2012/10/17 - 2012/10/17
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フロッガーさん
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法然院から銀閣寺へ向かいます。
銀閣寺の正式名称は「東山慈照寺」。
山号は東山(とうざん)。
臨済宗相国寺派の塔頭寺院となります。
室町幕府八代将軍・足利義政によって造られた、東山山荘別荘(山荘東山殿)を基礎とし、義政の死後に義政の戒名となる「慈照院喜山道慶」から名付けられました。
東山殿と呼ばれたこの造園は、応仁の乱の戦火で焼け野原となった跡地に文明十四年(1482)から8年をかけて行われました。
義政は観音殿(銀閣)の完成を待たずに亡くなります。
開山は夢窓疎石(勧請開山)。
鹿苑寺の金閣にちなんで銀閣と呼ばれる観音殿。
鹿苑寺・慈照寺、共に相国寺塔頭です。
足利将軍家が衰退するとともにこのお寺も衰退します。
天文年間より起こった十三代将軍・足利義輝と三好長慶の戦によってこの地は戦地となり建造物は大打撃を受けます。
江戸時代に入り、徳川幕府から寺領を与えられ方丈・観音殿・東求堂などの建設や修理が行われます。
庭園も修復され、現在の庭園はこの江戸時代の修復によるものです。
鹿苑寺(金閣)が北山文化の象徴とすれば、慈照寺(銀閣)は東山文化の真骨頂。
どちらも室町文化としての代表的な場所となります。
この地は政治に失望した足利義政が、生涯をかけて創りあげようとした場所でした。
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- 高速・路線バス 徒歩
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開門時間より早く着いてしまったので、看板など読んだりしてちょっと時間調整します(´・ω・`)
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哲学の道。
哲学の道 名所・史跡
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銀閣寺の山門参道沿い、お隣に浄土院があります。
足利義政が東山山荘を建てる以前に、この場所には浄土寺というお寺がありました。
浄土寺には足利義政の弟である義視が住んでいたとされます。
東山山荘の造営にあたって移設されましたが、後に廃絶します。
現在の浄土院は、この浄土寺を引き継ぐものとして享保年間に建てられたとされます。
五山送り火の「大文字」を管理するお寺です。銀閣寺 (慈照寺) 寺・神社・教会
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それでは開門です。
実は、修学旅行生の大群で開門前は混雑してました。
ちょっと待ってから入りました(爆) -
総門。
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総門を入ると右手に参道は折れ、銀閣寺垣です。
銀閣寺 (慈照寺) 寺・神社・教会
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中門。
こちらで拝観受付です。 -
受付を済ませて入ると左手が庫裏です。
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庫裏。
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奥に入りますと、すぐ銀閣。
この観音殿が通称として銀閣と呼ばれます。
ですので銀閣寺は通称で慈照寺の銀閣という扱いが正しいということになります。
昔、試験の回答でもめちゃったヤツです。
「銀閣」は義政の祖父にあたる、室町幕府三代将軍・足利義満が建てた金閣に対して江戸時代ころから呼ばれるようになった名称です。
金閣(鹿苑寺舎利殿)、西芳寺の瑠璃殿の様式を受け継ぎ建てられたものです。
二層建て、一層目は心空殿と呼ばれ書院形式です。
二層目は潮音閣と呼ばれ唐様の仏殿形式となります。
金色の色を残す観音菩薩像(洞中観音)が祀られます。
義政の言動を記録した「蔭涼軒日録」には、義政が西芳寺・瑠璃殿(苔寺)のように造れと命じたと書かれています。 -
左にパーン!
観音殿の二層目となる仏殿は、本尊を東を正面として造られています。
義政は月を愛したことで有名ですが、この観音殿も月を見ることを第一に造られています。
通常は南を向くことがほとんどの仏様を東向きにしたこと、初層も月を見るために東を正面として造られています。 -
円錐形の盛り砂が向月台。
向月台は、この上に乗って月が出るのを待つ場所。
銀沙灘は月のあかりを反射させるためと考えられています。
どちらも義政の時代のものではなく、江戸時代の修復によって創りだされたものとされます。 -
さすがに修学旅行のメッカなのでスゲー人だらけ。
銀じゃねーじゃねーか!っていうベタなツッコミばかり聞きます( ̄д ̄) -
宝処関から。
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本堂前から。
この砂の庭も義政が亡くなったあとに造られたものです。
銀沙灘(ぎんしゃだん)と呼ばれ、波紋を付けています。
いわゆる枯山水ですが、中国にある湖を表したとも言われます。 -
左が東求堂。
足利義政の持仏堂とされます。 -
東求堂庭園、反対側から。
池泉回遊式庭園となります。 -
東求堂庭園から奥に入ると右側から展望所へ登ります。
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「お茶の井」。
この水を使ったそうです。
現在も朝のお勤めに使われている、義政公の時代からの水です。 -
展望所から。
ちょいちょい色づいていますね(*´ω`*) -
展望所から降りてきて、
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こちらのお庭も苔が綺麗です。
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錦鏡池。
現在の観音殿は、平成20年から平成22年まで2年を掛けて修復が行われています。
屋根は30年ごとに葺き替えをしているそうですが、耐震補強も施され大正の修理以来の大掛かりな修復が行われました。
祖父の義満を政治の世界では越せなかった義政ですが、芸術・文化の創造という点では当代随一であり義満を上回る才能でした。
この佇まいは凄すぎる。 -
銀閣という名は後世にて勝手に付けられてしまった通称で、その元になったのはこの建物は銀箔を貼る予定だったが・・・という話です。
近年の調査や研究によって、元々この建物は銀を貼る予定では造られていないということがわかっています。 -
裏手を回って、退出になります。
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本堂に映った銀閣も良いです( ´∀`)
足利義政は14歳にして将軍となり、38歳で将軍職から退きます。
義政はこの東山山荘において、日本の芸能・美術に関する人々を集めて芸術に没頭する日々を送ります。
美の世界に没頭した義政は55年で生涯を終えることとなりますが、その芸術センスや美意識は500年以上に渡り今の銀閣寺へ引き継がれる文化となりました。 -
帰りに門前のこちらのお店(松葉屋)でシュークリームを買って食べながら、次の場所へ向かいましたヽ(´ー`)ノ
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