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那須温泉神社の北面の急な断崖の上の”那須自然道”から覗き下ろすと下に溶岩の瓦礫の中を、「殺生石」に向かう板張りの通路が伸びている、通称”賽の河原”。<br /><br />崖の裾に沿って、”賽の河原”の手前に千体地蔵が広がっているが、地蔵の赤い帽子が崖の上から見ると、天上に咲くと云われる”曼沙華殊”の花園のようにも見え、美しいのに不気味さが漂う。<br /><br />”那須自然道”のゆっくりした坂道を下り、”石の香橋”と云う名の橋を渡ると、「史跡 殺生石」と書かれた小柱の後ろは溶岩の小山で、手前に注連縄が張られた、黒っぽい巨石があった。<br /><br />この巨石はの正体は、顔白く、金色の体毛と9本の尾を持った、紀元前11世紀の中国・殷の時代に出現した「九尾の狐」。<br /><br />美女に身を変えた「九尾の狐」は中国の殷と周、更には南天竺の王を誑し込んで滅亡たらしめ、遣唐使の”吉備真備”を唆して日本へ。<br /><br />鳥羽上皇の寵愛を受けたが、正体がばれ、那須野ケ原へ逃げ込み、乱暴狼藉を働いた。鳥羽上皇は8万の軍勢を差し向け、終に「九尾の狐」は殺害されるが、巨石に身を変え、毒気を吐き、人や鳥獣を殺害、住民は「殺生石」と呼び怖れ慄いた。<br /><br />今は国の”史跡”で多くの観光客を呼ぶ。<br /><br />芭蕉もここを訪れ、次の句を詠んだ事が曾良の随行日記で知られるが、奥の細道の本文での記載はない。<br /><br />  石の香や 夏草赤く露あつし<br /><br />「殺生石」の右手の丘の草叢にこの句を刻んだ石碑が有り、入り口で渡った橋の名もこの句に因んだもの。<br /><br />帰り道、”那須自然道”から”曼沙華殊”と見えた大小の千体地蔵に見守られながら、無事”賽の河原”を通り抜けた。

奥の細道を訪ねて[第5回]⑤妖怪”九尾の狐”の成れの果て「殺生石」

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2011/07/23 - 2011/07/23

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WT信

WT信さん

那須温泉神社の北面の急な断崖の上の”那須自然道”から覗き下ろすと下に溶岩の瓦礫の中を、「殺生石」に向かう板張りの通路が伸びている、通称”賽の河原”。

崖の裾に沿って、”賽の河原”の手前に千体地蔵が広がっているが、地蔵の赤い帽子が崖の上から見ると、天上に咲くと云われる”曼沙華殊”の花園のようにも見え、美しいのに不気味さが漂う。

”那須自然道”のゆっくりした坂道を下り、”石の香橋”と云う名の橋を渡ると、「史跡 殺生石」と書かれた小柱の後ろは溶岩の小山で、手前に注連縄が張られた、黒っぽい巨石があった。

この巨石はの正体は、顔白く、金色の体毛と9本の尾を持った、紀元前11世紀の中国・殷の時代に出現した「九尾の狐」。

美女に身を変えた「九尾の狐」は中国の殷と周、更には南天竺の王を誑し込んで滅亡たらしめ、遣唐使の”吉備真備”を唆して日本へ。

鳥羽上皇の寵愛を受けたが、正体がばれ、那須野ケ原へ逃げ込み、乱暴狼藉を働いた。鳥羽上皇は8万の軍勢を差し向け、終に「九尾の狐」は殺害されるが、巨石に身を変え、毒気を吐き、人や鳥獣を殺害、住民は「殺生石」と呼び怖れ慄いた。

今は国の”史跡”で多くの観光客を呼ぶ。

芭蕉もここを訪れ、次の句を詠んだ事が曾良の随行日記で知られるが、奥の細道の本文での記載はない。

  石の香や 夏草赤く露あつし

「殺生石」の右手の丘の草叢にこの句を刻んだ石碑が有り、入り口で渡った橋の名もこの句に因んだもの。

帰り道、”那須自然道”から”曼沙華殊”と見えた大小の千体地蔵に見守られながら、無事”賽の河原”を通り抜けた。

同行者
一人旅
交通手段
観光バス JRローカル
旅行の手配内容
ツアー(添乗員同行あり)

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