2011/10/09 - 2011/11/04
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ドクターキムルさん
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徳川将軍家霊廟は、日光と芝増上寺、上野寛永寺に造営され、初代から7代までは荘厳な霊廟が建立された。初代家康公は日光東照宮と安国殿(増上寺)と上野東照宮(寛永寺)、2代秀忠公は台徳院霊廟(増上寺)、2代秀忠公の御台所(江)は崇源院御霊屋(増上寺、後に建長寺に移築)、後に崇源院霊牌所(増上寺)、3代家光公は大猷院上野霊廟(寛永寺)(「寛永寺」の冊子(1,000円)表紙は古地図が印刷されており、慈眼大師堂の西に門と石燈籠が並ぶ参道が描かれ、その奥に大猷院殿御霊屋と書かれた4棟の門やお堂が描かれている。)と大猷院霊廟(日光・輪王寺)、側室の桂昌院(5代綱吉公の生母)霊牌所(増上寺)、4代家綱公は厳有院霊廟(寛永寺)、5代綱吉公は常憲院霊廟(寛永寺)、6代家宣公は文昭院霊廟(増上寺)、7代家継公は有章院霊廟(増上寺)を数える。特に、日光に造営された日光東照宮と日光・輪王寺大猷院霊廟には多くの建造物が残っており、国宝に指定されているものが多く、世界文化遺産ともなっている。2代(、4代)〜7代の各霊廟は関東大震災や第2次世界大戦での東京大空襲のために多くは焼失した。これらが戦災を受けずに残っておれば、芝増上寺、上野寛永寺の両徳川将軍家霊廟の各霊廟は国宝になり、日光と同様に世界文化遺産にもなっていたであろう。
芝増上寺、上野寛永寺にあった各霊廟の一部は焼失を免れたものもある。初代家康公の上野東照宮(寛永寺)の本殿、拝殿、唐門、透塀と五重塔、2代秀忠公の台徳院霊廟葱門(増上寺)、勅額門、丁字門、御成門(狭山不動寺(埼玉県所沢市)に移築)、3代家光公の大猷院上野霊廟の水盤舎(両大師(輪王寺)の鐘楼)と梵鐘(。青銅製の手水鉢は?)、4代家綱公の厳有院霊廟勅額門と水盤舎、奥院唐門(寛永寺)、5代綱吉公の常憲院霊廟勅額門と水盤舎、奥院唐門(寛永寺)、6代家宣公の文昭院霊廟奥院中門(鋳抜門)(増上寺)、7代家継公の有章院霊廟二天門(増上寺)と6代の霊廟の一部なりとも残っている。
他には、6代家宣の父・徳川綱重(家光の3男。4代家綱の弟、5代綱吉の兄)の清揚院霊廟の水盤舎(増上寺)も現存している。
しかし、8代吉宗公以降は倹約のためもあり、大規模な霊廟は建築されず、寛永寺か増上寺のいずれかの霊廟に合祀し、宝塔が建立された。
そのため、以降は、増上寺には、9代家重公(惇信院)、12代家慶公(慎徳院)、14代家茂公(昭徳院)の宝塔が建っていた。なお、文昭院霊廟には慎徳院(12代家慶公)と昭徳院(14代家茂公)と静寛院(14代家茂公正室(皇女和宮))が合祀され、有章院霊廟には惇信院(9代家重公)が合祀され、崇源院霊牌所には天英院(6代家宣公正室)と広大院(11代家斉公正室)が合祀され、桂昌院霊牌所には月光院(6代家宣公側室)が合祀されていた。
また、寛永寺には8代吉宗公(有徳院)、10代家治公(浚明院)、11代家斉公(文恭院)、13代家定公(温恭院)の各々の宝塔が建っている。なお、厳有院霊廟には浚明院(10代家治公)と文恭院(11代家斉公)が合祀され、常憲院霊廟には有徳院(8代吉宗公)と温恭院(13代家定公)が合祀されていた。他に孝恭院(10代家治公の嫡子家基)と天璋院(13代家定公正室)も常憲院霊廟に合祀されていた。
御台所の宝塔も並んで建てられたので、増上寺には静寛院(皇女和宮)の青銅製の宝塔が残っており、寛永寺には天璋院篤姫(13代家定(温恭院)の御台所)の宝塔も残っている。なお、15代慶喜公の墓所は谷中霊園にある。
(表紙写真は安国院(東照大権現)(初代家康公)の霊廟である日光東照宮)
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安国院(東照大権現)(初代家康公)霊廟である日光東照宮の陽明門(国宝)。
正式名称は「東照宮」であるが、他の東照宮と区別するため日光東照宮と呼ばれている。 -
安国院(東照大権現)(初代家康公)宝塔(銅製)(重文)(日光東照宮奥院)。
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上野東照宮(初代家康公)(寛永寺)。寛永4年(1627年)に伊賀上野藩主・藤堂高虎が屋敷地であった上野山に造営した。本殿、拝殿、唐門、透塀が造営当時の建築であり、国指定重要文化財である。他に銅灯籠50基と寛永10年(1633年)寄進の石造明神鳥居も国重文である。
正式名称は「東照宮」であるが、他の東照宮と区別するため上野東照宮と呼ばれている。上野の地名は藤堂高虎の藩があった伊賀上野に由来する。 -
上野東照宮(初代家康公)の五重塔(寛永寺)。寛永16年(1639年)に再建。
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芝東照宮の鳥居。安国殿(増上寺)は元和3年(1617年)に建立されたが、寛永18年(1641年)には家光公によって丸山の地に移され造替された。しかし、社殿は東京大空襲で悉く焼失した。
石鳥居は古そうに見える。戦前のものか。石鳥居の建立時期は不明である。 -
台徳院(2代秀忠公)霊廟葱門(重文)(増上寺)。戦災から免れた勅額門、丁字門、御成門も狭山不動寺(埼玉県所沢市)に移築されている。
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大猷院(3代家光公)霊廟の二天門(重文)日光輪王寺)。
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両大師(輪王寺)の鐘楼(水盤舎を移築)。上野寛永寺の両大師開山堂奥に創建された大猷院御霊屋(大猷院上野霊廟)は享保 5年(1720年)に焼失してしまい、再建されなかったようだ。
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両大師(輪王寺)の梵鐘。
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厳有院(4代家綱公)霊廟勅額門(重文)(寛永寺)。水盤舎(重文)、奥院唐門も残っている。
厳有院霊廟には浚明院(10代家治公)と文恭院(11代家斉公)が合祀されていた。
この頃になると、徳川将軍家の霊廟建築が完成し、霊廟は二天門、勅額門、鐘楼、水盤舎、井戸屋形、中門(鋳抜門)、廻廊、供所(くしょ)、拝殿、相之間(あいのま)、本殿、仕切門からなる。 -
常憲院(5代綱吉公)霊廟勅額門(重文)(寛永寺)。水盤舎(重文)、宝塔(重文)、奥院唐門も残っている。
常憲院霊廟には有徳院(8代吉宗公)と温恭院(13代家定公)が合祀されていた。他に孝恭院(10代家治公の嫡子家基)と天璋院(13代家定公正室)も常憲院霊廟に合祀されていた。
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文昭院(6代家宣公)霊廟奥院中門(鋳抜門)(増上寺)。
文昭院霊廟には慎徳院(12代家慶公)と昭徳院(14代家茂公)と静寛院(14代家茂公正室(皇女和宮))が合祀されていた。 -
有章院(7代家継公)霊廟二天門(重文)(増上寺)。
有章院霊廟には惇信院(9代家重公)が合祀されていた。、 -
崇源院(2代秀忠公の御台所(江))御霊屋(増上寺)。後に建長寺に移築され仏殿(重文)となっている。
台徳院(2代秀忠公)霊廟が建立される際に、崇源院霊牌所も建立された。この崇源院霊牌所には天英院(6代家宣公正室)と広大院(11代家斉公正室)が合祀されていた。
また、桂昌院霊牌所(増上寺)には月光院(6代家宣公側室)が合祀されていた。 -
崇源院(2代秀忠公の御台所(江))御霊屋の門(増上寺)。後に建長寺に移築され方丈唐門(重文)となっている。
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清揚院(徳川綱重公)霊廟の水盤舎(増上寺)。徳川綱重公(家光の3男。4代家綱の弟、5代綱吉の兄)は6代家宣公の父であり、増上寺に徳川将軍家と同様に霊廟が建てられていた。
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