ザクセン・アンハルト州旅行記(ブログ) 一覧に戻る
旅行時期 2011/05/13 - 2011/05/27 <br />かつての東ドイツ:ルター諸都市・Berlin・Dresdenなどを巡る旅<br />期間:2011年05月13日(金)〜05月27日(金)15日間の旅・5月18日(水)<br /><br /><br />Lutherstadt Eislebenルターの町アイスレーベンから南22km(30分)。Naumburgナウムブルクから北西36km、Leipzigの西90km、1時間、Magdeburgから100km南、1時間半の距離にある小さな町の一地区に6泊目の宿・古城ホテルがある。<br /><br />≪Schloss Lodersleben 古城ホテル シュロス ロダースレーベン≫<br /><br />D-06268 Querfurt/ Lodersleben 、Strasse des Friedens 36<br />http://www.schloss-lodersleben.de/<br />Barockzimmer バロックの部屋(Kategorie B)Euro75+(9.5X2=19) 合計Euro 94(現金払い)<br />全20室。但し、Garni朝食のみ。<br />

≪1944年7月20日のヒトラー暗殺未遂事件に関与した人たち≫

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2011/05/13 - 2011/05/27

5位(同エリア41件中)

jijidaruma

jijidarumaさん

旅行時期 2011/05/13 - 2011/05/27
かつての東ドイツ:ルター諸都市・Berlin・Dresdenなどを巡る旅
期間:2011年05月13日(金)〜05月27日(金)15日間の旅・5月18日(水)


Lutherstadt Eislebenルターの町アイスレーベンから南22km(30分)。Naumburgナウムブルクから北西36km、Leipzigの西90km、1時間、Magdeburgから100km南、1時間半の距離にある小さな町の一地区に6泊目の宿・古城ホテルがある。

≪Schloss Lodersleben 古城ホテル シュロス ロダースレーベン≫

D-06268 Querfurt/ Lodersleben 、Strasse des Friedens 36
http://www.schloss-lodersleben.de/
Barockzimmer バロックの部屋(Kategorie B)Euro75+(9.5X2=19) 合計Euro 94(現金払い)
全20室。但し、Garni朝食のみ。

旅行の満足度
4.5
同行者
カップル・夫婦(シニア)
一人あたり費用
30万円 - 50万円
交通手段
レンタカー
航空会社
ルフトハンザドイツ航空 ANA
旅行の手配内容
個別手配

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  • 18時前にはホテルにチェックインしたいと思っていたが、アイスレーベンからB180を南下し、24kmでQuerfurtクエルフルトに至った。<br />この町の行政区の一つになるLoderslebenロダースレーベンに古城ホテルがあり、ここから、村道を4km行った所だ。<br />村内の標識にSchlossシュロスとあり、これに沿って行くと、古城ホテルがあった。<br /><br />17:30にテレジアンイエローに塗られた、バロック様式の古城ホテルの中庭に駐車すると、園丁のようなごっつい方がやってきて、名前を聞かれた。早速、握手し、見た目よりは優しく、親切な彼に荷物の搬入を手伝ってもらう。<br /><br />オーナーを後で呼んでくるが、何か飲み物はどうかと聞く。お水をと答えると、冷たい美味しい水が出てきた。今日は実に暑い一日だったので、サロンで頂いた水はことのほか、美味かった。<br /><br /><br />写真はロダースレーベン城の正面

    18時前にはホテルにチェックインしたいと思っていたが、アイスレーベンからB180を南下し、24kmでQuerfurtクエルフルトに至った。
    この町の行政区の一つになるLoderslebenロダースレーベンに古城ホテルがあり、ここから、村道を4km行った所だ。
    村内の標識にSchlossシュロスとあり、これに沿って行くと、古城ホテルがあった。

    17:30にテレジアンイエローに塗られた、バロック様式の古城ホテルの中庭に駐車すると、園丁のようなごっつい方がやってきて、名前を聞かれた。早速、握手し、見た目よりは優しく、親切な彼に荷物の搬入を手伝ってもらう。

    オーナーを後で呼んでくるが、何か飲み物はどうかと聞く。お水をと答えると、冷たい美味しい水が出てきた。今日は実に暑い一日だったので、サロンで頂いた水はことのほか、美味かった。


    写真はロダースレーベン城の正面

  • 城の歴史;<br />1740年、ダンケルマン家により築城された。<br />19世紀、ウンシュトルート谷出身の偉大な歴史家Leopold von Rankeレオポルトフォンランケがここに住んでいた。<br /><br />ロダースレーベン城の歴史を読んでいたら、こんな事が書かれていた。;<br /><br />1944年7月20日のヒトラー暗殺未遂事件にFritz-Dietlof Graf von der Schulenburgフリッツ・ディートロフ・グラーフ・フォン・デア・シュレンブルク(行政官;1944年8月10日絞首刑)、Friedrich-Werner Graf von der Schulenburg(外交官;1944年11月10日絞首刑)が関与した為に、Schulenburgシュレンブルク伯がロダースレーベン城を捨て、国外亡命した。<br /><br />尚、Schulenburgシュレンブルク伯爵家は、バームクーヘンが初めて創られたSalzwedelザルツヴェーデルの町の近郊を流れる、イェーツェ川沿いに13世紀、シュレンブルクの小さな居城をもっていた一族である。<br />プロイセン・ブランデンブルク貴族として、その多くがプロイセンの職業軍人になり、軍での高い地位を得ている。他方、宮廷大臣や大司祭になった人物もいると云う。<br /><br /><br />写真は行政官ディートロフ伯、Fritz_Dietlof_von_der_Schulenburg

    城の歴史;
    1740年、ダンケルマン家により築城された。
    19世紀、ウンシュトルート谷出身の偉大な歴史家Leopold von Rankeレオポルトフォンランケがここに住んでいた。

    ロダースレーベン城の歴史を読んでいたら、こんな事が書かれていた。;

    1944年7月20日のヒトラー暗殺未遂事件にFritz-Dietlof Graf von der Schulenburgフリッツ・ディートロフ・グラーフ・フォン・デア・シュレンブルク(行政官;1944年8月10日絞首刑)、Friedrich-Werner Graf von der Schulenburg(外交官;1944年11月10日絞首刑)が関与した為に、Schulenburgシュレンブルク伯がロダースレーベン城を捨て、国外亡命した。

    尚、Schulenburgシュレンブルク伯爵家は、バームクーヘンが初めて創られたSalzwedelザルツヴェーデルの町の近郊を流れる、イェーツェ川沿いに13世紀、シュレンブルクの小さな居城をもっていた一族である。
    プロイセン・ブランデンブルク貴族として、その多くがプロイセンの職業軍人になり、軍での高い地位を得ている。他方、宮廷大臣や大司祭になった人物もいると云う。


    写真は行政官ディートロフ伯、Fritz_Dietlof_von_der_Schulenburg

  • 前述した行政官フリッツ・ディートロフ・グラーフ・フォン・デア・シュレンブルクはBerthold Schenk Graf von Stauffenbergベルトルト・シェンク・グラーフ・フォン・シュタウフェンベルク(ヒトラー暗殺未遂事件の実行者・陸軍大佐Claus Schenk Graf von Stauffenbergクラウス・シェンク・グラーフ・フォン・シュタウフェンベルク伯爵の兄・法律家)と共に処刑された。<br /><br />写真は外交官ベルナー伯、Friedrich-Werner_Erdmann_Matthias_Johann_Bernhard_Erich_Graf_von_der_Schulenburg<br /><br /><br />

    前述した行政官フリッツ・ディートロフ・グラーフ・フォン・デア・シュレンブルクはBerthold Schenk Graf von Stauffenbergベルトルト・シェンク・グラーフ・フォン・シュタウフェンベルク(ヒトラー暗殺未遂事件の実行者・陸軍大佐Claus Schenk Graf von Stauffenbergクラウス・シェンク・グラーフ・フォン・シュタウフェンベルク伯爵の兄・法律家)と共に処刑された。

    写真は外交官ベルナー伯、Friedrich-Werner_Erdmann_Matthias_Johann_Bernhard_Erich_Graf_von_der_Schulenburg


  • フリッツ・ディートロフ・グラーフ・フォン・デア・シュレンブルクの言葉; <br />&quot;我々は、名状しがたい悲惨さからドイツを守る為に、この行動をとった。 私は、この事が事由で、自らが絞首刑にされることを後悔していない。“<br /><br />”Wir haben diese Tat auf uns genommen, um Deutschland vor einem namenlosen Elend zu bewahren. Ich bin mir klar, dass ich daraufhin gehaengt werde, bereue meine Tat aber nicht .“<br /><br /><br />写真は法律家ベルトルト・フォン・シュタウフェンベルク伯、Berthold Schenk Graf von Stauffenberg

    フリッツ・ディートロフ・グラーフ・フォン・デア・シュレンブルクの言葉; 
    "我々は、名状しがたい悲惨さからドイツを守る為に、この行動をとった。 私は、この事が事由で、自らが絞首刑にされることを後悔していない。“

    ”Wir haben diese Tat auf uns genommen, um Deutschland vor einem namenlosen Elend zu bewahren. Ich bin mir klar, dass ich daraufhin gehaengt werde, bereue meine Tat aber nicht .“


    写真は法律家ベルトルト・フォン・シュタウフェンベルク伯、Berthold Schenk Graf von Stauffenberg

  • 古城ロダースレーベン城は1995年以来、クエルフルトの町に所属するロダースレーベン村内にある。<br />村は1000年以上の歴史をもつ魅力的な村である。村の中心にある教会の墓地にはシュレンブルク家等の墓石が残っていると云う。<br /><br />ひょんなことに、小さな村の古城ホテルで、ドイツの歴史にあたった。<br />1944年7月20日・ワルキューレ作戦Operation ”Walkuere”は歴史のIF・・・もし成功していたらどうだったのか?!を思わせるものがある。<br /><br /><br />写真はヒトラー暗殺未遂事件の実行者・陸軍大佐Claus Schenk Graf von Stauffenbergクラウス・シェンク・グラーフ・フォン・シュタウフェンベルク伯爵

    古城ロダースレーベン城は1995年以来、クエルフルトの町に所属するロダースレーベン村内にある。
    村は1000年以上の歴史をもつ魅力的な村である。村の中心にある教会の墓地にはシュレンブルク家等の墓石が残っていると云う。

    ひょんなことに、小さな村の古城ホテルで、ドイツの歴史にあたった。
    1944年7月20日・ワルキューレ作戦Operation ”Walkuere”は歴史のIF・・・もし成功していたらどうだったのか?!を思わせるものがある。


    写真はヒトラー暗殺未遂事件の実行者・陸軍大佐Claus Schenk Graf von Stauffenbergクラウス・シェンク・グラーフ・フォン・シュタウフェンベルク伯爵

  • この古城ホテルはPensionペンションと言うだけあって、他の部屋を個人に貸していた。案内された、私共の“バロックの部屋”は豪華で、明るく、色彩的にも素晴らしかった。この他に“プロイセンの間”に興味を持ちましたが、プロイセンらしい重厚さが、重々しく、緊張感を感じました。それで色彩の明るいバロックに決めたのです。<br /><br />この古城ホテルの各室の装いはほんとに感心しました。広さも高さも作りも!昼間に各地を周って見てきた王宮の部屋にもあるような部屋でした。<br />経営的には全てをホテルと言う事ではなく、一部をPensionとして若い方に貸していました。<br /><br />ここを購入して十年程になると云う城主Herr Michael Leskeレスケ氏が自ら、城内の各部屋;スイート・プロイセンの間など、広いサロン、サロン前の廊下、時にコンサートホールになる広間にはピアノも置かれていた。<br />暖炉のある朝食の間は広い、多分手が回らないのであろう、雑草が茂ったままの中庭を見下ろすテラスなどの案内をしてくれた。<br /><br /><br />写真は庭園側から見た古城ホテル

    この古城ホテルはPensionペンションと言うだけあって、他の部屋を個人に貸していた。案内された、私共の“バロックの部屋”は豪華で、明るく、色彩的にも素晴らしかった。この他に“プロイセンの間”に興味を持ちましたが、プロイセンらしい重厚さが、重々しく、緊張感を感じました。それで色彩の明るいバロックに決めたのです。

    この古城ホテルの各室の装いはほんとに感心しました。広さも高さも作りも!昼間に各地を周って見てきた王宮の部屋にもあるような部屋でした。
    経営的には全てをホテルと言う事ではなく、一部をPensionとして若い方に貸していました。

    ここを購入して十年程になると云う城主Herr Michael Leskeレスケ氏が自ら、城内の各部屋;スイート・プロイセンの間など、広いサロン、サロン前の廊下、時にコンサートホールになる広間にはピアノも置かれていた。
    暖炉のある朝食の間は広い、多分手が回らないのであろう、雑草が茂ったままの中庭を見下ろすテラスなどの案内をしてくれた。


    写真は庭園側から見た古城ホテル

  • サロン前の廊下の天井画、テラス上の紋章がきれいになっていたが、毎年、改装も少しずつやっているらしい。資金的には大変らしい様子が見て取れた。<br />近く、結婚式の予定も入っている由で、どちらの古城ホテルにとってもそうした催しが一番、メリットがあるようだ。<br /><br /><br />写真はバロックの部屋

    サロン前の廊下の天井画、テラス上の紋章がきれいになっていたが、毎年、改装も少しずつやっているらしい。資金的には大変らしい様子が見て取れた。
    近く、結婚式の予定も入っている由で、どちらの古城ホテルにとってもそうした催しが一番、メリットがあるようだ。


    写真はバロックの部屋

  • 話好きの城主レスケ氏は、最初に“どうやってこの古城ホテルを知ったのか?”と聞かれた。私共の旅は田舎を旅する事が多いので、こう聞かれる事も多い。<br />“その昔にドイツに駐在した頃から古城好きである事、とりわけ古城ホテルが好きなので、そこに滞在する事が旅の一つの楽しみになっている。<br />この事もあって、ドイツの地図で古城の標を見つけ、その地域の町の観光局のHPなどから見つけるのだ。”と答えた。フーンと、頷いていたが、奇特な日本人もいるものだ!と思ったかどうか?<br />それから、東日本の大地震・津波・原発事故の話にも飛んだが、“私共は毎年、ドイツ感傷旅行で各地を周っているが、今回で10回目なのだ。”と言ったら、“それ程ならば、ドイツに長期滞在したら良いのではないか?”と薦められてしまった。<br /><br />写真はバロックの部屋

    話好きの城主レスケ氏は、最初に“どうやってこの古城ホテルを知ったのか?”と聞かれた。私共の旅は田舎を旅する事が多いので、こう聞かれる事も多い。
    “その昔にドイツに駐在した頃から古城好きである事、とりわけ古城ホテルが好きなので、そこに滞在する事が旅の一つの楽しみになっている。
    この事もあって、ドイツの地図で古城の標を見つけ、その地域の町の観光局のHPなどから見つけるのだ。”と答えた。フーンと、頷いていたが、奇特な日本人もいるものだ!と思ったかどうか?
    それから、東日本の大地震・津波・原発事故の話にも飛んだが、“私共は毎年、ドイツ感傷旅行で各地を周っているが、今回で10回目なのだ。”と言ったら、“それ程ならば、ドイツに長期滞在したら良いのではないか?”と薦められてしまった。

    写真はバロックの部屋

  • 古城ホテル シュロス ロダースレーベンは朝食のみのGarniガルニなので、レスケ氏にレストランを紹介してもらった。散歩がてら、シュロスパーク城公園を川沿いに行くと、小さな池があり、川を渡った所に紹介されたレストランがあった。<br /><br />写真はビール0.3lx2にワイマール風オニオンスープ、コンソメスープ

    古城ホテル シュロス ロダースレーベンは朝食のみのGarniガルニなので、レスケ氏にレストランを紹介してもらった。散歩がてら、シュロスパーク城公園を川沿いに行くと、小さな池があり、川を渡った所に紹介されたレストランがあった。

    写真はビール0.3lx2にワイマール風オニオンスープ、コンソメスープ

  • <夕食; Landhotel Quernetalランドホテル クエルネタル><br /><br />D-06268 Lodersleben、Parkstrasse 15   <br />18:15〜19:15 Euro33 (3,894円)<br />レスケ氏に教えられたレストランに行ってみると、早いのか?お客は私共だけ、怪訝そう、不安そうに出てきた小母さんも、こちらがドイツ語で注文したことで、安心したのか!嬉しそう。その内に老夫婦一組が入ってきて、私共もちょっと気分も落ち着く。<br />注文したのはビール0.3lx2、スープはワイマール風オニオンスープ、コンソメスープ、そしてメインはJaeger SchnitzelとWiener Schnitzelつまり、前者はキノコとジャガイモを添えた所謂、猟師風であり、後者が良く知られたフライドポテトとバターで炒めたグリーンピースを添えたウィーン風仔牛肉のカツレツ料理です。<br />いずれも美味しく、間違いのない、満足したものでした。<br /><br />写真は左がキノコとジャガイモを添えた所謂、猟師風であり、右がフライドポテトとバターで炒めたグリーンピースを添えたウィーン風仔牛肉のカツレツ料理。

    <夕食; Landhotel Quernetalランドホテル クエルネタル>

    D-06268 Lodersleben、Parkstrasse 15   
    18:15〜19:15 Euro33 (3,894円)
    レスケ氏に教えられたレストランに行ってみると、早いのか?お客は私共だけ、怪訝そう、不安そうに出てきた小母さんも、こちらがドイツ語で注文したことで、安心したのか!嬉しそう。その内に老夫婦一組が入ってきて、私共もちょっと気分も落ち着く。
    注文したのはビール0.3lx2、スープはワイマール風オニオンスープ、コンソメスープ、そしてメインはJaeger SchnitzelとWiener Schnitzelつまり、前者はキノコとジャガイモを添えた所謂、猟師風であり、後者が良く知られたフライドポテトとバターで炒めたグリーンピースを添えたウィーン風仔牛肉のカツレツ料理です。
    いずれも美味しく、間違いのない、満足したものでした。

    写真は左がキノコとジャガイモを添えた所謂、猟師風であり、右がフライドポテトとバターで炒めたグリーンピースを添えたウィーン風仔牛肉のカツレツ料理。

  • 写真は改装されてきれいになったテラス上の紋章

    写真は改装されてきれいになったテラス上の紋章

  • 翌日は起床7:00。朝食(8:00〜8:30)をKaminzimmer暖炉の間で頂く。<br />高々とした丸天井の部屋は大きな聖人と思われる絵が架けられた広い部屋です。実質的にはホテルのお客は私共だけで、その為にきちんと十分な朝食が用意されていた。<br /><br />写真は翌日の朝食

    翌日は起床7:00。朝食(8:00〜8:30)をKaminzimmer暖炉の間で頂く。
    高々とした丸天井の部屋は大きな聖人と思われる絵が架けられた広い部屋です。実質的にはホテルのお客は私共だけで、その為にきちんと十分な朝食が用意されていた。

    写真は翌日の朝食

  • 出発際には城主から、“この辺りのワインは飲んだか?”と聞かれた。<br />“残念ながら、まだその機会がない。“と答えると、”それではこの赤ワイン1本をお土産に進呈するので、楽しんでください。“と実に嬉しい話になった。又、是非訪れたいものと思いながら、Schloss Loderslebenを9時に出発した。<br /><br />因みに頂いたワインは日本に持ち帰り、検索すると、ザーレ・ウンシュトルート・ワイン街道沿いのナウムブルク近郊のワインでした。<br /> <br />Weingut Herzerヘルツァー醸造所<br />D- 06618 Naumburg/Rossbach 、Am Leihdenberg 7<br />http://www.weingut-herzer.de/wp/<br />Gault Millauゴー・ミョ2005年で“小さな発見”のあるワイン醸造家として薦められている。<br />肉料理に、あるいは単にワインを飲む場合でも良いと・・・。<br />ヘルツァー醸造所はザーレ・ウンシュトルート・ワイン街道を彩るナウムブルク近郊の村・ロスバッハに1992年、創業した。<br /><br />写真は頂いたワイン

    出発際には城主から、“この辺りのワインは飲んだか?”と聞かれた。
    “残念ながら、まだその機会がない。“と答えると、”それではこの赤ワイン1本をお土産に進呈するので、楽しんでください。“と実に嬉しい話になった。又、是非訪れたいものと思いながら、Schloss Loderslebenを9時に出発した。

    因みに頂いたワインは日本に持ち帰り、検索すると、ザーレ・ウンシュトルート・ワイン街道沿いのナウムブルク近郊のワインでした。
     
    Weingut Herzerヘルツァー醸造所
    D- 06618 Naumburg/Rossbach 、Am Leihdenberg 7
    http://www.weingut-herzer.de/wp/
    Gault Millauゴー・ミョ2005年で“小さな発見”のあるワイン醸造家として薦められている。
    肉料理に、あるいは単にワインを飲む場合でも良いと・・・。
    ヘルツァー醸造所はザーレ・ウンシュトルート・ワイン街道を彩るナウムブルク近郊の村・ロスバッハに1992年、創業した。

    写真は頂いたワイン

  • 写真は暖炉のある朝食の間は広い

    写真は暖炉のある朝食の間は広い

  • 是非、また訪れたい古城ホテルでした。<br /><br />次の機会にシュタウフェンベルク大佐が実行しようとして失敗に終わったヒトラー暗殺事件:1944年7月20日・ワルキューレ作戦Operation ”Walkuere”について掲載してみたい。<br /><br />シュタウフェンベルク大佐の言葉が残っている。:<br />“今こそ、何かがなされなければならない。<br />その何かを敢えて行う者は自分が裏切り者として<br />ドイツの歴史に残るであろうことを認識せねばならぬ。<br />しかし、それを為さなかったら、自分自身の良心に<br />対する裏切りとなるだろう。”<br /><br /><br />写真は少しずつ改装中の城内・サロンの前の廊下

    是非、また訪れたい古城ホテルでした。

    次の機会にシュタウフェンベルク大佐が実行しようとして失敗に終わったヒトラー暗殺事件:1944年7月20日・ワルキューレ作戦Operation ”Walkuere”について掲載してみたい。

    シュタウフェンベルク大佐の言葉が残っている。:
    “今こそ、何かがなされなければならない。
    その何かを敢えて行う者は自分が裏切り者として
    ドイツの歴史に残るであろうことを認識せねばならぬ。
    しかし、それを為さなかったら、自分自身の良心に
    対する裏切りとなるだろう。”


    写真は少しずつ改装中の城内・サロンの前の廊下

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この旅行記へのコメント (4)

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  • utamiumiuさん 2014/03/31 16:41:19
    こんにちは
    Utamiumiuです。
    ロマンティックな伝説話も素敵ですがこんな素敵なお城にこんな悲劇の過去があったのですね。
    読み入ってしまいました。
    私はいま、ナポリにいます。3月20日から4泊、ドイツはAlsfeldで過ごし初イタリア、初ナポリです。
    飛行機で1時間半しか飛ばない近い国なのにその文化の違いにおどろいています。
    後、数時間で帰国の途につきます。
    この後のお話も楽しみにしています。

    jijidaruma

    jijidarumaさん からの返信 2014/04/02 01:51:39
    ワルキューレ
    Utamiumiuさん

    日本は桜が咲き始め、1昨日・昨日は長女と孫娘たちと、砧公園、千鳥が淵と靖国神社に桜見物に行ってきました。桜はこの所の暖かさで満開に見えました。
    もうご帰国になった事でしょうか?

    ドイツ・イタリアと、また収穫の多い旅であったと思います。
    その内に日記・写真を拝見したいですね。

    さて、1944年7月20日ヒトラー暗殺未遂事件の二つ目を載せました。
    お立ち寄りいただければ幸いです。

    jijidaruma

  • frau.himmelさん 2014/03/30 21:11:37
    ワルキューレ
    jijidarumaさん こんばんは。

    とても興味ある旅行記でした。
    1944年7月20日のワルキューレに加担した人物に関係のある、古城ホテルにお泊りになったのですね。
    私もワルキューレのことはいろいろ調べておりますので、ワクワクして拝見しました。

    シューレンブルク伯爵は、シュタウフェンベルク大佐の兄と同じ日に、同じ場所で処刑されたのですか。

    本当にヒトラー暗殺が成功していたら(IF)を考えると、興味深いものがありますね。
    次回もワルキューレ関連とのこと、楽しみにしています。

    himmel

    jijidaruma

    jijidarumaさん からの返信 2014/03/30 21:48:49
    ワルキューレ
    himmelさん

    お読み頂き、ご投票も頂戴してありがとうございました。
    日頃の旅行記から拝察していましたが、こうした話は特にご興味をお持ちかと思っておりました。

    いつものような伝説・民話と違いますが、ドイツの旅をしていると、思わぬ所でドイツ史に関わる話にあたります。
    現在の城主はシュレンブルク伯家とは全く関係の無い方のようでしたが、ちょっと聞いてみたかったことです。

    ワルキューレ作戦Operation ”Walkuere”・・・如何にもドイツ人の付ける名前で感心した覚えがあります。
    この事件に関係した者は時間をおかずに処刑されてしまったようですから、法廷闘争などいう事はあの時代あり得なかったのですね。また、彼らは軍人ではなかったので銃殺刑ではなく、絞首刑になったのでしょうけど。

    次はバンベルクの旧市庁舎、フランケンのスイス地方のグライフェンシュタイン城を訪ねた所から書きだしたいと思います。後2度ぐらいで完了させたいものですね。
    それではまた、お立ち寄りください。

    jijidaruma

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