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公園に入ると真っ先に目に付くのが芭蕉と曾良像。<br /><br />近付いて見ると、芭蕉と曾良像の足元の台座の石に芭蕉と曾良の句が並べて刻まれている。<br /><br />何れも両者が白河の関を越える際に詠んだとされる句。<br /><br />  風流や 初めや奥の田植え歌   芭蕉<br /><br />  卯の花をかざして関の晴れ着かな 曾良<br /><br />芭蕉と曾良の目線の先にはよく手入れされた芝の庭園が広がっており、左には水車が周り小川が流されている。<br /><br />右には吾妻屋造り風の屋根の建物が連なり、芝生越しの風情はなかなかなものである。<br /><br />その建物一つで旅行企画会社が用意した弁当の昼食。<br /><br />白河の関をを発ち、須賀川に向かう途上、”宗祇戻しの碑”を見に立ち寄った。<br /><br />室町時代の連歌師飯尾宗祇が、たまたま出会った綿摘みの女性に、ひやかし半分に「背負っている綿を売ってくれないか」問いかけると、その女性から即座に「阿武隈川の川瀬に住める鮎にこそうるかといえるわたはありけり」と歌で返事が戻され、自分の慢心を悟り、都に引き返すと云う逸話が残る場所。(旅行企画会社提供資料より)<br /><br />碑は黒い石で、刻まれた文字は判読できない程であったが、上段に「宗祇戻し」、下一面に<br /><br /> 早苗にも 我色黒き日数哉<br /><br />の句が刻まれている。<br /><br />案内板によるとこれはやはり芭蕉が白河を越えた際詠んだ句で、白河の俳人何雲に宛てた手紙に添えられていた物との事。<br /><br />傍らに赤い帽子の地蔵像が碑を見守る番人ように佇んでいた。<br />

奥の細道を訪ねて第6回④芭蕉と曾良像の建つ”白河関の森公園”

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2011/09/15 - 2011/09/15

245位(同エリア310件中)

WT信

WT信さん

公園に入ると真っ先に目に付くのが芭蕉と曾良像。

近付いて見ると、芭蕉と曾良像の足元の台座の石に芭蕉と曾良の句が並べて刻まれている。

何れも両者が白河の関を越える際に詠んだとされる句。

  風流や 初めや奥の田植え歌   芭蕉

  卯の花をかざして関の晴れ着かな 曾良

芭蕉と曾良の目線の先にはよく手入れされた芝の庭園が広がっており、左には水車が周り小川が流されている。

右には吾妻屋造り風の屋根の建物が連なり、芝生越しの風情はなかなかなものである。

その建物一つで旅行企画会社が用意した弁当の昼食。

白河の関をを発ち、須賀川に向かう途上、”宗祇戻しの碑”を見に立ち寄った。

室町時代の連歌師飯尾宗祇が、たまたま出会った綿摘みの女性に、ひやかし半分に「背負っている綿を売ってくれないか」問いかけると、その女性から即座に「阿武隈川の川瀬に住める鮎にこそうるかといえるわたはありけり」と歌で返事が戻され、自分の慢心を悟り、都に引き返すと云う逸話が残る場所。(旅行企画会社提供資料より)

碑は黒い石で、刻まれた文字は判読できない程であったが、上段に「宗祇戻し」、下一面に

 早苗にも 我色黒き日数哉

の句が刻まれている。

案内板によるとこれはやはり芭蕉が白河を越えた際詠んだ句で、白河の俳人何雲に宛てた手紙に添えられていた物との事。

傍らに赤い帽子の地蔵像が碑を見守る番人ように佇んでいた。

同行者
一人旅
交通手段
観光バス JRローカル
旅行の手配内容
ツアー(添乗員同行あり)

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