2010/09/10 - 2010/10/16
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こまちゃんさん
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9月21日。
一夜明けての今日、何やら陽気がホンワカ良い感じです。
こちらに来て,まず最初にするべき事は、そう、「お墓参り」ですね。
今回の新疆訪問のメインは、最後にお母さんが亡くなられた時に立てたままの木製墓標を何とかするべくやってきた訳ですが、何はともあれ、諸々の作業の前に、帰ってきた事の報告で顔を出しておきましょう。
爺ぃの弟たちもやってきて、兄弟みんなが勢揃いしました。
その後で、莎車で最大のバザーが開かれる場所にある問屋街に出かけて、大理石の板を買いに行きました。
その「大利バザー」の入り口は、プレハブ長屋のような建物が建っており、色んな建材屋などが軒を並べていました。
ここは、木曜日と土曜日になると、郊外から沢山の農家の人達がやってきて、農作物から家畜類、そして食堂なども店を並べて大賑わいしますが、それ以外の日は、閑散としたタダの建材市場です。
先ずは、新疆の田舎にある「漢民族」のお墓へ出かけてみましょう!
また、9月13日から問い合わせしていたこまのドメイン(ChinaART.jp)の件ですが、ドメインの期限切れが発覚しました!2年前の更新時は、登録している2つのアドレスの片方の「yahooメール」で届いていたのに、今年は、もう一つの既になくなっているアドレスにだけ通知したそうです。
その為、「契約者様から再契約手続きがなかった」と言う事で、一旦権利を解除され、1ヶ月間の「余剰ドメインオークション」に掛けられているそうです。
・・・道理で9/2からWEBメールにさえメールが降りてこなかったはずです。契約先の「お名前.com」は、ドメインは自分で管理しているくせに、費用の支払いをアイルと言うところに委託しています。回収のみの委託ならまだしも、請求やその連絡まで情報を移管して任せていたようで、2年ごとの更新で、今まで「お名前」から来ていた「更新通知」が、管理移管に伴って、アイルからの吃歌戸に変更されたんだそうです。
こまのデータをアイルへ渡す際、メルアドが「1つ」しか伝えられていませんでした。元々、請求用とドメイン管理用のアドレス管理が二分されていたので、受け取る側はそうとは思わず、片方のデータで両方を賄おうとしたようですね。
なので、期限切れになった事を知らないのは当の本人のこまだけで、結果的に9月1日から解除作業が始まったようです。
理屈は理解しましたが、2年前はメールが来ている事で、安心している利用者の裏をかいた事を指摘して、お名前にクレームを入れて居ます。
オークションになったら、基本料より高くなってしまいますが、果たして取り戻す事が出来て、全てを復帰させる事は来るのでしょうか・・・!?
中文訳
哀莫過于心死:哀しみに服すこと則ち諦め切れない事(「莫」は日本の「忌」に相当)
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泊まっている住宅地の中庭。
中国のアパートには、大抵中庭が付いていますね。 -
前の古勒巴格路でタクシーに乗り、お墓へ出かけます。
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古勒巴格路を真っ直ぐ北上し、文化路から智慧路を右折して、昨日来る時に南下してきた艾斯提皮爾路(ai4 si1 ti2 pi2 er3 lu4:エィスティピア・ルゥ)を左折して北上。
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途中通った交差点で見つけた「長〜い名前」の道。
「克其克赫尼木艾日克路(ke4 qi2 ke4 he4 ni2 mu4 ai4 ri4 ke4 lu4:クチクハニムアイリク・ルゥ)」
村の名前(赫尼木艾日克村)と何かが加えられているようですが、覚えられませんね〜(~灬~; -
墓地は、郊外へ向かって3kmほど走ったところの、路地の奥にありました。
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入り口には大きな犬が居て、人が来るとバウバウ吠えます。
場所は、入り口から結構奥だそうですので、お墓を見ながら進みます。 -
お墓と言うより、何か別の石碑に見えます。
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到着後、煉瓦や紙くずを片付けます。
隣(写真右)のお墓を作った時に出た煉瓦が、まだ土で持ったままのこちらの盛り土にドッサリと投げ込まれていました。
きちんとした形のモノではなく、加工した時の欠片なので、作業者がやったのでしょうけど、その後参拝に来ているので、家の者がキッチリするのが当たり前と思いますが、この、「自分の所さえ良ければ他人の所などどうでも良い」と言う漢族の思考回路は理解が出来ません。
孔子たちは、彼らに何を残したのでしょう・・・?
一通り片付けた後、みんなで拝み始めました。 -
「焼紙(shao1 zhi3:シャオズゥ)」は、中国独特の例は維持の習慣で、紙をお金や服に見立てて、死者に不自由がないようにして上げる行為です。人型の紙も作りますが、これは従者の意味を持っています。
-
みんなそれぞれ思う事があるでしょう。
こまは、爺ぃの要望で記録写真撮りです。 -
帰る途中、お墓の通路で見つけた花。
しつりし(蒺藜子)って言うそうです。
・http://www.qlife-kampo.jp/clinic/crude-drug/entry840.html
・http://net-shindan.com/shouyaku/siturisi/
なんと、これって漢方薬!! -
満地都是這个!
早知道帯回来好啊!!
(地面はこれだらけやったヤン!
判ってたら持って帰ったのに!!) -
韓さん宅のお墓は、この中でもベスト3の立派さでした。
流石に局長さんだった人です。
見栄もここまで・・(^灬☆)\バキッ!(シーーーっ!) -
さて、爺ぃのお墓のデザインは大体決まっていると言いますが、他のお墓を参考にしようと言うことになって、お墓の中を一通り巡ってみることになりました。(えええ!)
沢山のお墓を、色々見て歩いております。
みなさん照れくさそうです。(^灬^; -
さっき来た道を戻って・・・
-
別のエリアにも入って行きます。
ちょっとドキドキ・・・(ー灬ー; -
爺ぃは、石碑は低めで良いので、横長のシンプル仕上げにしたいそうです。
丁度、そのサンプルとなるタイプの墓石が有り、それを参考にしたようです。 -
では、そろそろ退散いたしましょう。
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また、韓さんの墓石前に差し掛かりました。
全部見渡してきましたが、将にトップ3の大きさですし、場所もかなりの一等地(・・って言うのかな?)ですね。 -
大きな木に、沢山のスズメちゃんが集まっていました。
さて、何匹見えますか?
そうそう。
スズメと言えば「雀」ですが、なんでマージャンは日本で麻雀なんでしょう?中国では、同じ発音で「麻将(Ma2 Jiang4」です。
まあ、今やマージャンなんて大っ嫌いで、友人に誘われても逃げ回っているくらいなのでどうでも良いのですが、事、漢字や発音などに関しては気になります。
ま、日本に漢字がやってきた時の手違いだと思いますが、本家本元は、将軍の「将」なのに、これじゃスズメちゃんが可哀想ですよね・・・。
またワンコに吠えられながら出てきまして、そのまま四男の車で家に戻ります。 -
走りながら、いつ見ても不思議な町の風景をパチパチ。
烏魯木齊と違って、至る所に鬚もじゃおじさんやお爺さんがウロウロしています。当たり前なんですけど、中国に居るはずなのにアラブに居るみたいで、感覚的にHighになります。(維吾爾鬚オヤジ特集を綴ろうとしているので) -
町に戻ると賑やかさが復活です。
流石にお墓のあるところは、閑散としていましたね。 -
莎車県政府。
「立党為公 執政為民」
訳:
どの面提げて言えたものか。
できるものならやって見せてみろ。(^灬☆)\バキッ!(訳かっ!) -
戻ってきました。
新城路−文化路の北西角にある新世紀賓館ですね。
こまたちはこの交差点を、文化路(北側)ではなく古勒巴格路(南側)へ左折します。 -
古勒巴格路に入って、客運站を過ぎたら右折で胡同に進入します。
鉄門の所にいる門番(住人みんなでローテーションします。勿論管理職も。夜勤もあるので、門の所にある小屋で仮眠したりします。この門があるところは、林業局経営の招待所(旅館)でもあります)に挨拶して、中庭へと到着〜♪ -
建物はこんな感じ。
殆どこんなアパートですが、開発と共に、主要道路に沿って建っているアパートは、ちょっと都会かぶれした洒落たデザインになっています。
一般的に「商品房」と呼ばれます。でも、中国の場合は土地を国から借りる形になります。住宅用地の住居なら70年、商用住宅共用土地のものは50年、商用土地のものは40年で返却ですが、譲渡を起こすと、その時点から更に同年数延長になります。
固定資産税は無く、譲与税もかなり低いので、中国の持ち家は結構気易くて良かったのですが、不動産転がしが目に余り始めた昨今、大都市から固定資産税の導入が始まっちゃいました。
上海の家、売っちゃってて良かった〜♪ -
一旦部屋で休憩です。
四男は用事があってそのまま帰っちゃいましたが、残った連中同士で団欒中の兄弟達。
爺ぃの兄弟は5人兄弟で、爺ぃを筆頭に男が4人と5人目の末っ子は妹さん。爺ぃの隣にいるのは弟の三男です。 -
こちらはドリフの高木ブー…(^灬☆)\バキッ!・・じゃなくて、韓さん。
爺ぃの妹の「だんはん」です。
膝の上にいるのは子猫の来福(Lai fu:らいふぅ)。
呼ぶ時は「来福儿」って儿音で呼びます。
昨夜来た時に見て驚いたのは、痩せててガリガリでした。
3日前までは弱ってたそうですが、級に元気になって、鳩の頭を食べて元気回復したそうです。
なので、痩せてても走り回って元気ハツラツ!! -
さて、大体の構想が纏まった墓石のデザイン。
その形に応じた石板を選びに、今から建材問屋へ出かけます。
大まかな石碑の外装は、サイズなどを専門業者に渡して作って貰いますが、真ん中の文字と装飾彫り物などは、爺ぃが自分で彫るそうです。
実は2006年にも彫って置いておいたのですが、今まで放置されたままでした。それもこれも、肝心の長男の爺ぃが居ないのに、任されても、出来が良くなかったら何を言われるか判りませんので、兄弟連中誰も手を付けませんでした。まあ、爺ぃなら言いそうですしね。
そうこうしているうちに、弟の次男が亡くなり、頼りになるのは四男と末っ子妹のダンナのブーさん。でも、先の理由で誰も手を付けませんでした。
なので、漸く時間を作って来ることが出来たので、今回出来上がるまで帰らない覚悟できた…って訳です。
デザイン渡して絵も彫って、お金も置いてって、「じゃあ、最終は任せる」と言って去ったとしたら、理由が理由なので、またも元の木阿弥ですからね。 -
出口脇にある民族レストラン。
鶏肉にマブした「胡麻」に感心。
だって、中国の素朴な料理には、胡麻が使われないんです。
ラーメン、和え物、そして揚げ物やこう言った丸焼きの肉も。
ここに来ると、結構身近な作業がされてて良い感じです。
ラーメンに刻みの葱(ネギ)も入ってませんが、ここでは葱を見ることになります。 -
タクシーに乗って、お墓の前を通過して、米夏にある大利バザー会場まで向かいます。
バザーのない時、そこは市民の建材市場なんです。
タクシーを探している時、考えている特集用のモデルがやってきました!
しかし、いくら何でも真正面からはちょっと・・・(^灬^;
そう。特集の為に写真を撮ろうと思えば、やはり前からじゃないとダメですからね・・・でも、こんなシチュエーションで、もう少し近寄ってからの正面写真をパチリっ!なんて、ちょっと無理っぽい。
ううう、やはりこんな計画は無謀だったのか!?何もしないウチに打ち砕かれてしまうのか・・・??? -
タクシーに乗り、反対側へとターンして貰います。
みんな維吾爾語が堪能なので、運チャンと楽しそうに会話しています。
いつもながら、全然判りません・・・(ー灬ー; -
新城路で左折の信号待ち。
維吾爾青年達が、一人のオートバイを見に集まっています。
遠目にみると、何やら良からぬ集まりにも見えたり・・・(^灬^;ゞ
でも、去年の7・5では、この辺りでは何もなかったんだそうです。
なので、烏魯木齊のようなギスギス感など全くありません。 -
前に進めば老城路ですが、ここを左折して、艾斯提皮爾路を北上します。
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そのまま真っ直ぐお墓まで進み、更に進んで郊外道路のS215号線へ。
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殺風景だった道沿いが、バザーに近付くと少し賑わってきます。
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バザーのない日でも、何かを持ち寄って集まってきている感じですね。
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相変わらず西瓜売りが、道の端に並んでいますね。
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やってきました建材市場の一角。
確か3つめの筋の北側でした。 -
黒い髭の人が店主で、自ら「60cm巾」に切り出してくれます。
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大理石の原板はかなり大きいので、店の裏に並べてありました。
店内で材質と色を指定したら、ここから該当するものを取り出して、今作業場で作業に入っています。
合成のものと天然のものがありました。 -
サイズに合わせて位置決めして固定しています。
-
実際の掘削作業は若手に任せて、鬚ボスは店へ戻って電話していました。
-
店の裏から様子を見ていましたら、遠くにもの凄い鬚のおっちゃんが居たので、何とか狙ってみようとカメラを向けましたが、幾ら待っても向こう向きのまま。仕方がないので後ろ向きで取りましたが、後ろからでももの凄い鬚の様子が判りますね。何でこんなに鬚が生えるのか・・・と思うくらい。
でも、維吾爾鬚オヤジ写真特集用には不向きです。 -
大理石購入後は、自分ではとても持って帰れませんので、こう言った三輪リヤカーの方々が待機しているので、彼らに配達を頼みます。
北京での中古家具買い出しや、建材市場での材料買い出しと同じですね。 -
お!
さっきのおっちゃんがこっちに来ました!
でも、この人って維吾爾人?漢族なのかな・・・? -
すると、工場の方から、石を削る大きな音がし始めました。
-
見てみると、本番はやっぱり鬚ボスが手掛けていました。
-
もの凄い勢いで吹き出す水しぶきが、削った石の埃を全部流してくれています。
あっと言う間に180cmに渡って、61cm巾に切り取りました。
歯切れじゃありませんが、20cm弱の細長い切り残しですが、これも欲しいと思ったのですが、ちょっと長すぎるので、工場に残っている90cmほどの別の切り残しを貰いました。
この細長い切り残しも、削って絵を描けば「即芸術品」になりますので。
しかも、その出来上がったモノを立て掛けるための三角台も、その場で道具を借りて2組作って貰いました。
結果、余計に重たくなりましたが、さっきの三輪リヤカーに頼んで、先に家まで出発して貰いました。 -
我々は、歩いて正面門まで戻り、そこからタクシーで追いかけます。
国内製ペンキ(「漆」は「うるし」じゃなく、この場合は「ディバンペンキ」)の広告には、大西北で高原ソングを歌っている蒙古族歌手の「腾格爾(teng2 ge2 er3:テングァル)」がモデルになっていますね。
歯をむき出しにしながら、がなって歌う彼。効いててしんどいので余り好きではありませんが、良い歌歌ってます。 -
戻ってくると、毎回見かけるこの花がお出迎え。
この赤いウニみたいなトゲトゲ、何て言うんでしょうね。 -
芙蓉は日本と同じですね。
欲しいのに芙蓉って、いったいどっちなの・・・(寒) -
さて、殆ど同時にやってきた三輪リヤカーから、3枚の大理石と端切れ石を受け取り、時間が既に8時半だったので、そろそろ食事へ出かけます。
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やってきたのは、古勒巴格路の北先の文化路にある老成都菜館。
でも、もうすぐ中秋の名月と言う事で、沢山の人が外食に出ているそうで、お店は満員、大忙し!
新疆の8時は、北京時間の6時なので、8時半なら丁度夕飯時ですからね。 -
少し待ってみましたが、韓さんと知り合いの老板娘、謝り続けて居りました。
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で、漸く出てきた一番簡単な料理。
木耳(キクラゲ)と野菜の炒め物と白ご飯。
他の肉系はどうも期待できそうにないので、諦めて出てきました。
お題は締めて20元も掛からないと言う、とても情けない外食価格〜(^灬^;
ゴメンネ〜と老板娘、いいよいいよ、稼げる時にドンドン稼いでよと韓さん。 -
仕方がないので、真向かいにある馬氏正宗蘭州牛肉面にしけ込んで、簡単に牛肉面で補うことに・・・
写真撮ってませんが、これが中々のものでした。
きっと何度も出かけるでしょうから、次に写真を撮ってきます! -
お腹が取り敢えず治まると、辺りの空気が少しひんやりと頬に浸みてきました。
22時半、莎車の夜がようやく暮れて来た感じですね。
しかし、ホントにと〜んでもなく深い黒色の空ですね。
ずっしりとした闇ですが、何か軽快に感じるのは何故でしょう?
晴れだったら、沢山の星で明るく染まるんでしょうけどね。 -
明日は中秋の名月ですが、今日は月も星も何も見えていませんね。
明日晴れたら、三脚でも持って出かけますか・・・?
(きっと面倒で持ち出さないでしょうね〜・・・(^灬^;) -
通りで暖かいと思ったら、な〜んと、ぶり返して21.3℃も有ったんですね!
最低も14.3℃ですから、こりゃ少し気温が盛り返していますね。
爺ぃが、9月末には戻る!と言い続けていましたので、余り寒い時の準備をしてきていません。
この様子で行けば、このままの装備で何とかなるのかな〜?
明日は何をしましょうか?
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