2009/05/07 - 2009/05/08
5444位(同エリア8988件中)
藤岡靖洋さん
マンハッタン島の北の端ブロンクスに在る
ウッドローン・セメタリーに行く。
ルイ・アームストロング・ハウスの館長マイケルが運転し、
チューバ奏者のデイヴィッドを誘って
3人でお墓参り。
ウェッブスター・アヴェニューと233丁目の北東角のメインゲートから入り、
受付に行って事前にFAXで申請しておいた写真撮影許可願いを提出し、サインをもらう。
ここは観光地ではなく墓地なので、
お参りの方々には気を使う必要がある。
下記ジャズメン以外にも、
百貨店ウールワースやメイシーズの創業者をはじめ、
ラガーディア元ニューヨーク市長、
また野口英世、高峰譲吉など日本の偉人も埋葬されています。
この墓地を参拝するツアー:
2010年11月6日(土)実施予定中。
日本からのツアーは
Tトラベルのホームページ(間もなくアップ予定)
http://ttravel.jp/
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 鉄道
- 航空会社
- デルタ航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
まず、第一に訪れたのがマイルス・デイヴィス。
その大きさに圧倒される。
美しく黒光りする御影石の巨大な墓石には
「サー(Sir)」の称号送られ、
下段には自作「ソーラー」(『Walkin’』で初演)の譜面が刻まれている。
この付近で最大級の大きさと美麗さは、
まさに「帝王」の威厳を死後も遺憾なく発揮しているようだ。 -
ヒーザー・アヴェニュー(Heather Avenue)をはさんで
左隣がデューク・エリントンだが、
こちらは地面に埋もれるプレートという形である。
1974年当時はそのような墓石が一般的だったのかもしれない。 -
しかし、その背後にそそり立つ左の木の大きさが
マイルス(右)をはるかに凌駕し、
20年近くの“差”(マイルスの死は1991年)を感じさせる。
夏にはこの木も緑の葉っぱをいっぱい茂らせて彼らを強烈な日差しから守るのだろう。 -
エリントンのさらに左隣には
道路(ノールウッド・アヴェニュー(Knollwood Avenue)を挟んで
ライオネル・ハンプトンが祭られている。
生年月日も死亡年月日も何も刻まれていないし、
背後もシンプルで、すっきりしている。
白い御影石の表面に刻まれた「フライング・ホーム」という文字は、
かれの大ヒット曲であり、
おおきな墓石には台座が付いて鎮座している。
この威風堂々とした様が素晴らしい。 -
一方、マイルスの右隣にはイリノイ・ジャケーが葬られ
真新しい黒御影石にテナー・サックスを演奏する姿と、
抱きかかえる姿が美しく刻まれている。
「あなたは永遠に我々の心の中に」と言う文字と共に、
サックスの口からは、
「オーム」の梵字(サンスクリット語)が刻まれていてビックリした。
それも三つも描かれている。 -
手前の「一反木綿」の様な墓石は
ライオネル・ハンプトン
その向こうの大きな木の下のプレートが、
デューク・エリントン
四角い黒御影石がマイルズ・デイヴィス
向うの丘のふもとがイリノイ・ジャケー
四者がなんと一列に並んでいる。 -
逆方向から見ると
手前から
イリノイ・ジャケー
マイルズ・デイヴィス
デューク・エリントン
ライオネル・ハンプトン
各人さまざまな生前の想いが込められた墓石が据えられ、
「なるほど」と唸ってしまった。 -
2007年8月16日、闘士のドラマー
マックス・ローチここに眠る
墓碑銘には「Your hands shimmering on the legs of rain」と刻まれている。
同じヒルクレストの丘には、イリノイ・ジャケーの墓碑も在る。 -
マイルスと同じアルパイン(Alpine)と言うブロックには
ひっそりとクーティ・ウィリアムスの墓石が置かれていた。
かれは1985年9月15日に亡くなっているが、
2000年8月に亡くなった妻キャサリン夫人と共に
ひとつの小さな石に記されているところがほほえましい。 -
コールマン・ホーキンスの下段には
幼くして亡くなった(おそらく親戚の子供であろう)
パヴァーヌという文字も見える。 -
我々は車でさらにジャズ・ジャイアンツの墓石を探す。
幸いデイヴィッドが以前一度来ていたので、
発見は意外と簡単であったが、
それでもW.C.ハンディの墓標ほど難しいものはなかった。
大きな石の後ろに隠れるように置かれていたからだ。
墓標の譜面は
「セントルイス・ブルース」の一小節が刻まれていた。 -
W.C.ハンディの墓標の発見はたいへん難しかった。
大きな石の後ろに隠れるように置かれていたからだ。 -
ジャズのパイオニアであるキング・オリヴァーは、
最近ニュー・ジャージーのファン・クラブ有志によって
ようやく墓石が置かれたらしいが、
それまで放ったらかしの憂き目に会っていたようで可哀想。
彼こそジャズのパイオニアなのに、
人種差別がつい先日まであった証拠だ。 -
ジャズのパイオニアであるキング・オリヴァーは、
最近ニュー・ジャージーのファン・クラブ有志によって
ようやく墓石が置かれたらしい。
彼こそジャズのパイオニアである。 -
「ホワイト・クリスマス」
「アニーよ 銃を取れ」
「ショウほど素敵な商売はない」などの大ヒットで知られる
作曲家アーヴィング・バーリンの傍らには
星条旗が掲げられていた。
第二のアメリカ国歌と言われる
「ゴッド・ブレス・アメリカ」を作ったのも彼だ。 -
今回の墓参りで一風変わった埋葬のされ方は
ヴァイブラフォンのミルト・ジャクソンであった。
かれはモスリム(回教徒)なので、
ブルックサイド・コミュニティ・モスリムという建物の中で、
赤御影石のパネル式になって祭られていた。 -
黄熱病の研究に生涯を捧げた日本の細菌研究のパイオニア
野口英世博士と妻メアリー夫人が寄り添って埋葬されている
墓石後方にはその偉業をたたえる碑も置かれている。
2004年から、1000円札紙幣にも肖像画が使われるほどの偉人である。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8E%E5%8F%A3%E8%8B%B1%E4%B8%96 -
高峰譲吉のお墓は、巨大なモニュメント!
墓石、墓碑と言った大きさを想像して探していたため、
家の様に巨大な姿を発見できなくて、墓地3度目の訪問でようやく発見。
タカジアスターゼ、アドレナリンの発見者として知られている科学者、実業家。工学博士・薬学博士。富山県高岡市生まれ。現在の東京大学工学部の前身の一つである工部大学校卒。理化学研究所の設立者の一人
ワシントンD.C.のポトマック川にある美しい桜並木は、1912年に東京市長の尾崎行雄とともに高峰譲吉によって寄贈されたものである。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E5%B3%B0%E8%AD%B2%E5%90%89 -
ちなみにマンハッタンには至る所に
故人の遺業をしのぶ道路標識が掲げられている。
6番街52丁目に掲げられているのは
W.C.ハンディ・プレイス -
デューク・エリントン・ブールバードの
道路標識は
ブロードウエイの106丁目南西角。
ちょうどジャズ・クラブ「スモーク」の
北側に位置する。
墓石と道路標識によって、
ジャズ・ジャイアントの偉業は、
今もそしていつまでも我々の心の中に生き続けてゆくことだろう。 -
イースト・ヴィレッジの中核を成す、トンプキンス・スクエア・パークの東側、アヴェニューBの9〜10丁目の間に在るチャーリー・パーカーのアパートを指し示す道路標識。
付近には、マドンナのアパート、アンディ・ウォーホルの活動拠点なども在り、
イースト・ヴィレッジは総合文化発祥の地であり、
70年代にはヒッピームーブメントの中核をも成した。
ヴィレッジ・ウォーキング・ツアーも
2010年11月7日(日)開催。
以降もご希望があれば開催します。
連絡先は、
coltranehouse@msn.com
藤岡靖洋(ふじおかやすひろ)迄。
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
この旅行記へのコメント (1)
-
- pedaruさん 2012/05/24 06:22:31
- はじめまして
- 藤岡靖洋さん はじめまして
ウッドローン墓地の旅行記を拝見しましたが、今まで知らなかったことがたくさんあり、大変勉強になりました。
高峰譲吉が高岡の出身であることとか、桜を贈ったこと、彼が学者だけではなかったことなど。野口英世の墓はここにあったんですね。
ジャズファンでない私でも名前だけは知っているジャズの巨人たちの墓があるんですね。キング・オリヴァーの話には人種差別の問題を考えさせられました。
昔々、若かった頃、FMラジオの視聴者招待で、茅ヶ崎のホテルのプールサイドで行われたドュークエリントンとジャズメッセンジャーズのコンサートに行ったことがあります。周りの若者よりは年長だったため曲解説を求められ困った記憶があります。
pedaru
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
1
21