戸塚・いずみ野・港南台旅行記(ブログ) 一覧に戻る
 横浜市戸塚区深谷町にある専念寺は浄土宗のお寺で深谷山青揚院専念寺という。鎌倉時代に鎌倉権五郎景政の祈祷所として建立された。本尊は深谷目薬師で、目の治療に霊験あらたかとして伝えられ、12年毎に開扉し、一般に公開される。深谷目薬師は鎌倉権五郎景正の守本尊であった薬師如来で、行基作と伝えられている。合戦の最中、敵将鳥海弥三郎が射た矢が権五郎景正の目に命中したとき、矢を抜き清水でよく洗い念持佛に祈り眼疾を療した。後に此の地にその薬師如来を安置し、以来眼薬師として近在に知れわたった。<br />(表紙写真は専念寺本堂)

専念寺(横浜市戸塚区深谷町)

1いいね!

2011/02/19 - 2011/02/19

1405位(同エリア1797件中)

0

24

ドクターキムル

ドクターキムルさん

 横浜市戸塚区深谷町にある専念寺は浄土宗のお寺で深谷山青揚院専念寺という。鎌倉時代に鎌倉権五郎景政の祈祷所として建立された。本尊は深谷目薬師で、目の治療に霊験あらたかとして伝えられ、12年毎に開扉し、一般に公開される。深谷目薬師は鎌倉権五郎景正の守本尊であった薬師如来で、行基作と伝えられている。合戦の最中、敵将鳥海弥三郎が射た矢が権五郎景正の目に命中したとき、矢を抜き清水でよく洗い念持佛に祈り眼疾を療した。後に此の地にその薬師如来を安置し、以来眼薬師として近在に知れわたった。
(表紙写真は専念寺本堂)

  • 富士塚の富士講碑。三嶋神社参道入り口の専念寺側にある。<br />隣の原宿町には浅間神社があり、こちらに設置されていないから、三嶋神社に設置したものではなく、専念寺境内に設置したものと思われる。

    富士塚の富士講碑。三嶋神社参道入り口の専念寺側にある。
    隣の原宿町には浅間神社があり、こちらに設置されていないから、三嶋神社に設置したものではなく、専念寺境内に設置したものと思われる。

  • 「富士元一講長 中講義川邊徳次郎君之碑 登山参拾参回」。

    「富士元一講長 中講義川邊徳次郎君之碑 登山参拾参回」。

  • 「富士仙元大菩薩 元一○照」(照の文字を○で囲っている)。

    「富士仙元大菩薩 元一○照」(照の文字を○で囲っている)。

  • 「小御t嶽 后尊 大天狗 大権現 小天狗」。

    「小御t嶽 后尊 大天狗 大権現 小天狗」。

  • 赤い欄干の「せんねんじばし」。

    赤い欄干の「せんねんじばし」。

  • 専念寺の生垣。

    専念寺の生垣。

  • 門前。

    門前。

  • 「是者鎌倉権五郎景正守本尊 ふかや薬師青陽院江之道」。

    「是者鎌倉権五郎景正守本尊 ふかや薬師青陽院江之道」。

  • 「浄土宗 深谷山 専念寺」の寺号標石。

    「浄土宗 深谷山 専念寺」の寺号標石。

  • 「鎌倉権五郎景正守本尊 薬師如来」。鎌倉権五郎景正の守本尊薬師如来(行基作)を安置している。

    「鎌倉権五郎景正守本尊 薬師如来」。鎌倉権五郎景正の守本尊薬師如来(行基作)を安置している。

  • 「鎌倉権五郎景正と専念寺の深谷目薬師」。<br /><br />前九年の役の鎮定功労者陸奥守源頼義の嫡男八幡太郎義家は陸奥守となり赴任したが、欧州の覇者清原武則家の家督争いにまきこまれ、まれに見る大乱となった。戦場は沼柵からさらに要害の地金沢柵に移るが、義家軍の苦戦の報が都に届くと、義家の弟新羅三郎義光(甲斐源氏武田祖)が京から来援、これに力を得た義家が総攻撃し、非常な苦戦の末、寛治元年11月(1087)、金沢柵を陥落させ、家衡と武衡を討つことに成功し、後三年の役はようやく終幕となった。この戦いに弱冠16歳の鎌倉権五郎は金沢柵の戦いで敵の矢に左目を射抜かれると、戦友三浦為次が駆け寄り、景正の顔に足を掛け、その矢を抜こうとするや、景正は「武士の顔に足を掛けるとは」と怒り、刀を抜いて切りかかったと言う。凱旋後景正は守り本尊の深谷薬師に治療の願をかけ、寺の前の清流で目を洗ったところ、たちまちにして目の傷が癒えたと言われる。深谷薬師は霊験あらたかな目薬師如来として信仰厚く、今も12年毎に開扉している。鎌倉時代に活躍した大庭、俣野、梶原一族も戦国大名上杉謙信も鎌倉権五郎景正の子孫である。<br /> (大正地区歴史散歩の会)<br />

    「鎌倉権五郎景正と専念寺の深谷目薬師」。

    前九年の役の鎮定功労者陸奥守源頼義の嫡男八幡太郎義家は陸奥守となり赴任したが、欧州の覇者清原武則家の家督争いにまきこまれ、まれに見る大乱となった。戦場は沼柵からさらに要害の地金沢柵に移るが、義家軍の苦戦の報が都に届くと、義家の弟新羅三郎義光(甲斐源氏武田祖)が京から来援、これに力を得た義家が総攻撃し、非常な苦戦の末、寛治元年11月(1087)、金沢柵を陥落させ、家衡と武衡を討つことに成功し、後三年の役はようやく終幕となった。この戦いに弱冠16歳の鎌倉権五郎は金沢柵の戦いで敵の矢に左目を射抜かれると、戦友三浦為次が駆け寄り、景正の顔に足を掛け、その矢を抜こうとするや、景正は「武士の顔に足を掛けるとは」と怒り、刀を抜いて切りかかったと言う。凱旋後景正は守り本尊の深谷薬師に治療の願をかけ、寺の前の清流で目を洗ったところ、たちまちにして目の傷が癒えたと言われる。深谷薬師は霊験あらたかな目薬師如来として信仰厚く、今も12年毎に開扉している。鎌倉時代に活躍した大庭、俣野、梶原一族も戦国大名上杉謙信も鎌倉権五郎景正の子孫である。
     (大正地区歴史散歩の会)

  • 斎場。

    斎場。

  • 地蔵堂。古い1体のお地蔵さまと新しい六地蔵。

    地蔵堂。古い1体のお地蔵さまと新しい六地蔵。

  • 六地蔵。

    六地蔵。

  • 庫裡。

    庫裡。

  • 庫裡。

    庫裡。

  • トイレ。

    トイレ。

  • 門。

    門。

  • 銀杏の大木。

    銀杏の大木。

  • 銀杏の大木。

    銀杏の大木。

  • 本堂の前に2本の木。

    本堂の前に2本の木。

  • 本堂。

    本堂。

  • 本堂。

    本堂。

  • 本堂に掛かる「専念寺」の扁額。

    本堂に掛かる「専念寺」の扁額。

この旅行記のタグ

関連タグ

1いいね!

利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。 問題のある投稿を連絡する

コメントを投稿する前に

十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?

サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)

報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。

旅の計画・記録

マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?

フォートラベル公式LINE@

おすすめの旅行記や旬な旅行情報、お得なキャンペーン情報をお届けします!
QRコードが読み取れない場合はID「@4travel」で検索してください。

\その他の公式SNSはこちら/

タグから国内旅行記(ブログ)を探す

PAGE TOP