2013/10/12 - 2013/10/12
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たびたびさん
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福知山の翌日は、いつもの京都市内。広沢の池をスタートして、久しぶりの嵯峨野巡りを楽しみました。
ただ、これまで押さえていなかった場所を中心にしたので、定番の観光スポットはほとんどないかもしれません。しかし、そんな回り方をしても、旅の質はほとんど落ちない。京都は、準レギュラーでもやっぱり一流揃いの巨人みたいな感じでしょう。知らなかった魅力がどんどん広がる楽しさをまたしても感じる一日となりました。
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広沢池は嵯峨野なんですが、今回は市バスで山越から歩くことに。
バス停を降りて、歩き始めたところ。 -
こんなところに秋の桜が咲いています。
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こっちは、キバナコスモスですね。
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周囲1.3kmほどの池は、日本三沢の一つにも数えられますが、人工のため池。遍照寺の創建時に作られたとも言われます。湖面に映るのは何という山なんでしょう。形がいいですね。
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児神社は、広沢池のほとり。祭神は遍照寺を建立した寛朝大僧正につかえていた子供。その大僧正が亡くなって、その子供は悲しみのあまり、広沢池に身を沈めたというのです。これを不憫に思った地元の人が、子供を祀ったのだそうですが、痛ましい話ではあります。
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少し歩いて、こちらが、遍照寺。広沢山と号し、広沢の池は遍照寺の建立にあわせ庭池として本堂の南に造営されたとも言われ、それほど大きな寺だったようです。
989年、宇多法皇の孫である寛朝の創建。ちなみに、寛朝は、平将門の乱が起きた際、自ら関東に下向し祈祷をしたことでも有名。その時に祈祷した不動明王を本尊として創建されたのが成田山新勝寺です。 -
今度は大覚寺の方へ向かうと、案山子。
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畑に並んで、
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コンテストでもしているよう。
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イチオシ
10年以上前にも見ましたから、
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ずいぶん続いているんじゃないかと思います。
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今日は、いい天気。足取りが軽くなります。
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大覚寺の脇をさらに登って、直指庵です。
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嵯峨野でもかなり辺鄙な場所になると思います。名前は黄檗禅の正統さを「直指伝心」するという意味だったようですが、今は浄土宗の寺となっています。
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隠れた紅葉の名所として知られますが、
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イチオシ
それ以上に有名なのは来訪者が想いを綴る「想い出草」というノート。書きこまれた内容は、人間関係に仕事や恋愛の悩みなど。ここで悩みを打ち明けて、心が少しでも軽くなるようにと始められたもの。見も知らない人の悩みを綴ったものですが、見てるこちらも自然に気持ちが入ってしまう。何だか相談をしてもらったような不思議な気になるノートです。
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ここから、鳥居本の方に抜けます。これは曼荼羅山。大文字焼では、鳥居形がこの山で焚かれます。
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嵯峨野の本道に出てきました。
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あだしのまゆ村です。ここは、あだしの念仏寺の少し手前。崖のような斜面を上がったところにお店があります。
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店内は、本物のまゆで作ったという小さな飾りがいっぱい。
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イチオシ
白くてふわふわした質感が独特の美しさを醸し出していて、とても幻想的。茶菓子をサービスしていただいたりして、しばし寛ぎました。
なお、嵐山駅のそばにも支店があります。 -
先に進んで京都市嵯峨鳥居本町並み保存館。嵯峨鳥居本伝統的建造物群保存地区の一角です。
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鳥居本は嵯峨野散策の終点といった場所なので、休憩がてら立ち寄りました。民家を改装した内部には、鳥居本の市街のジオラマや地元のお祭りの紹介など。若い女性の係の方がいて、これもなんか和みました。
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そして、鳥居本に到着。
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今回やっと念願の、平野屋の「志んこ」をいただきます。
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店先の縁台に腰かけて、待つとまずは、桜茶。これを飲みながら待っているといよいよ「志んこ」の登場。
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イチオシ
ニッキ・抹茶・白三色のお餅。ねじった形がドキドキするほどきれいでユニークですねえ。柳の木で作ったという大きな楊枝も面白いです。そして極め付きは、黒砂糖が入ったきなこ。初めての味覚でしたが、絶妙な味わい。こんな組み合わせに気が付いた着想のすばらしさに脱帽です。
やっぱりこれは有名なはずですね。 -
この奥が愛宕念仏寺。これは、「おたぎねんぶつじ」と読みます。この辺りだと、あだしの念仏寺が有名なのですが、こっちの方がずっといいですよという人もいて、そんなだったかなあと思いながら再訪しました。
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山門から先、境内に、裏山まで含めて、お地蔵さんのような石仏がいっぱいです。
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そういえば、昔来た時は、まだこんな石仏には目が行かなかったかもしれませんね。
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さらに奥に進んで、
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登った先が本堂です。
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愛嬌のある地蔵さんも。
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で、改めて一つ一つの石仏の表情を見たりしていると、
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苔むした素朴な中にも、
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イチオシ
かわいいのやら、
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ひょうきんなのやらも混じっています。それでも、それぞれに思いがこもっていることを考えると、この数の膨大さのすごい意味が分かるような気がしました。
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清滝川は鳥居本から、清滝トンネルを抜けて行ったところ。清滝トンネルは、けっこう有名な心霊スポットで、あんまり歩きたくないのですが、歩いて行きました。お化けが出るというのは、どうか分かりませんが、自動車がトンネルに入ってくると遠くからでもじわじわ近づいてくるのが分かるのですが、トンネルが曲がっていて、どこまで来ているのかが見えない。そんな気持ち悪さもあるのかもしれません。
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さて、抜けたところが清滝。川の方に降りて行きます。
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橋を渡ると、清滝の街。
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橋の下の川は深い渓谷になっていて、高雄からここまで歩いてくる人もそれなりに多いということでした。
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奥に進んであたごみせ 智楽庵。清滝から愛宕山に登る登り口の少し手前で、窯元の看板があったので、寄ってみました。厚い鬼釉風といった趣の焼き物があって見ていたのですが、うどんやそばの簡単な食堂にもなっています。ちなみに、愛宕山の愛宕神社へはここから2時間かかりますが、その間には食べ物屋さんは一切ありません。食堂としては、ここが最後のお店になりますので、これもご紹介しておきたいと思います。
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愛宕神社は、京都と丹波国の国境にある愛宕山(標高924m)の山頂にある神社。京都は、周囲を山に囲まれた盆地ですが、愛宕山はその最高峰です。
清滝が入口の、この登り口までせっかく歩いたのですが、降りてきた人にそこからきっちり二時間かかると言われて、断念しました。日が早く落ちるようになってきた時期だと昼前から登らないと危ないかもしれません。
ちなみに、火伏せ・防火に霊験のある神社で、「火迺要慎(ひのようじん)」と書かれた愛宕神社の火伏札は京都ではよく見かけるものです。 -
で、清滝のバスの終点まで戻ります。そして、傍らにあるのが一文字屋食堂。この辺りは、愛宕山に登る起点にもなるし、高雄からの帰りにここを経由する人もいるようで、ハイカーの往来がそれなりにあるところ。女将さんから、そんな情報も仕入れました。
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さて、食堂は簡単なものですが、そこは歴史を積み重ねた感じがそこはかとあって、親子丼をいただきましたが、鶏肉とかしっかりしているし、基本が出来ている感じ。こあがりで食べて、ゆっくりできました。
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またトンネルの道を抜けて、嵯峨野の本道を嵐山に向けて歩きます。
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博物館さがの人形の家は以前から気になってはいたのですが、今回、初訪問。人形を展示する博物館はあちこちあるのですが、さすが京都に構えるだけの博物館。それらとはまったく格が違っていて、とにかく質量ともに素晴らしいの一言です。
なお、内部は撮影可です。 -
入口には、有名なまんじゅう食い人形。
子供が二つに割った饅頭を、両手に持っている立像です。父母のいずれが好きかと問われた童子が饅頭を二つに割ってどちらが美味しいか反問したという教訓話。誰でもあやかりたくなる、とっても賢い子どもです。 -
釣り糸を絡ませながら回転する、からくり人形。
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舌がぬっとでてびっくりさせる、外国人向けのお土産人形も珍しいもののようです。
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そして、ここからが圧巻に京都人形の数々。
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仏師が余技として作りはじめたといわれる
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嵯峨人形は
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木彫りの人形。
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それが、
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江戸時代の中期に完成する
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御所人形につながっていきます。
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こちらの木目込みの賀茂人形に、
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変化を加えた衣裳人形も京都のバリエーションの一つ。
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イチオシ
京都ならではの
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味わい深い美しさでしょう。
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イチオシ
郷土人形のルーツといわれる、こちらの伏見人形は土人形。
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これが全国に伝わって行ったというのは、
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とても納得感がありました。
あちこちで、郷土玩具は見てきたんですが、これで頭の整理が付きました。こんなところに、こんなすごいものがあったとは。やっぱり京都は凄いです。 -
檀林寺は、祇王寺の手前。変わった名前ですが、嵯峨天皇の皇后が檀林皇后という大変な美女だったそうで、その檀林皇后ゆかりの寺なんだそうです。本堂の内陣に、その檀林皇后を写したという観音像があって、光明皇后みたいな扱いだなあと感じました。奥の資料館はきれいに整備されています。あと、門跡寺院のようなことも言っていましたが、話がかみ合わない。これはよく分かりません。
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證安院も近く。これまで名前は聞いたことなかったのですが、嵯峨野の散策マップに載っていて、訪ねてみることにしました。。
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境内に入ってすぐ、山門の正面に「南無阿弥陀佛」の名号石が立派です。あとは、さつき寺として知られているようでした
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寂庵は、瀬戸内寂聴さんの草庵。いつも外から見るだけだったのですが、門のところに立っていたら、タクシーに乗ってきた一団が内部を見せてもらうようです。厚かましいとは思ったのですが、一緒に入れてもらえないか尋ねたら、では頼んでみましょうとのこと。出てきた管理人のようなおじさんに交渉して、私も入れてもらうことになりました。
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内部は、緩やかな石段が奥へ続きます。両脇の緑もきれいだし、間に小さな石仏が潜んでいたり、寂聴さんの趣味が窺えるような雰囲気。
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お堂があって、仏様がお祭りしてありまして、さっきの方々はご朱印をもらっているようでした。入口に、映画「夏の終わり」のポスターが貼ってあって、管理人さんにこれ見ましたよと言ったら、そうですかと穏やかな応え。いきなりの訪問だったんですが、ちょっと気持ちが通じたような気がしました。
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土佐の維新の志士像。
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向かいは落柿舎です。
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だんだん戻ってきました。
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小倉山は小倉百人一首や餡子の小倉などの名前になって、それなりに知られていますが、
小倉池というのも、そんなところでしょうか。ここは、嵯峨野散策のスタート地点といったところ。今回は逆に歩いていますが、嵐山から歩くと、この池を横に見ながら、この辺りで嵐山の喧騒からもう離れてしまったことを感じる場所です。 -
御髪神社は、みかみじんじゃと読みます。小倉池のほとり。名前の通り、ここは日本で唯一の頭と髪の神社です。
京都市の理美容業界関係者らによって昭和36年に創建。藤原采女亮政之(ふじわらのうねめのすけまさゆき)という鎌倉時代の実在の人物が祀られています。 -
嵐山公園(亀山地区)は、桂川の東側。渡月橋を川下に、嵐山を正面に見るロケーションに整備された公園です。この一角にあるのが角倉了以像。角倉了以は、嵯峨に生まれ、朱印船貿易などで財をなした人物。また、大堰川、高瀬川を私財を投じて開削したことで、京都の恩人ともされています。ちなみに、朱印船貿易は徳川家康が行ったもの。家康は海外との貿易に熱心だったといわれていて、江戸幕府は初めから鎖国政策をとっていたわけではありません。
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嵐山のふもとを流れる桂川。保津川下りの終点に当たります。トロッコ列車で上流に上がって、そこから下ってくるという観光のための川くらいにしか思っていなかったのですが、この保津川を通って、京都の旺盛な木材需要に応える動脈となっていたんだそうです。京都の都の反映を支えていたことに思いを馳せてみるのも一興かと思います。
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時雨殿は、2012年3月にリニューアルオープンした小倉百人一首をテーマとした本格的な展示施設。
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藤原定家が百人一首を選んだ地、小倉山の麓に位置します。
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小さな人形で歌仙100人の紹介をしているのも面白いし、
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歌の場面を人形やジオラマで再現しているのも楽しいです。
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イチオシ
藤原定家など、明治以降、正岡子規によってけちょんけちょんに言われて、その分、評価が低くなっている面も無きにしも非ずなのですが、そういう色眼鏡を捨てて楽しむべき施設だと思います。
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人形は清少納言。
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喜撰法師
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山部赤人
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柿本人麻呂
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僧正遍昭
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イチオシ
持統天皇
春すぎて なつきにけらし しろたへの ころもほすてふ あまのかぐやま
何でもないような歌なんですが、持統天皇のことを思うとぐっときます。 -
天智天皇
持統天皇の父であり、聖徳太子亡き後、大化の改新を成し遂げた偉大な天皇です。そして、天武天皇は、天智天皇の弟で、かつ持統天皇の夫でもある。天智天皇は子供の大友皇子を天皇にしたかったのですが、天武天皇が壬申の乱でこれを破り、新たな天皇となります。持統天皇はそのはざまでつらい立場であったことでしょう。
しかし、力で天皇となった天武天皇によって、天皇制はますます強固なものとなって、大宝律令の制定など、その後の律令制の基盤が整備さることになります。これが白鳳時代で、次の聖武天皇・光明皇后の奈良の天平時代につながることになります。古代史では、一番、人気のある時代のヒーローですね。 -
古の衣装も
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色彩感覚が
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すばらしい。
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イチオシ
この十二単で、最高潮となるんですが、突然出てきたものではないことが分かります。
なるほど。ここは、想像以上に楽しい施設でした。 -
こちらの小督塚は、桂川から少し入った、ちょっと気が付きにくい場所です。小督は、平家物語で知られる悲運の女性。宮廷一の美貌で、琴の名手で高倉天皇に愛されたのですが、時は平氏の全盛期。中宮・徳子の父平清盛ににらまれ、いったんは嵯峨野に身を隠しますが、結局は清盛によって出家させられてしまいます。
平家物語では、身を隠した際、小督探索の命を受けた北面の武士源仲国が、渡月橋辺りで小督の弾く琴の音を聞いて、居場所を探し当てた辺りが最高潮。安徳天皇に皇位を奪われ21歳でこの世を去った高倉帝の菩提を弔い、44歳で生涯を閉じています。 -
琴きき橋跡碑は、渡月橋の傍ら。ここも、小督にまつわるもの。小督は、平家の全盛期、高倉天皇に愛されながらも、平家の清盛に睨まれ、いったんは嵯峨野に身を隠します。その小督は、琴の名手。探索を命じられた武士が、小督の琴の音色を聞いて、居場所を突き止めたというのです。
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続いて、天龍寺の境内に回ります。
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天龍寺の飛雲観音は、総門を入ってまっすぐ奥に向かう参道の右手。ちょっと高台になった場所にありました。飛雲に乗って空を旅する人々を守護する観音像だそうです。青みがかった色調がきれい。空の青をイメージしているのかもしれません。
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弘源寺は天龍寺塔頭寺院の一つで、室町幕府の管領であった細川持之の創建。細川持之は、応仁の乱を引き起こした細川勝元の父です。
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幕末、蛤御門の変の時、ここに陣を構えた長州藩士が試し切りをしたという刀傷が残っています。かなり深い傷で、びっくりします。ほか、竹内栖鳳や門下生など名画家たちの作品が多数飾られていて、これも見所の一つです。
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慈済院は天龍寺の塔頭の一つ。天龍寺の総門を入ってすぐ右手です。
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ここは、天龍寺七福神の一つ、弁財天を祀っているのですが、この弁才天像は天龍寺開山の無窓国師が彫ったと伝えられ、「水?定福寿台弁財天」と言われています。
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天龍寺は、山門から境内に入ると参道沿いにいくつかの塔頭が並んでいます。松厳寺も、そのひとつ。
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天龍寺七福神のうちの福禄寿が祀られている小さなお堂がありました。一刀彫の福禄寿だそうですが、お堂は小さくて肩すかしを食ったような気がしました。
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嵐山よしむらは、渡月橋のほとりの蕎麦屋さん。ネットでかなり人気のお店のようだったのですが、ちょっと半信半疑で訪ねてみました。
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二階に案内されると、渡月橋から桂川が前面に見下ろせる大きな窓の席。この景色はたまりませんね。人気の理由がいっぺんに分かりました。
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おそばもしこしこした歯ごたえがいい感じ。外国の観光客も多いようでしたが、これはネットで評判になっているからでしょう。彼らもいいお店はちゃんとチェックしているんですね。これはお勧めです。
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お店を出ると日が暮れています。
渡月橋の上にかかるお月様。これを見て、渡月橋という名前が付いたんですね。 -
日が暮れた嵐山駅も、いい感じ。
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竹路庵は、嵐電嵐山駅の並びにある小さな和菓子屋さん。
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お店に入ると、赤や黄色の鮮やかな色の、これはわらびもちですか。こんなきれいな色にしてやるもんですねえ。ただ、ちょこっと食べるには量があるので、栗大福をいただきました。これって、銀座のあけぼのと似ていますね。皮が妙にもっちりしていて、粉になにか工夫がしてあるんでしょう、味わいが何か現代的。こういうのをいただくと和菓子の技術が進歩しているのを感じます。
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こちらは、嵐山駅で行われていた「キモノ・フォレスト(友禅の光林)」。
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さすがエンターテイメントの街、京都です。最後の最後まで、楽しませてくれました。
さて、これで、二日前も終了。いつもの定宿に向かいます。
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