2012/01/25 - 2012/01/29
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彷徨人MUさん
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1) . はじめに
忍びつつ 時待つ池の 枯れハチス
2012年初三(1月25日)の上海行きの午前の便は、がら空きであった。その機内で、この旅の唯一のガイド書である『革命をプロデュースした日本人』(小坂綾乃著・講談社)を、僕は、ひたすら読み耽けっていた。
2).「孫文」と、「梅屋庄吉」との出会い、そして「辛亥革命」へ
封建の世から目覚め、列強を追い求め、近代国家へと走り出した明治時代、長崎の商人の倅に「梅屋庄吉」という男がいた。米相場に失敗するや、故郷を出奔、とどのつまりシンガーポールに流れ着き、写真技術を身に付け、やがて香港で写真館を開業したのである。故郷に錦をとの思いの日々に、彼の人生を変え、「坂の上の雲」を追い駆けるという甚だ儚く、切ない夢を見させた男、それは中国革命に走り始めていた「孫文」であった。
梅屋庄吉と孫文との出会いは、1895年「重陽蜂起」直後、香港の中環で庄吉が経営していた写真館に、西医書院の教授で、写真マニアのイギリス人カントリーが、弟子の孫文を連れて来店したのが始まりである。孫文29歳、梅屋庄吉27歳の時であった。梅屋庄吉は、孫文に、「君は兵を挙げたまえ。我は財を挙げて支援す」と、力強く約束したと云う。梅屋庄吉は、日本で、黎明期の映画ブームに乗り、映画事業で成功している。
『辛亥革命』が成功したのは、1911年10月10日。当時米国にいた孫文は、翌年1月1日、上海から南京に入り、中華民国臨時政府の大総統に就任したが、2月、孫文は大総統を辞職し、袁世凱が、その任に着いた。1915年6月、袁世凱の死により、再び軍閥の群雄割拠となったが、1924年、北京を支配した軍閥の馮玉祥の招きを受け、孫文は、再び、北京へ向かった。
3).南京市の「中山陵」へ
翌朝、僕は、梅屋庄吉が寄贈した「孫文像」がある南京に向かった。ホテル近くの「中山路」は、プラタナスの大木の並木道である。1929年、孫文の葬儀大典のため、南京市は、「下関埠頭」(現在の「中山埠頭」)から「中山北路」(現在の「新街口」)までの両側に、6列に配し、プラタナスを植えたが、今では、プラタナスの大木の連なる並木道になっていた。
孫文は、「革命、なお未だ成功せず。同志すべからく、なお努力すべし」との遺書を残し、1925年3月12日、北京で病死した。1929年6月1日、国民政府により、孫文の柩を、南京紫金山の「中山陵」に埋葬する葬礼が行われた。「中山陵」の墓道を通り、「陵門」を潜ると、392段の石段が拡がっていた。瑠璃瓦を載せた白壁の「祭堂」を、見上げながら、大葬当日、孫文の棺を担ぎ、遺骸安置後、志半ばの孫文の無念を思い、泣き崩れる、梅屋庄吉と妻トクの姿に、僕は、思いを巡らしていた。
この日は寒く、時折風花が舞い上がる中、「祭堂」と「墓室」に向かう石段は、込み合っていた。
4).「原版孫中山銅像」の辿った道
風花の 気儘愛しや 老いが旅
梅屋庄吉が、日本橋の「篠原金作工房」に依頼した「原版孫中山銅像」は、南京に運ばれ、「南京中央軍学校」の校庭で、梅屋庄吉も参加し、蒋介石ら当時の国民党政府要人の列席の下に、除幕式が行われている。
僕は、この日、「新街口」のバス停から、「中山陵」に向かった。此処に、置かれている「孫文像」は、民衆に、三民主義を説いている威風堂々と、躍如として真に迫まる孫文を彷彿させるが、この「原版孫中山銅像」は、その後、中国の時々の政治情勢に翻弄される運命を辿っている。
1942年、孫文生誕76周年の前日、日本の傀儡政権と言われた南京政府総理の汪精衛は、孫文の銅像を南京市の中心である「新街口広場」に移すよう命令した。1966年文化大革命が始まるや、日本人が寄付した銅像であるので、破壊されることを恐れた周恩来総理は、この銅像を保護するよう、南京革命委員会に指示し、「新街口広場」から、「中山陵」に運び、そこに収蔵された。1985年3月、孫文歿後60周年に、「中山陵」の「蔵経楼」を、「孫中山紀念館」と改名し、石段の上に、この孫文像を移し、安置した。
僕は、梅屋庄吉が贈った「原版孫中山銅像」を見るため、「中山陵」から、「孫中山紀念館」に向かった。「原版孫中山銅像」は、三民主義を、熱く語る、孫文の全身像であり、革命と読書、そして女性を愛した人間孫文を知り尽くした梅屋庄吉故に、造らせることの出来た孫文像であった。
5).旅の終わりに
もう一つの孫文の銅像を見るため、「新街口」交差点に、向かった。
1996年、「新街口広場」が整備されたが、以前この交差点に置かれていた、梅屋庄吉が贈った「原版孫中山銅像」は、此処へは戻されなかった。南京市は、フロックコートを着て、右手にステッキを持った、孫文像を新たに造らせた。この銅像は、中国人彫塑家「戴広文」の作品で、厳しい顔つきの、孫文像であり、「戴版孫中山銅像」と呼ばれている。(完)
参考文献:『革命をプロデュースした日本人』(小坂綾乃著・講談社)
* Coordinator: Hong Gu
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- 旅行の手配内容
- 個別手配
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南京駅到着プラットホーム
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南京駅舎
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南京駅前広場、前に広がる湖は、「玄武湖」
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南京駅前広場から眺めた「玄武湖」と、その先に見えるの市街地のビル群
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紫金山の麓にある「中山陵」の入り口
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紫金山の麓にある「中山陵」の入り口付近
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紫金山の麓にある「中山陵」の一番奥にある祭堂
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紫金山の麓にある「中山陵」の祭堂にある大理石の孫文の像。
この下に遺体が安置してある。 -
紫金山の麓にある「中山陵」の祭堂にある大理石の孫文の像。
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紫金山の麓にある「中山陵」の一番上にある「祭堂」から、下を眺める。
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紫金山の麓にある「中山陵」の東方近くにある「孫中山紀念堂」の案内看板。
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「孫中山紀念堂」の中にある孫文の胸像。
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「孫中山紀念堂」前にある孫文の銅像。
「原版孫中山銅像」(梅屋庄吉が贈った像) -
「孫中山紀念堂」前にある孫文の銅像。
1929年、孫文の熱烈な後援者である日本人梅屋庄吉が、私費を投じて、造った4基の孫文の銅像の一つである。「原版孫中山銅像」
フロックコートを着て左手を腰に当て、右手を差し伸べ、三民主義を民衆に説き、訴えてる姿である。高さ2.9m、重さ1トンある銅像。制作は東京日本橋の篠原金作工房。1929年(昭和4年)3月横浜から上海を経由し、南京に運ばれている。この銅像は、当初は、「南京中央軍学校」の校庭に運ばれ、10月14日除幕式が行われた。 -
「孫中山紀念堂」前にある孫文の銅像。
「原版孫中山銅像」(梅屋庄吉が贈った像) -
紫金山の麓にある「中山陵」の東方近くにある「孫中山紀念堂」の前にある孫文の銅像の台石に彫ってある説明。ここでは、梅屋庄吉の本名は、日本語文字の「庄吉」であるが、ここでは、中国語の繁体字で、「荘吉」と書かれていた。
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地下鉄1号線の新街口駅の上のロータリーに置かれている孫文の銅像、
「戴版孫中山銅像」 -
地下鉄1号線の新街口駅の上のロータリーに置かれている孫文の銅像、
「戴版孫中山銅像」 -
地下鉄1号線の新街口駅の上のロータリーに置かれている孫文の銅像
「戴版孫中山銅像」 -
南京市秦淮区の「夫子廟」の街並み
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南京市秦淮区の「夫子廟」にある、「江南貢院歴史陳列館」
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南京市秦淮区の「夫子廟」にある、「江南貢院歴史陳列館」の前面の道路に置かれた歴史上の人物像(科挙合格者)
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南京市秦淮区の「夫子廟」にある、「江南貢院歴史陳列館」の前面の道路に置かれた歴史上の人物像(科挙合格者)
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南京市秦淮区の「夫子廟」を流れる「秦淮河」
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南京市秦淮区の「夫子廟」を流れる、「秦淮河」に架かる「文源橋」
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南京市秦淮区の「夫子廟」を流れる「秦淮河」に架かる「文徳橋」
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南京市秦淮区の「夫子廟」の「古秦淮」の町並み
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南京市秦淮区の「夫子廟」の夜景
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南京市秦淮区の「夫子廟」の夜景
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南京市秦淮区の「夫子廟」の夜景
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南京市秦淮区の「夫子廟」の夜景
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南京市の玄武湖に面する「玄武門」
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南京市玄武湖内の「桜洲」にある池の枯蓮
忍びつつ 時待つ池の 枯はちす -
上海市南京西路の「梅龍鎮」での、昼下がりの食事
「松仁万年青」 -
上海市南京西路の「梅龍鎮」での、昼下がりの食事
「水晶肴肉」 -
上海市南京西路の「梅龍鎮」での、昼下がりの食事
「○菜冬笋」(○は草冠に斉、ナズナ) -
上海市南京西路の「梅龍鎮」での、昼下がりの食事
「雪菜黄魚羹」 -
南京市秦淮区夫子廟の「状元楼酒店」での夕食
「梅干菜笋絲」 -
南京市秦淮区夫子廟の「状元楼酒店」での夕食
「小炒河蝦」 -
南京市秦淮区夫子廟の「状元楼酒店」での夕食
「石鍋豆腐」 -
南京市秦淮区夫子廟の「状元楼酒店」での夕食
「茶樹○仔排湯」(○は草冠に姑、きのこ) -
南京市秦淮区夫子廟の「状元楼酒店」での夕食
「雨花湯団」
雨花山で採れる石に、天上から花の雨が降ったと言う話しから、「雨花石」と名付けられた石があるが、その「雨花石」の綺麗な縞模様を、模して作られたデザート。 -
上海市豫園の「上海老飯店」での、旅の終わりを惜しみながらの昼食
「上海三醉」 -
上海市豫園の「上海老飯店」での、旅の終わりを惜しみながらの昼食
「蟹肉○菜羹」(○は草冠に斉、ナズナ) -
上海市豫園、「上海老飯店」での、旅の終わりを惜しみながらの昼食
「清炒野生河蝦仁」 -
上海市豫園、「上海老飯店」での、旅の終わりを惜しみながらの昼食
「松鼠桂魚」
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