2012/09/19 - 2012/09/19
1709位(同エリア7094件中)
クッキーさん
杉本寺から鶴岡八幡宮をめざし、さらには建長寺まで歩きます。
鎌倉は、見どころたっぷり。体力勝負です。
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- 一人旅
- 交通手段
- 徒歩
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杉本寺を出て、鎌倉マップを見て、
さて、どうしましょう・・・
鶴岡八幡宮へ行く途中に、鎌倉宮をいう文字を発見。
途中に、こんな建物に出会いました。 -
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鎌倉宮の近くにあった民家、でしょうね。
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鎌倉宮がここ。
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引き返して、
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頼朝の墓、に寄り道。
この付近は頼朝時代の幕府の中心地だった所。
たぶん、この辺りの参道が素敵で、カメラに収めようとしてファインダーをのぞいたら、電柱に「○○病院」の看板がどーん。
その近くの高層マンションの建設現場の周辺には、建設反対の旗が波打っています。
世界遺産登録を目指しているという鎌倉市。
ネットを見ると、市民からの情熱あふれる情報発信。
それなのに、これ?
通りすがりの一観光客からのお願いです。 -
石段を上りきった丘にある頼朝の墓。
征夷大将軍の墓とは思えぬほどに質素な佇まい。
訪れる人もなく、ひっそりと。 -
「笹竜胆紋」は清和源氏のシンボルとされ、源頼朝の紋であったともいわれるそうです。
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あちらこちらと寄り道しながら、12時頃に鶴岡八幡宮に到着。
境内入口の丸橋。
京都の石清水八幡宮を厚く信仰していた源頼義が前九年の役で奥州の安部氏を平定した後、1063年(康平6年)8月、京の石清水八幡宮を鎌倉由比ガ浜郷に勧請し社殿を創建。 -
1180年(治承4年)、鎌倉に入った源頼朝は、由比若宮を小林郷北山(現在の地)に遷して「鶴岡八幡宮新宮若宮」とし、武家の都市づくりの中心に据えました。
1191年(建久2年)、火災によって焼失するが、頼朝は、若宮を再建するとともに、大臣山の中腹に上宮(本宮)を新造し、今日の姿(上下両宮)となります。
鎌倉幕府にとって鶴岡八幡宮は、源氏の氏神を祀る重要な神社であると同時に、若宮大路の左右に、幕府の衛府を配置し、将軍拝賀の式を行うなど、
京都における宮廷のような存在だったそうです。 -
鶴岡八幡宮は、鎌倉幕府滅亡後も「武門の神」として足利氏、豊臣氏、徳川氏に崇敬されたそうです。
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舞殿から上宮をのぞみます。
旅行記を記しながら、歴史のお勉強気分。
ちょっと気になったのが、ここは神社、だということ。
神社もお寺も同じ感覚。
ここ鎌倉で、神社もお寺も訪問している私は、ただの観光客。 -
上宮(本宮)
徳川十一代将軍家斉による造営(国重文)。 -
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舞殿は、本宮への石段の前に建つ、入母屋造りの建物。
各種儀式が行われ、下拝殿とも呼ばれています。
上宮から舞殿を見下ろすと、屋根越しに鳥居が、さらに向こうには若宮大路が延びています。 -
上宮から左側の若宮を。
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ここには立ち入れなかったような・・・。
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上宮(本宮)
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若宮
徳川二代将軍秀忠による造営(国重文)。 -
白旗神社
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これが、日本人本来の信仰なのかも。
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段葛。
北条政子の安産を祈願して造営された参道で、若宮大路の中央に二筋の葛石を並べて周囲の道路よりも一段高くしたもの。
往時は由比ガ浜まで続いていたのだとか。
朝、バスの車窓から、この道を通って通学する小学生の姿を見かけました。
春の桜、5月の新緑、秋の紅葉、冬の芽吹きと、季節の移ろいを毎日見ながらの通学って、想像しただけで羨ましい。 -
鎌倉十井の一つの鉄(くろがね)の井。
建長寺をめざして歩いていると、出会ったもの。 -
鶴岡八幡宮に沿った坂道を上がって行くと、出会ったのは、
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曹洞宗の開祖、道元の顕彰碑。
またまた歴史の復習ですね。
鶴岡八幡宮を出るとき、正面からではなく、駐車場に至る横道を進めば、この辺りの坂に出られたみたい。 -
かなり坂道を上がって行くと、
これは、現代の切通しだ、とふと思っていたら・・・
トンネルを抜けた先に、「史跡巨福呂坂:この落石防護施設は、鎌倉七切通の一つである、国指定巨福呂坂の近くにある。これにちなんで巨福呂坂洞門と名付けた。平成5年6月竣功 神奈川県」と書かれている、工事の説明碑がありました。 -
やっと建長寺に到着です。
八幡宮を出て、30分位かな? -
着いたのは駐車場の入り口だったようなので、
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正面から入り直します。これは天下門。
鎌倉五山第一位の臨済宗・建長寺派の大本山です。北条時頼が、建長五年(1253)に宗から来日していた高僧・蘭渓道隆を招いて建立したわが国最初の禅寺。
本尊は地蔵菩薩。 -
ここが総門。この前が駐車場。
ここから入って拝観料を払います。 -
山門です。
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銅板葺きの二重門で重要文化財に指定されています
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鎌倉三名鐘の一つである「梵鐘」
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仏殿
樹齢750年と言われるビャクシンがあるそうなんですが、見逃したみたいです。 -
現存する建物は、江戸時代以降に再建または移建されたものです。
総門、三門、仏殿、法堂などの重厚な木造建築物が、中国の様式に倣って一直線に並び、その周囲を塔頭が取り囲んでいます。
仏殿に描かれているという白龍図も見逃したものの一つ。 -
法堂(はっとう)
法堂の天井にある「雲龍図」も見逃したのですが、 -
入り口をアップ。
ここには入れたのかしら? -
方丈(龍王殿)
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法堂の左側から奥へ行くと方丈前の唐門が見えます。
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唐門は開かずの扉。
その脇の宗務本院前から方丈に入りました。 -
方丈から見る北の庭園。
この庭園は蘭渓道隆の作。 -
よく見られる日本庭園ですが、心落ち着く景色です。
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紫雲閣。
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方丈の日本間。
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半僧坊へ向かう途中。
宝珠院かどこかへ通じる階段。 -
よくわかる案内。
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龍峰院。
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正統院。
これらを含めてすべてが建長寺の境内と云うのですからすごいものです。
鎌倉五山第一位といわれるだけのことはあります。 -
境内最奥にある半僧坊(はんそうぼう)に通ずる半僧坊道。
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カエルかな?
顔は天狗みたいな気もしますが? -
半僧坊へは、このくねくねとした階段を上らなくてはいけません。
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その途中にはたくさんの天狗像が・・・
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ここにも龍。
神社の手水舎(てみずや)には、よく龍の彫り物があり、その口から清水が流れています。
これは、龍神さんから戴いた清水で手を清めると云うことだそうです。
なるほど、東洋では、キリスト教的な悪の代名詞のドラゴンではなく、「龍神」様として、民話などに現れる、雨をもたらして農耕の実りを豊かにしてくださる、有り難い存在なんですね。 -
かなり急な階段で、息切れ。
足が付いてきません。 -
厄除け、交通安全などさまざまなご利益があるとされる「半僧坊」。
半僧坊大権現は、建長寺裏山の中腹にあります。
禅師につき従っていた男が、薪採りや水汲み、食事の仕度をしていたので、「飯僧」と呼ばれ、のちに「半僧坊」と呼ばれるようになったといわれています。 -
見晴台からは富士山を臨むことができるそうですが、今日の天気では無理ですね。
あそこにあるんだと想像するだけ。 -
半僧坊正面の見晴台からは、相模湾まで見渡せるそうですが、空との境もはっきりとしないまま。
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天狗に見送られて、
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境内の入り口脇には竹林。
建長寺の門をくぐって、戻ってくるまで約1時間半。
考えたら、今朝、鎌倉駅に着いてから今まで6時間程、歩きどおしのような・・・。
まだ、この後、大仏と長谷寺も訪れようと考えているのですが、歩けるかな? -
建長寺はけんちん汁発祥の地。
だからという訳でもないのですが、鎌倉駅行きのバスを待っていると、目の前にけんちん汁のお店が。
もう2時半。ここらでお昼を食べないと、昼抜きになってしまいそうなので、入ってみます。
けんちん汁って、実を言うと、私の世代にとっては、何も無いときのあり合わせの汁もの。
おしゃれな鎌倉の、おしゃれなお店で・・・と秘かに考えていたのですが、機会を逃してしまいました。
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