2012/11/18 - 2012/11/18
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ドクターキムルさん
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横浜市金沢区にある称名寺市民の森から下りてくると、称名寺仁王門の右脇に出る。称名寺仁王門脇に新しい2つの卒塔婆が立てられて戦死者の墓のようなものがあるのだが、石塔などは何もない。これまで、国内を巡っても戦死者の墓に石塔が建てられていないことなど1度もなかった。その前の家で尋ねてみた。
昭和18年(1943年)5月1日に群馬の飛行場から荷物を運んで戻ってきた99式艦上爆撃機に追浜飛行場(現日産追浜工場)から着陸許可が下りずに上空を旋回していたが、燃料切れになり、海までは遠いので称名寺横の畑(現在は空き地で草原になっている)に着陸しようとしたが、そこには畑仕事の人影が見え、躊躇しているうちに、仁王門の右脇の木に引っ掛かり、墜落し、パイロットら2人の搭乗員は亡くなられたのだという。何と痛ましいことであろうか。
その後、亡くなられた2人の身元も判明し、墜落した命日にはこの家のおじいさんが称名寺のお坊さんを呼んで毎年供養していて、このおじいさんが亡くなった後もこの家の家族が引き継いで供養しているのだという。それで石塔が建っていないことに納得できた。2人の搭乗員のうち、1人は田舎に墓(石塔)が建てられ、遺族が墜落地のこの地にも訪れ、供養してくれていることに感謝し、お礼を述べに来られるという。もう1人は遺族がおられなく、墓は地元の人たちが建て弔ったようだとも言われている。
なお、99式艦上爆撃機とは皇紀2599年(昭和14年(1939年))に制式採用された海軍の艦上爆撃機(空母から発着艦する)で、真珠湾攻撃などで活躍した。車輪が格納できないタイプでいかにも旧式な感じがする。翌、皇紀2600年(昭和15年(1940年))に制式採用された海軍の零式艦上戦闘機(零戦)は1人乗りで、離陸後には車輪が機体に格納された。こちらは、私のように、小学生の頃の漫画雑誌の特集は連合艦隊の艦船や戦闘機などばかりで、それを読んで育った世代でなくても、誰もが知っている名前であろうか。
(表紙写真は墜落現場跡の供養)
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