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今回は見事なグダグダ編です( ´∀`)<br /><br />銀閣寺から真如堂へ歩きで向かったのですが、途中からポツポツ雨が降り出しました。<br />真如堂から金戒光明寺と急ぎ足で巡ります。

よっしゃ、京都へ行くどす(ぇ)!2012。 真如堂~金戒光明寺、雨足編。

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2012/10/17 - 2012/10/17

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フロッガー

フロッガーさん

今回は見事なグダグダ編です( ´∀`)

銀閣寺から真如堂へ歩きで向かったのですが、途中からポツポツ雨が降り出しました。
真如堂から金戒光明寺と急ぎ足で巡ります。

同行者
一人旅
交通手段
高速・路線バス 徒歩

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  • 銀閣寺から歩いてくると真如堂は20分ほどで到着するはずです。<br />ですが・・・写真の時間を見ると1時間たっとる!?<br />私も20分ほどしか歩いていないつもりだったのですが、まぁ気にしない( ̄д ̄)<br />真如堂には北側から入りました。<br />こちらにあったモミジはかなり黄色くなっていました。

    銀閣寺から歩いてくると真如堂は20分ほどで到着するはずです。
    ですが・・・写真の時間を見ると1時間たっとる!?
    私も20分ほどしか歩いていないつもりだったのですが、まぁ気にしない( ̄д ̄)
    真如堂には北側から入りました。
    こちらにあったモミジはかなり黄色くなっていました。

  • そんなこんなで真如堂。<br />真如堂は正式には「真正極楽寺」(しんしょうごくらくじ)です。<br />真如堂の名はこの本堂を指す通称。<br />こここそが、正真正銘の極楽のお寺ですよという意味だそうです。<br /><br />山号は鈴聲山(れいしょうざん)を号し、本尊には阿弥陀如来様を祀ります。<br />真正極楽寺は比叡山の僧であった戒算上人によって開かれたお寺です。<br />永観二年(984)、比叡山常行堂の本尊であった阿弥陀如来像を一条天皇の生みの母である東三条院詮子(藤原詮子)の離宮に安置したのが始まりとされます。<br /><br />応仁の乱などの戦火によって伽藍は度々焼失しています。<br />その後足利将軍家や豊臣秀吉の寄進によって幾度か場所を変えて再興、<br />現在の地には元禄六年(1693)に再建されたものとなります。<br /><br />

    そんなこんなで真如堂。
    真如堂は正式には「真正極楽寺」(しんしょうごくらくじ)です。
    真如堂の名はこの本堂を指す通称。
    こここそが、正真正銘の極楽のお寺ですよという意味だそうです。

    山号は鈴聲山(れいしょうざん)を号し、本尊には阿弥陀如来様を祀ります。
    真正極楽寺は比叡山の僧であった戒算上人によって開かれたお寺です。
    永観二年(984)、比叡山常行堂の本尊であった阿弥陀如来像を一条天皇の生みの母である東三条院詮子(藤原詮子)の離宮に安置したのが始まりとされます。

    応仁の乱などの戦火によって伽藍は度々焼失しています。
    その後足利将軍家や豊臣秀吉の寄進によって幾度か場所を変えて再興、
    現在の地には元禄六年(1693)に再建されたものとなります。

  • 本堂内に安置される阿弥陀如来様は慈覚大師(円仁)の作になります。<br /><br />慈覚大師は最後に眉間に白毫を入れる際に、比叡山の修行をする僧たちのために本尊になってほしいと阿弥陀様にお願いをしたそうです。<br />しかし阿弥陀様は首を振ってこれを断ります。<br />それならばと慈覚大師は、それでは京の都で民衆や女人をお助けくださいと願ったそうです。<br />これに阿弥陀如来様は頷いて答えたそうで、この由来から「頷きの阿弥陀」と呼ばれることとなりました。<br />古くから女性に信仰されてきた仏様です。

    本堂内に安置される阿弥陀如来様は慈覚大師(円仁)の作になります。

    慈覚大師は最後に眉間に白毫を入れる際に、比叡山の修行をする僧たちのために本尊になってほしいと阿弥陀様にお願いをしたそうです。
    しかし阿弥陀様は首を振ってこれを断ります。
    それならばと慈覚大師は、それでは京の都で民衆や女人をお助けくださいと願ったそうです。
    これに阿弥陀如来様は頷いて答えたそうで、この由来から「頷きの阿弥陀」と呼ばれることとなりました。
    古くから女性に信仰されてきた仏様です。

  • コスモスもギリギリ感ね。

    コスモスもギリギリ感ね。

  • 真正極楽寺・三重塔。<br />江戸時代、文化十四年(1817)に建てられたものです。

    真正極楽寺・三重塔。
    江戸時代、文化十四年(1817)に建てられたものです。

  • こちらが正面から。

    こちらが正面から。

  • それではお隣となる金戒光明寺へ。<br />この北門から入ります。<br /><br />金戒光明寺は法然上人によって開かれたお寺です。<br />浄土宗となるお寺で山号は「紫雲山」を号します。<br /><br />金戒光明寺は知恩院とともに徳川家康によって改造されていて、江戸に何か起きた際には拠点とするように城郭機能をもたせられています。<br /><br />江戸時代の幕末には会津藩の松平容保が京都守護職として、金戒光明寺を本陣としました。<br />会津藩お預かりとなっていた新選組も会津藩の家臣とともに京都の治安維持の役目を与えられます。

    それではお隣となる金戒光明寺へ。
    この北門から入ります。

    金戒光明寺は法然上人によって開かれたお寺です。
    浄土宗となるお寺で山号は「紫雲山」を号します。

    金戒光明寺は知恩院とともに徳川家康によって改造されていて、江戸に何か起きた際には拠点とするように城郭機能をもたせられています。

    江戸時代の幕末には会津藩の松平容保が京都守護職として、金戒光明寺を本陣としました。
    会津藩お預かりとなっていた新選組も会津藩の家臣とともに京都の治安維持の役目を与えられます。

  • 御影堂。<br />法然上人が75歳であった時の肖像坐像を安置しています。<br />昭和九年(1934)の火災によって焼失しますが、昭和十九年に再建されたものとなります。

    御影堂。
    法然上人が75歳であった時の肖像坐像を安置しています。
    昭和九年(1934)の火災によって焼失しますが、昭和十九年に再建されたものとなります。

  • 御影堂から。<br />修復中の山門、左手は経蔵です。

    御影堂から。
    修復中の山門、左手は経蔵です。

  • 経蔵。

    経蔵。

  • 山門は応仁の乱で焼失しています。<br />現在の山門は万延元年(1860)に再建されたものです。<br />後小松天皇の「浄土真宗最初門」の額は取り外され、本堂内に安置されています。<br /><br />現在は150年ぶりの大修理となっています。

    山門は応仁の乱で焼失しています。
    現在の山門は万延元年(1860)に再建されたものです。
    後小松天皇の「浄土真宗最初門」の額は取り外され、本堂内に安置されています。

    現在は150年ぶりの大修理となっています。

  • 高麗門(正門)。<br />くろ谷(黒谷)は通称です。<br /><br />金戒光明寺では朝の行を行なっていまして、読経をしばらく聞いていました。<br />ということで、雨も本降り。足早に次の場所へ向かいます。<br /><br />次は、内部拝観を主にすれば調度良いだろうと思っていた永観堂へ。<br />雨の降り方から歩くのはシンドイと思って岡崎道からバスへ乗ったのですが、これが大失敗(爆)<br />迷走の始まり。<br /><br />途中乗り換えを無視して気づいたら祇園四条に戻っていました(´・ω・`)<br />とりあえずバスを降りて、どうしたもんかと思い建仁寺の雲龍でも見て行こうかと思い建仁寺へ。<br /><br />建仁寺に着いたら、工事中などで法堂は外からの見学のみ?(゚д゚lll)<br />がっかりしながら、建仁寺は入らずに・・・

    高麗門(正門)。
    くろ谷(黒谷)は通称です。

    金戒光明寺では朝の行を行なっていまして、読経をしばらく聞いていました。
    ということで、雨も本降り。足早に次の場所へ向かいます。

    次は、内部拝観を主にすれば調度良いだろうと思っていた永観堂へ。
    雨の降り方から歩くのはシンドイと思って岡崎道からバスへ乗ったのですが、これが大失敗(爆)
    迷走の始まり。

    途中乗り換えを無視して気づいたら祇園四条に戻っていました(´・ω・`)
    とりあえずバスを降りて、どうしたもんかと思い建仁寺の雲龍でも見て行こうかと思い建仁寺へ。

    建仁寺に着いたら、工事中などで法堂は外からの見学のみ?(゚д゚lll)
    がっかりしながら、建仁寺は入らずに・・・

  • 摩利支尊天堂へ。<br /><br />

    摩利支尊天堂へ。

  • こちらは建仁寺の塔頭になります。<br />摩利支尊天はインドの軍神です。<br /><br />一説には陽炎を神格化したものとされます。<br />武士の守り神として、日本でも古くから信仰されてきました。<br />毛利元就が軍旗の旗印としていたことでも有名です。<br /><br />摩利支尊天は猪に乗って現れるということで、境内は狛猪がいます。

    こちらは建仁寺の塔頭になります。
    摩利支尊天はインドの軍神です。

    一説には陽炎を神格化したものとされます。
    武士の守り神として、日本でも古くから信仰されてきました。
    毛利元就が軍旗の旗印としていたことでも有名です。

    摩利支尊天は猪に乗って現れるということで、境内は狛猪がいます。

  • ということで、こちらもお参り。

    ということで、こちらもお参り。

  • 昨年行ったゑびす神社。

    昨年行ったゑびす神社。

  • 四条京阪バス停前から、南座。<br />とりあえず河原町まで戻ったのですが、土砂降りになってしまってどうにもこうにも。<br /><br />足、ビッチョビチョ。<br />げんなりして京都マルイへ。<br />スタバで昼食も兼ねて2時間ほど雨宿り( ̄д ̄)

    四条京阪バス停前から、南座。
    とりあえず河原町まで戻ったのですが、土砂降りになってしまってどうにもこうにも。

    足、ビッチョビチョ。
    げんなりして京都マルイへ。
    スタバで昼食も兼ねて2時間ほど雨宿り( ̄д ̄)

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