2013/03/10 - 2013/03/10
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たびたびさん
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お水取りを見てしまったので、そういう意味では目的はすでに果たしていたのですが、もう一日は奈良の街歩き。ただ、細かく回ればいろんなところがあるもので、天気もイマイチだし、マイナーな観光スポットやお菓子巡りをしてみました。
そして、帰りは京都で途中下車。ちょこっと東山花灯篭を確認します。
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菖蒲池で泊まったので、街歩きはここからです。
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菖蒲池というのは菖蒲上池のこと。かつて菖蒲池遊園地があった場所です。
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今では閉園したので、さびれているのかと思ったら、全然、そうではない。周囲に、立派な遊歩道が出来ていて、ジョギングをしている人たちもちらほら。湖畔には、おしゃれな喫茶店や池に面した結婚披露宴の会場、病院まであって、高級感ある住宅エリアとなっていました。菖蒲駅も目と鼻の先ですが、ちょっと、すごいことになっています。
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さらに大和文華館の方へ歩きます。これは蛙股池。菖蒲池駅と学園前駅の間ですが、どちらからでも同じくらいだと思います。湖畔に建つ大和文華館や中野美術館へは、学園前駅からなら10分足らずでしょう。広々とした池の周囲は、自然がそのまま残されて、犬を散歩させたり、ジョギングをしている人がちらほらいて、のどかな雰囲気がありました。
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まだ開館前の大和文華館でしたが、お庭で梅の花見です。
ここは近鉄の社長だった種田虎雄が、東洋古美術を中心として設立しました。唐の時代の貴婦人のふくよかな埴輪など、ここでいくつかのものを初めて見たのが強く印象に残っています。 -
ただ、この梅園もすごいですね。
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正門を入ってすぐのところから本館に上がる斜面いっぱいに、見事な梅園が広がって、満開でした。この梅園を見るだけでも価値があると思います。
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これが本館です。
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近くの中の美術館。
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まだ開いていなかったので、今回は場所の確認だけになりました。ただ、今度来る時は、松伯美術館の方が優先ですけど。あそこの美術館は上村松園のものがいいんですよね。前行ってからずいぶん経ってしまいました。
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さて、学園前駅へ。ここは、奈良でも高級な住宅地としての評価がすっかり定着しました。お寺とかがあるわけではありませんが、周囲には、歩いて行ける範囲に、大和文華館、中野美術館、松伯美術館といったそうそうたる美術館があって、これだけでもちょっと寄ってみる価値があるんです。
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奈良では高級住宅地として知られるのであれば、きっとスイーツの名店もあるだろうということで、地元で聞いたら、この「ラ・セゾン・ド・アスター」が一押しとのこと。学園前駅からちょっと歩きますよと教えられましたが、別の人に聞くとそこは閉店したよう。学園前駅の目の前のビル。ケンタッキーの隣りに入ったお店が、今のお店です。
ただ、残念ながら、まだ開店前。ここも、今回は、場所を確認しただけで、終わってしまいました。 -
大和西大寺の駅。内部のお菓子屋さんに寄ってみたのですが、ここもまだ開いていません。奈良は朝が遅いですねえ。
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近鉄奈良駅について、今度は菊屋。ここは朝8時からやってました。
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街歩きを始める前に、いただいたのは、御城之口餅(おしろのくちもち)。
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イチオシ
秀吉が名づけたという看板商品。皮が薄い、うぐいす餅で、とろっとした感触。甘い餡子がちょっと後を引くようなところが、特徴だと思いました。本店は大和郡山。城は、大和郡山城のことです。
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気が付くと「きたまちひなめぐり」のイベントをやっているようです。近鉄奈良駅の北側東向北商店街から始まって、転害門のさらに先までと広い範囲。イベントは、3月2・3日だけのようですが、12日までは、商店のショーウインドーにお雛様が飾られていたりして、ちょうどお水取りの期間中にひな祭りが楽しめるんですね。目に止まったのは、ずんぐりしたお雛様。奈良に特有のものか聞いたのですが、よく分かりませんでした。
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旧鍋屋交番きたまち案内所も、きたまちひなめぐりの展示場。奥の部屋にひな人形が飾られていました。
ただ、この建物自体が、モダンなもの。明治41年に設置された旧奈良警察署鍋屋連絡所を改築したもののようですが、向かいにあるなら女子大の建物と合わせて、いい雰囲気を作っています。 -
向かいの奈良女子大学。華やかな色彩の門や奥の建物が目に入って、それと気づきました。国立の女子大学は、こことお茶の水女子大学の2校だけ。女子大学の双璧です。門を入ったところに守衛室があって、構内には気安くは入れませんが、写真だけは撮らせてもらいました。正面に見える旧本館である記念館は、重要文化財。実は、守衛室も重要文化財だったんですね。これには、気が付きませんでした。
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聖武天皇陵を目指して歩いていたのですが、その途中にあった散華美術館です。
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小さな美術館ですが、展示されていた奈良の街並みをあちこち描いた水彩画は、とても優しい目線。
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細かいところまでしっかり描きこんであるのに、その風景を好きで好きでたまらないといった気持ちの方がまず伝わってきます。自分が奈良で感じたことを改めておさらいするような場所になりました。
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聖武天皇陵に到着。奈良市内からちょっと外れますが、歩いて行ける範囲。転害門からだと、歩いて数分だと思います。
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この日は、たまたま、平城京に遷都した3月10日だということで、
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イチオシ
東大寺のお坊さんが陵の前で、読経をしていました。聖武天皇は平城京の生みの親。今でも特別な存在であることは間違いないでしょう。
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その奥にあるのが光明皇后陵。聖武天皇陵と入口は同じです。光明皇后は、藤原不比等の娘。藤原鎌足の孫にあたり、天皇家を支えた藤原氏の一員ではあるのですが、聖武天皇とともに天平文化を花開かせた準主役としてのイメージが強いですね。どこかの美術館で自筆の文字を見ましたが、力強くて、これにはちょっと驚きました。
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今度は、多聞城へ向かいます。ちょっと、遠いです。
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多聞城は、松永久秀の居城。多聞天が祀られていたため、多聞城と呼ばれました。ちなみに、松永久秀は、15代将軍足利義昭と同盟し織田信長に反旗を翻しますが、敗れて、多聞城には信長が入城。信長が正倉院に伝わる名香「蘭奢待」を切り取ったのはこの時です。その後、筒井順慶が大和の守護に任じられ、多聞城は破却されました。
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なお、現在は、学校が建っていて、地形で当時を偲ぶしかありません。高台からの眺めがいいと言っていましたが、まあ普通でしょう。
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市内中心部に帰る途中にあった和菓子屋さんは、萬林堂。こんなところに和菓子屋さんなんかあるのかなあといった場所。小さなお店で、おばあさんが店番をしていました。
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看板商品の「春日二枝梅」は、春日神社の印、「下がり藤」入りの包み紙のお饅頭。最後に油で揚げて砂糖をまぶしてあって、これは手が込んでいるし、とてもおいしいです。意外な場所で、意外なおいしさに出会いました。
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セント君ならぬ、マントくんがお店のキャラクターのようでしたが、これはご愛嬌でしょう。
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転害門は、大仏殿の西北にあって、吉祥の方角で害を転ずる意から転害門と呼ばれます。
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三間一戸八脚門の形式を持ち、平重衡の兵火や三好・松永の戦いでも焼け残り、天平時代の東大寺の伽藍建築を想像できる唯一の遺構とされます。
ただ、人影はまばら。しめ縄が掛けてあって、ちょっと違和感もありました。 -
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転害門から国立博物館に帰って来る途中で、立派な店構えの和菓子屋さんが目に入りましたが、これは千寿庵。
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わらび餅が看板商品のようですが、その場では食べられないので、お水取りの季節に作るという椿の練りきりをいただきました。鮮やかな赤い花びらが何ともきれいです。練りきりは、あまり得意じゃないので、ちょっとコメントしづらいのですが、甘さがよくまとまっていると思いました。それとも、もっと変化があった方がいいのかなあ。その辺がよく分からないところです。
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イチオシ
では、ならまちの方に向かいましょう。興福寺の五重塔が意外な美しさを見せています。これはいい眺めですねえ。
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このいい眺めの場所にあるのが、和洋御菓子司とらやさん。
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構えは質素ですが、いかにも老舗といった雰囲気です。
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看板商品という「鶴子柿」(つるしがき)をいただきました。奈良の名物、柿のお菓子は、柿餡ですとおっしゃっていましたが、柿の実を練り込んだ餡子が特徴。柿がそんなに、自己主張しているわけではありませんが、餡子全体を落ち着かせている。適度な加減のところに好感を持ちました。
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奈良町情報館は、ならまちの入口と言った場所。ならまちは、道が細いし、地図があっても、分かりにくい。ここで場所を確認しておくのも無駄ではないと思います。レンタサイクルも取り扱っていますが、ならまちだけなら、そこまでの必要はないと思います。新薬師寺とか高畑あたりに行く人が使うのかもしれません。
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今度は春日庵。
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看板商品の「さつま焼き」をいただきました。これは、さつまいものような形をした焼き菓子。一個一個、串に刺して、焼くようです。小麦色に焼けた、テカテカの肌合いがけっこうきれい。香ばしいのと餡子の甘さがとても自然な感じ。見た目や名前と味も一致していて、素直なところが好印象です。
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さて、お昼の予約をしていたのは奈良町豆腐庵こんどうです。
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豆腐と言えば京都なのですが、奈良の豆腐はどうなんでしょう。
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2000円のコースなので、限界もあると思ったのですが、接客から、品数・内容、器に部屋の雰囲気まで、完璧に近いかも。豆腐の良さ・うまさをストレートに表現していると思います。
欲を言えば、半兵衛麩のようなサプライズがあればいいのでしょうが、それは始めからコンセプトが違うのだと思います。 -
イチオシ
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お昼を食べて落ち着いたところで、再び街歩き。
元興寺は、飛鳥にあった法興寺が平城京に移されたもの。今、普通に「元興寺」と呼んでいるのは、元興寺極楽坊。 -
小塔院跡は、当時は大伽藍だった元興寺南大門を入ると西にあったと言う小塔院の跡。宝徳3年(1451)の大火で焼けてしまいました。
中は何もないのですが、こうして空き地として残っていることで、往時を偲ぶ場所となっています。 -
砂糖傳の看板商品は、御門米飴。米飴というのは、米を麦芽で糖化した飴。平たく言うと、水あめのことだと思います。
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お店では、割りばしの先のちょこっと付けたのをいただきました。舐めると優しい味わいに、かすかに酸味もあるような。多分、これが自然のままの味なんでしょう。ただ、商品はほかにもいろいろ。金平糖の「奈良こんふぇいと」というのも面白いと思いました。
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ならまち格子の家は、無料の休憩所程度にしか思っていなかったのですが、行ってみると、町屋を保存したという建物は規模も大きいし、かなり本格的なもの。
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玄関からおくどさんのある台所まで続く土間も雰囲気があるし、二階の間も立派。きちんと見学するつもりで行くところだと思います。
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ならまちは、ちょっと路地の狭い混みいった場所なのですが、この御霊神社は、鳥居も大きいし、ゆったりした境内を持っています。桓武天皇が建立し、奈良町周辺70余町の氏神様。
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境内の松には、たくさんのおみくじが結んでありました。
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おくたは、相伝みたらしだんごの看板が目に入って寄ってみました。みたらしだんごは、二種類。甘口と辛口。一本が90円です。相伝は、一子相伝の相伝。たれの調合から何まで、御主人が一人でやっているんだそうで、三代目だか、四代目だか言ってました。
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さて、甘口をいただきましたが、醤油の辛さがしっかりしていて、確かにちょっと奥深い感じ。これは、何度か食べて追及してみたくなるような味わいでした。なお、店内には喫茶コーナーもありまして、何人かの客が入っていました。
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木村屋は、志賀直哉旧居に向かう途中。お店に入ると、見たこともないような鮮やかな色合いのお菓子。
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「生おかき」って書いてありまして、なんですかと思ったら、「これを家に持って帰って、焼いて食べてください」とのこと。そうすれば、確かに、焼き立てが食べられて、おいしいんでしょう。ただ、今すぐ食べることはできないので、今回は大福を買いました。口に入れるとお餅の部分が溶けるよう。もっちりしたのを想像していたので、ちょっと意表を突かれました。まあまあだと思います。
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瑜伽神社は、ならまちから高畑に向かう途中。高台にあって、きれいな赤い社殿が見えています。
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この神社は、もとは元興寺の鬼門除けの鎮守。飛鳥京にあったのですが、平城遷都と共に、ここに移ってきました。そのため、この辺りは、奈良の飛鳥といわれます。
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瑜伽神社の隣りが、奈良町天神社。
まず祀られたのは、少彦名命天神のようですが、平安時代になって、菅原道真の霊も祀る天満宮となったようです。 -
境内には、山の上なのに、けっこう大きな鏡池があって、雰囲気がありました。
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ついでに、鷺池へも。ここは、春日大社の御手洗川の水が流れ込んでできた池。ただ、浮見堂のある池と言った方が早いかも。浮見堂は、大正5年に建てられた檜皮葺きの六角形の堂ですが、これが鷺池の水面に映る姿は、まるで一幅の絵のようです。
季節がよくなれば、ボート遊びも楽しめるようです。 -
志賀直哉旧居に到着。
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志賀直哉が昭和4年から9年間住んだ住まいです。志賀直哉自らが設計したとされる和洋中折衷住宅は、当時、高畑サロンと言われ、武者小路実篤、谷崎潤一郎らが集ったといいます。
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敷地435坪、建物134坪の住まいは、「暗夜行路」を書いた書斎や
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イチオシ
奥にはいくつもの部屋があって、それぞれが広々としています。以前来たことはあったのですが、改めて、その贅沢さが実感されました。
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ささやきの小径は、志賀直哉旧居から春日神社二ノ鳥居までの山道。
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雨が降って薄暗い中を歩いたので、むしろちょっと不安で、馬酔木の原生林の風情どころではありませんでしたが、意外にすぐ到着。
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500mほどの道だそうですが、あっという間でした。確かに、山深い独特の雰囲気はあります。
奈良の街歩きはこれでおしまい。もうヘトヘトなので帰ることにします。 -
イチオシ
京都に帰ってきたのですが、少し元気回復。
せっかくなので途中下車して東山花灯路へ行ってみますか。
やっぱり石塀小路の灯りにはほっとします。京都はいいですねえ。 -
まずは圓徳院へ。ここは、豊臣秀吉の正室ねねゆかりの高台寺の塔頭。そして、ねねは、晩年をこの圓徳院で過ごしたと言われます。
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これは入口の庭。名勝庭園は、方丈を回ってこの奥です。
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これが有名な名勝庭園。伏見城から移築した庭で、多くの石組を配した豪快な枯山水です。
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以前見た時は、もう少し小さい印象でしたが、久しぶりに見ると、こんなに大きかったかなあと思うくらい。
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イチオシ
当然規模は違いますが、同じ安土桃山時代の名勝、醍醐寺三宝院庭園に雰囲気が似ていると思いました。京都市内でも、この豪快さは、なかなかありません。
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表に出ると、辺りはすっかり暗くなっています。
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石塀小路は、ねねの道、高台寺道と下河原通りを結ぶ道。大正時代に出来た小路のようで、入口にある「石塀小路」の街灯も、大正ロマン風で、とてもおしゃれです。
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イチオシ
ここは、夕暮れ以降、明かりが灯ってからが本領発揮。今回は、京都・東山花灯路で通りましたが、足元を照らす明かりとこれに浮かび上がる石畳の道に高い木の塀。
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最高の条件で、風情が楽しめました。
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今度はねねの道から
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清水寺方面に向かいます。
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高台寺から、清水寺に向かう参道は坂が多いのですが、有名なのが二年坂とこの三年坂 (産寧坂)。
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初めに通るのが二年坂で、三年坂はその先。二年坂は、竹久夢二が住んでいたというのが説明になるのに対して、三年坂ははて?
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そのシンボルは、明保野亭(あけぼのてい)なんですね。坂本竜馬などのゆかりの店です。
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明保野亭は、幕末に、志士達の会合がしばしば持たれた料亭だったようです。そういう事情もあり、明保野亭事件という事件も。新選組が、長州藩士と誤って、土佐藩士、麻田時太郎を槍で突いてしまいます。土佐藩は藩主山内容堂のもと公武合体を支持しており、会津藩との関係は良好だったため、会津・土佐の関係を壊さぬよう双方が切腹することになったという事件です。
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ほかに、坂本龍馬の定宿でもあったとか、いずれにしても話題が豊富な場所。ただ、当寺の場所は、今の場所とは少し違う場所だったようです。
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ここからは、八坂の塔を通って帰りましょう。
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イチオシ
この景色は、やっぱり京都を代表するもの。
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イチオシ
京都のちょっと都会らしい町並みとマッチして、
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ほかでは決して見れない美しさです。
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東山大通りに出てすぐ。大通り沿いにあるハンバーガーのお店です。市バスから外を眺めていたら、何となく活気がありそうな雰囲気だったので、寄ってみました。若いお兄ちゃんが一人でやっています。
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出てきた基本のスマイルバーガー950円は、パンが真っ白。ふんわり系。パテは、とても柔らか。肉汁なのか、玉ねぎの汁なのか分かりませんが、とてもジューシー。変に牛肉100%とかを前面に出さない。やっぱり、これは京都風というべきなんでしょう。
そして、何より全体が本当に大きくて、どこからどうやって食べたらいいか、迷ってしまいました。これは、かなりのいい線行ってるお店です。
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