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 横浜市戸塚区舞岡町にある常玄寺は顕本法華宗(単立)のお寺で清水山常玄寺という。寺の創建は元和3年(1617年)で、法華宗妙満寺派の日×(×は大冠に云)上人が江戸・赤坂に創建した。時代は下がって、昭和20年(1945年)の東京大空襲で全山灰燼に帰し、昭和25年から43年かけて本堂、庫裏、客間を再建した。しかし、建物も老朽化し、檀信徒の増加に伴い、再度の増改築の必要性に迫られた。総代会はじめ檀信徒の総意のもと、横浜市戸塚区舞岡町へ移転することに決まり、平成4年4月に着工し、平成7年(1995年)11月に落慶した。伽藍は、本堂、妙覚堂、紫雲閣(客殿)、庫裏などである。<br /> 本堂後の伽藍は室内墓地であり、体育館かホールのようだ。一般的な石塔の墓石が立つ室内墓地は初めて見た。鹿児島では、桜島から降り注ぐ火山灰から墓石を守るために、各墓石に屋根が架かる墓地があるが、それ以外にはそうはないであろう。<br /> 舞岡に移って15年経つが、バブル期に赤坂の地所を売り払えば、横浜の未だ田圃が広がる片田舎の舞岡であれば広い境内と立派な伽藍が建つのも道理というものだ。<br />(表紙写真は常玄寺本堂)

常玄寺(横浜市戸塚区舞岡町)

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2011/02/06 - 2011/02/06

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ドクターキムル

ドクターキムルさん

 横浜市戸塚区舞岡町にある常玄寺は顕本法華宗(単立)のお寺で清水山常玄寺という。寺の創建は元和3年(1617年)で、法華宗妙満寺派の日×(×は大冠に云)上人が江戸・赤坂に創建した。時代は下がって、昭和20年(1945年)の東京大空襲で全山灰燼に帰し、昭和25年から43年かけて本堂、庫裏、客間を再建した。しかし、建物も老朽化し、檀信徒の増加に伴い、再度の増改築の必要性に迫られた。総代会はじめ檀信徒の総意のもと、横浜市戸塚区舞岡町へ移転することに決まり、平成4年4月に着工し、平成7年(1995年)11月に落慶した。伽藍は、本堂、妙覚堂、紫雲閣(客殿)、庫裏などである。
 本堂後の伽藍は室内墓地であり、体育館かホールのようだ。一般的な石塔の墓石が立つ室内墓地は初めて見た。鹿児島では、桜島から降り注ぐ火山灰から墓石を守るために、各墓石に屋根が架かる墓地があるが、それ以外にはそうはないであろう。
 舞岡に移って15年経つが、バブル期に赤坂の地所を売り払えば、横浜の未だ田圃が広がる片田舎の舞岡であれば広い境内と立派な伽藍が建つのも道理というものだ。
(表紙写真は常玄寺本堂)

  • 築地塀と山門。築地塀には2本線が入る。

    築地塀と山門。築地塀には2本線が入る。

  • 道路側伽藍。実は、室内墓地だ。

    道路側伽藍。実は、室内墓地だ。

  • 山門には「清水山 常玄寺」の寺号標石が建つ。

    山門には「清水山 常玄寺」の寺号標石が建つ。

  • 旧街道沿いの築地塀。2本線が入る。

    旧街道沿いの築地塀。2本線が入る。

  • 旧街道沿いの築地塀。2本線が入る。

    旧街道沿いの築地塀。2本線が入る。

  • 「遷堂之碑」。<br /><br />「清水山常玄寺は元和二年(一六一六年)法華宗妙満寺派のにより東京赤坂の地に創建され、爾来三百八十年余の星霜を経て今日に至っております。<br />この間、江戸中期には再三火災に遇ったが明治初期に至り、本堂、庫裏等が再建され、寺院としての規模が整えられました。その後幾たびかの増改築がなされたが、第二次世界大戦の勃発により昭和二十年五月二十五日の大空襲を受けたため、周辺一帯は焼土と化し、当山もまた建物全てを消失しました。戦災後は社会情勢の激変、経済事情の不安等生活困難なとき、篤信檀信徒の熱心な支援・協力を得て、昭和二十五年より四十三年に亘り、本堂、庫裏、客間が再建されました。<br />それ以来三十数年を経過したため建物も老朽化し、また檀信徒の増加に伴い、手狭となったため、再度の増改築をはじめ境内の整備を行う必要性に迫られてきました。このため総代会はじめ檀信徒の総意のもと、現在地である横浜市戸塚区舞岡町へ移転することにきまり、平成四年四月着工し、平成七年十一月に無事落慶を迎えました。新築移転された伽藍は、本堂、妙覚堂、紫雲閣(客殿)、庫裏などから構成されております。」のようなことが書かれている。<br />

    「遷堂之碑」。

    「清水山常玄寺は元和二年(一六一六年)法華宗妙満寺派のにより東京赤坂の地に創建され、爾来三百八十年余の星霜を経て今日に至っております。
    この間、江戸中期には再三火災に遇ったが明治初期に至り、本堂、庫裏等が再建され、寺院としての規模が整えられました。その後幾たびかの増改築がなされたが、第二次世界大戦の勃発により昭和二十年五月二十五日の大空襲を受けたため、周辺一帯は焼土と化し、当山もまた建物全てを消失しました。戦災後は社会情勢の激変、経済事情の不安等生活困難なとき、篤信檀信徒の熱心な支援・協力を得て、昭和二十五年より四十三年に亘り、本堂、庫裏、客間が再建されました。
    それ以来三十数年を経過したため建物も老朽化し、また檀信徒の増加に伴い、手狭となったため、再度の増改築をはじめ境内の整備を行う必要性に迫られてきました。このため総代会はじめ檀信徒の総意のもと、現在地である横浜市戸塚区舞岡町へ移転することにきまり、平成四年四月着工し、平成七年十一月に無事落慶を迎えました。新築移転された伽藍は、本堂、妙覚堂、紫雲閣(客殿)、庫裏などから構成されております。」のようなことが書かれている。

  • 常玄寺本堂。木造のようだ。

    常玄寺本堂。木造のようだ。

  • 常玄寺本堂に掛かる「常玄寺」の扁額。

    常玄寺本堂に掛かる「常玄寺」の扁額。

  • 常玄寺本堂。

    常玄寺本堂。

  • 妙覚堂。

    妙覚堂。

  • 紫雲閣(客殿)。

    紫雲閣(客殿)。

  • 紫雲閣(客殿)。

    紫雲閣(客殿)。

  • 紫雲閣(客殿)。

    紫雲閣(客殿)。

  • 庫裡。「方丈」の看板が掛かる。

    庫裡。「方丈」の看板が掛かる。

  • 本堂と妙覚堂。

    本堂と妙覚堂。

  • 本堂と妙覚堂。

    本堂と妙覚堂。

  • 妙覚堂。

    妙覚堂。

  • 妙覚堂内部のお墓。

    妙覚堂内部のお墓。

  • 妙覚堂内部のお墓。

    妙覚堂内部のお墓。

  • 本堂横。

    本堂横。

  • 本堂と本堂前境内。

    本堂と本堂前境内。

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