
2012/05/06 - 2012/05/07
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frau.himmelさん
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かって文豪ゲーテが「エルベ川のフィレンツェ」と呼んだ美しい街ドレスデン。
旧市街には壮大なバロック様式の宮殿や教会などが建ち並び、古色蒼然とした美しい街並みは、さながら歴史ある古都といった風情です。
ところが、そこには残酷な歴史が隠されていたのです。
1945年2月13日、第二次大戦末期、ドレスデンの街は連合軍に徹底的に攻撃され、大火災により一夜にして消滅してしまったのです。
瓦礫の山の中に佇んだドレスデンの市民は、どんなにか絶望し、悲しみに打ちひしがれたことでしょう。
今、ドレスデンの街並みは、その悲惨な状況の中から不死鳥のように豪華絢爛に蘇りました。
そんな重い歴史に思いを馳せながら、美しい街を歩きます。
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ドレスデンの復活の象徴、フラウエン教会はノイエマルクト広場に建っています。
NHK「ふれあい街歩き」ではふくよかなスカート姿の女性って表現していました。
バロック建築の傑作で、ザクセンで多く支持されたプロテスタント教会です。 -
その前に佇む大きな像はマルティン・ルターです。
宗教改革で、堕落したカトリック教会を非難してプロテスタントを推進したルター。
ザクセンはルターの影響を強く受けた土地でした。 -
ノイエマルクト広場には、今日も大勢の観光客が詰め掛けています。
自転車タクシーって言うんですか。何台も客待ちしています。
そして、ルターの碑の前では2人の軍人が、昔の音楽を奏でています。 -
この軍人が着けている軍服、どこのものなのでしょうね。
第2次大戦中のドイツ軍、それともソ連軍、どれとも東ドイツ時代の軍服でしょうか?
その後ろに立っている像は、またしても、フリードリヒ・アウグスト2世(1797-1854)。
ザクセン選帝侯。ゼンパーオーパー前に立っていた騎馬像のヨハン王の兄です。 -
絵葉書より
写真上・戦争前のドレスデン。
かって文豪ゲーテが「エルベ川のフィレンツェ」と呼んだ美しい街ドレスデン。旧市街には壮大なバロック様式の宮殿や教会などが建っています。
写真下・戦争で瓦礫になった街並み。
1945年2月のドレスデン大空襲で破壊され、瓦礫の山が残されました。
その後ドレスデンは旧東ドイツに分断され、瓦礫の山は、過去の過ちを忘れないためのモニュメントとなっていました。 -
この写真は、1997年に訪れた時のものです。
1990年の東西ドイツ再統一の後、1994年フラウエン教会は再建が始まりました。
私が訪れた時は再建が始まって3年目、まだ足場が組まれた状態で、焼け残った壁の残がい部分が残っていました。 -
2002年訪れた時のフラウエン教会
市民運動から始まった再建への声。瓦礫の中から発掘したオリジナルな部材を使って再建するという計画です。
その壮大な計画は世界中に共感を呼び182億円もの寄付が集まりました。
コンピューターを活用して可能な限り元の位置に組み込むという考古学的再建作業は、「ヨーロッパ最大のパズル」と呼ばれました。 -
現在のフラウエン教会。
正面の黒い壁の部分は、1997年の写真に写っていた残がいの部分がはめ込まれたのですね。 -
石材の黒い部分はオリジナルの発掘された部分、白い部分は新しく付け加えた部分。
ヨーロッパ最大のジグソーパズルはこうやって完成しました。 -
奇跡的に残った石は、現在も過去の過ちを忘れないモニュメントとして教会の前に飾られています。
ずいぶん大きい塊です。 -
石の表にはこんなマークが。
フラウエン教会の窓の一部分が黒く塗りつぶされていますが、この部分だということでしょうか? -
2005年10月30日にフラウエン教会は完成し落成式典が行われました。
私はそのちょっと前、10月6日にドレスデンを訪れています。
もちろん内部は見れませんでした。
教会の内部。
パステルカラーの明るい装飾です。
また2007年12月にも訪れていますが、クリスマスツアーで来たので、外から見るだけでした。 -
何度もドレスデンには訪れているのに、内部に入ったのは今回が始めて。
祭壇の部分。 -
復元されたジルバーマンのオルガン。
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バルコニー。
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天井の絵
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焼け焦げてねじれた十字架は、祭壇の右側に飾ってありました。
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静かにお祈りをしたり、見学をしたりしている人の中に、
突然真っ赤な軍団が。 -
お隣の国、韓国釜山からの少年少女でした。
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教会の中が賑やかになったところで外に出ます。
世界中の大勢の方々の協力と、10年以上の歳月をかけて再建されたフラウエン教会。
文化・芸術の都として栄えたドレスデンの再興の象徴となっています。 -
教会ドームの展望台に登れます。
そこからドレスデンの美しい風景を臨むことが出来るのです。
塔には人の姿が見えますね。 -
塔の上の十字架。
1945年2月13日、イギリス軍空軍によって攻撃が行われました。
まさにその爆撃に参加したイギリス軍兵士、彼の息子が十字架を鋳造し、贈呈しました。
この感動の話は、テレビ化され世界中に流されたので、ご覧になった方も多いと思います。 -
さて私は、もう一つのドレスデン訪問の優先順位である、アウグスト強権王に寵愛されたコーゼル夫人の足跡を探します。
フラウエン教会の近くにコーゼルの黄色い館があるはずなのです。
これかしら?
違いました。土産物屋さんのようです。国旗が飾られており、日本の旗もあります。 -
遺構の前にはヒルトンホテル。
ここでもないし…。
選帝侯フリートリヒ・アウグストI世(アウグスト強王)は、ポーランド王をも兼任し、まさに繁栄の時代を迎えます。
女性遍歴も華やかでした。
側近も大勢居ましたが、その中でも美しく聡明なコーゼル夫人は特に彼のお気に入りでした。 -
後日、思わぬところにコーゼル夫人の足跡を見つけました。
左の建物がコーゼルの邸宅だったタッシェンベルク宮殿、今は豪華ホテル、ケンビンスキーホテルになっています。
右がドレスデン宮殿、アウグスト強権王の居城でした。
このかわいい渡り廊下を通って、国王とコーゼルは逢瀬を重ねていたんです。 -
ノイマルクト広場には、観光客相手のいろんな乗り物があります。
これは大勢でこぐ自転車
◆◆
コーゼル夫人は、強王の寵愛をほしいままにし、政治にも口出しをするようになります。
でもいつまでも蜜月時代は続きませんでした。
ポーランドにおける政治をめぐって国王と対立し、また国王がポーランドにも側室を持つに至って、二人の不仲は決定的となりました。 -
2頭立て馬車。
◆◆
国家秘密を握っている彼女は、国王に捕らえられ、Stolpenの要塞に幽閉されてしまいます。
コーゼル夫人は当時33歳。
その後85歳で死ぬまでの49年間を暗く冷たい石の壁の間で過ごしました。
その間に歴史はいろいろ変動しましたが、逆境の中にも最後まで名誉を失わず、毅然と生きた生涯でした。
彼女がなくなった後、持ち物を調べたらなんと3000冊の蔵書が出てきたということです。 -
クリスマスのお菓子、シュトーレンで有名なエミール・ライマン社の馬車。
ドレスデンはシュトーレンの発祥の地とされています。
エミール・ライマン社は、王室御用達の500年以上の歴史をもつお店だそうです。
アウグスト強王もコーゼル夫人ももちろん食べたのでしょうね。 -
さっきの軍人さん、今度はこっちに移動していました。
なかなかの人気者です。
結局コーゼル・パレスは見つけられませんでした。
フォートラ会員さんが何人もこのレストランで食事をされているんです。
Shimonさん、ちょんたさん、その他にも何人か。
utamiumiuさんなどは「コーゼルの涙」っていうカクテルまで試していらっしゃるんです。
どうして私には見つけられなかったのかしら? -
ところが2002年に撮った写真の中から偶然に見つけました。
手前が再建中のフラウエン教会、この黄色い建物がコーゼルパレスなのです。
一足早く2000年にコーゼル・パレスは復元されていたのでした。
現在はレストラン・カフェになっています。
このコーゼル・パレス、オリジナルは、1765年、コーゼル夫人がなくなった年にアウグスト強王とコーゼル夫人との間に生まれたフリードリッヒ・アウグスト・フォン・コーゼル伯爵が建てた宮殿です。 -
アウグスト強権王に寵愛され、悲惨な生涯を送ったコーゼルを思いながら、今度はブリュールのテラスへと急ぎます。
-
とても人気のあるソーセージやさん。
私も食べたことがありますが、美味しいんですよ、安いし…。 -
ブリュールのテラスの階段を登って振り返ると、フラウエン教会の塔が聳えていました。
-
テラスにはボールが潰れたような不思議なモニュメントが…。
周りには
1721- ERLASS AUGUST DES STARKEN
-DIE SIEBEN BASTION DER KOENIGLICHEN
の文字があります。
1721年に、フリードリッヒ強権王が、要塞を命名した(?) -
このモニュメントも…。
Mars:火星の中の文字には
Krieg verzehrt, was Friede beschert.
(戦争は平和をもたらすものを食い潰す)と。
この火星の真ん中の絵と、さっきのボールが潰れたような形は似ていますね。
なんて、知ったかぶり。
実は、私の大師匠、ももであさんからヒントをいただいたのです。 -
テラスには大勢の人々。
◆◆
このブリュールのテラスは、アウグスト強王とその息子アウグスト2世の側近、ブリュール伯爵の持ち物でした。 -
屋根の上の金色の天使。
◆◆
2代の親子の国王は、芸術や文化に熱中する余り、政治にも軍事にも大して興味はなかったようです。 -
◆◆
自国の政治もポーランド統治も、首相であったブリュール伯爵にすっかりまかせっきり。
ところがこのブリュール伯も、自分の懐を増やすほうに興味がある人物でした。
財政が破綻しようが、国民が苦しい生活を強いられようがお構いなし。 -
テラスより宮廷教会、ゼンパーオーパーなどが見えます。
◆◆
1756年から70年にわたり繁栄を極めたアウグストの時代が終わりを告げるときが来ました。
8万3千の軍勢でフリードリヒ大王率いるプロイセン軍がザクセンに攻め込んできたのです。
プロイセンは3日でドレスデンの手前まで攻め込み、この戦争は7年近く続きました。 -
テラスよりエルベ川の方を臨みます。
アウグストゥス橋の方向
◆◆
ドレスデンは容赦なく攻撃され、破壊され、長い戦いが終わったとき、ドレスデンの人口は半分近くまで減っていたということです。 -
エルベ川の船着場を見ていると、面白いことに気がつきました。
後ろの船は「アウグスト強王号」、前の船尾だけ見せている船は「コーゼル号」となっています。
観光船も有名な彼らの名前が付いているのですね。
赤色で印をしましたが見えますか? -
お天気も良くなり、ブリュールのテラスはこんなに人が集まりました。
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ベンチでくつろいでいる人々。
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彫像
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あらぁ、また会っちゃった、赤の軍団。
フラウエン教会にいた釜山の少年少女たちです。 -
さあ、食事にしましょう。
2005年のツアーで訪れた時、友人達と自由時間に入ったレストラン、たしかこの下だったはず。 -
あの頃よりメニューも読めるようになったし、度胸も付いてきました。
ケーゼシュペッツェレ(ドイツ風チーズヌードル)とサラダのセットをいただきます。
10.90ユーロ。 -
ワインはリースリンクのハルプトロッケン(中辛)、0.2Lで6.2ユーロ。
今回ドレスデンに来て、レストランでまともな食事をしたのはこの日が始めてのような気が…。 -
たまねぎのリング揚げが香ばしくって、ケーゼシュペッツェレも美味しかった。
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ブリュールのテラスから降りたすぐ下のレストランです。
本当は、コーゼルのレストランでもっと豪華な食事がしたかったけど…。
次回のお楽しみですね。 -
ショーウィンドーに並んでいるマイセンの人形達。
お前達ホントに高いねー。
1体2,30万円ですものね。 -
ゼンパーオーパーにやってきました。
建築家、ゴットフリード・ゼンパーにより1841年に完成し、こけらおとしは、ドレスデンにゆかりのあるウェーバーの「式典序曲」とゲーテの「タッソ」が演奏されました。
そして翌々年にはワーグナーが音楽総監督をつとめたという世界的に有名な歌劇場。
ここにも様々な歴史がありました。 -
ヨハン公の像の下で歌っていた彼らたち。
とても楽しそうでした。 -
尖塔が多いバロック様式の宮廷教会とドレスデン城の間に、シャレた街灯を配してみました。
-
この街灯、有名な人の作品なのかしら。
この人の像がありました。 -
ドレスデンではこの花が真っ盛りでした。
コーゼル夫人もこの花が好きだったのかしら?
なんて思いながら、トラムの停留所に向かいます。 -
ドレスデン城で起こった様々な歴史に思いを馳せます。
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トラム待ちをしている間に何の気なくカメラを向けた先は?
実は今回写真を見て気がついたのですが。
なんて奇遇なんでしょう。
コーゼル伯爵夫人がアウグスト強王から最も愛されていた時期、プレゼントされたタッシェンベルク宮殿です。
今はケンビンスキーホテルになっています。
きっとコーゼル夫人が私に配慮してくれたのね。 -
こちら側ではアウグスト強権王に扮したガイドが、観光客に宮殿の案内をしています。
-
もう一度、コーゼル夫人の足跡を辿ってみたい…、
そう思わせた夕暮れの散歩でした。
次回は、今回のように中途半端ではなく、ちゃんと調べてから来なければ。
私が読んだ本「ドレスデン逍遥」川口マーン恵美・著。
この本を旅行に持参しなかったのが悔やまれます。
さてそろそろ、トラムに乗ってホテルに戻りましょう。
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