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2012/09/10月 ウズベキスタン航空でウルゲンチへ飛び、ヒヴァへ&ヒヴァ観光<br />・ホテル(ムハンマド・アミン・ハン・メドレセ)とカルタ・ミナルの外観を眺める<br />・西門(オタ・ダルヴァザ門)で共通券を購入<br />・キョフナ・アルク(古い宮殿)(共通券)&テラス(別料金)からの眺望を楽しむ<br />・ムハンマド・ラヒム・ハン・メドレセと内部の小さな博物館(共通券)<br />・スザニセンター見学(無料)<br />・パフラヴァン・マフムド廟(別料金)<br />・イスラーム・ホジャ・メドレセ(共通券)&ミナレットに上る(別料金)<br />・ジュマ(金曜)・モスク(共通券)(ミナレットには上らず)<br />・アラクリ・ハン・メドレセで伝統舞踊ショーを見る(5ドル)<br />・タシュ・ハウリ宮殿(共通券で入れるはずだが閉館時間になっていたのでちょっとだけ)<br />・東門(パルヴァン・ダルヴァザ門)と城壁沿いの散策<br />・ドスト・アリムジャン・メドレセ(無料)<br />(ホテルに戻ったあと疲れてうたた寝してしまい、夕食スキップ)<br />【ヒヴァ泊:ホテル・オリエント・スター(Orient Star)】<br />※夜中の1時半~2時まで旧市街の夜景散策<br /><br />去年に引き続き今年までもフライトの遅延に泣かされそうになり、ひょっとして私は拒まれているのか、と被害妄想に陥りそうになったヒヴァ。<br />ついに訪れることができました。<br /><br />ヒヴァは、ウズベキスタンでは、サマルカンドやブハラ以上に人気のある都市といって過言ではないでしょう。<br />そのヒヴァ旧市街の第一印象は、思ったより静か。<br />まるで寝静まった町のようで、少なからず驚きました。<br />というのも、9月のウズベキスタンは観光ハイシーズン。<br />ブハラやサマルカンドのように、いやそれ以上に、観光客と土産屋でうじゃうじゃだと思っていたのです。<br /><br />歩き始めは心細さを感じました。<br />あまりに閑散としているので、観光見どころをちゃんと回れるだろうか、と変に心配してしまったのです。<br />もちろん、町そのものが博物館といえる世界遺産の旧市街です。<br />しかし、西門で共通券を買ったのだから、それで入れる見どころは逃したくないです。<br />有料のところはやはりそれだけのことはありますから。<br />ただ、旧市街にはこれといった道しるべはほとんどありません。<br />ガイドブックで見どころをチェックし、回り方を頭の中でだいたいシミュレーショしてあったけれど、観光客がぞろぞろいるだろうから、ついて行けば容易にたどり着くだろう───と、自分で探すのを少しはしょるつもりでいた自分に気付かされました(苦笑)。<br /><br />まず訪れたキョフナ・アルク(古い宮殿)はすぐに見つかりました。<br />とはいえ、ゲートをくぐっても、はてさて、この目の前の建物をどう見れば良いのか、どのような歴史とエピソードが秘められた場所なのか、ちゃんとガイドブックを予習したはずなのに、実物を前にしてきれいさっぱり忘れてしまいました(苦笑)。<br />基本は一人歩きが好きなのに、こういうときはガイドが欲しくなります。<br />写真を撮りたくなるような絵になるシーンは目白押しですが、表面的な観光しかできないなぁと思ってしまうのです。<br />でも、テラスからの眺めはステキでした。<br />ヒヴァの眺望はミナレットから、と思っていたので、私にとってちょっとしたサプライズでした。<br />追加料金3,000スムを払って上った甲斐がありました。<br />やっぱり観光客の興味を引き、感動を呼ぶところは、分かりやすく有料でした(苦笑)。<br /><br />テラスからの景色が楽しめたので、キョフナ・アルクは一人歩きにしては堪能できたといえるかも、と思ったのですが、あとで落ち着いて改めて「地球の歩き方」や旅行人のガイドブック「シルクロード」をひっくり返してみたら、もっと見どころがあったらしいのに、私はそれらを全然回れませんでした。<br />どこに何があるのか分からず、見どころの目印などなく、勝手に見てってちょうだい、というかんじなので、レプリカの王座があるところとテラスだけで見学を終わらせてしまったのです。<br />やはりガイドが欲しかった、などと現金なことを思ってしまいましたが、もし観光客がぞろぞろいれば、見どころを見逃さなかったろうと思います。<br />ハーレムはともかく、監獄博物館は確実に見損ねました。<br /><br />次に訪れたのは、キョフナ・アルクの向かいのムハンマド・ラヒム・ハン・メドレセです。<br />これは、スペインあたりの団体観光客がぞろぞろ入って行くので、共通券で入れる見どころだったと気付きました。<br />そうでなかったら、スルーしてしまうところでした。<br />ただし、スルーしていたら、旅行人のガイドブック「シルクロード」に、時間がなくとも見ておきたい場所として挙げられた4ヶ所───キョフナ・アルク、タシュ・ハウリ宮殿、ジュマ・モスク、パフラヴァン・マフムド廟のうち、タシュ・ハウリ宮殿は時間切れでほとんど見学できなかった、なんてことにならなかったかもしれません。<br /><br />つづく。<br /><br /><2012年中央アジア3カ国旅行:簡易旅程><br />9/09日 成田発~アシアナ航空でソウル仁川経由~タシケント到着<br />9/10月 ウズベキスタン航空でウルゲンチへ飛び、ヒヴァへ&ヒヴァ観光<br />9/11火 キジムクル沙漠のカラ回り★<br />9/12水 ウズベキスタン航空でキルギスの首都ビシュケクへ&ビシュケク市内観光<br />9/13木 途中でブラナの塔へ寄りながら、イシククル湖へ★<br />9/14金 野外岩絵博物館&チョン・アクスー渓谷トレッキング★<br />9/15土 イシククル湖からビシュケクへ戻る&ショッピング★<br />9/16日 ビシュケクからカザフスタンのアルマトイへ陸路国境越え★&アルマトイ市内観光<br />9/17月 チャリン・キャニオンへのエクスカーション★<br />9/18火 アルマトイ市内観光~夜23時10分アシアナ航空で出国<br />9/19水 ソウル仁川経由 朝11時10分成田着<br /> ★印は車とドライバーとガイドあるいは車とドライバーを旅行代理店経由でチャーターした日<br /><br />「ヒヴァは町そのものが博物館であるといわれる。これは誇張ではなく、伝統的なオアシス都市の景観が、文字通りそっくり保存(一部は再現)されているのだ。ヒヴァはもともとブハラなどに比べれば小さな町であり、16世紀にヒヴァ・ハーンの国の都が置かれた後も、現在のイチャン・カラ(内城)の内側に収まっていた。それが18世紀末にロシアとの交易が活発になると、状況は一変する。ハーンや有力者は流れ込んだ富で競ってモスクやマドラサ、宮殿を建設し、古いものには改修を加えた。その結果、イチャン・カラの狭い空間の中に大規模かつ壮麗な建築物が、処狭しと密集するようになったのだ。<br /> そのためか、ソ連時代には町の近代化はもっぱら新市街であるドゥシャン・カラの方で行われた。イチャン・カラの方は1967年に博物館都市に指定されるなど、積極的な保存措置がとられている。1990年、ユネスコの世界遺産に登録された。」<br />(「旅行人ノート シルクロード 中央ユーラシアの国々 [改訂版]」(2006年11月改訂)より)<br /><br />

2012年中央アジア旅行~ウズベキスタン・キルギス・カザフスタン~第2日目(1)ヒヴァ:ついにリベンジできたヒヴァはハイシーズンなのに思ったより閑散としていて~キョフナ・アルクでいにしえの城塞とヒヴァの眺望を楽しむ

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2012/09/10 - 2012/09/10

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8

49

まみ

まみさん

2012/09/10月 ウズベキスタン航空でウルゲンチへ飛び、ヒヴァへ&ヒヴァ観光
・ホテル(ムハンマド・アミン・ハン・メドレセ)とカルタ・ミナルの外観を眺める
・西門(オタ・ダルヴァザ門)で共通券を購入
・キョフナ・アルク(古い宮殿)(共通券)&テラス(別料金)からの眺望を楽しむ
・ムハンマド・ラヒム・ハン・メドレセと内部の小さな博物館(共通券)
・スザニセンター見学(無料)
・パフラヴァン・マフムド廟(別料金)
・イスラーム・ホジャ・メドレセ(共通券)&ミナレットに上る(別料金)
・ジュマ(金曜)・モスク(共通券)(ミナレットには上らず)
・アラクリ・ハン・メドレセで伝統舞踊ショーを見る(5ドル)
・タシュ・ハウリ宮殿(共通券で入れるはずだが閉館時間になっていたのでちょっとだけ)
・東門(パルヴァン・ダルヴァザ門)と城壁沿いの散策
・ドスト・アリムジャン・メドレセ(無料)
(ホテルに戻ったあと疲れてうたた寝してしまい、夕食スキップ)
【ヒヴァ泊:ホテル・オリエント・スター(Orient Star)】
※夜中の1時半~2時まで旧市街の夜景散策

去年に引き続き今年までもフライトの遅延に泣かされそうになり、ひょっとして私は拒まれているのか、と被害妄想に陥りそうになったヒヴァ。
ついに訪れることができました。

ヒヴァは、ウズベキスタンでは、サマルカンドやブハラ以上に人気のある都市といって過言ではないでしょう。
そのヒヴァ旧市街の第一印象は、思ったより静か。
まるで寝静まった町のようで、少なからず驚きました。
というのも、9月のウズベキスタンは観光ハイシーズン。
ブハラやサマルカンドのように、いやそれ以上に、観光客と土産屋でうじゃうじゃだと思っていたのです。

歩き始めは心細さを感じました。
あまりに閑散としているので、観光見どころをちゃんと回れるだろうか、と変に心配してしまったのです。
もちろん、町そのものが博物館といえる世界遺産の旧市街です。
しかし、西門で共通券を買ったのだから、それで入れる見どころは逃したくないです。
有料のところはやはりそれだけのことはありますから。
ただ、旧市街にはこれといった道しるべはほとんどありません。
ガイドブックで見どころをチェックし、回り方を頭の中でだいたいシミュレーショしてあったけれど、観光客がぞろぞろいるだろうから、ついて行けば容易にたどり着くだろう───と、自分で探すのを少しはしょるつもりでいた自分に気付かされました(苦笑)。

まず訪れたキョフナ・アルク(古い宮殿)はすぐに見つかりました。
とはいえ、ゲートをくぐっても、はてさて、この目の前の建物をどう見れば良いのか、どのような歴史とエピソードが秘められた場所なのか、ちゃんとガイドブックを予習したはずなのに、実物を前にしてきれいさっぱり忘れてしまいました(苦笑)。
基本は一人歩きが好きなのに、こういうときはガイドが欲しくなります。
写真を撮りたくなるような絵になるシーンは目白押しですが、表面的な観光しかできないなぁと思ってしまうのです。
でも、テラスからの眺めはステキでした。
ヒヴァの眺望はミナレットから、と思っていたので、私にとってちょっとしたサプライズでした。
追加料金3,000スムを払って上った甲斐がありました。
やっぱり観光客の興味を引き、感動を呼ぶところは、分かりやすく有料でした(苦笑)。

テラスからの景色が楽しめたので、キョフナ・アルクは一人歩きにしては堪能できたといえるかも、と思ったのですが、あとで落ち着いて改めて「地球の歩き方」や旅行人のガイドブック「シルクロード」をひっくり返してみたら、もっと見どころがあったらしいのに、私はそれらを全然回れませんでした。
どこに何があるのか分からず、見どころの目印などなく、勝手に見てってちょうだい、というかんじなので、レプリカの王座があるところとテラスだけで見学を終わらせてしまったのです。
やはりガイドが欲しかった、などと現金なことを思ってしまいましたが、もし観光客がぞろぞろいれば、見どころを見逃さなかったろうと思います。
ハーレムはともかく、監獄博物館は確実に見損ねました。

次に訪れたのは、キョフナ・アルクの向かいのムハンマド・ラヒム・ハン・メドレセです。
これは、スペインあたりの団体観光客がぞろぞろ入って行くので、共通券で入れる見どころだったと気付きました。
そうでなかったら、スルーしてしまうところでした。
ただし、スルーしていたら、旅行人のガイドブック「シルクロード」に、時間がなくとも見ておきたい場所として挙げられた4ヶ所───キョフナ・アルク、タシュ・ハウリ宮殿、ジュマ・モスク、パフラヴァン・マフムド廟のうち、タシュ・ハウリ宮殿は時間切れでほとんど見学できなかった、なんてことにならなかったかもしれません。

つづく。

<2012年中央アジア3カ国旅行:簡易旅程>
9/09日 成田発~アシアナ航空でソウル仁川経由~タシケント到着
9/10月 ウズベキスタン航空でウルゲンチへ飛び、ヒヴァへ&ヒヴァ観光
9/11火 キジムクル沙漠のカラ回り★
9/12水 ウズベキスタン航空でキルギスの首都ビシュケクへ&ビシュケク市内観光
9/13木 途中でブラナの塔へ寄りながら、イシククル湖へ★
9/14金 野外岩絵博物館&チョン・アクスー渓谷トレッキング★
9/15土 イシククル湖からビシュケクへ戻る&ショッピング★
9/16日 ビシュケクからカザフスタンのアルマトイへ陸路国境越え★&アルマトイ市内観光
9/17月 チャリン・キャニオンへのエクスカーション★
9/18火 アルマトイ市内観光~夜23時10分アシアナ航空で出国
9/19水 ソウル仁川経由 朝11時10分成田着
 ★印は車とドライバーとガイドあるいは車とドライバーを旅行代理店経由でチャーターした日

「ヒヴァは町そのものが博物館であるといわれる。これは誇張ではなく、伝統的なオアシス都市の景観が、文字通りそっくり保存(一部は再現)されているのだ。ヒヴァはもともとブハラなどに比べれば小さな町であり、16世紀にヒヴァ・ハーンの国の都が置かれた後も、現在のイチャン・カラ(内城)の内側に収まっていた。それが18世紀末にロシアとの交易が活発になると、状況は一変する。ハーンや有力者は流れ込んだ富で競ってモスクやマドラサ、宮殿を建設し、古いものには改修を加えた。その結果、イチャン・カラの狭い空間の中に大規模かつ壮麗な建築物が、処狭しと密集するようになったのだ。
 そのためか、ソ連時代には町の近代化はもっぱら新市街であるドゥシャン・カラの方で行われた。イチャン・カラの方は1967年に博物館都市に指定されるなど、積極的な保存措置がとられている。1990年、ユネスコの世界遺産に登録された。」
(「旅行人ノート シルクロード 中央ユーラシアの国々 [改訂版]」(2006年11月改訂)より)

同行者
一人旅
旅行の手配内容
個別手配

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  • イチャン・カラ(内城)のメインゲートともいえるオタ・ダルヴァザ門(西門)〜ここからタイムスリップの始まり<br /><br />思った以上にきれいで、おもちゃみたいな印象もありました(苦笑)。<br />この門の前には駐車場があるのですが、ウルゲンチ空港からタクシーを飛ばして到着したときは、「地球の歩き方」の記述が念頭にあったので、なぁんだ、意外に空いているじゃない、と思いました。<br />もっともこの日、タシケントから飛行機でウルゲンチに到着した観光客は、私を含め、数えるほどしかいませんでした。<br />添乗員付きの団体ツアーでも、専用バスで陸路をとることもあるかもしれませんが、たいてい日程の都合から、ヒヴァに行くときくらいはフライトを利用する方が多いだろうと思います。<br />それでも本日のフライト客はあんなものだったので、本日のヒヴァがさほど混んでいなかったのも、ある意味当然だったかもしれません。<br /><br />「イチャン・カラの門 オタ・ダルヴァザ門(西門)<br /> 観光バスが発着し、ヒヴァの正門のようになっている。<br /> 1920年に革命後の混乱で壊されたが、1975年に修復された。門は2基のミナレットのような塔で作られており、門をくぐる城壁内にチケット売り場やガイドの詰め所がある。(後略)」<br />(「地球の歩き方 中央アジア サマルカンドとシルクロードの国々(2011〜2012年版)」より)<br /><br />「アタ門(アタ・ダルヴァザ)<br /> 西門にあたり、1920年にヒヴァが赤軍によって開放された後、車道を通すために一旦取り壊されたが、1970年に再建された。」<br />(「旅行人ノート シルクロード 中央ユーラシアの国々 [改訂版]」(2006年11月改訂)より)<br /><br />ちなみに、カタカナ表記は私が主に参考にした2つの日本語のガイドブックの間で食い違いがありましたので、「地球の歩き方」の方を採用しています。<br />「旅行人ノート シルクロード」の方が実際の発音に近いカタカナ表記なのかな、と思わなくもないですが。<br />

    イチャン・カラ(内城)のメインゲートともいえるオタ・ダルヴァザ門(西門)〜ここからタイムスリップの始まり

    思った以上にきれいで、おもちゃみたいな印象もありました(苦笑)。
    この門の前には駐車場があるのですが、ウルゲンチ空港からタクシーを飛ばして到着したときは、「地球の歩き方」の記述が念頭にあったので、なぁんだ、意外に空いているじゃない、と思いました。
    もっともこの日、タシケントから飛行機でウルゲンチに到着した観光客は、私を含め、数えるほどしかいませんでした。
    添乗員付きの団体ツアーでも、専用バスで陸路をとることもあるかもしれませんが、たいてい日程の都合から、ヒヴァに行くときくらいはフライトを利用する方が多いだろうと思います。
    それでも本日のフライト客はあんなものだったので、本日のヒヴァがさほど混んでいなかったのも、ある意味当然だったかもしれません。

    「イチャン・カラの門 オタ・ダルヴァザ門(西門)
     観光バスが発着し、ヒヴァの正門のようになっている。
     1920年に革命後の混乱で壊されたが、1975年に修復された。門は2基のミナレットのような塔で作られており、門をくぐる城壁内にチケット売り場やガイドの詰め所がある。(後略)」
    (「地球の歩き方 中央アジア サマルカンドとシルクロードの国々(2011〜2012年版)」より)

    「アタ門(アタ・ダルヴァザ)
     西門にあたり、1920年にヒヴァが赤軍によって開放された後、車道を通すために一旦取り壊されたが、1970年に再建された。」
    (「旅行人ノート シルクロード 中央ユーラシアの国々 [改訂版]」(2006年11月改訂)より)

    ちなみに、カタカナ表記は私が主に参考にした2つの日本語のガイドブックの間で食い違いがありましたので、「地球の歩き方」の方を採用しています。
    「旅行人ノート シルクロード」の方が実際の発音に近いカタカナ表記なのかな、と思わなくもないですが。

  • 門をくぐると<br /><br />真っ先に、未完のカルタ・ミナルが目に飛び込んできました。<br /><br />その右手にあるメドレセは、現在ホテルとなっている私の滞在ホテルであるオリエント・スターです。<br />メドレセ名は、ムハンマド・アミン・ハン・メドレセです。<br />このホテルの感想と写真は、ハイライト旅行記にまとめました。<br />「2012年中央アジア旅行〜ウズベキスタン・キルギス・カザフスタン〜ハイライトその1:ホテルと朝食編<タシケントのグランド・ラデュス・ホテルとヒヴァのオリエント・スター・ホテル>」<br />http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10713867/<br />

    門をくぐると

    真っ先に、未完のカルタ・ミナルが目に飛び込んできました。

    その右手にあるメドレセは、現在ホテルとなっている私の滞在ホテルであるオリエント・スターです。
    メドレセ名は、ムハンマド・アミン・ハン・メドレセです。
    このホテルの感想と写真は、ハイライト旅行記にまとめました。
    「2012年中央アジア旅行〜ウズベキスタン・キルギス・カザフスタン〜ハイライトその1:ホテルと朝食編<タシケントのグランド・ラデュス・ホテルとヒヴァのオリエント・スター・ホテル>」
    http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10713867/

  • 西門を入ってすぐのところに旧市街の絵地図あり

    西門を入ってすぐのところに旧市街の絵地図あり

  • 記念に絵地図の写真も撮っておく<br /><br />メドレセやモスクやミナレットが水色になっていました。<br />現在位置の西門は下の方の黒く塗りつぶされたところです。<br />

    記念に絵地図の写真も撮っておく

    メドレセやモスクやミナレットが水色になっていました。
    現在位置の西門は下の方の黒く塗りつぶされたところです。

  • パフラヴァン・マフムド通りとカルタ・ミナル<br /><br />旧市街のメイン・ストリートともいえます。<br />このあたりはもっと観光客でうじゃうじゃなのかと思っていたのですが、思ったより閑散としていました。<br />旧市街の雰囲気を壊さないからその方がいいんですけど、はじめは落ち着きませんでした(苦笑)。<br /><br />「カルタ・ミナール<br /> 当初は中央アジアで最も高いミナレットを目指して建築が始められたが、1855年にハーンが遠征中に戦死したため、26mの高さで中止された。色付きタイルをふんだんに使った外側の装飾は、この時代特有のもの。」<br />(「旅行人ノート シルクロード 中央ユーラシアの国々 [改訂版]」(2006年11月改訂)より)<br />

    パフラヴァン・マフムド通りとカルタ・ミナル

    旧市街のメイン・ストリートともいえます。
    このあたりはもっと観光客でうじゃうじゃなのかと思っていたのですが、思ったより閑散としていました。
    旧市街の雰囲気を壊さないからその方がいいんですけど、はじめは落ち着きませんでした(苦笑)。

    「カルタ・ミナール
     当初は中央アジアで最も高いミナレットを目指して建築が始められたが、1855年にハーンが遠征中に戦死したため、26mの高さで中止された。色付きタイルをふんだんに使った外側の装飾は、この時代特有のもの。」
    (「旅行人ノート シルクロード 中央ユーラシアの国々 [改訂版]」(2006年11月改訂)より)

  • 存在感のあるカルタ・ミナル<br /><br />「未完成の大ミナレット カルタ・ミナル<br /> 西門を入ってすぐにの所に建つ、青の彩釉タイル模様で覆われた美しい未完成のミナレット。1852年に着工。<br /> 未完成であったためにさまざまな伝説が残っている。ムハンマド・アミン・ハンが109mの高くて立派なミナレットを建て、頂上から400km離れたブハラの町を見張ろうと考えていることを知ったブハラのハンが、塔の職人を買収して工事を止めさせたので、怒ったハンが職人を殺したという。だが実際は、ハンが1855年にペルシャとの戦いで死んだために中断されたらしい。<br /> 事実、基礎部の直径14.2mあるので、70mから80mの高さになっただろうが、26mで中断されたままである。ちなみに、カルタは“短い”という意味である。」<br />(「地球の歩き方 中央アジア サマルカンドとシルクロードの国々(2011〜2012年版)」より)<br />

    存在感のあるカルタ・ミナル

    「未完成の大ミナレット カルタ・ミナル
     西門を入ってすぐにの所に建つ、青の彩釉タイル模様で覆われた美しい未完成のミナレット。1852年に着工。
     未完成であったためにさまざまな伝説が残っている。ムハンマド・アミン・ハンが109mの高くて立派なミナレットを建て、頂上から400km離れたブハラの町を見張ろうと考えていることを知ったブハラのハンが、塔の職人を買収して工事を止めさせたので、怒ったハンが職人を殺したという。だが実際は、ハンが1855年にペルシャとの戦いで死んだために中断されたらしい。
     事実、基礎部の直径14.2mあるので、70mから80mの高さになっただろうが、26mで中断されたままである。ちなみに、カルタは“短い”という意味である。」
    (「地球の歩き方 中央アジア サマルカンドとシルクロードの国々(2011〜2012年版)」より)

  • キョフナ・アルク(古い宮殿)の門<br /><br />両方の塔の青タイルの部分が可愛らしい門です。<br />ホテルにチェックインして落ち着いた後、いったん西門まで少し戻って共通券を買い、まずは1番近いここを観光することにしました。<br />共通券は、2012年9月現在25,000ウズベキスタン・スム(約1,000円)でした。2日間有効。<br />(2012年9月現在、1,000ウズベキスタン・スム(UZS)=約40円で換算)<br /><br />「牢獄や造幣所もあったキョフナ・アルク<br /> 17世紀に建てられた“古い宮殿”という意味のハンの宮殿で、タシュ・ハウリ宮殿(新宮殿)ができてから区別するためにこう呼ばれている。<br /> 城壁で囲まれており、この中にハンたちによって建てられた執務のための公邸、くつろぎの間、モスク、ハーレムがあり、兵器庫、火薬工場、造幣所もあった。この造幣所では絹のお札が作られたときもあったという。<br /> 1838年にアラクリ・ハンの命令で建てられた夏のモスクは造幣所のあった中庭にあり、青、緑、白の七宝タイルの細かい模様で装飾され、多くの柱で支えられている。(後略)」<br />(「地球の歩き方 中央アジア サマルカンドとシルクロードの国々(2011〜2012年版)」より)<br /><br />

    キョフナ・アルク(古い宮殿)の門

    両方の塔の青タイルの部分が可愛らしい門です。
    ホテルにチェックインして落ち着いた後、いったん西門まで少し戻って共通券を買い、まずは1番近いここを観光することにしました。
    共通券は、2012年9月現在25,000ウズベキスタン・スム(約1,000円)でした。2日間有効。
    (2012年9月現在、1,000ウズベキスタン・スム(UZS)=約40円で換算)

    「牢獄や造幣所もあったキョフナ・アルク
     17世紀に建てられた“古い宮殿”という意味のハンの宮殿で、タシュ・ハウリ宮殿(新宮殿)ができてから区別するためにこう呼ばれている。
     城壁で囲まれており、この中にハンたちによって建てられた執務のための公邸、くつろぎの間、モスク、ハーレムがあり、兵器庫、火薬工場、造幣所もあった。この造幣所では絹のお札が作られたときもあったという。
     1838年にアラクリ・ハンの命令で建てられた夏のモスクは造幣所のあった中庭にあり、青、緑、白の七宝タイルの細かい模様で装飾され、多くの柱で支えられている。(後略)」
    (「地球の歩き方 中央アジア サマルカンドとシルクロードの国々(2011〜2012年版)」より)

  • 美しい装飾が刻まれたキョフナ・アルクの木の扉<br /><br />「キョフネ・アルク<br /> 古い城塞(内城)という意味。新宮殿であるタシュ・ハウリ完成後、それと区別する意味でこう呼ばれるようになった。本来ここも他の都市と同じようなアルク(宝物庫、緊急時の住民の避難所)としての役割を果たしていたが、17世紀頃からハーンの住居となり、同時に行政府として代々のハーンにより拡充されていった。現在のものはほとんど19世紀に修復あるいは改築されたもの。<br /> アタ門を入った左側にあり、入口は東側。入り口近くのズィンダンは牢獄の跡で、昔ヒヴァで罪人に行われた刑罰を再現した人形や、責め具が展示されている。(後略)」<br />(「旅行人ノート シルクロード 中央ユーラシアの国々 [改訂版]」(2006年11月改訂)より)<br /><br />入口近くのズィンダンこと牢獄博物館には気付きませんでした。<br />目印はなかったぞ〜。<br />

    美しい装飾が刻まれたキョフナ・アルクの木の扉

    「キョフネ・アルク
     古い城塞(内城)という意味。新宮殿であるタシュ・ハウリ完成後、それと区別する意味でこう呼ばれるようになった。本来ここも他の都市と同じようなアルク(宝物庫、緊急時の住民の避難所)としての役割を果たしていたが、17世紀頃からハーンの住居となり、同時に行政府として代々のハーンにより拡充されていった。現在のものはほとんど19世紀に修復あるいは改築されたもの。
     アタ門を入った左側にあり、入口は東側。入り口近くのズィンダンは牢獄の跡で、昔ヒヴァで罪人に行われた刑罰を再現した人形や、責め具が展示されている。(後略)」
    (「旅行人ノート シルクロード 中央ユーラシアの国々 [改訂版]」(2006年11月改訂)より)

    入口近くのズィンダンこと牢獄博物館には気付きませんでした。
    目印はなかったぞ〜。

  • 扉の美しい浮彫模様に注目

    扉の美しい浮彫模様に注目

  • 入ってきたゲートを内側から見たところ<br /><br />井戸のそばには、まだ真新しい桶がありました。<br />とすると、この井戸はまだまだ現役なのかしら。<br /><br />ここはこれといった目につくものがない広々とした空間でしたので、写真映えしそうになく、ぐるっと見回した写真を撮りませんでしたが、兵士のパレードや罪人の処刑が行われたところというのはこのあたりだったろうと思います。<br /><br />「(前略)また、入口側の広場では兵士のパレードや罪人の処刑を行ったりした。城壁に沿って監獄が建て増しされたりした。現在、入口付近にはズィンダン(監獄)博物館があり、監獄の様子を再現した人形や、当時の処刑方法が描かれた絵が展示されている。(後略)」<br />(「地球の歩き方 中央アジア サマルカンドとシルクロードの国々(2011〜2012年版)」より)<br />

    入ってきたゲートを内側から見たところ

    井戸のそばには、まだ真新しい桶がありました。
    とすると、この井戸はまだまだ現役なのかしら。

    ここはこれといった目につくものがない広々とした空間でしたので、写真映えしそうになく、ぐるっと見回した写真を撮りませんでしたが、兵士のパレードや罪人の処刑が行われたところというのはこのあたりだったろうと思います。

    「(前略)また、入口側の広場では兵士のパレードや罪人の処刑を行ったりした。城壁に沿って監獄が建て増しされたりした。現在、入口付近にはズィンダン(監獄)博物館があり、監獄の様子を再現した人形や、当時の処刑方法が描かれた絵が展示されている。(後略)」
    (「地球の歩き方 中央アジア サマルカンドとシルクロードの国々(2011〜2012年版)」より)

  • キョフナ・アルクの一番華やかな一角〜公的な謁見の場のキルニシュハナ<br /><br />おみやげの商品がちょっと並べられてあって、お茶目。<br />もちろん、すぐそばに店番のおばさんがいましたが、私が写真を撮ろうとしているのを見ると、ファインダーの中に入らないように移動してくれました。<br />一緒に写っても良かったんですけどネ。<br /><br />「(前略)キルニッシュハナは公的な謁見の場で、ハーンの玉座の間と大きなユルト用の土台があり、ここで臣下や外国の使節を謁見した。また、ここはハーンによる即決裁判の場としても使われ、右の扉から出るよう命ぜられれば死刑、左は無罪、真ん中は牢獄行きと判決ごとに出口が決まっていた。造幣所は文字通り貨幣を鋳造していた場所で、現在は貨幣が展示してある。夏のモスクはその隣の宮廷に住む人々のためのモスク。(後略)<br />(「旅行人ノート シルクロード 中央ユーラシアの国々 [改訂版]」(2006年11月改訂)より)<br /><br />おそらく兵士が、右の扉から出たら処刑台につれていき、真ん中の扉から出て来たら牢獄に連れて行くために、罪人がどこから出てくるのかな、と待ち構えていたのでしょう。<br />

    キョフナ・アルクの一番華やかな一角〜公的な謁見の場のキルニシュハナ

    おみやげの商品がちょっと並べられてあって、お茶目。
    もちろん、すぐそばに店番のおばさんがいましたが、私が写真を撮ろうとしているのを見ると、ファインダーの中に入らないように移動してくれました。
    一緒に写っても良かったんですけどネ。

    「(前略)キルニッシュハナは公的な謁見の場で、ハーンの玉座の間と大きなユルト用の土台があり、ここで臣下や外国の使節を謁見した。また、ここはハーンによる即決裁判の場としても使われ、右の扉から出るよう命ぜられれば死刑、左は無罪、真ん中は牢獄行きと判決ごとに出口が決まっていた。造幣所は文字通り貨幣を鋳造していた場所で、現在は貨幣が展示してある。夏のモスクはその隣の宮廷に住む人々のためのモスク。(後略)
    (「旅行人ノート シルクロード 中央ユーラシアの国々 [改訂版]」(2006年11月改訂)より)

    おそらく兵士が、右の扉から出たら処刑台につれていき、真ん中の扉から出て来たら牢獄に連れて行くために、罪人がどこから出てくるのかな、と待ち構えていたのでしょう。

  • アイヴァン(浮彫彫刻で装飾された木柱)と青タイルの壁と天井<br /><br />「(前略)クリヌッシュ・ハンのアイヴァンは、最初17世紀に建てられたがペルシャに破壊され、現在のものは19世紀始めに建てられたものである。2本の高い柱のあるテラスで、壁面は七宝タイルで覆われ、天井は赤、黄、緑、黒などカラフルな模様で飾られた王座の間になっている。中庭には、お客が来たときにユルタ(移動式住居)を建てる円い土台が設けられている。(後略)」<br />(「地球の歩き方 中央アジア サマルカンドとシルクロードの国々(2011〜2012年版)」より)<br />

    アイヴァン(浮彫彫刻で装飾された木柱)と青タイルの壁と天井

    「(前略)クリヌッシュ・ハンのアイヴァンは、最初17世紀に建てられたがペルシャに破壊され、現在のものは19世紀始めに建てられたものである。2本の高い柱のあるテラスで、壁面は七宝タイルで覆われ、天井は赤、黄、緑、黒などカラフルな模様で飾られた王座の間になっている。中庭には、お客が来たときにユルタ(移動式住居)を建てる円い土台が設けられている。(後略)」
    (「地球の歩き方 中央アジア サマルカンドとシルクロードの国々(2011〜2012年版)」より)

  • テラスの麗しの天井

    テラスの麗しの天井

  • 王座のある謁見の間<br /><br />王座はレプリカだと思いますが、これがあるおかげで城の往時の雰囲気の一端を想像しやすくなりました。<br />天井も美しいです。<br />ここで来賓がハーンと謁見したり、あるいはこの前に罪人がひったてられ、ひれ伏し、ハーンの判決を待ったのでしょう。<br />

    王座のある謁見の間

    王座はレプリカだと思いますが、これがあるおかげで城の往時の雰囲気の一端を想像しやすくなりました。
    天井も美しいです。
    ここで来賓がハーンと謁見したり、あるいはこの前に罪人がひったてられ、ひれ伏し、ハーンの判決を待ったのでしょう。

  • 王座の向かい<br /><br />この鐘のような形のくぼみの装飾はウズベキスタンでよく見かけました。<br />

    王座の向かい

    この鐘のような形のくぼみの装飾はウズベキスタンでよく見かけました。

  • 王座のあったテラスが面した中庭<br /><br />真ん中は一段高くなっていました。あれが来客用のテント(ユルト)の土台だったのでしょう。<br />でも、日向と日影のコントラストが強すぎて、その土台は日影で写真では真っ暗にしか撮れなかったので、このアングルで妥協。<br />土台は撮らず。<br />

    王座のあったテラスが面した中庭

    真ん中は一段高くなっていました。あれが来客用のテント(ユルト)の土台だったのでしょう。
    でも、日向と日影のコントラストが強すぎて、その土台は日影で写真では真っ暗にしか撮れなかったので、このアングルで妥協。
    土台は撮らず。

  • 隣の一角に向かうゲート<br /><br />あそこから宮殿の係員の女性が誘ってくれなかったら、スルーしてしまったかもしれません。<br />テラスといわれても、2〜3階から眺める程度でたいしたことはなかろうと思っていましたが……。<br />

    隣の一角に向かうゲート

    あそこから宮殿の係員の女性が誘ってくれなかったら、スルーしてしまったかもしれません。
    テラスといわれても、2〜3階から眺める程度でたいしたことはなかろうと思っていましたが……。

  • 3,000スム(約120円)の追加料金を払ってテラスに上り始める<br /><br />2012年9月現在、1,000ウズベキスタン・スム(UZS)は約40円で換算。<br />はじめはさほど上りにくい階段ではありませんでしたが。<br />

    3,000スム(約120円)の追加料金を払ってテラスに上り始める

    2012年9月現在、1,000ウズベキスタン・スム(UZS)は約40円で換算。
    はじめはさほど上りにくい階段ではありませんでしたが。

  • 途中からミナレットの階段みたいに上りづらくなり<br /><br />ここで私は、なんと、自分の太ももがすでに筋肉痛になっていることに気付き、愕然!!<br />なぜ? 昨日や一昨日、足が筋肉痛になるようなことは、なんにもやっていないのに。<br />昨日、成田から出国してタシケントに到着したので、まだ旅は始まったばかりなのです。<br />

    途中からミナレットの階段みたいに上りづらくなり

    ここで私は、なんと、自分の太ももがすでに筋肉痛になっていることに気付き、愕然!!
    なぜ? 昨日や一昨日、足が筋肉痛になるようなことは、なんにもやっていないのに。
    昨日、成田から出国してタシケントに到着したので、まだ旅は始まったばかりなのです。

  • 最初の階段の終わりのアーチの向こうには

    最初の階段の終わりのアーチの向こうには

  • 城壁とその穴<br /><br />城壁の材料に使われた麦藁が見えそうなところに風情を感じて@<br />ここから外の敵に向かって銃を構えたのでしょう。<br />いや、それには小さすぎるかな。<br />穴から旧市街(イチャン・カラ)の外が見えました。<br />

    城壁とその穴

    城壁の材料に使われた麦藁が見えそうなところに風情を感じて@
    ここから外の敵に向かって銃を構えたのでしょう。
    いや、それには小さすぎるかな。
    穴から旧市街(イチャン・カラ)の外が見えました。

  • 隣のムハンマド・ハン・メドレセを見下ろす<br /><br />青緑の可愛い双子のタイル装飾の塔はここキョフナ・アルクのゲートで、右奥に見えるミナレット(塔)は、ヒヴァで1番高いイスラーム・ホジャ・メドレセのミナレットです。<br />手前の丸い囲みは、キョフナ・アルクのもので、かつてはここに見張りが立っていたのかもしれません。<br />

    隣のムハンマド・ハン・メドレセを見下ろす

    青緑の可愛い双子のタイル装飾の塔はここキョフナ・アルクのゲートで、右奥に見えるミナレット(塔)は、ヒヴァで1番高いイスラーム・ホジャ・メドレセのミナレットです。
    手前の丸い囲みは、キョフナ・アルクのもので、かつてはここに見張りが立っていたのかもしれません。

  • ぎざぎざ城壁とそこからの見晴らし

    ぎざぎざ城壁とそこからの見晴らし

  • 波打つ城壁<br /><br />「城壁<br /> 遊牧民の襲来が頻繁にあったこの地域では不可欠で、現在残っているのは18世紀のもの。高さ約10m、周囲2.2kmにわたって、イチャン・カラを囲み、30m毎に見張り台がある。材質は大部分が日干しレンガ、門と望楼の部分のみ焼きレンガが使われている。かつては外側の堀に水が満たされていた。」<br />(「旅行人ノート シルクロード 中央ユーラシアの国々 [改訂版]」(2006年11月改訂)より)<br />

    波打つ城壁

    「城壁
     遊牧民の襲来が頻繁にあったこの地域では不可欠で、現在残っているのは18世紀のもの。高さ約10m、周囲2.2kmにわたって、イチャン・カラを囲み、30m毎に見張り台がある。材質は大部分が日干しレンガ、門と望楼の部分のみ焼きレンガが使われている。かつては外側の堀に水が満たされていた。」
    (「旅行人ノート シルクロード 中央ユーラシアの国々 [改訂版]」(2006年11月改訂)より)

  • テラス(アク・シャイフ・ババの高台)の後ろ姿<br /><br />あそこに上れることに気付きました。<br />追加料金を徴収した女性係員は「テラス」と言ってましたものね。<br /><br />「(前略)また、北の隅の方には一際高いアク・シャイフ・ババの高台があるが、これはヒヴァでは最も古い建物だ。14世紀に高名なスーフィー、シャイフ・ムスタル・ヴァリが隠棲していたといわれていて、ハーン国の時期には時計台として使われていた。ここからイチャン・カラ全体が見渡せるが、通しチケットとは別料金で1,000Us(※2012年現在は3,000ウズベキスタン・スム)。旅行シーズン中は、日の出や日没時間も開けている。」<br />(「旅行人ノート シルクロード 中央ユーラシアの国々 [改訂版]」(2006年11月改訂)より)<br />

    テラス(アク・シャイフ・ババの高台)の後ろ姿

    あそこに上れることに気付きました。
    追加料金を徴収した女性係員は「テラス」と言ってましたものね。

    「(前略)また、北の隅の方には一際高いアク・シャイフ・ババの高台があるが、これはヒヴァでは最も古い建物だ。14世紀に高名なスーフィー、シャイフ・ムスタル・ヴァリが隠棲していたといわれていて、ハーン国の時期には時計台として使われていた。ここからイチャン・カラ全体が見渡せるが、通しチケットとは別料金で1,000Us(※2012年現在は3,000ウズベキスタン・スム)。旅行シーズン中は、日の出や日没時間も開けている。」
    (「旅行人ノート シルクロード 中央ユーラシアの国々 [改訂版]」(2006年11月改訂)より)

  • ぐらつく木の階段を上ってテラスへ

    ぐらつく木の階段を上ってテラスへ

  • テラスからの見晴らし<br /><br />これは確かに必見だと思いました。<br />アングル的には、ヒヴァで1番高いイスラーム・ホジャ・メドレセのミナレットからの見晴らしよりも、こちらの方が気に入りました。<br />「地球の歩き方」にも旧市街(イチャン・カラ)の全景を見渡すにはここがいいと書かれてありました。<br />

    テラスからの見晴らし

    これは確かに必見だと思いました。
    アングル的には、ヒヴァで1番高いイスラーム・ホジャ・メドレセのミナレットからの見晴らしよりも、こちらの方が気に入りました。
    「地球の歩き方」にも旧市街(イチャン・カラ)の全景を見渡すにはここがいいと書かれてありました。

  • テラスの横の窓からオリエント・スター・ホテル(ハンマド・アミン・ハン・メドレセ)のミナレットと波打つ城壁が見える

    テラスの横の窓からオリエント・スター・ホテル(ハンマド・アミン・ハン・メドレセ)のミナレットと波打つ城壁が見える

  • 見張り塔と思われる円形部分

    見張り塔と思われる円形部分

  • テラスの横の窓から、イチャン・カラの外のマリカ・ヒヴァ・ホテルの隣のミナレットが見える

    テラスの横の窓から、イチャン・カラの外のマリカ・ヒヴァ・ホテルの隣のミナレットが見える

  • テラスから下りる途中のアングル

    テラスから下りる途中のアングル

  • 釜が3つとウズベキスタン土産

    釜が3つとウズベキスタン土産

  • 奥の中庭へ<br /><br />「(前略)内部の配置はホラズムの一般的な住居と同様、いくつかの中庭の周囲を部屋が囲む形を取っており、中庭ごとに役割が決まっていた。ハーンの私的な場であるハラムは、中庭を挟み北側に側室と召使いの間が、南側にはハーンと4人の正妻の間である5つの部屋が並んでいるが、一際装飾が目立つのがハーンの間だ。(後略)」<br />(「旅行人ノート シルクロード 中央ユーラシアの国々 [改訂版]」(2006年11月改訂)より)<br />

    奥の中庭へ

    「(前略)内部の配置はホラズムの一般的な住居と同様、いくつかの中庭の周囲を部屋が囲む形を取っており、中庭ごとに役割が決まっていた。ハーンの私的な場であるハラムは、中庭を挟み北側に側室と召使いの間が、南側にはハーンと4人の正妻の間である5つの部屋が並んでいるが、一際装飾が目立つのがハーンの間だ。(後略)」
    (「旅行人ノート シルクロード 中央ユーラシアの国々 [改訂版]」(2006年11月改訂)より)

  • 中庭を見下ろすテラス<br /><br />いまにして思えば、ひょっとしたらこれがハーレムの建物だったのかも。<br />よく分からず、中庭からこうやって建物を見上げただけで見学を終わりにしてまいましたが、ひょっとしたら中に入れたのかも。<br /><br />「(前略)現存するハーレムは19世紀に建て直されたもので、宮殿の北側にある。中庭は62×32.6mで、南側はハンの妻の部屋、北側が妾や召使の部屋になっていた。(後略)」<br />(「地球の歩き方 中央アジア サマルカンドとシルクロードの国々(2011〜2012年版)」より)<br />

    中庭を見下ろすテラス

    いまにして思えば、ひょっとしたらこれがハーレムの建物だったのかも。
    よく分からず、中庭からこうやって建物を見上げただけで見学を終わりにしてまいましたが、ひょっとしたら中に入れたのかも。

    「(前略)現存するハーレムは19世紀に建て直されたもので、宮殿の北側にある。中庭は62×32.6mで、南側はハンの妻の部屋、北側が妾や召使の部屋になっていた。(後略)」
    (「地球の歩き方 中央アジア サマルカンドとシルクロードの国々(2011〜2012年版)」より)

  • 外にも釜のようなものが<br /><br />キョフナ・アルクを出た後です。<br />ムハンマド・ラヒム・ハン・メドレセが向かい合って建つ広場にありました。<br />

    外にも釜のようなものが

    キョフナ・アルクを出た後です。
    ムハンマド・ラヒム・ハン・メドレセが向かい合って建つ広場にありました。

  • ムハンマド・ラヒム・ハン・メドレセ<br /><br />はじめは外観を眺めただけでスルーしようと思ったのですが、スペイン人らしき団体観光客がぞろぞろ入って行くので、私もついて行ってしまいました。<br />ゲートを入ってしまうと撮影距離がとれず、18mmの広角ズームレンズでもこれがせいいっぱいでした。<br /><br />「ムハンマド・ラヒーム・ハーンのマドラサ<br /> 1871年に建設されたマドラサ。このハーンは、政治的な力量はともかくとして、フェルーズの筆名で多くの詩を残し、またグランドピアノを宮廷に持ち込むなどヨーロッパ文明に対しても柔軟な態度を示した。現在、建物は博物館になっていて、詩集の写本や武器、当時の写真、ハーン国の国旗などが展示されている。」<br />(「旅行人ノート シルクロード 中央ユーラシアの国々 [改訂版]」(2006年11月改訂)より)<br />

    ムハンマド・ラヒム・ハン・メドレセ

    はじめは外観を眺めただけでスルーしようと思ったのですが、スペイン人らしき団体観光客がぞろぞろ入って行くので、私もついて行ってしまいました。
    ゲートを入ってしまうと撮影距離がとれず、18mmの広角ズームレンズでもこれがせいいっぱいでした。

    「ムハンマド・ラヒーム・ハーンのマドラサ
     1871年に建設されたマドラサ。このハーンは、政治的な力量はともかくとして、フェルーズの筆名で多くの詩を残し、またグランドピアノを宮廷に持ち込むなどヨーロッパ文明に対しても柔軟な態度を示した。現在、建物は博物館になっていて、詩集の写本や武器、当時の写真、ハーン国の国旗などが展示されている。」
    (「旅行人ノート シルクロード 中央ユーラシアの国々 [改訂版]」(2006年11月改訂)より)

  • 青タイル装飾とテラスが美しいファサード

    青タイル装飾とテラスが美しいファサード

  • ミナレットとフッジャ(学生の部屋)

    ミナレットとフッジャ(学生の部屋)

  • 木造テラスと美しいひょうたん装飾を見上げて<br /><br />ひょうたんより、ペイズリー柄と言うべきかな。<br />ここは西門で買った共通券で入れました。<br />

    木造テラスと美しいひょうたん装飾を見上げて

    ひょうたんより、ペイズリー柄と言うべきかな。
    ここは西門で買った共通券で入れました。

  • 博物館の展示の写真の写真<br /><br />麦……というか、干し草マーケットでしょうか。<br />なかなか圧倒的な光景だったので、記憶にとどめたくて写真の写真を撮ってしまいました。<br />

    博物館の展示の写真の写真

    麦……というか、干し草マーケットでしょうか。
    なかなか圧倒的な光景だったので、記憶にとどめたくて写真の写真を撮ってしまいました。

  • その名をこのメドレセに残したムハンマド・ラヒム・ハンその人の写真<br /><br />「政治的な力量はともかくとして、フェルーズの筆名で多くの詩を残し、またグランドピアノを宮廷に持ち込むなどヨーロッパ文明に対しても柔軟な態度を示した」(「旅行人ノート シルクロード 中央ユーラシアの国々 [改訂版]」(2006年11月改訂)より)というハンです。<br />

    その名をこのメドレセに残したムハンマド・ラヒム・ハンその人の写真

    「政治的な力量はともかくとして、フェルーズの筆名で多くの詩を残し、またグランドピアノを宮廷に持ち込むなどヨーロッパ文明に対しても柔軟な態度を示した」(「旅行人ノート シルクロード 中央ユーラシアの国々 [改訂版]」(2006年11月改訂)より)というハンです。

  • ヒヴァの最後のハン、イスファンディヤル・ハンの墓石<br /><br />ときに石棺に見えるこういった墓石ですが、遺体をどこに埋めたかを示す目印の石なので、やはり墓石です。<br />イスラム圏の特徴かもしれませんが、ウズベキスタンでも、石棺のように寝かせたタイプの墓石が多いです。<br />

    ヒヴァの最後のハン、イスファンディヤル・ハンの墓石

    ときに石棺に見えるこういった墓石ですが、遺体をどこに埋めたかを示す目印の石なので、やはり墓石です。
    イスラム圏の特徴かもしれませんが、ウズベキスタンでも、石棺のように寝かせたタイプの墓石が多いです。

  • 表面のアラビア文字と花をモチーフにした浮彫模様が美しい

    表面のアラビア文字と花をモチーフにした浮彫模様が美しい

  • 美しい扉<br /><br />宮殿の一部のオリジナルが保存されているのだろうと思います。<br />

    美しい扉

    宮殿の一部のオリジナルが保存されているのだろうと思います。

  • 水差し<br /><br />あたかもインテリアのようにぽつんと置かれてありました。<br />

    水差し

    あたかもインテリアのようにぽつんと置かれてありました。

  • 小さな鍵がぶらさがっているシルバー・ジュエリー

    小さな鍵がぶらさがっているシルバー・ジュエリー

  • トルコ石の嵌め込み装飾が美しいシルバー・ジュエリーとベルト

    トルコ石の嵌め込み装飾が美しいシルバー・ジュエリーとベルト

  • 次に、ヒヴァで1番高いイスラーム・ホジャ・メドレセをめざすためにメインロードから脇の道へ

    次に、ヒヴァで1番高いイスラーム・ホジャ・メドレセをめざすためにメインロードから脇の道へ

  • カルタ・ミナルとドームが見える<br /><br />ドームは、スルーした音楽博物館のカズィ・カラーン・メドレセかもしれません。<br /><br />このあと、スザニ・センターに入りました。<br />その写真はこちらのハイライト旅行記にまとめました。<br />「2012年中央アジア旅行〜ウズベキスタン・キルギス・カザフスタン〜ハイライトその11:ウズベキスタンのヒヴァの人々〜伝統的な絨毯を織る女性たちや伝統舞踊ショー一家や子どもたち」<br />http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10725328/<br /><br />つづく。<br />

    カルタ・ミナルとドームが見える

    ドームは、スルーした音楽博物館のカズィ・カラーン・メドレセかもしれません。

    このあと、スザニ・センターに入りました。
    その写真はこちらのハイライト旅行記にまとめました。
    「2012年中央アジア旅行〜ウズベキスタン・キルギス・カザフスタン〜ハイライトその11:ウズベキスタンのヒヴァの人々〜伝統的な絨毯を織る女性たちや伝統舞踊ショー一家や子どもたち」
    http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10725328/

    つづく。

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この旅行記へのコメント (8)

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  • eahawkさん 2012/12/14 16:50:27
    おめでとう御座います!
    まみさん

    論文に追われ、久々のコメントで申し訳ありません・・・

    ヒヴァ、良かったですね!!おめでとうございます♪

    そして懐かしいなぁと思いながら拝見させていただきました。
    やっぱり良いですね、ウズベクの遺産は。

    eahawk

    まみ

    まみさん からの返信 2012/12/15 09:29:34
    RE: おめでとう御座います!
    erhawkさん、こんにちは。
    論文は無事に完成したのでしょうか。コメントありがとうございます。

    やっとヒヴァ編アップすることができました。
    国内旅行記ほ合間に少しずつしか進められなかったので。
    今年は、寒さが身にしみる中、ギンギラに輝いていた砂漠のオアシスの写真を改めて眺めながらコメントを書くのは、なかなか乙なもので。
    私もすでに懐かしい域に入ってます。

    今週末は本当はレッサーパンダを見に行きたかったんです。
    明後日異動になる子のお別れ会に行きたかったんです。
    でも、昨日ウイルス性の胃痛と下痢にかかってしまい、悶え苦しみ。。。
    この週末はおとなしくしていることにしました。
    中央アジア旅行記を進めてられると思います。

    それにしても、ウズベキスタンでウイルス性の下痢を用心しまいましたが、あんなに苦しいとは思いませんでした。


    > まみさん
    >
    > 論文に追われ、久々のコメントで申し訳ありません・・・
    >
    > ヒヴァ、良かったですね!!おめでとうございます♪
    >
    > そして懐かしいなぁと思いながら拝見させていただきました。
    > やっぱり良いですね、ウズベクの遺産は。
    >
    > eahawk

    まみ

    まみさん からの返信 2012/12/15 09:29:44
    RE: おめでとう御座います!
    erhawkさん、こんにちは。
    論文は無事に完成したのでしょうか。コメントありがとうございます。

    やっとヒヴァ編アップすることができました。
    国内旅行記ほ合間に少しずつしか進められなかったので。
    今年は、寒さが身にしみる中、ギンギラに輝いていた砂漠のオアシスの写真を改めて眺めながらコメントを書くのは、なかなか乙なもので。
    私もすでに懐かしい域に入ってます。

    今週末は本当はレッサーパンダを見に行きたかったんです。
    明後日異動になる子のお別れ会に行きたかったんです。
    でも、昨日ウイルス性の胃痛と下痢にかかってしまい、悶え苦しみ。。。
    この週末はおとなしくしていることにしました。
    中央アジア旅行記を進めてられると思います。

    それにしても、ウズベキスタンでウイルス性の下痢を用心しまいましたが、あんなに苦しいとは思いませんでした。


    > まみさん
    >
    > 論文に追われ、久々のコメントで申し訳ありません・・・
    >
    > ヒヴァ、良かったですね!!おめでとうございます♪
    >
    > そして懐かしいなぁと思いながら拝見させていただきました。
    > やっぱり良いですね、ウズベクの遺産は。
    >
    > eahawk

    まみ

    まみさん からの返信 2012/12/15 09:29:48
    RE: おめでとう御座います!
    erhawkさん、こんにちは。
    論文は無事に完成したのでしょうか。コメントありがとうございます。

    やっとヒヴァ編アップすることができました。
    国内旅行記ほ合間に少しずつしか進められなかったので。
    今年は、寒さが身にしみる中、ギンギラに輝いていた砂漠のオアシスの写真を改めて眺めながらコメントを書くのは、なかなか乙なもので。
    私もすでに懐かしい域に入ってます。

    今週末は本当はレッサーパンダを見に行きたかったんです。
    明後日異動になる子のお別れ会に行きたかったんです。
    でも、昨日ウイルス性の胃痛と下痢にかかってしまい、悶え苦しみ。。。
    この週末はおとなしくしていることにしました。
    中央アジア旅行記を進めてられると思います。

    それにしても、ウズベキスタンでウイルス性の下痢を用心しまいましたが、あんなに苦しいとは思いませんでした。


    > まみさん
    >
    > 論文に追われ、久々のコメントで申し訳ありません・・・
    >
    > ヒヴァ、良かったですね!!おめでとうございます♪
    >
    > そして懐かしいなぁと思いながら拝見させていただきました。
    > やっぱり良いですね、ウズベクの遺産は。
    >
    > eahawk

    eahawk

    eahawkさん からの返信 2012/12/15 16:32:50
    RE: RE: おめでとう御座います!
    大丈夫ですか!!
    僕も大分前ですが、北海道の牧場に酪農実習へ行ったときキャンピロバクターにやられたことがありますが、本当に苦しいですよね細菌性は・・・
    ゆっくり休まれてくださいね。

    論文は無事に完成しまして、年明けの口頭試問待ちです(-_-;)
    早く旅行へ行きたいです!!

    eahawk

    まみ

    まみさん からの返信 2012/12/18 12:15:09
    RE: RE: RE: おめでとう御座います!
    eahawkさん、こんにちは。

    細菌性でもいろいろあるんでしたね。
    医者は特定しなかったんですが、一番?有名ということで「ノロとか」とかごまかしてました。

    論文おつかれさまー。
    口頭試験も終わったら、また旅行お出かけですか。
    それも楽しみですね!
    eahawkさんのこのあいだの大旅行の旅行記完成も楽しみです@@

    > 大丈夫ですか!!
    > 僕も大分前ですが、北海道の牧場に酪農実習へ行ったときキャンピロバクターにやられたことがありますが、本当に苦しいですよね細菌性は・・・
    > ゆっくり休まれてくださいね。
    >
    > 論文は無事に完成しまして、年明けの口頭試問待ちです(-_-;)
    > 早く旅行へ行きたいです!!
    >
    > eahawk
    >
    >
  • とんびさん 2012/12/14 06:57:28
    以前のままですねぇ
    昨年のリベンジが果たせてよかったですね。改めていらっしゃただけのことはあったでしょう。自分が以前いったときと同じ風景がひろがっています。時間がストップしたようです。見学箇所は以前よりも増えているように思います。

    まみ

    まみさん からの返信 2012/12/14 08:25:07
    RE: 以前のままですねぇ
    とんびさん、こんにちは。コメントを書くためにわざわざ登録してくださったのですね。ありがとうございます@@

    はい、ほんと今年もウルゲンチ行きが何の説明もなく遅延してはらはらしました。リベンジが果たせて良かったです。
    見学箇所増えますか。やはり観光インフラは少しずつ整備されているのですね、ウズベキスタン。
    数年後に行っても同じ光景が見られそうですね。まさに時がとまったような町。

    > 昨年のリベンジが果たせてよかったですね。改めていらっしゃただけのことはあったでしょう。自分が以前いったときと同じ風景がひろがっています。時間がストップしたようです。見学箇所は以前よりも増えているように思います。

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