の中級武士の屋敷が集まっています。石畳のまっすぐに続く通りの両側には立派な石垣の屋敷が並んでいます。
-
福江武家屋敷通りは、武家屋敷通りの一番奥の方。石垣に囲まれた武家屋敷はどこも住んでいる人がいるので、内部に入って武家屋敷を感じることができる施設は貴重です。
ただ、休みが月曜日。飛び石連休の間だったのですが、休館。残念でした。 -
なお、石垣の上にはこぼれ石という小石が積まれていまして、珍しい。侵入者があった時には、この石がこぼれて気が付くようにしたものだということでした。
-
イチオシ
再びお濠を回って、今度は、王直の遺跡の方に向かいます。
-
で、また途中で寄ったのは坪内製パン。「五島かりんこ」というのがあって、これは何でしょう?聞くと、かりんとうなんですが、うちの子供がかりんとうを「かりんこ」と言ったのがかわいらしかったので、それをそのまま名前にしてしまいましたと言うこと。椿まつりが近いので、小分けにしたバージョンを置いているということでした。ちょっと固めのかりんとうです。
-
さて、六角井戸は、戦国時代末期、貿易商として活躍していた明の王直ゆかりの史跡。
-
井戸の中から地上まで六角形の壁が石板で造られたとても精巧なものです。中国人が造り、飲料用水、船舶用水として使っていたということです。
-
こちらは、王直ゆかりの地碑。王直は、明の人ですが、倭寇のボス。略奪を中心とした前期の倭寇と違って、戦国時代の末期、東シナ海で密貿易を中心に活躍した人物です。
-
明人堂もすぐ近く。これも王直ゆかりの建物。王直は、城下の高台に居住地を構えると、航海の安全を祈るために廟堂を建立し、その跡が現在の明人堂だといわれています。
-
現在の廟堂は、近年改築したものです。
-
ナタオレノキは、帰り。大事そうに白い囲いで守られた天然記念物の大木です。
モクセイ科の常緑高木で、ナタでも折れないような硬い樹なので、この名が付いたといわれる、珍しい木のようです。 -
宗念寺は、福江市街。五島藩第22代藩主五島盛利の生母、芳春の菩提所として建てられた寺。
-
境内には、伊能忠敬に従った坂部貞兵衛惟道の墓。測量に命を捧げた貞兵衛は、43歳。伊能忠敬に看取られながらの最期だったようです。
-
見るべきものは、これでおしまい。後は、商店街を散策します。
パン工房小さな麦畑は、小さなパン屋さんですが、総菜パンがあれこれあります。今日はビジネスホテルで泊まるので、カレーウインナーを買って、翌日の朝飯にしました。 -
お菓子の店 かつもとは、洋菓子のお店。上五島から移ってくると、こんなお店がとてもうれしいです。
いただいたのは、牛乳シュークリーム。優しい甘さのカスタードクリームがたっぷり入って、まいう〜です。 -
はたなかは、立派なビルのお菓子屋さんです。
-
治安孝行踊(ちゃんここおどり)という地元のお祭りから付けた「ちゃんここ」が看板商品。
-
食べたことがないような複雑な味わいですが、粒餡を水あめが練りこんであるお餅で包み、黄な粉でまぶしたものだそう。お餅は求肥みたいですが、私としては昆布のような香りがしたのですが、気のせいでしょうか。餡子にも黄な粉が混ぜてあるのかなあ。そんなのが、混じりあってとっても複雑です。
-
最後の一軒は、この平野屋さん。見るからに本格的な和菓子屋さんですね。
-
いちご大福の看板があって、それをいただきましたが、とってもいい。アイスクリームの雪見だいふくのような薄いお餅はとても上品。淡白なお餅がいちごととてもよくあっていました。かなりの出来。絶品だと思います。
-
上五島では旅館の料理が続いていたので、今日は福江市内の人気店心誠へ。五島は長崎でも一番魚がおいしいと評価があるし、ここでそれを改めて確かめたかったんです。
-
そして、それは大正解。とにかく刺身定食をいただいたのですが、なんておいしいんでしょう。最近だと冬の金沢の旅でちょっと感動していたんですが、申し訳ないけど、比べものにならない。五島では、魚の活きが良すぎて、醤油を甘めにしないと合わないんだとか不思議なことを言っていましたが、確かにそういう別次元のようなうまさです。
-
今夜の宿は五島第一ホテル。しまとく通貨を利用すると4000円を切る値段と言うことで、節約のために使ったホテルです。しかし、結果としては何の問題もなし。普通のビジネスホテルと同じでした。ロビーにはインターネットもあるし、街の中にあるし、食事に出るにも便利。ちょっと安すぎて、申し訳ないような気持ちになりました。
-
さて、翌朝も夜明け前から出発です。
まずは、カトリック福江教会。福江の市街地にある大きな教会で、現在の聖堂は、昭和37年に建てられたもの。同年に起きた福江大火では、奇跡的に焼失を免れたことは地元でも語り草です。 -
朝6時頃なのに、すでにミサが始まっていて、大勢の信者さんの姿が見えました。また、ステンドグラスが内部の光で外側に浮かび上がって幻想的な光景。ステンドグラスは、中で見るだけではないのですね。よく分かりました。
-
福江の西側、大宝寺の辺りで夜が明け始めました。今日は、晴れてくれるんでしょうか。期待してしまいましたが、結果は、太陽が見えたのはこの朝だけのことでした。。
-
大宝寺は、13百年前の大宝年間に創建された寺。
-
その後、大同元年(806)に、空海が唐から帰国の際に立ち寄り、真言宗最初の道場として、ここで布教活動を行い、以降、真言宗の寺となりました。
-
西の高野山とも呼ばれるとおり、境内には大師堂などもあって、四国八十八ヶ所と全く同じ雰囲気です。
-
また、狭い路地を抜けて、次の目的地に急ぎます。
-
井持浦教会が遠くに見えてきました。大瀬崎断崖に行く途中なので、ルート的に無駄がありません。
-
上五島の永田旅館の女将さんからは、自分が行った時はいつも締まっていましたと言っていたので、心配していたのですが、
-
朝のミサの時間だったこともあって、無事に入れました。
-
これは日本最古のルルド。有名です。
なお、現在の建物は昭和63年に再建されたもの。コンクリート造です。 -
この後は大瀬崎灯台へ。ここは、福江島では最も人気のスポット。胸が高まりますが、予想に反して道は激しいつづらおり。どんどん山の上の方に上って行きます。灯台は海に面した場所にあるはずなのに一体どうなってるんでしょうか。
-
イチオシ
と思ったら、情報通り、いきなりですが駐車場がありまして、ここに駐車。大瀬崎の断崖にそびえ立つ灯台をここの展望台から見下ろしました。
大型の灯台は、日本の灯台50選の一つ。日本屈指の光達距離を誇るというのですが、景観があまりにも雄大なので、大瀬崎断崖の先端に建つ灯台は、まるでマッチ棒か針のようにちっぽけに見えます。こんな景色はなかなかないでしょう。 -
ここから灯台までは歩けるのでしょうが、もうこれでいいでしょう。まだまだ先は長いので、これで退散します。
-
ここから荒川温泉へ向かいまして、途中、玉之浦湾岸を通って行きます。玉之浦湾には七つの浦をあって、総延長は約80km。溺れ谷のようにできた湾でかなり奥に深い湾です。真珠養殖が盛んだそうですが、それだけ波が穏やかだということかと思います。
-
荒川温泉足湯に到着。
ここは、荒川温泉旧バス停の改築の際、バス停と待合室を兼ねた施設として作られたもの。 -
利用は、朝9時〜夕方5時まで。ちょうど湯がたまったばかりの時間だったので、ここで少し体を温めました。塩分があるということでしたが、かすかです。
-
高浜、三井楽はまだ先ですが、ちょっと面白そうな看板を見つけて寄ってみました。
七嶽神社は、源平壇ノ浦の合戦に敗れた平家の一党がこの地に落ち延び、自刃。その一党7人の霊を七嶽権現と称え、祀った神社です。歴史を刻んだ風情ある石の鳥居はそれなりに見応えがありました。 -
福江島には、砂浜の海水浴場がいくつかあるのですが、この高浜海水浴場もその一つ。やっと、到着です。
海沿いを走る国道から少し入ると、大きな入江いっぱいに広がる海岸がありました。シーズンオフだったので、人はいませんでしたが、けっこう立派な施設もあって、快適そうな感じでした。
高浜は、日本一美しいといわれる砂浜。周囲は、小さな岬が突き出て、砂浜を囲んでいます。 -
その岬に建つのが魚藍観音。高浜海水浴場と頓泊海水浴場を見下ろすベストポイント。ですが、車ですぐそばまで行けて、あとは少し歩いて登るくらいです。
東シナ海での大漁と海の安全を祈って建てられたもの。観音はかごの中に鯛を抱える優しい姿です。 -
見下ろした景色はこんな感じ。
手前が高浜海水浴場で、奥が頓泊海水浴場。小さな入り江を挟んで、高浜海水浴場と頓泊海水浴場は隣り合わせなんですね。白い遠浅の砂浜と言う条件はほとんど同じでしょう。 -
続いて、やってきたのは貝津教会。白壁の木造瓦葺で、大正13年に聖堂が完成し、昭和37年に増改築されたもの。
-
外観は地味ですが、内部はびっくりするほど素晴らしい。
-
幾何学文様の色鮮やかなステンドグラスの美しさは、
-
落ち着いた深みのあるもの。
-
イチオシ
規模は小さくても
-
十分に
-
伝わってくるものがあります。
-
ここからは、海岸沿いの道。これは、スケアン。魚をこの石垣で囲んだ入江に追い込んで漁をしたというのです。これなら、外海の荒い海に漕ぎ出すことなく漁が出来たでしょう。
-
さらに進むと三井楽長崎鼻灯台。昭和52年に建てられたもの。平地に建っていますが、
-
周囲には何もなくてポツンと建っているので、灯台としての役割は十分果たせる感じです。
-
自然道はこんな感じ。対向車が来たらどうしようかと、冷や冷やしながらのドライブです。
-
されに進んで、これはカトリック墓碑群。福江島のポスターとかにも夕陽をバックにした美しい写真が載っています。
それにしても、貝津教会から、海沿いの赤い舗装のされた遊歩道のような細い道を、スケアン、長崎鼻灯台を過ぎてかなり走りましたね。 -
イチオシ
墓地は海に向かっていくつかの区画があって、それぞれに写真で見た十字架やマリア様の像などもありました。波の音がざぶざぶ聞こえて、過酷なキリシタンの歴史を表しているようにも感じられました。
-
再び、先を急ぎます。
-
風が強くて、
-
すごい波。五島列島がやはり島であることを感じます。
-
イチオシ
さて、これも福江島のハイライトの一つ、空海記念碑 辞本涯です。
辞本涯とは、遣唐使として唐に渡った空海が残した書物に記された「本涯ヲ辞ス」との言葉から採られたもの。出発することを 「死ヲ冒シテ海ニ入ル」とも記していて、決死の覚悟で日本の最果ての地を去るという強い思いを表しています。 -
傍らの柏崎灯台です。ざぶんざぶん。並みが砕けて、しぶきがかかってきます。昔の航海技術では、これくらいでもひとたまりもないかもしれません。
とか思いながら、気になったのは自分の帰り。ジェットフォイルはどうなんでしょう。心配になって、問い合わせると欠航のようです。あーれー。それじゃ、今日中には東京に帰れませんよー。
しかし、そうなったらそうなったこと、旅は続けるしかありません。 -
さて、ふぜん河は、柏崎にあるのですが、灯台の辺りをいくら探しても見つからない。近所の人に尋ねたら、では連れて行ってあげるということで案内してもらいました。この辺りは、道が入り組んでいて、これは自力で見つけるのは無理でしたね。
で、ふぜん河は遣唐使にゆかりの史跡。三井楽は中国へ渡航する船の日本最後の寄港地でり、ふぜん河の水は遣唐使船の乗組員の飲料水として利用されたものです。 -
三井楽の最後は三井楽教会。コンクリート造りの近代的な建物で、外壁正面の陶器で描かれた大きなモザイク聖画がシンボルです。
-
ただ、内部のステンドグラスも幾何学文様ではなく、キリストの物語を表した絵画風。
-
何枚もはめ込まれていますが、内部の空間がとても広いので、うまくバランスが取れているように思いました。
-
細い道はこれでおしまい。
広い道路に出て、これは遣唐使ふるさと館。道の駅に設置された施設です。 -
シアターが有料で、遣唐使の歴史や意義を分かりやすくドラマ解説してくれます。遣唐使は、三期があって、アジアの情勢変化の中での政治的な目的、中国文化を摂取する目的、留学生の撤収の目的とかなるほどと言う感じ。観光歴史館と合わせて見ると、いっそう理解が深まると思います。
-
これは、ロビーのジオラマ。
-
遣唐使のドラマチックな物語を美しく表現しています。
-
みいらく万葉村は、館内にあるレストラン。席に着こうとしたら、先にお代と言われて、「えっ?まだ注文してまえんけど。」と言うと、ランチはバイキングメニューだけなので、そういうことなんですね。
家族連れがたくさん来ていて賑わっていました。いろんなものがあって、どれもおいしいのはおいしいのですが、レンタカーで回っているとどうしても時間が押せ押せになります。急いでいる人には向かないでしょう。 -
近くの白良ヶ浜には、万葉公園という公園があります。
-
三井楽は、遣唐使船の日本最後の寄港地だった場所。新羅との関係が悪いことから、北路が危険となったため、ここから一直線に唐に向かう南路が取られることになりました。この地で詠まれた歌は万葉集にもいくつかあるようで、公園内の歌碑には、「筑前の国志賀の白水郎の歌十首」というのが刻まれていました。
-
水ノ浦教会明治13年の創建。現在の建物は昭和13年に改築されたものです。水ノ浦の入江を望む丘に建ち、白を基調とした木造教会堂は、木造としては最大規模だとか。
-
イチオシ
内部は、少し青みがかった白い世界。見事なコウモリ天井と
-
色の付いていない部分をそれなりに残したステンドグラスも優しい印象です。
-
水ノ浦教会から楠原教会へ。ここは、明治44年に創設され、現在の赤レンガの天主堂は大正元年に完成。その後、昭和46年に改築されています。
-
内部は、ここも水ノ浦教会と同じく、見事なこうもり天井。
-
イチオシ
奥のドームのブルーのステンドグラスが印象的でした。
-
なお、近くにキリシタンが投獄された楠原牢屋敷跡があるということでしたが、案内板等もなくて、結局よく分かりませんでした。
-
最後のメジャースポット、堂崎教会へ向かいます。
-
入江の奥に見えてきました。
-
ところで、堂崎教会は福江島にあって、禁教令解除後の五島における最初の教会として設立された教会。
-
現在の建物は、明治41年に建てられたゴシック様式のレンガ造り。これも、五島最古の洋風建造物だそうです。
-
内部は、五島とキリシタン弾圧の歴史や資料を展示する資料館となっていて、唯一有料の施設です。
-
イチオシ
五島では、大村藩からのキリスト教の信者が移ってきたことで、
-
第二期のキリスト教の歴史が始まったという経緯だとか。
-
とても興味深い内容でした。
-
磔の像は、入口を出たところです。
-
以上で終わりのはずだったのですが、福江市内に戻る途中、丘の上に大きな教会が見えたので寄ってみました。
-
これは、カトリック浦頭教会。
カトリック堂崎教会が使いにくくなったので、それに代わるものとして、地域の中心である浦頭に教会が建造されたもの。 -
現在の建物は、昭和43年に建てられ、ノアの方舟をイメージしているのだそうです。
-
福江市街に帰ってきました。道路脇の海岸の少し沖合いに見えるのが常灯鼻です。第30代藩主五島盛成が福江城を築く際、城の北東から吹き寄せる大波を防ぎ、築城工事を容易にするため築かせたものということ。灯台としての役目もあったようです。
なお、滋賀の石工が造ったということですが、それは穴太衆かも。160年経ってもしっかりしたものです。 -
鬼岳は、福江の市街地からもよく見えて福江島のシンボル的な存在。遠くから見ると、名前と違って、標高315mの全面芝生に覆われた、丸くおわん状のなだらかな山なんですが、鬼岳、火岳、城岳、箕岳、臼岳の5つの火山から形成された火山群の一角です。
-
ジェットフォイルが欠航して、帰りはフェリーです。
-
今日中に東京に帰る予定だったのですが、飛行機は明日の便に変更。島の不便さが改めて身に沁みました。
しかし、まだ長崎ランタンフェスティバルはやっているんですよね。こうなったら、夜の部を見て帰るしかないでしょう。それはそれでよかったのかなあ。もやもや感の中で、長崎に向かいます。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
たびたびさんの関連旅行記
この旅行で行ったホテル
この旅行で行ったスポット
もっと見る
この旅行で行ったグルメ・レストラン
五島列島(長崎) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
117