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芭蕉は1689年(元禄2年)4月16日(陽暦6月3日)、ゆっくり休養した黒羽を発ち「殺生石」に向かう。<br /><br />黒羽最後の夜は城代家老浄法寺高勝(翠雪)邸であったが、体調を崩して鹿子畑翠桃邸に留まっていた曾良を迎えに余瀬に立ち寄る。<br /><br />そこから奥州街道の野間と云う宿場までは、高勝が手配して呉れた馬と馬子の道案内で気持良く旅したようだ。<br /><br />野間で馬を戻し、徒歩でやはり高勝が紹介状を書いてくれた、高久村の高久家へ向かう。<br /><br />その途上、野間から少し先の鍋掛宿を経由している。<br /><br />昔ここに那珂川の対岸の越堀宿への渡しが有ったが、雨による増水で再三船が動けなくなっていた。<br />その為多くの旅人が足止めされ、その人たちの為村人が炊き出しを行い、使った鍋が洗われて列をなした。<br /><br />そこから鍋掛宿と呼ばれるようになったと云う。<br /><br />その鍋掛宿に小さな「八坂神社」が有り、境内に芭蕉の句碑が建っていた。<br /><br />芭蕉の乗った馬の手綱を取った馬子の望みに応じて馬子に与えた句である。<br /><br />「八坂神社」の芭蕉の句碑の案内によると、昔この辺りは狩りが行われる原野が広がっていた。<br /><br />馬上で気分爽快な芭蕉は、狩りの武将に思いを馳せ、命令口調の句を編んだとある。<br /><br /> 野を横に馬牽きむけよほととぎす<br /><br />

奥の細道を訪ねて[第5回]②芭蕉が殺生石に向かう途上の鍋掛の「八坂神社」

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2011/07/23 - 2011/07/23

1455位(同エリア1785件中)

WT信

WT信さん

芭蕉は1689年(元禄2年)4月16日(陽暦6月3日)、ゆっくり休養した黒羽を発ち「殺生石」に向かう。

黒羽最後の夜は城代家老浄法寺高勝(翠雪)邸であったが、体調を崩して鹿子畑翠桃邸に留まっていた曾良を迎えに余瀬に立ち寄る。

そこから奥州街道の野間と云う宿場までは、高勝が手配して呉れた馬と馬子の道案内で気持良く旅したようだ。

野間で馬を戻し、徒歩でやはり高勝が紹介状を書いてくれた、高久村の高久家へ向かう。

その途上、野間から少し先の鍋掛宿を経由している。

昔ここに那珂川の対岸の越堀宿への渡しが有ったが、雨による増水で再三船が動けなくなっていた。
その為多くの旅人が足止めされ、その人たちの為村人が炊き出しを行い、使った鍋が洗われて列をなした。

そこから鍋掛宿と呼ばれるようになったと云う。

その鍋掛宿に小さな「八坂神社」が有り、境内に芭蕉の句碑が建っていた。

芭蕉の乗った馬の手綱を取った馬子の望みに応じて馬子に与えた句である。

「八坂神社」の芭蕉の句碑の案内によると、昔この辺りは狩りが行われる原野が広がっていた。

馬上で気分爽快な芭蕉は、狩りの武将に思いを馳せ、命令口調の句を編んだとある。

 野を横に馬牽きむけよほととぎす

同行者
一人旅
交通手段
観光バス JRローカル
旅行の手配内容
ツアー(添乗員同行あり)

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