2011/04/02 - 2011/04/02
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ドクターキムルさん
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横浜市戸塚区上矢部町にある大善寺は浄土宗のお寺で退魔山不退院という。天正年間(1573年〜1592年)に玉縄城主北条左衛門大夫氏繋が讃誉上人を慕って上矢部村に大善寺を建立したのが寺の創建であろう。開山は中秀助給和尚こと応蓮社讃誉牛秀(さんよぎゅうしゅう)である。牛秀は生涯を通じ、北条に請われて寺を創建し、平塚、八王子等に3つの大善寺を建立した。俗に関東三大善寺と言われる。家康の関東移封後の慶長2年(1597年)に寺領10万石の朱印を賜った。本尊に恵心作の阿弥陀如来像(長三尺三寸)を安置している。また徳川家康が此の辺に放鷹したとき、当寺を御膳所としたといわれ、近年まで門外に下馬札を建てていた。石川八右衛門重政は文禄2年(1593年)5月23日、当所陣屋で死亡し境内に墓地がある。
又大善寺の裏山には淡島明神が祀られており、針の折れたのを豆腐にさして供え供養したと伝えられている。吉田大橋に淡島明神の道標が建っているが門前にもある。
戸塚の柏尾川の上流には鷺のコロニーがあると聞いていたが、ここ大善寺の裏山、淡島明神の杜がそれであった。
(表紙写真は大善寺本堂)
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寺の塀。「浄土宗 大善寺」とある。
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寺の門柱。
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「このお寺の宗旨」。
江戸時代は慶長8年(1603年)から始まる。開山の中秀助給和尚こと応蓮社讃誉牛秀(さんよぎゅうしゅう)は慶長10年(1605年)に亡くなる。
開基は石川八右衛門重政で、江戸初期に建立されたとあるが、石川八右衛門重政は文禄2年(1593年)5月23日、当所陣屋で死亡し境内に墓地があることや慶長2年(1597年)に寺領10万石の朱印を賜ったことが記載されており、江戸時代に建立されたのではおかしい。
調べると、開基を玉縄城主北条左衛門大夫氏繋とするもの、開基を石川重勝とする諸説が見つかった。
天正18年(1590年)小田原の役で北条氏が滅亡すると徳川家康の関東移封に伴い、石川八右衛門重政も天正20年(1592年)に相模国高座郡下草柳村に移った。相模国鎌倉郡上矢部村は石川氏(石川四郎左衛門重政)の本貫で村内に陣屋があった。
また、寛永3年(1626年)に旗本・石川四郎左衛門重政は隅田川中州に幽閉され、「石川島」の地名の起こりとなったが、屋敷は上矢部村あった。石川八右衛門、二代石川八右衛門、石川四郎左衛門、石川重勝と出てくるからややっこしい。 -
淡島明神道標。
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三界萬霊塔。
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手水鉢。
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境内。
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境内。
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観音さま。
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庫裡。
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境内の木。
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手水鉢の脇に唐獅子と牡丹の花の飾り瓦がそれぞれ1対置かれている。
屋根から飾り瓦を降ろしているのは初めて見た。 -
唐獅子と牡丹の花の飾り瓦が置かれている。
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唐獅子と牡丹の花の飾り瓦が置かれている。
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フェンスの木。
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大善寺本堂。
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大善寺本堂。
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大善寺本堂の龍の彫刻。
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大善寺本堂に掛かる「大善閣」の扁額。「大善寺」ではない。
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大善寺本堂の彫刻。
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大善寺本堂の彫刻。
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大善寺本堂内の天女の彫刻。
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大善寺本堂内の天女の彫刻。
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大善寺本堂内(の彫刻)
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大善寺本堂内の小仏。
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大善寺本堂内。
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本堂屋根。
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鷺のねぐら。
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舞う鷺。
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舞う鷺。
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舞う鷺。
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舞う鷺。
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舞う鷺。
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淡島明神参道石段。
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淡島明神参道石段。
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境内の木。
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糞で白くなっている。
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杜の大木。
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杜の大木。鷺のねぐらだ。
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淡島明神。
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