2011/05/25 - 2011/05/25
1743位(同エリア7145件中)
愛吉さん
午後の鎌倉です、今八幡宮の鳥居の前に立って居ます。
午前中は、下見を兼ねた北鎌倉を回り、遅めの昼食を済ませた処です。
このまま帰るには早過ぎるので、鎌倉をもう一回りしたいと思います。
さて何処に行こうか、あまり人の行かない処、気になっていた処を選びます。
結果的には、悲劇の場所、ものの哀れを感じる寺巡りとなってしまいました。
ではスタートは鶴岡八幡宮から。
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- JRローカル 私鉄
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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八幡宮の前を東に5分程進むと、宝戒寺に突き当ります。
ここは代々北条氏が屋敷を構えた場所で、北条氏滅亡後、後醍醐天皇が足利尊氏に命じ寺を建立させた事がはじまりです。
又源氏を象徴する白い萩を植えた事から萩寺の別名もあります。
参道の入り口には、北条氏屋敷跡の石碑が建つています。 -
宝戒寺の参道
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宝戒寺の本堂
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宝戒寺の本尊は、子育て地蔵菩薩で、国の重要文化財に指定されています。
これは北条氏滅亡時に高時と共に自害した一族の婦女子を悼んだもので、その自害の場所がこの屋敷だったからでしょう。
赤い風車が悲しみをさそいます。 -
石塔には子供のお地蔵さんが並んでいます。
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次は宝戒寺を出てその横道に入ります、滑川にかかる東勝寺橋を渡り谷戸に入って行くと、東勝寺跡に到着です。
今は草木が茂り何も有りません、背後に山が迫る鎌倉寺院特有の地形で、深山幽谷の趣さえ有ります。
ここは北条泰時が建てた、北条氏の菩提寺でしたが、新田義貞の鎌倉攻めの時、最後の執権北条高時が一族郎党八百人と共に自害した場所でもあります。
鎌倉市が建てた石碑が草に埋もれています。 -
草に埋もれた道を辿ると、こんな看板が立っています。
奥に見えるのが、腹切りやぐらです。
芭蕉の句を思い出しました。
”夏草や兵共が夢の址” -
腹切りやぐらの中には、小さな宝塔が有り花が活けてありました。
自然と手を合わせます。 -
次は一度宝戒寺迄戻り、道なりに進み覚園寺を目指します、途中の鎌倉宮に到着しました。
素通りも気になるので、本殿の前で拝礼をします。
考えれば、ここも足利氏により、護良親王が幽閉され、殺された悲劇の場所です。
社殿の裏に、その地下牢と首を置いた石の台が有ったと思います。 -
本殿の横に木彫りのこんな像が置いてあります。
護良親王を写したものでしょうか、説明文によると何処か悪い処をさすると、治るとの事です。 頭をさすって来ました。 -
目的地の覚園寺に到着しました。
この寺は、松本清張が鎌倉で最も鎌倉らしい寺として紹介してから人気が出たお寺です。
特に薬師堂は、安置している仏像が素晴らしく、又天井には尊氏の書いた願文が残っているそうです。。
行って初めて知りましたが、薬師堂は普段は公開せず、公開日と時間を決めており、案内人が付き添うそうです。
今日は公開日でしたが、時間が合わず残念ながら見学出来ませんでした。 -
境内の写真だけ写して寺を後にします。
薬師堂は境内の奥の方に有る為、写真も撮れません。
事前調査の上で出直します。 -
八幡宮に戻って来ました。
若宮大路の段蔓の上を鎌倉駅に向かって歩きます。 -
鎌倉郵便局を左に曲がります。
突き当りに大きな山門が見えて来ました。
妙本寺です。 -
山門の扁額です。
思ったより大きなお寺です。 -
山門の前には、鎌倉市が建てた比企能員邸跡の石碑が有ります。
鎌倉幕府成立間もない頃、北条氏と比企氏は幕府内の覇権を争い、一時は比企能員が娘を二代将軍頼家の側室とし、一子一幡を設ける等優勢でした。
しかし北条氏は実朝を担いで巻き返し、能員の暗殺、屋敷の焼き討ち等により比企氏を滅ぼしてしまいます。
頼家謀殺に関しては、岡本綺堂の修善寺物語で多く知られています。
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本堂への参道です。
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本堂が見えて来ました。
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本堂です。 中々立派です。
此処まで来るのに、参詣人とは一人も会いません。 -
境内には、日蓮上人の像が立っています。
この寺は、1260年に比企一族唯一人の生き残りである比企能本が、一族の菩提を弔う為に、日蓮の高弟日朗を迎えて建立したものです。
鎌倉期日蓮宗の伽藍配置を伝える寺としても有名です。 -
境内の一画に、小さな竹矢来を組んだ場所があります。
近付いて見ると、一幡袖塚です。
将軍頼家の嫡子一幡は当時6歳で、母親である比企能員の娘若狭局とこの比企邸で暮らしていましたが、北条氏の夜襲を受け一族もろとも焼死しました。
それを悼んで、一幡の着ていた着物の袖を埋めたのがこの袖塚です。 -
近寄って見ましょう。
花が手向けてあります。
何処となく、ものの哀れを感じる処です。 -
袖塚の斜め後方には、比企一族の墓があります、無念の思いがこもった墓です。
ここでも手を合わせます。 -
比企一族の墓の後方、山を少し上った処に、古い墓が立っています。
この墓だけ花が活けてあり気になったので写しました。
悲劇の場所だけに気になります。 -
別な墓地の一角には、2代将軍頼家と若狭局の間に生まれた娘で、4代将軍の妻となったヨシコ(女編に美と書く)の墓がありました。
どの様な想いで一生を送ったのでしょう。
今は、比企氏の菩提寺で静かに眠っています。 -
妙本寺から駅への帰り道、本覚寺の前を通ります。
縁結び、商売繁盛の寺として有名です。 -
本堂です。
日蓮上人の分骨を受けたので、東身延の別名でも呼ばれます。
夕方になって来ました、ここから駅迄は5分ほどです。
名残は尽きませんが、ぼつぼつ帰るとしましょう。
終
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