2012/04/28 - 2012/04/30
228位(同エリア261件中)
たぁ坊さん
第2日の後半は、天下分け目の決戦地・関ヶ原古戦場を歩きます!
第2日:(続き)-関ヶ原駅-本多忠勝陣跡-西首塚-藤堂高虎・京極高知陣跡-福島正則陣跡-脇坂安治陣跡-大谷吉継陣跡-大谷吉継墓-平塚為広碑-宇喜多秀家陣跡-小西行長陣跡-開戦地-島津義弘陣跡-石田三成陣跡-蒲生郷舎・島左近陣跡-決戦地-岡山(丸山)烽火場-黒田長政・竹中重門陣跡-関ヶ原町歴史民俗資料館-徳川家康最後陣跡-田中吉政陣跡-東首塚-松平忠吉・井伊直政陣跡-関ヶ原駅-岐阜泊
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- 高速・路線バス 新幹線 JRローカル 私鉄 徒歩
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関ヶ原駅から、現地で入手したパンフレットの「史跡めぐり推奨ルート」に従って歩くことにします。
所要時間3時間半、距離約13kmとなかなか歩き応えのありそうなルートです。
12時40分出発です! -
パンフレットのルート地図と、現地の案内板を頼りに歩いていきます。
こういう散策は大好きです! -
まずは、東軍・本多忠勝陣跡。
徳川家康の忠臣。
真田信幸の正妻・小松殿の実父として、「真田太平記」で馴染み深い勇将です。 -
西首塚。
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ここだけで、数千の首が葬られたそうです。
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東軍の藤堂高虎・京極高知陣跡。
松尾山の西軍・小早川隊らに備えて布陣したが、小早川隊らが寝返って来たため、大谷隊らに攻めかかりました。 -
東軍・福島正則陣跡。
東軍の先鋒として、宇喜多秀家隊と対峙しました。
先陣を井伊直政に横取りされそうになり、怒って大奮闘したとか。 -
福島陣跡のこの大杉は、関ヶ原合戦図屏風にも描かれているそうです。
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壬申の乱にゆかりの井上神社。
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時間と体力がなくて行けませんが、この先に松尾山の西軍・小早川秀秋陣跡があります。
良くも悪くも勝敗の鍵を握った人ですね。 -
松尾山のふもとの西軍・脇坂安治陣跡。
小早川秀秋らと共に、東軍に寝返りました。 -
現地の説明板も、やはり寝返り組には厳しいようで。
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これが松尾山かな。
予め寝返りを約束しながら、なかなか動こうとしない小早川隊に対し、業を煮やした徳川家康は、鉄砲を撃ちかけて決断を迫ったそうです。 -
旧中山道を進みます。
出発した時から、なんで皆さん反対方向から歩いてくるのだろうと不思議に思っていたら、どうやら私が通常の周り方と逆走していたようです。
まぁ、いいや。 -
一番訪ねてみたかった大谷吉継陣跡・墓に登っていきます。
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イチオシ
西軍・大谷吉継陣跡。
負けてなお、武士の魂を体現した人でしょう。
業病に冒されながら、負け戦を覚悟しながら、石田三成への義を貫き、死に装束で出陣します。
真田幸村の正妻の実父として、「真田太平記」でも印象深く現れます。 -
イチオシ
大谷吉継の墓(右)。
左は湯浅五助の墓。
寝返った小早川隊に攻め込まれた大谷は、「首を敵に渡すな」と言い残して自害して果てます。
湯浅は大谷の首を埋めて隠しますが、敵方の藤堂仁右衛門(高刑。高虎の甥)に発見され、自分の首と引きかえに他言を阻止し、供養を託します。
感銘を受けた藤堂が、戦後この墓を建てたそうです。 -
なお、湯浅の首を持ち帰った藤堂に対し、徳川家康は、大谷側近の湯浅なら大谷の居場所も知っていたはずと藤堂を詰問しますが、藤堂は「他言しないと誓って湯浅の首を取ったので、誰にも言えない。どうぞ自分をご処分くだされ。」と答え、その藤堂の姿勢に感心した家康は藤堂に褒美を与えたそうです。
なんと素晴らしき武士の世界でござろうか。。。 -
イチオシ
関ヶ原史跡めぐりのハイライトでしょう。
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イチオシ
西軍・平塚為広の碑。
盟友・大谷吉継と共に、寝返った小早川隊・脇坂隊らと激しく戦いますが、力尽きます。 -
藤古川ダム。
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西軍・宇喜多秀家陣跡。
西軍の主力部隊として奮闘します。
若き宮本武蔵が、この部隊で参戦したという説もあります。 -
開戦地近くのきれいな花。
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西軍・小西行長陣跡。
商人出身、キリシタン大名。
文治派の盟友・石田三成のため、西軍の主力として奮闘します。 -
イチオシ
開戦地。
井伊直政に先陣を横取りされそうになって怒った福島正則が、ここから宇喜多秀家隊に一斉射撃を開始したそうです。 -
開戦地ののぼり。
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西軍・島津義弘陣跡。
勇猛果敢な薩摩隊ですが、インテリ官僚型の石田三成と折り合いが悪く、本戦ではほとんど動かなかったとも言われます。
しかし、退却時の決死の敵中突破で本領を発揮します。 -
西軍本陣のある笹尾山に登っていきます。
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西軍・石田三成陣跡。
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関ヶ原を一望できます。
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中央が、小早川秀秋が布陣した松尾山。
右手前が、小西行長・宇喜多秀家が布陣した天満山。 -
東軍大将・徳川家康が最初に布陣した桃配山方面。
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西軍にとって、小早川秀秋らの寝返りも痛かったが、徳川家康の背面の南宮山(左奥)に布陣した吉川・安国寺・毛利・長束・長宗我部らの傍観も痛かった。
彼らが石田三成の思惑通りに動いて、背後からはさみ撃っていれば、西軍が勝てたのではなかろうか? -
西軍本陣前面の竹矢来。
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西軍本陣前面を守る蒲生郷舎陣跡。
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同じく、島左近陣跡。
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決戦地ののぼり。
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イチオシ
決戦地。
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東軍の岡山(丸山)烽火場。
ここから東軍諸隊に攻撃開始の烽火が上げられたそうです。 -
同じ場所にある東軍の黒田長政・竹中重門陣跡。
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関ヶ原戦の絵図面です。
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大谷吉継(吉隆)はここ。
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関ヶ原町歴史民俗資料館で復習です。
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徳川家康最後陣跡。
大将自ら前線に乗り出し、東軍の士気はさらに高まったそうです。 -
勝敗が決した後の首実検もここで行ったそうです。
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東軍最前線の田中吉政陣跡。
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東首塚。
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首洗いの古井戸。
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東首塚の大木。
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東軍の松平忠吉・井伊直政陣跡。
井伊の赤い戦旗ですね。 -
福島正則との間で、なかなか激しい先陣争いがあったようです。
ちょっと微笑ましくもあり。 -
ゴールの関ヶ原駅まで、あと少しです。
これは、「跨線橋」と「古戦橋」をかけているのですかねぇ?
さりげなく洒落てます! -
16時05分、関ヶ原駅に到着です。
夢中で周ってしまいました。
またいつか、もっと範囲を広げて歩いてみたいです! -
今夜は岐阜に泊まります。
金ピカの織田信長公!
信長公、こういうの好きそうだから、きっとあの世で喜んでいるでしょうね。 -
近江ちゃんぽんで乾杯!
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