2011/08/11 - 2011/08/19
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ライオンベラーさん
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※ 8 (http://4travel.jp/traveler/wanyamapori/album/10642524/) の続きです。
今日はいよいよアメリカ合衆国の首都、ワシントンを巡る日です。
この旅行を検討するまでは、東海岸の街の位置関係はまったくわかりませんでした。
実際は、主な街は北からボストン、ニューヨーク、フィラデルフィア、ボルチモア、ワシントンの順になります。
ニューヨークを東京とすると、ボストンが仙台、フィラデルフィアが静岡、ワシントンが京都ぐらいの距離になります。
ボルチモアは岐阜あたりでしょうか。
人口はニューヨーク約820万人、フィラデルフィア約150万人、ボルチモア約62万人、ボストン約62万人、ワシントン約60万人です。
ニューヨークは全米1位で、フィラデルフィアは全米5位で、残りの3都市は21~24位です。
ボルチモアは、1830~1850年代は全米で2位だったようです。
1776年にアメリカが独立宣言を行ったときは、独立戦争のさなかであったので、米議会の開催地は戦場を避けて、転々としていました。
独立戦争が終わって、1787年にアメリカ合衆国憲法が制定されたときの首都はニューヨークでした。
その3年後の1790年には、首都はフィラデルフィアに移されました。
フィラデルフィアの位置は当時の全米(現在のアメリカ東海岸)の中では北部になります。
そのため南部から、首都は北部と南部の中間地点に置いてほしいという声が上がり、現在の地に移されることになりました。
こうしてその11年後の1801年に、新首都ワシントンが建設されました。
そのころの日本は鎖国(さこく)をしていたので、アメリカ合衆国との関わりはほとんどありませんでした。
それは江戸時代(270年)のちょうど半分を経過したぐらいの頃のことでした。
少し当時の日本を覗(のぞ)いてみると、独立戦争の頃は、田沼意次(おきつぐ)が、悪化し続ける幕府の財政赤字を食い止めようと、重商主義政策をとって、景気を回復させていました。
しかし、その後市民や官僚の生活が金銭中心となって、贈収賄(わい)が横行したり、飢饉(ききん)による暴動が続発したりしたので、続く松平定信が、倹約と思想統制による安定化(寛政の改革)を図っていました。
しかし当時のそのような政策は国内だけでコントロールされていて、現在のように世界情勢に左右されたり、また逆に世界に影響を及ぼしたりするようなことはありませんでした。
つまりアメリカ合衆国が独立し、その後新首都ワシントンが建設されましたが、当時の日本は江戸時代が後半に入った頃で、鎖国中であったために、そのようなことにはほとんど関わりはなかったということになります。
それは今から210年ほど前の頃のことでした。
その後のアメリカはどのような変貌(へんぼう)を遂(と)げていくのでしょうか?
そのようなことを感じ取ってくることも、今回の旅の大きなテーマでした。
さあ、それではこれから、この国の首都、ワシントンへ向かうことにしましょう。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 3.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 観光バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
朝、5時にホテルを出て、地下鉄で集合場所のペンシルバニアホテルに向かいました。
一昨日は集合場所のペンシルバニアホテルを、昨日は列車に乗るペン駅(ペンシルバニア駅)を下見していたので、まったく不安はありませんでした。
集合時間は6時でした。
最初のツアーでは、集合時間に遅れてしまいましたが、今回は大丈夫でした。
参加者は10数人でしょうか、その後、案内の日本人の方といっしょに、ペンシルバニア駅に向かいました。 -
列車は7時17分発なので、それまで自由行動になりました。
さっそく駅構内をあちこち歩き回りました。
ここは全米各地への玄関口の1つで、時刻表を見ると、アメリカの様々なところへ向かう列車が、ここから出ていました。
南部のマイアミや北部のシカゴやボストン、カナダのモントリオール行きの列車なんかも、ここから出ています。
さあ、時間です。
集合場所に向かいましょう。 -
皆さんそろいました。
ホームに向かいます。
私たちが乗る列車は、意外と天井の低い、メタリックカラー(銀色)の車輌です。
まるで飛行機の胴体のように丸みを帯(お)びています。
いよいよ乗り込みます。
飛行機に乗り込むような気分です。 -
列車が動き始めました。
さあ、アムトラック(アメリカ鉄道)の旅の馬事まりです。 -
出発後、13分経ちました。
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出発後18分ぐらい経ってニューアークという駅に停車しました。
ニューヨークと似た名前です。
新幹線に例えると、新横浜駅に到着したような感じでしょうか。
写真は進行方向右手、北西向きです。 -
こんな車両もいました。
今、調べてみると、このニューアーク市は人口28万人の都市で、15年前には全米で最も危険な街の筆頭に挙(あ)げられていたようです。
現在でも自動車の盗難率は全米一のようです。 -
もう2時間以上経ちました。
同じツアーの人に撮ってもらいました。 -
車内はこんな感じです。
先ほど、この車掌さんに切符を渡して検札してもらいました。 -
1時間半ほど経ちました。
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食堂車に行ってみました。
向こうの車両はカフェバーのカウンターです。
何も食べずに、また席に戻りました。
出発後、3時間になろうとしています。 -
窓外の風景です。
乗車後3時間が過ぎました。
途中で、フィラデルフィア駅とボルチモア駅に停車しました。 -
車内の様子です。
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もうすぐ、3時間半になろうとしています。
そろそろワシントンに到着します。 -
外の風景です。
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外の風景です。
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外の風景です。
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外の風景です。
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外の風景です。
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外の風景です。
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ここは通過駅です。
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さあ、そろそろ到着です。
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出発後、3時間半になろうとしています。
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時刻は、10時45分です。
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ようやくワシントンD.C.に到着しました。
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ホームを歩いています。
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この列車に乗って来ました。
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この列車です。
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駅舎はこんな感じです。
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この駅はワシントン・ユニオン駅といいます。
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駅舎の外に出ました。
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これが駅舎です。
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ついに、アメリカ合衆国の首都、ワシントンD.C.にやって来ました。
このD.C.というのは、District of Columbia (コロンビア特別区)の略で、ワシントンD.C.とは、”コロンビア特別区であるワシントン”というような意味のようです。
東京を”都政をしいている東京”という意味で、東京都というのと似ているかもしれません。(少し違うかもしれませんが) -
駅舎の前には、このような立派なモニュメントがありました。
-
こんな観光バスもいましたが、私たちが乗っているバスはもっと小型で、白っぽくて、ボンネットが前方に突き出ています。
運転席は下の方にあって、その上は窓が無くて、客席から前方が見えないような構造になっていました。(側方には窓があります。)
市内中心部ではこのような構造のバスをよく見かけました。
治安上の理由によって前方を見せないようにしているのでしょうか?
詳しいことはわかりません。 -
日本人の現地ガイドさんが説明してくれています。
ガイドさんは女性で説明は大阪弁です。
これが、アメリカ合衆国の国会議事堂です。
頂上に立っているのは、実在の人物ではなくて、自由の女神像です。
ここでは、つい最近まで、この議事堂(高さ88m)より高い建物を作ってはならないという法律があったようです。
法律は1910年に改正されましたが、高さ制限は別の形で残っています。
もしそのような法律がなければ、この周りはニューヨークのようにいくつもの高層ビルが立ち並んでいると思われます。
フィラデルフィアから首都が移されたとき(1801年)に、この場所に最初の議事堂が建設され、それ以来ここで、議事が行われてきました。
途中、火災や戦火にあいながらも、改築・拡張を繰り返して、1868年に現在の姿になったようです。
1868年といえば、日本では明治維新(いしん)の年ですが、そのときここにこの建物が建ったということになります。 -
北西から議事堂を見ています。(写真は南東向きです。)
このまま右(南)に歩いていきます。 -
西から東を見ています。
このまま右(南)に歩いていきます。 -
南西から議事堂を見ています。(写真は北東向きです。)
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南西から議事堂へ向かっています。
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議事堂です。
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アメリカ合衆国の国会議事堂です。
1801年以来この国は、ここで決められた方向に進んできました。
1852年、開国を求めてペリーを日本に派遣するというようなことも、ここで決められたのではないでしょうか。
そのときは議事堂はまだ、別の姿で建っていましたが、1868年、日本で明治維新が始まった年に、この建物が完成しました。
それ以来、さまざまなことが、ここで決定されてきました。
その後は、対スペイン戦争、対フィリピン戦争などの領土拡張に関する政策を推し進め、中国派兵、第一次世界大戦への参戦など、世界を舞台とする国へと成長していきました。
第二次世界大戦中の対独(どいつ)、対日政策なども、この議事堂で最終的な決定なされていたと思われます。
そして、1945年に第二次世界大戦が終結してからは、西側諸国のリーダーとしての立場で東西冷戦に対処し、その後は世界のリーダーとしての立場で、地球上の諸国を動かしてきました。
そして今も、世界を動かすようなさまざまな政策が、ここ、この場所で、決定されて続けています。 -
議事堂の正面です。(東向き)
今から2年半前の2009年1月20日は、オバマ大統領の就任式の日で、この議事堂前は、多くの人たちで埋め尽くされていました。
ガイドさんはここに住んでいる人なので、実体験の興奮を交えながら、そのときの様子を話してくれました。 -
後ろ(西)を振り返りました。
はるか向こうにワシントン記念塔が見えています。
初代大統領のワシントンの功績ををたたえるために造られた塔です。
オバマ大統領の就任式の日は、あの塔の向こうまで、市民で埋め尽くされていたそうです。 -
私です。
144年のアメリカ合衆国の歴史を背負っています。 -
興奮のあまり、吠(ほ)えてしまいました。
-
バスで、国会議事堂からホワイトハウスに向かっています。
ここワシントン市内の道路には、合衆国内の50州すべての名前が付けられているそうです。
今走っているのは、ペンシルバニア街という名前の道路です。
この通りには国の役所がたくさんありました。
これは、国立公文書記録管理局の建物です。
南向きです。
左(南東)から右(北西)に向かっています。 -
当然のことでしょうが、この辺りはとてもたくさんの警察官がいて、この首都を厳重に警備しているそうです。
これは昔の郵便局の建物です。
やはり南(南東)向きです。
ホワイトハウスはこの右後方、600〜700mのところです。
もうすぐ到着します。 -
ここは、ワシントンを訪れた要人が泊まるホテルだそうです。
写真の向きは北向きです。
ホワイトハウスはこの左にあります。 -
バスを降りました。
近くの樹にリスがいたので撮りました。 -
ホワイトハウスです。
北向きです。 -
テレビのニュースでよく出てくる映像は、ここから撮っています。
ちょうど12時になりました。 -
鉄格子の間から撮っています。
この鉄格子は2mほどの高さがあります。
ここを乗り越えてこの中に入ると、すぐに撃たれるそうです。
あの屋根の上には銃を持った警備の狙撃(そげき)員が、常時数人はいるそうです。 -
「あ、あの人たちがそうです。
今、ちょうど屋根に出てきて動いています!」
とガイドさんが言いました。
見ると、確かに何人かの人が、屋根の上で動いていました。 -
反対側(南)を見ると、先ほど国会議事堂から見ていたワシントン記念塔が見えます。
国会議事堂は、このずっと左(東)に2〜3kmぐらいのところです。
またバスに戻りました。
バスは、この左からあの塔の後ろ側(南)に回り込んだようですが、そのときは、前方が見えなかったので、どこをどう走っているのか、まったくわかりませんでした。 -
きれいな建物があったので写真に撮りました。
今、調べてみるとこれは、ジェファーソン記念館でした。
ジェファーソンはアメリカの3代大統領で、1776年の独立宣言を起草した人だということです。
王の名の元にここを支配しようとするイギリスに対してアメリカは、共和制(君主を置かない制度)をかかげた国として独立することを宣言しました。
その宣言では、天は人の上に人を造らず、人に下に人を造らず・・・とうたっています。
(しかしその後ここアメリカ合衆国を訪れた福沢諭吉は、人はそのように生まれてきたといっても実際に上下関係が -
生じているではないか。人は生誕後に学問をすることによって人の上に立つことができるのだ、と書物に記しています。)
写真は北向きです。
その右後ろにワシントン記念塔が見えています。
ここから記念塔までは約1kmほどで、記念塔のさらに1kmほど向こうにホワイトハウスがあります。
今は、ここから北西1.5kmぐらいのところにある、リンカーン記念堂に向かっています。 -
リンカーン記念堂です。
-
バスを降りて、記念堂に向かっています。
東向きです。 -
その後ろ1kmぐらいのところにワシントン記念塔が見えます。
この記念塔はこの議事堂が建てられた16年後の、1884年に完成しています。
さらにその2kmぐらい向こうに国会議事堂が見えます。
記念塔の高さは169mで、市内で最も高い建造物です。
高さ制限が始まる前に建造されていたので、高さが国会議事堂(88m)を超えています。 -
これからあの中へ入ります。
12時半です。
※ 10(http://4travel.jp/traveler/wanyamapori/album/10652129/)に続く
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