2011年秋ウズベキスタン旅行第3日目(1)ブハラ:これならヒヴァ行きの国内線に乗り遅れた悔しさを忘れられる、と思った夢の中世シルクロード隊商都市───ホテルにチェックインするまでの午前中の散策~コンパクトに見どころいっぱいのラビハウズ周辺
2011/09/18 - 2011/09/18
213位(同エリア408件中)
まみさん
2011/09/18日 ブハラ観光
~朝の国内線でブハラへ~
・タキ・サラフォンを経由してラビハウズへ
・ナディール・ディヴァンベギ・ハナカでスザニ(伝統刺繍)の買い物
・ナディール・ディヴァンベギ・メドレセで民芸品の買い物
・クカリダシュ・メドレセで民芸品の買い物
・ラビハウズのレストランでチャイハナ風のテーブルでランチ
~ホテルにチェックイン&休憩~
・ウズベキスタン・ワインのテイスティング(8種類)(有料)
・ブハラ最古のマゴキ・マッタリ・モスク見学(絨毯博物館)(有料)
~タキ・テルパクフルジャンを経由~
・ウルグベク・メドレセ見学(無料)&買い物
・アブドゥールアジス・ハン・メドレセ見学(有料)
~タキ・ザルガロンを経由~
・ミル・アラブ・メドレセ(現役の神学校なので窓から中庭を見ただけで中には入れず)
・カラーン・ミナレット(外観のみ)
・カラーン・モスク見学(有料)
~フッジャ・フラパット通りで露店を見学しながらレギスタン広場へ~
・アルク城(有料)見学と旧市街の見晴らし
・ラビハウズまでの帰り道で夜のライトアップ見学
【ブハラ泊:ホテル・コミル(Hotel Komil)】
※カタカナ表記はガイドブックや本によってまちまちなので、「地球の歩き方」(2011~2012年版)の表記を使っています。
今朝のブハラ行きのフライトは7時半発ですが、早朝出発なので用心し、現地でタクシーを拾うよりずっと値が張るのを覚悟の上で、日本の代理店経由で送迎を頼んでおきました。
朝5時にロビーで待ち合わせです。
おととい、ウズベキスタン航空の国際線の遅れのため、国内線に乗り遅れたので、心配性になってしまい、3時半に目が覚めた後、起床時間と決めた4時までろくに眠れず、早めに仕度できました。
ホテルのチェックアウトは、前夜のうちにレセプションにお願いしておいたのに、朝食BOX用のサンドイッチはその場で作っていたので、10分くらい待たされました。
空港前は、早朝出発便が多いせいか、大渋滞!!
これがなければ、15分くらいで到着したかもしれませんが、早めにホテルを出ていて良かったです。
ただ、送迎のドライバーは、混雑がひどくて近付けないから、と言って、空港の駐車場の通路に一時的に車を停めて、トランクから私の荷物を出し、「バイバイ」。
代理店経由で依頼した送迎なら、もうちょっとサービスしてくれてもいいんじゃないか、と少し不満に思いましたが、代理店経由であっても送迎ドライバーの契約内容はあくまで空港の前まで客を送り届けるまでなので、文句を言える筋合いではありませでした。
以前、代理店経由で依頼したドライバーが、空港のときはともかく、鉄道駅までの送迎のとき、私が車両に乗り込むところまで荷物を運んでくれて、どの車両か一緒に探すことまでしてくれたことがあったのですが、あれはあくまでそのドライバーさんの好意によるものだったようです。
もっとも、駐車場から先は、検閲があって、旅行者でなければ空港内に入れないようになっていました。
送迎や客待ちのタクシードライバーはその検閲のゲートの前でたむろしていたので、ゲートの前までは大混雑。
パスポートチェックや航空券か控えのチェックをされている者もいましたが、私はいかにも旅行者スタイルの外国人だったせいか、すんなり通してもらえました。とはいっても、押すな押すな、状態でした。
9月のウズベキスタンは、早朝5時半では、まだあたりは真っ暗。
しかも、国際線利用者の方が圧倒的に多いのか、ほとんどの旅客はみんなそちらに行きます。
でも、私は、おととい、国際線と国内線のターミナルをあたふたした甲斐(?)はあって、国内線ターミナルの方へ行く人はほとんどいなくてひとけがなくても、自信を持って向かうことができました。
でなければ、大勢の旅客につられるようにして、いったん国際線ターミナルの方に行ってしまったかもしれません(苦笑)。
タクシーで空港の建物の入口まで乗り付けることができるのなら、目的のターミナルのすぐそばに行ってもらえたでしょうに、ウズベキスタンではそれが叶わないのが、不慣れな外国人旅行者にとって不便でした。
国内線のロビーは混雑していました。
そして、チェックイン開始を待つ間、電光掲示のフライトの案内を見て気付きました。
私がおととい乗り損ねたウルゲンチ行きのフライトは、毎日早朝だけでも3本もあります!!
ああ、だけど9月のウズベキスタンは観光シーズンで、ヒヴァは大人気だから、その最寄りの空港のウルゲンチ行きのフライトは、早めにおさえないとすぐに満席になってしまう、って、代理店の担当者さんが言っていたとおりでした。
だから早めにおさえておいたのに、乗り遅れた私。
それが、国際線の遅れのせいであり、同じウズベキスタン航空同士なのに、国際線と同日乗り継ぎの国内線でそれぞれ別々にチェックインしなければならなかった古いシステムのせい、という、私がどうすることもできない理由であっても、いやだからこそ、改めて悔しさがわき上がってきました。
早めに空港に着いたのはよいのですが、チェックイン開始までまだまだ時間があったので、ホテルで包んでもらったサンドイッチをもそもそ食べながら、ずっとロビーの様子を見ていましたが、それにしても団体客がぞろぞろ。ほとんど日本人団体でした。
きっとみんなヒヴァに行くんでしょう。私がきのう行き損ねたヒヴァに。うらやましい。
空港では撮影禁止で、ウズベキスタンでは禁止エリアでの撮影には厳しい、と聞いていたのですが、欧米系の団体客の中のメンバーは堂々と写真を撮っていました。
おそらくそれを見て大丈夫だと思ったのか、日本人団体客の何人かも、写真を撮り始めました。
うーん、私もその団体客の一員だったら、これ幸い、とやったかも(苦笑)。
警備員さんは目の前にいたのに、見ていて見えていないようでした。
自分にカメラを向けられたときになって初めて気付いて、NOと言って撮影をやめさせた、あきれた鈍さ(苦笑)。
チェックインカウンターの様子を観察していると、あまり手際は良くなさそうです。
おととい入国したときも、入国審査と税関でも手際が悪かったので、さもありなん。
ただ、団体客の場合はおそらくツアコンが代表で全員分のチェックインをあらかじめしていたんでしょう、到着した団体客はほとんど待つことなく、すぐにセキュリティーチェックに向かっていました。
ツアーは、こういうときは効率が良くていいなぁ。
ただ、多少の苦労もしないと個人旅行は面白くありません。
とはいえ、私はそんなに度胸があるわけでもないし、旅程もぎりぎりいっぱい詰めているため、おとといのようにトラブルに遭ったり、手間取ったりすると、事前手配と緊急連絡先のありがたさが身にしみます。
でも、全て手配済みだと、今度はラクしすぎたと物足りなくなるはずです。
苦労するのと事前手配でラクするのと、半々くらいで適度に混ぜるのが、私にとってちょうどいいと言えましょう。
ウルゲンチ行きのフライトが3本とも出てしまうと、国内線のロビーはあっという間に閑散としてしまいました。
あの大混雑は、みんなウルゲンチ行きの乗客のせいだったのね。
これからブハラ行きとサマルカンド行きのフライトが出るのですが、その乗客はほんとに数えるほどでした。
でも、ブハラ行きに日本人団体もいました。10人くらいでしたが、ツアコンが上手く時間をはかったのか、搭乗時間の少し前に出現しました。
待っている間に、同じブハラ行きのフライトに乗る、一人旅の女の子を見つけました。
互いにちょっと不安に思っていたのか、視線が合って、すぐに声をかけ合いました。
彼女は観光客ではなく、父親がブハラに住んでいて、会いに行くそうです。
彼女は英語が離せたので、少しだけ会話することができました。
空港の設備やシステムが古めかしかったり、手際の悪そうだ、一緒に文句を言い合いました(苦笑)。
搭乗機は、プロベラ機でした。
私は航空機に詳しくないのですが、これってツァボレフなのな。
搭乗券には座席がありましたが、フライト・アテンダントが好きなところに座っていい、というので、私はイタリア人の女の子と一緒に座りました。
フライトは満席ではありませんでした。ブハラまでなら、タシケントから鉄道や車などで行くのも、そんなに非現実的ではないからでしょう。
プロペラ機はよく揺れました。
でも、プロペラ機に乗るのは初めてではないので、そんなに気になりませんでした。
機内は、はじめは寒いくらいでしたが、しばらくするとかなり暑くなりました。いよいよ砂漠の国の本領発揮か!
空からの景色は、タシケントからブハラまでは、一面砂漠ということはなく、意外に緑豊かでした。
ただし、いかにも灌漑農業といったんかんじの人工的な農地でしたし、それより先のキジルクム砂漠方面は、今でもまさしくシルクロードのイメージどおりの砂漠なのでしょう。
ブハラ到着は9時早々なので、さすがに時間に余裕がある朝のホテルまでの送迎まで代理店経由で頼むことなく、自分で空港前でタクシーを拾いました。
といっても、旅行客以外は空港エリアに入れませんから、タクシー乗り場は、平日昼間のオフィス街よりも閑散としたところをテクテク抜けた先のゲートの外にありました。
そこには現地のおじちゃんたちが数人、たむろしていました。それがタクシーのドライバーたちでした。
ウズベキスタンでは公営タクシーはなく、基本的にみんな白タクなので仕方がないのですが……空港から町までのタクシー代を交渉をしても、ガイドブックなどに書かれた5,000スムの倍の10,000スムと言われてしまいました。
こういうときは、その場にいるドライバー全員がみんなグルなるようです。
しかも、客は私しかいませんでしたから。
誰もが10,000スムと口をそろえて言うし、あたりはなぁんにもなくて、流しの車を拾える雰囲気では全くなかったので、言い値で乗るしかありませんでした。
それでも、きっと、事前に交渉しないよりはずっとマシで、もししていなかったら、着いた後に、もっと何倍にもボッタくられたのだろうと思います。
タクシーは町中から、やがて、背の低い白壁の長屋のような建物が連なるエリアに到着しました。
そこがブハラの旧市街でした。
ドライバーがホテルだと言う建物も、重い扉と分厚い壁に閉ざされた、ただの民家に見えました。
かつてチュニジアの砂漠の町ドゥーズに夜行バスで降り立ったときのように、ちょっと心許なくなりました。
もっとも、その扉の奥にあったのは、美しい絨毯や民芸品で飾られた、外から想像もつかないきらびやかなロビーでした。
部屋はまだ準備できていないというのですぐに通してはもらえませんでしたが、もちろん、予約はきちんと入っていて、話はスムーズに通りました。
1泊2日の私の居場所が確保できた安心感から、私の気持ちもやっと、これからの町歩きで味わうタイムスリップへの準備ができました@
<2011年秋ウズベキスタン旅行:旅程一覧>
9/16金 成田発ウズベキスタン航空でタシケントへ&国際線の遅延で国内線に乗り遅れる
9/17土 ヒヴァの代わりのタシケント観光
9/18日 朝7時台の国内線でブハラへ&ブハラ観光1日目
9/19月 午前ブハラ観光&午後サマルカンドヘ事前手配の車で移動(途中シャフリサーブス寄り道)
9/20火 サマルカンド観光1日目
9/21水 サマルカンド観光2日目
9/22木 特急シャーク号に途中乗車してタシケントへ&タシケント出国
9/23金 朝8時台に成田着
(その後、昼に妹ら一家と上野で待ち合わせて、甥っ子姪っ子らと上野動物園で遊ぶ)
※2011年秋ウズベキスタン旅行の詳細な旅程はこちら。
「2011年秋ウズベキスタン旅行プロローグ(旅程一覧)」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10606873
あるいはもう一つのブログ「まみ’s Travel Diary」(http://mami1.cocolog-nifty.com/)の記事より
「2011年ウズベキスタン旅行の詳細旅程(写真付)」
http://mami1.cocolog-nifty.com/travel_diary1/2011/09/2011-41d7.html
<立案・準備編>
「今年も2度目の海外旅行を計画中」
http://mami1.cocolog-nifty.com/travel_diary1/2011/08/post-087f.html
「もうすぐウズベキスタン旅行!」
http://mami1.cocolog-nifty.com/travel_diary1/2011/09/post-4f78.html
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ホテル・コミルから旧市街の中心のラビハウズへ向かう
タシケント発7時30分の国内線は、予定より5分遅れて9時20分にブハラ空港に着陸しました。
国内移動なので、入国審査や税関もなく、機内預け荷物を受け取ったら、空港の外でタクシーを拾い、ホテルに到着するまで、30分とかかりませんでした。
朝の10時前、ホテルでは、部屋の準備がまだできていないのでチェックインまで2時間ほど待って欲しい、と言われたので、荷物を預け軽装で、まずは旧市街の中心のラビハウズ(ため池)あたりを散策することにしました。
「ブハラ
ブハラ州の州都で、人口は約25万人。長い歴史を持つ観光都市として、何かとサマルカンドと比べられるブハラだが、より伝統的な都市の姿を保っているのはこちらの方。実際、旧市街の中心部では、基本的な建物の配置は9世紀以来ほとんど変化していないとさえいわれる。歴史的には、近代以前の中央アジアで、この町は常に定住文化の中心であったといっても過言ではない。イラン・イスラーム文明が最初の黄金時代を迎えたサーマーン朝の時代(874〜999年)、ブハラはその都であり、イブン・シーナー(アヴィセンナ)などの自然科学者や、ルーダキーなどペルシャ語古典文学の巨匠の活躍の場となった。(中略)
また、法学者イマーム・アル・ブハーリーなどによって始められたイスラーム教学の伝統もソ連時代に入るまで続き、中央アジア各地から多くの学生や学者を集めた。ブハーラーイ・シャリーフ(聖なるブハラ)と呼ばれた所以である。(後略)」
(「旅行人ノート シルクロード 中央ユーラシアの国々 [改訂版]」(2006年11月改訂)より) -
タキ・サラフォン───旧市街の観光エリアが見えてきた@
ホテルから旧市街まで歩いて5分、とレセプションで言われたとき、地元の人が言う5分って、私の足では倍以上なんだろうな、と信じていなかったのですが。
───確かにちゃんと5分で着きました(笑)。
そんな調子で、ブハラの旧市街はコンパクトで、徒歩観光がしやすかったです。
※ブハラで泊まったホテル・コミルの写真はこちらのハイライト旅行記にまとめました。
「2011年秋ウズベキスタン旅行ハイライトその2:ホテルと朝食編<後編:ブハラにて───旧市街のエキゾチックで可愛らしいホテル・コミル>」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10613924 -
タキ・サラフォンのドーム下
タキとは「大通りの交差点を丸屋根で覆ったバザールで、関所のような役割もあった」(「地球の歩き方 中央アジア サマルカンドとシルクロードの国々(2011〜2012年版)」より)ものです。
旅行人のガイドブック「シルクロード」(2006年11月改訂)の説明を長めに引用すると、「タジク語でドームを意味する屋根付きのバザールで、たいていは人の集まる街の交差点上にあり、各入口は荷を積んだラクダが通れるように高めに出来ていた。また取引される商品の種類もタークごとに分かれていて、現在旧市街の中央に残るものも、それぞれ北からターキ・ザルガラーン(宝石)、ターキ・テルパック・フルシャーン(帽子)、ターキ・サッラファーン(両替)と昔扱われていた品物の名で呼ばれている。(後略)」 -
タキ・サラフォンからラビハウズ側へ出るとすぐに目に飛び込んできたこの建物は……
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16世紀建築のハマム・サラフォン
アーチが美しいです。
ハマム(風呂)にサラフォン(両替屋)の名がついているのは、両替屋が中心の屋根付きバザールである「タキ・サラフォン」がすぐそばにあったからではないかと思います。 -
今でも現役のハマムっぽかった、ハマム・サラフォン
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ハマム・サラフォンのテラスと扉と窓
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タキ・サラフォンとバハウッディン・ナクシュバンディ通り
ハマム・サラフォンの前で、来た道を振り返ったところです。
自転車の兄ちゃんのシルエットが通り過ぎる前に急いでパチリ。
タキ・サラフォンの紹介はサラフォンだけにサラッと済ませましたが(笑)、ここは現在、お土産屋さんのバザールで、すばらしいお土産の数々に目を奪われ、さっそく写真を撮ったりしています。
その写真は、こちらのハイライト旅行記にまとめました。
「2011年秋ウズベキスタン旅行ハイライトその8:写真だけ撮ったウズベキスタンみやげ(完)」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10619313/ -
このステキな建物は何!?
タキ・サラフォンやハマム・サラフォンから数歩も進まないうちに、またまたステキな建物が目に飛び込んできました。
これは、横から見たナディール・ディヴァンベギ・ハナカでした。 -
ブハラの旧市街の中心のラビハウズ───ナディール・ディヴァンベギ・ハナカの目の前にあり
タキ・サラフォンからたったの数メートル、ほんとにすぐ近くでした@
ラビハウズは思ったより小さかったですが、日本で「池」と言われれば連想するくらいの大きさでした。
石を敷き詰めたコンクリートで固められていて、人工の池のようで思ったよりきれいでしたが、これはかなりきれいに整備された後の姿なのだろうと思います。
「ラビ・ハウズ(リャビ・ハウズ)
ラビ・ハウズとはタジク語で池の周りという意味で、17世紀に造られたハウズ(ため池)を中心とした広場のこと。6角形のハウズの水面にはそばにあるハーンカー(スーフィーの修道場)の青色のタイルが映り、その周囲には桑の老木が茂り、木陰の茶点では地元の人々がゆったりと茶を飲んでいる。」
(「旅行人ノート シルクロード 中央ユーラシアの国々 [改訂版]」(2006年11月改訂)より)
ブハラは現在でもタジク系の住人がほとんどだそうです。
そのためか、「ラビハウズ」という言葉を含めて、地名などにタジク語の影響があちこちに残っているようです。
「ハウズの話
ザラフシャン川がもたらす水の豊かなオアシス、ブハラの町は、つい最近まで張り巡らした運河と200近くの池(ハウズ)のある水の都だった。ハウズの周りでは、いつも町民が集い、洗濯をし、噂話に花を咲かせていたが、不衛生であったためよく疫病が流行っていた。19世紀の町民の平均寿命は32歳だったという。
今は、池とともに1000年以上巣を作っていたコウノトリも姿を消してしまった。餌の虫やカエルがいなくなったからだ。今でも高い木やミナレットのてっぺんにコウノトリの大きな巣が残り、古いシンボルになっている。
現在ではハウズは6つあるだけだ。」
(「地球の歩き方 中央アジア サマルカンドとシルクロードの国々(2011〜2012年版)」より) -
正面から見たラビハウズと水面に映る建物
水深は5m。
「オアシスの池ラビハウズ
ハウズとは池のこと。伝説なのだが、アブドゥールアジス・ハンの大臣ナディール・ディヴァンベギがここに大きな池を造りたいと思い、土地の持ち主のユダヤ女性に売ってくれるように頼んだ。でもきっぱりと断られてしまった。そこでナディール・ディヴァンベギは、彼女の家の下に運河を通させた。運河の水が家を流し始めたので、彼女は家屋敷を手放さざるを得なかった。それで1620年にここに造られた池は、“力づくのハウズ”と呼ばれていたという。広さは46m×36m。
大きな石できちんと造られた池の四隅は、水を汲んだり洗濯がしやすいように、石段が設けられている。池周りには樹齢何百年にもなるような老木が茂り、人々に木陰を提供している。」
(「地球の歩き方 中央アジア サマルカンドとシルクロードの国々(2011〜2012年版)」より) -
ナディール・ディヴァンベギ・ハナカ
横からみた茶色一色の姿もステキでしたが、やはり正面から見ると圧巻です。
東宝出版の「ウズベキスタン・シルクロードのオアシス」には、ハナカとは巡礼宿、すなわちここブハラを訪れる遠方からの巡礼者が宿泊する施設、とありました。でも、旅行人ノートには、スーフィーの修道場とありました。
さて、どちらなのでしょう。巡礼者が泊まったり修験したりしたところ、ということかな。
建物のプレートには1620年建築とありました。
ツアーグループが入って行くのを見て、何があるんだろうと中に入ってみたら、今はお土産屋のバザールでした@
「ナーディル・ディワン・ベギのハーンカー
17世紀の初め、ブハラ・ハーン国の宰相(ディワンベギ)であったナーディルにより建てられた。」
(「旅行人ノート シルクロード 中央ユーラシアの国々 [改訂版]」(2006年11月改訂)より) -
ナディール・ディヴァンベギ・ハナカの正面タイルの細部
星を連想させる幾何学模様と、装飾的なアラビア文字。
アラビア文字で書かれているのは、コーランあたりではないかと思います。 -
ナディール・ディヴァンベギ・ハナカの内部
壁のほとんどが白塗りできれいすぎでした。ソ連時代に塗り込められてしまったのでしょうか。
でも奥のミフラブ(祈りの向きであるメッカの方向を示すくぼみ)らしきくぼみの装飾は美しいです。
ほぼ正方形の空間は、土産屋エリアとなっていました。はじめは拍子抜けしました。
ツアーグループは買い物に連れていかれただけなのでしょう。でも、ガイドさんがハナカの説明くらいはしていたかもしれません。
ブハラの歴史的な建物は、現在はバザールとして利用されているところがほとんどでした。
でもそれでも、往時の建物が残されているだけでも、すばらしいことです。中に入るとちょっと現実に戻ってしまいますが、町中を歩いている限りでは、容易に中世にタイムスリップした気分になれます。 -
主にスザニのバザールとなっていた、ナディール・ディヴァンベギ・ハナカ
スザニとは、刺繍を施したウズベキスタンの伝統的な布で、昔は母から娘に代々伝わる嫁入り道具の一つだったそうです。
でも、これが観光土産として売れるとわかったので、今では嫁入り道具としてよりは商売道具としての方がメジャーになってしまったようです。
というわけで、ここでさっそく一枚スザニを買ってしまいました
まだ観光もろくに始めていない段階で、手が早い私。
もともとぜひ買いたいと思っていたから、いろんなおみやげ屋で値段を吟味する前に手で出てしまったのです。買い物下手な私です。
実際、ブハラには腐るほどお土産屋がありましたし、ラビハウズから離れれば離れるほど、相場は安かったです。
※ナディール・ディヴァンベギ・ハナカで買ったスザニの写真
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/23675224/
関連の旅行記
「2011年秋ウズベキスタン旅行ハイライトその7:ゲットしたもの───チケット半券もおみやげも」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10618177/ -
ミフラブらしきくぼみ
ミフラブはふつうモスクにありますが、ハナカはイスラム教徒に関係が深い建物なので、たぶんミフラブでよいのではないかと推測。 -
ちょっと黒ずんでいるけれど、非常に美しい装飾
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ラビハウズのそばの像
後ろにラクダがいますが、像の影に隠れてしまいました。
これがかの有名なナスレッディン・ホジャ(フッジャ・ナスレッディン)の像かしら?
と思ったのですが、違いました。
でも、この像も、ひょっとしたらナスレッディン・ホジャかもしれません。 -
ナスレッディン・ホジャの像のある公園
右手に彫刻が見えます。
左手奥の建物は、ナディール・ディヴァンベギ・メドレセです。 -
これが有名なナスレッディン・ホジャの像
らくだに乗った、ひょうきんなポーズの上半身を撮りました。
等身大というより、一回り大きかったです。
ナスレッディン・ホジャとは、イスラムの偉い教師ですが、とんちで有名な、ウズベキスタンの一休さんみたいな人物です。
でも、トルコ民話の有名な登場人物という説明も見かけたので、ウズベキスタンに限らないのかも。 -
不死鳥と人の顔が描かれたナディール・ディヴァンベギ・メドレセ
プレートによると1622年建築。
イスラムの偶像禁止のおきてを敢えて犯したことで有名なメドレセ(神学校)です。
「ナディール・ディワン・ベギのマドラサ
入口には不死鳥と人間の顔をした太陽のモザイクがあり、ティムール朝建築の影響が強く感じられる。」
(「旅行人ノート シルクロード 中央ユーラシアの国々 [改訂版]」(2006年11月改訂)より)
【0174】
イスラム禁忌の偶像のモザイク
不死鳥と人の顔をした太陽、それから4つ足のブタかイノシシかバクみたいな白い動物も見られます。
と思ったけれど、「歩き方」によると、シカでした(苦笑)。
「イスラームの教義に反する顔を描いたナディール・ディヴァンベギ・メドレセ
1622年に、大臣であったナディール・ディヴァンベギによって建てられた神学校。まず正面入口の色タイルの鮮やかな絵に目をうばわれる。2羽の鳳凰が爪で白いシカをつかんで、太陽に向かって飛んでいる絵だ。太陽の真ん中には顔を描かれている。サマルカンドのシェルドル・メドレセの絵と同様に、町中の話題になったことは容易に想像できる。何しろ偶像崇拝を否定するイスラームの教義に反するのだ。彼はこれをキャラバンサライとして建て始めたが、ハンがこれを見て「素晴らしいメドレセ」と賞賛したので、彼はハンの怒りをかうのを恐れて急遽メドレセにしたらしい。中庭をぐるりと取り囲むフジュラ(学生用の部屋)は、現在みやげ物屋になっている。夏の夜にはここで民族舞踊のコンサートも行われる。(後略)」
(「地球の歩き方 中央アジア サマルカンドとシルクロードの国々(2011〜2012年版)」より) -
イスラム禁忌の偶像のモザイク
不死鳥と人の顔をした太陽、それから4つ足のブタかイノシシかバクみたいな白い動物も見られます。
と思ったけれど、「歩き方」によると、シカでした(苦笑)。
「イスラームの教義にハンする顔を描いたナディール・ディヴァンベギ・メドレセ
1622年に、大臣であったナディール・ディヴァンベギによって建てられた神学校。まず正面入口の色タイルの鮮やかな絵に目をうばわれる。2羽の鳳凰が爪で白いシカをつかんで、太陽に向かって飛んでいる絵だ。太陽の真ん中には顔を描かれている。サマルカンドのシェルドル・メドレセの絵と同様に、町中の話題になったことは容易に想像できる。何しろ偶像崇拝を否定するイスラームの教義にハンするのだ。彼はこれをキャラバンサライとして建て始めたが、ハンがこれを見て「素晴らしいメドレセ」と賞賛したので、彼はハンの怒りをかうのを恐れて急遽メドレセにしたらしい。中庭をぐるりと取り囲むフジュラ(学生用の部屋)は、現在みやげ物屋になっている。夏の夜にはここで民族舞踊のコンサートも行われる。(後略)」
(「地球の歩き方 中央アジア サマルカンドとシルクロードの国々(2011〜2012年版)」より) -
ゲート左右のアーチもすばらしい!
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ゲートをくぐって中へ入ると
お土産屋さんとチャイハナ風のテーブル席があるカフェ・レストランでした。 -
チャイハナ(茶店)の座敷席
このテーブルには、靴を脱いでつきます。
あとで別のレストランでこういう席でランチ休憩をとったのですが、観光の最中に靴を脱いでくつろげるのって、とっても気持ちが良かったです。クセになりそうでした。 -
土産屋となっているフジュラ(学生用の部屋)の1つ
中央アジアは初めての私。
東欧に勝るとも劣らぬ素朴で土臭くてプリミティブで可愛らしい民芸品の数々にワクワク!
ついついここでも買い物をしてしまいました(苦笑)。
※ナディール・ディヴァンベギ・メドレセで買ったお土産の写真
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/23675195/
関連の旅行記
「2011年秋ウズベキスタン旅行ハイライトその7:ゲットしたもの───チケット半券もおみやげも」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10618177/ -
中庭から見たゲート側
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壁にはウズベキスタン独立20周年の飾り
2011年はウズベキスタン独立20周年の年であり、9月1日に式典などがあったようです。
これは式典のときの飾りの名残でしょうか。
また、その20周年に向けて、ウズベキスタンの各地で街がリニューアルと近代化が行われた、という特派員ブログ記事も見ました。
「ウズベキスタン / ウズベキスタン独立20周年に向けて街をリニューアル」(2011/08/03投稿)
http://www.tour.ne.jp/blog/otoa_blog/28274/
(総合旅行サイト・トラベルコちゃんの特派員ブログ) -
クカリダシュ・メドレセ───ナディール・ディヴァンベギ・メドレセに向かって左のメドレセ
1568-1569年建築。
ブハラで最も大きいメドレセの1つ。
20世紀の中央アジアの有名な作家サドリッディン・アイニー(1878〜1954)が学んだメドレセでもありました。
(情報源:アルクで買ったパンフレット「ウズベキスタンの歴史的な建造物」) -
美しい彩釉タイルで飾られた正面
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古い貴重な建物にはこんな風にプレートあり
ブハラ旧市街全体が世界遺産に登録されているからか、今までのところどのプレートにも、こんな風に世界遺産のマークがありました。
でもあとで、ブハラ旧市街内の建物であっても、このマークがないものも見かけました。 -
正面ドームの美しい天井・その1
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正面ドームの美しい天井・その2
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中庭へ抜ける直前の天井には、さらに美しい装飾
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クカリダシュ・メドレセの中庭
ナディール・ディヴァンベギ・メドレセよりはさびれていましたが、ここもお土産屋さんのバザールとなっていました。
でも、あまり商売っ気がないところが、かえってよかったです。
と言いつつ、ここでも買い物をしてしまったんです、私ってば。
※クカリダシュ・メドレセで買ったお土産の写真
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/23675196/
関連の旅行記
「2011年秋ウズベキスタン旅行ハイライトその7:ゲットしたもの───チケット半券もおみやげも」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10618177/ -
美しいスザニで飾られた中庭の奥のアーケード
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フジュラ(学生用の部屋)の一つ
星型の窓が美しいです。
メドレセとして使われた当時のものと思われるプレートが残っています。 -
アーチが連なるフジュラ(学生用の部屋)の様子
「地球の歩き方」(2011〜2012年版)によると、フジュラは160もあるそうです。 -
自転車とスザニがあったドーム下
自転車とミスマッチ? あるいは意外にマッチ?
出るときに撮影しました。
いろんな模様があったスザニですが、このタイプが一番お気に入りでもあったので。
この後は、ラビハウズのほとりのチャイハナ(茶店)でくつろぎ、早めのランチをとりました。
なにしろ今朝は5時にホテルをチェックアウトし、包んでもらったサンドイッチを空港でぼそぼそと食べたっきりでしたから。
それにチャイハナの座敷席で、2日目の今日こそ、ちゃんとウズベキスタン料理を食べたかったんです。
※ランチをとったラビハウズのほとりのレストランとランチの写真はこちら。
「2011年秋ウズベキスタン旅行ハイライトその3:朝食以外の食べ物とレストラン編<前編>」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10613991/ -
キャラバンサライ・シャイフィディン
タキ・サラフォンを抜けて、マゴキ・アッタリ・モスク側に出たところにありました。
19世紀建築。
この建物の名前が書かれたプレートには、世界遺産のマークがありませんでしたが、中を覗いてみました。 -
浮彫装飾が美しい木製の扉
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正面ドームの壁にあった独立20周年記念ポスター
働く人々礼賛!
いかにも社会主義的なポスター@ -
キャラバンサライ・シャイフィディンの中庭を覗く
土産屋もありましたが、あまり観光客が訪れないところなのか、静かでいい雰囲気でした。 -
タキ・サラフォンと隣のハマム・サラフォンのドーム屋根
ここで11時30分。
そろそろホテルにチェックインしに、いったん戻ることにしました。 -
ホテルへ戻る道すがら
華やかなタキやハナカやメドレセが林立したエリアは見応えありましたが、それらをいったん堪能してミーハー心が満足した後であれば、今度はいかにもこういったふつうの旧市街の住宅地にも惹かれます。 -
支えのある曲がった電柱があった一角
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美しいレンガの住宅
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街灯もろくにない細い道を進む
昼間は別に支障なかったですが、夜間、真っ暗になってからホテルに戻ったときは、ちょっと怖かったです。
つづく。
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