2011/09/18 - 2011/09/18
213位(同エリア408件中)
まみさん
2011/09/18日 ブハラ観光
〜朝の国内線でブハラへ〜
・タキ・サラフォンを経由してラビハウズへ
・ナディール・ディヴァンベギ・ハナカでスザニ(伝統刺繍)の買い物
・ナディール・ディヴァンベギ・メドレセで民芸品の買い物
・クカリダシュ・メドレセで民芸品の買い物
・ラビハウズのレストランでチャイハナ風のテーブルでランチ
〜ホテルにチェックイン&休憩〜
・ウズベキスタン・ワインのテイスティング(8種類)(有料)
・ブハラ最古のマゴキ・マッタリ・モスク見学(絨毯博物館)(有料)
〜タキ・テルパクフルジャンを経由〜
・ウルグベク・メドレセ見学(無料)&買い物
・アブドゥールアジス・ハン・メドレセ見学(有料)
〜タキ・ザルガロンを経由〜
・ミル・アラブ・メドレセ(現役の神学校なので窓から中庭を見ただけで中には入れず)
・カラーン・ミナレット(外観のみ)
・カラーン・モスク見学(有料)
〜フッジャ・フラパット通りで露店を見学しながらレギスタン広場へ〜
・アルク城(有料)見学と旧市街の見晴らし
・ラビハウズまでの帰り道で夜のライトアップ見学
【ブハラ泊:ホテル・コミル(Hotel Komil)】
※カタカナ表記はガイドブックや本によってまちまちなので、「地球の歩き方」(2011〜2012年版)の表記を使っています。
昼間の厳しい日射しが和らぎ、黄金の斜光がシルクロードのオアシスのイメージそのものの町に差し込んできたときに、それらは現れました。
カラーン・ミナレットとカラーン・モスク、そして向かいにあるミル・アラブ・メドレセ。
モスクとメドレセ(神学校)を両脇に抱く広場は広々としていました。
その広さゆえか夕方だからか観光客もだいぶまばらになり、土産屋と買い物で慌ただしかった空間から、瞑想が似合う静かな空間へといきなり変貌したかのようでした。
おかげで私のブハラの印象も、だいぶ塗り替えられました。
もっとも、写真で振り返る限りでは、これまで雑然とした街並みの中でも、そういう雰囲気ではないところや瞬間を選んで撮影していたため、このブハラ4つめの旅行記からガラッと印象が変わったわけでもないです(苦笑)。
<2011年秋ウズベキスタン旅行:旅程一覧>
9/16金 成田発ウズベキスタン航空でタシケントへ&国際線の遅延で国内線に乗り遅れる
9/17土 ヒヴァの代わりのタシケント観光
9/18日 朝7時台の国内線でブハラへ&ブハラ観光1日目
9/19月 午前ブハラ観光&午後サマルカンドヘ事前手配の車で移動(途中シャフリサーブス寄り道)
9/20火 サマルカンド観光1日目
9/21水 サマルカンド観光2日目
9/22木 特急シャーク号に途中乗車してタシケントへ&タシケント出国
9/23金 朝8時台に成田着
(その後、昼に妹ら一家と上野で待ち合わせて、甥っ子姪っ子らと上野動物園で遊ぶ)
※2011年秋ウズベキスタン旅行の詳細な旅程はこちら。
「2011年秋ウズベキスタン旅行プロローグ(旅程一覧)」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10606873
あるいはもう一つのブログ「まみ’s Travel Diary」(http://mami1.cocolog-nifty.com/)の記事より
「2011年ウズベキスタン旅行の詳細旅程(写真付)」
http://mami1.cocolog-nifty.com/travel_diary1/2011/09/2011-41d7.html
<立案・準備編>
「今年も2度目の海外旅行を計画中」
http://mami1.cocolog-nifty.com/travel_diary1/2011/08/post-087f.html
「もうすぐウズベキスタン旅行!」
http://mami1.cocolog-nifty.com/travel_diary1/2011/09/post-4f78.html
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カラーン・ミナレットとカラーン・モスクがあるポイ・カラン広場
午前中の散策で、中世隊商の町へタイムスリップした感覚にも慣れた頃ですが、それでも感嘆の声が止まない、すばらしいエリアにやってきました。 -
カラーン・ミナレットとドーム屋根のアミール・アリム・ハン・メドレセ・その1
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カラーン・ミナレットとドーム屋根のアミール・アリム・ハン・メドレセ・その2
「ブハラのシンボル カラーン・ミナレット
カラーンとはタジク語で“大きい”という意味で、ミナレットは“光塔”と訳される。その名のとおり高さ約46m、ブハラで最も高く、町のどこからでも見えるブハラのシンボル的な存在だ。
1127年にカラ・ハン朝のアルスラン・ハンによって建てられたもので、ブハラの町の攻防を眺めてきた生き証人といえる。塔の基底部の直径は9m、土台部分が地下に10mもぐっている。塔は上に行くにしたがって細くなる円塔状で、塔身の壁面を14層の帯状に分け、それぞれレンガを異なる積み方で装飾している。灯火用窓の下の1層だけに青タイルが使われ、非常に独創的だ。灯火窓は16のアーチ型に開いている。ミナレットはモスクの壁から少し離れて立ち、橋で結ばれている。内部には105段のらせん階段があり、上ることができたが、2010年9月現在修復中のため不可。
ミナレットは、金曜ごとに信者にお祈りを呼びかけるという本来の役割のほかに、見張りの塔でもあり、旅人の目印で、砂漠から来るキャラバンにとって大切な道しるべであった。18、19世紀には死刑場となり、袋に詰めた死刑囚を上から投げ落としたので、「死の塔」とも呼ばれ、多くの人々におそれられた。最後の死刑は、1884年に行われたそうだ。」
(「地球の歩き方 中央アジア サマルカンドとシルクロードの国々(2011〜2012年版)」より) -
カラーン・モスクの向かい合わせにあるのは、現役の神学校なので公開していないミル・アラブ・メドレセ
そう、公開していないので、中に入れないと思ったのですが、グループ客が入って行くのを見て、ひょっとしたら、と期待して後に続きました。
この正面の建物から中庭を覗くところまでは入ってもいいよ、と中でくつろいでいたおじいさんに招き入れてもらえました。
「ミーリ・アラブのマドラサ
ナクシュバンディー教団のシャイフ(指揮者)に深く帰依していた君主が建立したもので、16世紀の建築。ミーリ・アラブ(アラブのミール)の名は、そのシャイフがイエメンの出身だったことによるもので、建物の北側にその墓廟がある。
ソ連成立後、ブハラにある宗教関係の施設は全て閉鎖されたが、後にここだけは再開を認められ、数こそ少ないながらもソ連時代を通じて宗教指導者を養成していた。現在もマドラサとして活動している。」
(「旅行人ノート シルクロード 中央ユーラシアの国々 [改訂版]」(2006年11月改訂)より) -
ミル・アラブ・メドレセの美しいエメラルドグリーンのドームと、正面ゲートやフジュラ(学生用の部屋)のアーケードの青タイル模様に注目
「ミル・アラブ・メドレッセ
1536年にハイドウツラーの資金で造られた。カリャン・モスクに面しており、巨大な門の両側に青いドームがそびえ立つ。門や壁面の青と白のモザイクタイルで植物文様やアラビア文字が描かれているのはティムール様式の典型。
宗教を認めなかったソ連が例外的に認めた数少ない神学校で、神学生達はここで7年間、アラビア語、コーラン、イスラム法などを住み込みで勉強した。寄宿舎が2階にあり、1階には講義部屋、図書館、食堂などがある。
なお、このメドレッセを造った人物は、3000人以上のペルシャ人奴隷を売って建設資金を作ったと言われ、そのため、「このメドレッセの土台はレンガと粘土ではなく、奴隷達の血と涙と悲しみだ」と歴史家が記述している。」
(「ウズベキスタン シルクロードのオアシス」2000年10月5日出版(東方出版)より) -
赤もほんのり使われた彩釉タイルの装飾
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美しい渦模様のタイル装飾
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正面ゲートの星形ドーム天井
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窓から覗かせてもらった中庭
「ソ連時代にも活躍していたミル・アラブ・メドレセ
カラーン・モスクに面して建ち、巨大なアーチの両脇にふたつの青いドームをもっているのがミル・アラブの神学校だ。青と白のモザイクタイルからなる植物文様と文字文様を組み合わせた装飾は、末期ティムール様式の典型的な例だ。中庭を囲んで回廊があり、1階はおもに講義を行う部屋や図書館、食堂などの小部屋、2階が寄宿舎になっている。多くの神学校のうち、ソ連時代に中央アジアで開校を認められていた数少ない神学校だ。教育年限は7年で、試験で選ばれた学生はアラビア語、コーラン、イスラーム法などを住み込みで勉強している。
このメドレセは、1536年にウバイドゥッラー・ハンの資金で建てられた。ハンが3000人以上のペルシャ人奴隷を売って建設資金を作ったので、「このメドレセの土台はレンガと粘土ではなく、人々の涙と血と哀しみだ」と歴史家が記録しているという。」
(「地球の歩き方 中央アジア サマルカンドとシルクロードの国々(2011〜2012年版)」より) -
ミル・アラブ・メドレセの装飾タイルとカラーン・ミナレット
「カラーン・ミナール
ブハラのシンボル。1127年、カラーン・モスク付属のミナレットとして、アルスラン・ハーンの名により築かれた。地上部分の高さは47m、土台部分は約10m。塔の中は頂上まで全部で105段の螺旋階段が続いている。装飾の面では少量ながら既に青色の彩釉タイルが使われている。
かつては時刻になると4人のミュエッズィン(呼びかけ人)が一斉にアザーン(礼拝の合図)を朗誦、それに合わせて他のモスクのミュエッズィンも唱和し、信者たちは礼拝に向かった。
また19世紀の半ばまで、この建物はしばしば上から罪人を投げ落とすという公開処刑に使われた。このミナレットはチンギス・カンのブハラ征服時に破壊を免れ、1920年の革命で赤軍が市内に突入した時にも、銃弾をわずかに受けるにとどまった。」
(「旅行人ノート シルクロード 中央ユーラシアの国々 [改訂版]」(2006年11月改訂)より)
「地球の歩き方」(2011〜2012年版)」によると、カラーン・ミナレットは「町中が崩壊した大地震にも耐え、壊滅を売りものにしていたチンギス・ハーンにも破壊されなかったことから、数多くの伝説が残っている」そうです。 -
カラーン・モスクの正面ゲート
「カラーン・モスク
タジク語で大モスクという名の通り、約1万人の信者を収容できる巨大な金曜モスク。ここは795年アラブ人により最初のモスクが建てられて以来、常に金曜モスクが置かれてきた場所。チンギス・ハンのブハラ征服の際、宮殿と誤認して徹底的に破壊されたのもここだった。現在のものはシャイバーニー朝支配下の1514年に建立され、1970年に改修が加えられたもの。」
(「旅行人ノート シルクロード 中央ユーラシアの国々 [改訂版]」(2006年11月改訂)より) -
カラーン・モスク
入場料は、写真代込みで2,900スム。
「288もの丸屋根があるカラーン・モスク
カラーン・ミナレットとつながっているのがカラーン・モスクだ。現在の建物は1514年、シャイバニ朝時代に建てられたもの。名前が示すとおり非常に大きなモスクで、サマルカンドのビビハニム・モスクに匹敵する。広さは約1ヘクタール、1万人の信者が礼拝できた。ソ連時代には倉庫となっていたが、独立後、再び礼拝所として再開された。
入口は7ヵ所あるが、東口が正面入口になっており、色タイルで装飾されている。入ると正面に青いドームがそびえて、中庭は回廊で囲まれている。回廊は208本の柱で天井を支え、288の丸屋根で覆われている。」
(「地球の歩き方 中央アジア サマルカンドとシルクロードの国々(2011〜2012年版)」より) -
ゲートを抜けたところ
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中庭から見た正面ゲートとカラーン・ミナレット
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中庭から見た正面ゲートとアーケード
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奥の建物と中庭の八角形の書見台
本日最後の観光ポイントとなったアルク(城)で買った本「ウズベキスタンの歴史的な建造物」から、この手前の建物は実は書見台らしいということが分かりました。
ふつうにイメージする書見台からすると巨大すぎますが、この東屋風の中央に置かれたコーランなどの聖典とそれを朗誦する人とペアで考えれば、なるほどと思えます。 -
中庭から見た正面ゲートとカラーン・ミナレットと向かいのミル・アラブ・メドレセの青い屋根のドームがちょこんと
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中庭のアーケードから正面ゲートを望む
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アーケードの中の柱は真新しい
柱は208本あり、288のドームがある中庭の周辺の建物を支えています。 -
だいぶ柔らかくなってきた日射しをうけるカラーン・モスク(正面ゲート側)とカラーン・ミナレット
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カラーン・モスクの中庭にある八角形の書見台
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正面ゲートと向かい合う奥の建物に近づく
こちらは日影になってしまいましたが、余計な陰影が入らない分、青タイルの色がきれいに均質に撮れたので装飾が分かりやすいです。 -
正面ゲートと向かい合う奥の建物を横から見たところ
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入口側のゲートと、向かいのミル・アラブ・メドレセのエメラルドグリーン色の2本のドーム
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広々としたカラーン・モスクの中庭
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メッカの方向を示すミフラブとミンバル(説教台)
奥の建物の中に入りました。 -
美しく装飾されたミフラブ
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星形ドーム天井
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耳を押さえながらコーランを詠唱していた人
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八角形の書見台の建物のシルエットと、向かいのミル・アラブ・メドレセの双子のドーム
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中庭の建物シルエットとカラーン・ミナレット
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カラーン・モスクと向かいのミル・アラブ・メドレセの入口ゲートの重なり&ミル・アラブ・メドレセのエメラルドグリーン色のドーム
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光が差し込む
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カラーン・モスクを出て
ドームがよく見えるアングルから撮ってみました。 -
外に出て、カラーン・ミナレットをじっくり眺める
煉瓦だけでいろんな文様が施されているのがよくわかります。 -
カラーン・ミナレットとミル・アラブ・マドラサ
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カラーン・ミナレットの基底部付近の文様
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リボンのようにも人形のようにも見える文様@
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見上げる
カラーン・ミナレットには、中に入って登って市内を見渡すことができるかと思ったのですが、どこにも入口は見つかりませんでした。
沙漠の国の建物の入口は、閉ざされると目立たなくなることも多いので、そのせいだったかもしれません。
でも、「地球の歩き方」には2010年現在修復中で入れずとあったので、もともとあまり期待していませんでした。 -
お椀型屋根のアミール・アリム・ハン・メドレセ
「アミール・アリム・ハーンのマドラサ
最後のアミールであるアリム・ハーンが1914年に建てたマドラサ。ロシア革命後の1929年以来、子供用の図書館のとして使用されている。」
(「旅行人ノート シルクロード 中央ユーラシアの国々 [改訂版]」(2006年11月改訂)より) -
カラーン・モスクをアミール・アリム・ハン・メドレセ側から見たところ
フッジャ・ヌラパッド通りを通り抜けてアルク(城)のあるレジスタン広場に向かう途中で見つけたステキなアングルです。
ここで気づくと、17時をすぎていました。
アルク(城)の入場時間は「地球の歩き方」によると16時半。もう入れないだろうなと思いつつも、まだあたりはこんなに明るく、ここで観光を引き上げてディナータイムにするには早すぎる気分でしたので、とりあえずアルク方面に向かってレギスタン広場からアルクの姿を見ようと、フッジャ・ヌラパッド通りを進むことにしました。 -
フッジャ・ヌラパッド通りのアーチから眺めたカラーン・モスクのドーム
さきほどの逆光ではターコイズ・ブルーに、日が当たるとエメラルド・グリーンにドームは色を変えて見せました。ほんとの色はどちらでしょう。
ドームにもあんな風にアラビア文字が見えていたことは、離れて見てみなければわかりませんでした。 -
城塞のよう@
カラーン・モスクの裏側です。 -
フッジャ・ヌラパッド通りの絨毯バザールのドーム門
この後、レギスタン広場に到着し、入れないと思っていたアルクに入ることができました。
その写真は続きの旅行記にて。 -
アルクからの帰り、夕日に染まるカラーン・モスクのドーム
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フッジャ・フラパット通りの商店と、その向こうに見えるカラーン・モスクのドーム
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再び戻ってきた日没後のカラーン・ミナレットとモスク(右)とミル・アラブ・メドレセ(左)
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日没後のとミル・アラブ・メドレセ
つづく。
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この旅行記へのコメント (2)
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- eahawkさん 2012/07/06 23:44:39
- 懐かしい!!
- まみさん
ブハラ、懐かしく拝見しました!!
同じ場所でも、行った人によって感じ方や写真のポイントが違うのだな〜と、勉強になりました。
ブハラは地ビールが飲めなかった事だけが心残りです(笑)
eahawk
- まみさん からの返信 2012/07/08 05:10:41
- RE: 懐かしい!!
- eahawkさん、こちらも見に来てくださってありがとうございます。
ブハラ編はあと2つの旅行記で1日目が完成です。ドラフトはかなり進んでいて、予定されていたリニューアル後にいっぺんにアップするつもりでしたが。。いやあ、海外旅行編は作成が亀の歩みですみません。
ただ、いまちょうど旅行記を作成しながら、ウズベキスタンの復習と、九月の旅行の予習になっているですよ。
去年は初中央アジアで、ものすごく心配して、いろいろ事前に調べていたのに、今年はウズベキスタンが二度目なのでなんとなく勝手が分かり、ちょい油断しかけ。
去年の自分の心配を我ながら初々しく思いつつも、油断しすぎて、つい、インフラが整った国の旅行と同じ考えでいそうだった自分に気づいて、気分を引き締めつつあります。といってももう少し先の話ですけどね@
PS
私も、eahawkさんのグルジア旅行など、とてもなつかしく拝見しています。
おっしゃるとおり、目のつけどころが違って、えっ、こんなところあったっけ、と思ったり、こう撮ったか、となつかしさと新鮮な気分で拝見しています@@
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