2013/10/23 - 2013/12/18
3927位(同エリア17021件中)
ばねおさん
2013年10月から12月までパリ20区にある旧いアパルトマンに滞在した。
ガイドブックにもほとんど紹介されることのないこの地区には、古いパリの下町情緒が残っているといわれている。
たしかに、わずかな期間ではあるが実際に住んでみてその思いを感じるとともに、パリ中心部ではあまりみられない情景にも遭遇した。
黒人や移民が多いのもこの地区の特徴と言えるだろう。
メトロやバス停で待つ人の顔ぶれをみると、白人が一人もいないという光景も珍しくない。
一瞬、ここはどこ?と思うようなところもある。
中心部に住む人たちからは、何で20区を選んだのか?と度々聞かれた。
特に高級住宅地にいるフランス人たちの話しぶりからは、居住する区による差別感というものが紛れもなく存在する。
治安の問題は重大ではあるが、一部の地域を除けば住みにくいところではない。
ここはパリであり、フランスではない(論理的にはおかしいが)という認識と備えさえ持っていれば新しい発見ができる街である。
20区での出会いの一部を、思い出とともに紹介したい。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 交通手段
- 徒歩
- 航空会社
- JAL
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
メトロ3番線のPorte de Bagnolet駅5番出口を出ると、そこがエディット・ピアフ広場である。
土曜日午前中にはこの周囲に大きな規模なマルシェが立ち、買い物客で大賑わいとなる。
水曜日にもマルシェが出るが、こちらは衣料品が中心で規模も小さい。 -
エディット・ピアフ広場
広場と言ってもピアフの銅像がある以外には何もない三角形の小さなスペースである。 -
大空に向かって両手を挙げて歌うピアフ。
まさに心の叫びを表現しているポーズである。
エディット(Edith)の名前は、ドイツ軍にスパイ容疑で処刑された英国人看護婦イーデス・カヴェル(Edith Cavell)に由来している。
イーデスのフランス語読みがエディットである。
ちなみにイーデス・カヴェルの銅像はロンドンのトラフィルガー広場に建てられている。 -
広場の銅像の近くにあるカフェバー。
その名も「エディット・ピアフ」 -
ピアフの写真やポスターが大きく張り出されている。店内にも多数の写真がある。
経営者も大のピアフファンであるとのこと。
フランス随一の歌手ながら、彼女の記念館(ミュゼ)というものはない。
19区に私設のミュゼがあるようだが、愛好家が収集したピアフの遺品等を陳列したごく小規模な展示室と聞いている。 -
ピアフの生まれたタノン病院もすぐ近くにある。
但し、ベルヴィルの自宅で生まれたとか、路上で産み落とされたの説もあり定かではない。
ベルヴィルとは美しい町の意であるが、当時のベルヴィルは汚い大貧民街であって何とも皮肉な名称である。 -
正面から眺めると大きく立派な建物だが、病院というにはあまりにも古めかしく陰気くさい。
-
実は、建物は歴史的外観を残しているが、内部はかなり近代的で、現在は地域の中核医療機関となっている。
こちらは裏手の救急搬入口。 -
この広大な病院の周囲に土曜日と水曜日の午前中、マルシェが立つ。
特に土曜日のマルシェは大規模で、農産物、酪農品、鮮魚、精肉等々、イエナのマルシェに引けをとらない内容である。
パリ滞在中は、食材の調達のため
この魚屋さんや -
野菜果実店には
毎週、欠かさず通った。
イエナのマルシェでは日本人の食材仕入れ関係者や
在住者、観光客によく出会ったが、
ここでは日本人の買い物客をまったく目にしなかった。 -
エディット・ピアフの墓はピアフ広場のあるPorte de Bagnolet駅の隣駅であるGambettaから徒歩2,3分の距離にあるペール・ラシェーズ墓地にある。
このパリ最大の墓地には世界的な著名人が多く眠っていることもあって、街区番号が付されている。
ピアフの墓は97番街区にある。 -
花が絶えないピアフの墓
墓石には彼女の本名と、16歳のときに生み2歳で亡くなった娘、そして最後の夫の名が刻まれている。
ピアフが亡くなった時、パリの大司教は彼女の葬儀のミサの執行を許さなかったが葬儀には無数の参列者が連なり、パリ中の商店は喪に服し、市内の交通が完全にストップしたという。
友人のジャン・コクトーは彼女の死を知らされて、衝撃を隠せず、事実翌日に亡くなっている。 -
ピアフ
神への祈り -
実はこの墓に参ったあと、墓地内を歩いていて出会ったフランスの老婦人にピアフの墓を教えてくれと言われ面食らった。
たまたま今、行ってきたばかりなので案内はできたのだが、それにしてもどこからみても東洋人である自分にピアフの墓の所在を尋ねるとは!
よほどの好事家にみえたのか? -
前述のバー「エディット・ピアフ」の横の道を高台に向かって進んでいくと
パリの田舎と称される一画がある。 -
高台のこの辺りから
周囲とは異なる家並みが見えてくる。 -
階段を上り、さらに上へ行ってみると
-
このような風景が展開している。
-
これだけ切り取って
ここはパリです、と言っても
たぶん信じてもらえないだろう。 -
落ち着いた佇まいを見ると
これがパリ?
ここも20区?? -
確かにここには別の空気が流れている
-
高台にある故に周辺の7,8階建てアパルトマンも
視野に入ってこない。 -
もともとは労働者階級のための建売住宅なのだが
年月を経て、いまではすっかり高額物件となり
パリっ子の垂涎の的ともなっている。 -
維持していくのもなかなか容易ではないようだが
-
それでも住民たちは
それぞれの家に意匠を凝らし
誇りをもって住んでいるという。 -
石畳の道に整然と建ち並ぶ風景を田舎と呼ぶには少々違和感があるが、
こうした戸建て建物がほとんどないパリの中心部からみれば、歴史的経緯を含め
やはり「田舎」ということになるのだろう。
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