2008/02/19 - 2008/02/19
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中国の風景さん
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南京の西側を北上する長江はやがて右に大きくカーブして、ちょうど南京の町を包み込むように、進路を東に変えてゆきます。この長江が、ちょうど右にカーブする起点となる辺りに、獅子山と呼ばれる80メートルほどの小高い丘があります。明の太祖朱元璋は、獅子山の頂きに閲江楼(ユエジャンロウ)という楼閣を建設することを決め、自らも「閲江楼記」という一文を作って、「碧色の瓦に朱塗りの柱」と詠い山上に立つ楼閣をイメージしました。
しかし基礎工事が終わったころ「又閲江楼記」を著し、部下は誰一人として築楼に反対しなかったが、やはり国造りの基礎となる城市の整備や民心の安定が先決だとし、楼閣の建設を突然中止してしまいました。その後、三代目の永楽帝が北京に遷都したこともあり、この楼閣は一度も日の目を見ることがなかったのです。現在、獅子山に聳える7層51メートルの閲江楼は、4,000万元の巨費を投じて2001年に完成したものです。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 5.0
- ショッピング
- 5.0
- 交通
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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街の中でも高い所にあるので目立ちます。
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山の上に上るエレベーターがあり、楽してしまいました。3元
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閲江楼の南門の前にある。南京市に13の門があります。
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入場券売り場があります。
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東側から見ました。
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閲江楼から見た盧龍湖、その向こうは長江。
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楼内には、明朝歴代皇帝の肖像画が掲げられていますが、太祖朱元璋の肖像画は一般に知られる恰幅のいい肖像と異なります。顎のしゃくれた異様なその容貌に驚かされてしまう。
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長江沿いにある有名な3大楼閣(湖北省武漢の黄鶴楼、湖南省洞庭湖の岳陽楼、江西省南昌の滕王閣)を意識し、4大楼閣の一つとして新たに売り出しているようです。
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最上階から見た南京市街。最新のビルでエレベーターが付いている。
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明の時代の大型船 宝船の名前が付いている。
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三階から五階の吹き抜け。
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南側の階段から見ました。
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江南第一楼として売り出し中。
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南京市内の観光名所のトイレにしては古い型です。1本の溝に簡単な仕切りが付いている。勿論扉はありません。用を足して居る所が丸見えです。使った紙は流さずくず入れに入れる。ホテルで済ませて来ましょう。
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橋の下が公園になっている。7元 橋堡参観券(エレベーターで橋の上に出る)8元下は鉄道、上が自動車の2階構造、地上の橋脚基礎部分から橋の一番高い地点までは70メートルもあり、橋上から下を見ると、思わず足がすくんでしまいます。
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石像を頂く橋脚には「我われの国家は工員階級の指導者による工農連盟を基礎とした人民民主専政国家である。毛沢東」
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長江(チャンジャン)は青藏高原に源を発し、東シナ海に流れ込む総延長6,300キロにも及ぶ中国最長の大河です。しかも水の流れが速く川幅も広いので、自然の要塞として利用され、古くから多くの都市が流域に立地してきました。
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中華人民共和国の建国後、この大河に橋が架かったのは武漢が最初でしたが、建国当時の中国には、近代橋梁工事の技術がなく、友好国ソ連の技術指導を受けました。
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南京は武漢より600キロほど下流に位置し、川幅はより広く、水深もより深くなっているため、さらに高度な建設技術を必要としましたが、当時の中ソ関係はすでに悪化しており、中国独自の設計で建設せざるを得ませんでした。
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このため、完成までには9年もの歳月を要し、1968年にようやく全面開通しました。自動車、鉄道の両用2階建てで、自国技術で建設された中国で最初、かつ最大の大橋です。
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自動車用は、全長4.6キロ(川に架かる部分は1.6キロ)、鉄道用は全長6.8キロにも及びます。現在は、一日に車両3万台、汽車200便が通行する交通の要衝となっています。歩いて渡ることも出来ます。橋堡の傍に路線バスの停留所があり鼓楼まで1元でした。
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長江路の見事なプラタナスのアーチを通り過ぎると、総統府(ゾントンフー)があります。セットで50元。
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1928年、蒋介石は民国政府の主席となり、この地を政府所在地と定めました。1948年には総統に就任し、総統府という三文字を正門に掲げましたが、皮肉にもその翌年には、共産軍との内戦に破れ、台湾に亡命することになります。
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総統府入口
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総統府の通路
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総統府跡は、幾多の戦乱をくぐり抜けて今日に残る旧跡です。その歴史的経緯から、明初の皇族の庭園、清の地方行政府そして近くは、孫文や国民党が係わった中華民国の総統府という、南京ならではの数奇な運命を推し偲ぶことができます。
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孫中山、後の軍人が蒋介石
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辛亥革命が起こり、孫文が中華民国臨時大総統に選出されて、明初漢王ゆかりの煦園のそばに執務室を設けました。 -
中華人民共和国の成立後、この地は江蘇省政府の執務場所となりましたが、その後移転され、現在は歴史を保存するために、総統府跡として整備されています。
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清代に中国東南地区(現在の江蘇省、江西省、安徽省、上海)を総括する両江総督府が、ここに設置されました。康熙帝は南巡でたびたび南京を訪れていますが、ほとんどこの両江総督府に逗留したといわれています。
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清朝晩年期の資料が展示してある。
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1946年5月から1947年3月まで周恩来、董必武が率いる中国共産党代表団が南京で国民政府と和平交渉を行うために事務所と宿舎に利用した場所である。周恩来が使用した公用車(アメリカ製)
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1946年5月、周恩来他、中共代表団が南京に到着。
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1978年陳列館と共に図書館が一般公開された。
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中国共産党代表団事務所跡、新村とは住宅街を意味します。
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旅行記グループ 南京の城壁・楊州
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