2011/12/02 - 2011/12/02
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belleduneさん
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12月2日に京都へ最後の紅葉を見に行きました。天気予報では曇りのち雨でしたが、一日中降ることなく、然程の寒さでもなく、良い1日でした。
河原町から円山公園の長楽園を見てから、知恩院へ。4日まで開園している友禅苑を見学しました。
そこから歩いて、何度か行ったことのある栗田神社からの京都の眺めを楽しんだ後、紅葉の時期には混雑が厭で来たことがなかった永観堂禅林寺へ行きました。ライトアップが終ったので、少し混雑も治まったのか、まぁまぁの人混みでした。順路通りに進んで、思ったよりみかえり阿弥陀像をゆっくり見ることも出来ました。お庭でひと通り紅葉を鑑賞したのですが、皆さんが仰る通り、色付きが今ひとつと言ったところでしょうか。
そこから、また歩いて金戒光明寺へ。
3時を回っていたので、とても空いていました。係りの方がよく説明してくださいました。紫雲の庭に降りて新たに整備された庭園を歩いてきました。
その後、真如堂へ行きましたが、4時を過ぎていたので、境内だけ歩いてきました。
今日は青蓮院門跡のライトアップを見たいので、神宮道まで戻って暫く休憩しました。
昼間は何度か来たことがありますが、ここのライトアップを見たかったので、防寒対策を十分にしてきましたが、それ程寒くありませんでした。
ブルーの照明で、ちょっと期待はずれでした。遊園地のようで、重厚感がないような気がしました。
青蓮院門跡なのですから、青に拘ることなく、もっと他の照明効果があるのにと残念でした。
良く歩いた1日でした。
嵐山紅葉散歩(1):http://4travel.jp/traveler/adoredune/album/10198624/
嵐山紅葉散歩(2):http://4travel.jp/traveler/adoredune/album/10198731/
紅葉の岩倉実相院:http://4travel.jp/traveler/adoredune/album/10265579
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- 私鉄 徒歩
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パソコンをすることが多いので、目を守ってくれる神様です。
まずお参りしてから、で掛けましょう。 -
八坂神社に向かって左側にある三浦照明店は、和紙を使ったものや、和風の細工が凝っている洒落た照明器具がたくさんあります。見るだけでも面白いですよ。
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長楽館は、煙草王と言われた明治時代の実業家・村井吉兵衛が円山公園の一角に建てた別荘でした。伊藤博文が泊まった折に、長楽館と名付けました。アメリカ人T.M.ガーディナーの設計・監督、清水満之助の施工により、明治42年6月に竣工しました。室内装飾は東京の杉田商店、京都の河瀬商店が分担し、壁画は高木誠一によるものです。
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建物は1、2階共に中央の広間を中心として、その廻りに各室が配され、1階には客間、球技室(半地下)、書斎、サンルームと食堂があり、2階には、喫煙室(中2階)、貴婦人室、美術室、3室の客室があります。
1階客間には、暖炉廻りや壁パネル、天井に植物のレリーフを飾るなど、ロココ様式を基調とし、最も華麗で見応えのある部屋となっているそうです。 -
一方3階は、和室となっており、特に東北に位置する2室は、書院造り風で、その豪華な造りと斬新な座敷飾りは見事だということです。建築当初の家具は、30点が現存しており、ロココ様式を初め、各部屋に合った家具が配置されていました。
ロンドンのメープル製など高級な輸入品でした。 -
明治時代後期の和洋折衷の住宅建築の代表的なものとして、昭和61年6月2日に京都市指定有形文化財にしてされました。
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丁度クリスマスの飾り付けが前庭に施されていましたが、ちょっと安っぽい感じが残念でした。
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暖炉用の薪が積み上げられているのも、良い感じです。
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円山公園の紅葉が正門越しに綺麗です。
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円山公園をゆっくり散策します。今日は週日のため、それ程混んではいませんでした。
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長楽館の遠景です。今回は中へは入りませんでしたが、次回は中で、お茶などしながらゆっくりと観察することにします。
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知恩院三門(国宝)
三解脱門(空、無相、無作)の意味を持つ三門です。元和元年(1621)徳川秀忠公の寄進により、建立されました。1階の桁行は26,6m、礎石より2階棟瓦頂部まで23,8mです。入母屋造り、本瓦葺きの5間3戸2階二重門で、左右のに山廊のある三門特有の形式となっています。 -
上層の内部は、極彩色を施し、須床壇中央に釈迦牟尼仏、その左右に須達長者と善財童子、脇壇の左右に十六羅漢像を安置してあります。三門正面に掲げる「華頂山」の額は、霊元天皇の宸筆となっています。平成14年5月に国宝に指定されました。
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知恩院の友禅苑の補陀落池
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宮崎友禅斎像
江戸中期(1688〜1704)の京絵師で、元禄の天和・貞亨に扇絵の意匠を染め出した文様が友禅模様として持て囃されました。 -
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兎(う)とは、中国古代の伝説上の王で、初め尭、舜のニ帝に使え、国を治め、特に治水に大きな功績を挙げ、田畑を潤し、富国に努めました。その功績により舜帝より帝位を禅譲され、夏王朝を建てたと言われています。
禹門(うもん)とは、立身出世の関門のことで、登龍門と同じ意味ですが、山紫水明の茶室庭園と渓流の治水造りに掛ける庭師の心意気がこの門から窺い知ることができるという。
ここへ来た時は、じっくり観察してみよう。 -
白壽庵 知恩院第79世現有猊下白寿の記念事業で、華頂会館の付属茶席として建てられたました。その後、知恩院第86世康隆猊下白寿記念に、友禅苑に移されました。裏千家14代家元淡淡斎宗匠により、「白寿庵」と命名されました。
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華麓庵 友禅苑の池泉上流にある建物で、法然上人浄土宗改宗八百年慶讃法要を記念して、昭和43年に庭園の大改修が行なわれた際、京都の名士、大沢徳太郎氏の別邸にあった茶室を移築しました。
茶室は裏千家第15代課鵬雲斎宗匠により「華麗庵」と命名され、正面に宗匠筆の命名額が掲げられています。 -
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知恩院を出て、少し歩くと右側にある真っ赤な紅葉と銀杏の黄色がこの日一押しの素晴らしいものでした。ここは、駐車場として使われていました。
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青蓮院門跡は夕方来るので、通り過ぎて、ちょっと粟田神社へ。
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粟田神社下の紅葉も見事でした。
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やっと永観堂禅林寺に到着しました。11月30日でライトアップが終わったので、少し混み具合も治まったかなという感じです。
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禅林寺は真言密宗の寺として始まりました。863年、弘法大師の高弟・真紹僧都(しんじょうそうず)が清和天皇から寺院建立の許可を貰い、禅林寺という名を賜ったそうです。
永観律師の時代に禅林寺は大きく発展しました。境内に施療院を建てたり、恵まれない人のために奔走し、永観律師を慕う人々によって、禅林寺は永観堂と呼ばれるようになったということです。 -
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放生池
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釈迦堂は、室町時代に建立された本格的な書院造りです。6間からなり、其々「松鳥図」「群仙図」など華麗な襖絵があります。
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応仁の乱で、5体の仏像の内4体が焼失しましたが、1体だけが奇跡的に残りました。瑞紫殿の本尊「日除けの阿弥陀」として尊ばれてきました。
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釈迦堂から見た紅葉の景色です。
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山の斜面に建てられた廊下・臥龍廊(がりゅうろう)は、龍の体内を歩いているようだと書いてありました。そこを通って、阿弥陀堂へ。
葉先が3つに分かれている「三鈷(こ)の松」があり、三鈷とは、智恵、慈悲、まごごろを表します。この松の葉を持っていると3つの福が授かると言われています。 -
右手に見える唐様式の勅使門は、別名・唐門で、文化8年(1811)に再建されました。昔、天皇の勅使参詣のため、この勅使門が設けられました。今では、当寺住職の遷化(逝去)の時のだけこの門が使われます。
勅使門前の盛り砂は、清めの砂で、勅使の方がこの門を入られ、砂の上を歩いて、身を清められました。また、昔は夜の月明かりをこの盛り砂に受けて、「明り取り」として利用されました。 -
永観律師ゆかりの悲田梅
永観律師は、境内の梅の実が成るのを待ちかねて、貧しい病人に施されたと言われています。いつしかその梅の木は「悲田梅」と呼ばれるようになったそうです。 -
阿弥陀堂には、ご本尊「みかえり阿弥陀」が祀られています。慶長12年に大阪から移築されました。堂内は極彩色で、格天井には「百花」が描かれています。両端の長方形の部分だけは白く塗った」散り蓮華」になっていました。このみかえり阿弥陀を見るために、ここへ来る人も多く、多くの人でしたが、近くで観察することができました。
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