2016/08/02 - 2016/08/05
54位(同エリア270件中)
KmPさん
2016/8/2 上海→南京 高速鉄道(新幹線)
2016/8/2〜4 南京市内 観光
2016/8/5 南京→上海
侵華日軍南京大虐殺遇難同胞記念館(南京戦がテーマの博物館)
総統府(中華民国の政府建物跡)
梅園新村記念館(共産党の建物)
雨花台風景名勝区(数々の戦争で激戦となったところ)
南京城壁(中華門、中山門、ゆう江門)
美齢宮(蒋介石の奥さんの建物)
中山陵(孫文の墓)
浦口公園
長江大橋
鉄道予約 アラチャイナ
ホテル Jinjiang Inn アゴダ
市内移動 地鉄、タクシー、徒歩
持ち物 地球の歩き方上海江蘇省
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 高速・路線バス 徒歩
- 航空会社
- 中国東方航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
- 利用旅行会社
- Agoda
PR
-
2016/8/2
『上海駅』
から新幹線で南京駅へ移動。
售票処で日本で予約していた切符を手に入れます。パスポート提示が必要。
そしてから中に入れます。
今日は思ったよりキレイな空です。 -
『駅待合室(候室)』
列車or新幹線を待つところです。
日本と違い、出発15分前にならないとホームに入れません。
上海駅はさすが綺麗な駅です。 -
『南京駅』
上海から内陸方向へ約2時間で着きました。
最高時速270kmで、国家の威信をかけて突っ走る。
市の中心へは地鉄(ディーティエ:中国では高架も地鉄といいます)が通ってます。 -
『玄武湖』
駅の前に広がる湖。向こうが市の中心です。
今日は気温36℃
風がドライヤーみたいな温風ですわ
汗が止まらん うわ〜暑い -
『侵華日軍南京大虐殺遇難同胞記念館』
日中戦争の南京戦と南京虐殺を大テーマにしてます。
写真はエントランスに浮かぶ300000という数字。
中国側の主張では犠牲者30万人と言ってます。
日本の学者は上限4万人と推定してます。ずいぶん乖離がある。
地鉄の駅から出るとすぐ記念館の敷地内です。
(無料です) -
『館内の様子』
まさか、こんなに人気の観光スポットだとは思いもしませんでした。
博物館自体も立派な造りです。
小学生団体さんなど家族連れも大勢、平日火曜ですが訪れていました。 -
『館内展示物 日の丸』
国旗に「武運長久 東史郎君」と書いた寄せ書きです。
1937年からの日中戦争の中でも南京戦について詳細に説明してあります。
また、虐殺されたとする遺骨採掘の現場も展示されてます。 -
『市内ホテル』
今日の南京市内のホテルにチェックイン。 -
『ドラマ』
テレビは国や地方政府がやってます。
30チャンネルくらいありますが、
必ず1つくらいは、戦時ドラマがあります。
たいていは日本軍の悪行に対して主人公が復讐に燃えるとう内容。
日本軍の日本語が微妙に変っ?!
ニュースでは日本の防衛大臣入閣の話など日本に関することは敏感です。
8/2(火)この日は終わり -
2016/8/3
『総統府』
300年近く続いた清朝が倒されて(1911年、辛亥革命)、孫文たちが近代国家の建設を進めます。
その中華民国(国民党)の政府建物です。 -
『総統府 蒋介石の部屋』
中華民国がつくられ、その国民党軍で最高司令官にまで出世するのが
蒋介石(ジャンカイシー:しょうかいせき)
実は若いころ日本に留学して、ちょっとだけ日本の軍事教育を受けてます。
それが後に、国を守るため米英の援助を受けて日本と戦うのですから歴史はおもしろい -
『梅園新村記念館』
さきほどの総統府から歩いてすぐのところにあります。
時代は第二次大戦(日中戦争)が終わり、日本軍はいなくなり、
国民党vs共産党の内戦になります。
その内戦中の交渉時に共産党側の宿舎となったところです。 -
『梅園新村記念館内』
共産党の交渉時の宿舎だったところです。
和平交渉全権は周恩来(しゅうおんらい:ジョウエンライ)です。
毛沢東は当時からカリスマですが、主義主張が強く、妥協点を見出すような交渉などする調整能力はありません。
同じ軍人ながら共産党内部の統制能力と巧みな交渉感覚をもつ周恩来が戦時も戦後も様々な交渉を担います。
建国後は首相となり、田中角栄やニクソンと国交正常化を成し遂げます。
文革などで荒れ狂う毛沢東思想の国内に対し、国の運営に悩む首相です。 -
『当時の写真』
プレスを前に共産党からの発表をする周恩来 -
『小学生』
記念館前で昔の共産党軍服を着た小学生のみなさん。
ボーイスカウトのような雰囲気ですね。
手前では親たちがカメラもって我が子にしっかりポーズしろって言ってます。
子は宝、中国の親たちは我が子には金を惜しみません。
一人っ子政策は終わり、子供はどんどん増えるでしょう。 -
『雨花台(うかだい:メイフアタイ)』
ここは城壁外の南側に位置し、ゆるやかな丘になってます。
昔の南京を治めた太平天国軍 VS 清軍
清軍 VS 江浙連軍(辛亥革命)
国民党軍 VS 日本軍(日中戦争)
歴史を辿ると各時代に必ずここで激戦が繰り広げれられたところです。
私個人の興味としては後者の日中戦争なのですが、中を進むとある記念館にはその説明はありません。
んー期待ハズレ -
『中華門(ジョンフアメン)』
南京城壁の真南に位置する門です。
日中戦争時には国民党軍が必死の抵抗をした門です。
双方で多大な犠牲を払い、大激戦の攻防を繰り広げます。
今は修復され写真のように元通りになってます。 -
『中華門からの眺め』
城壁の上は登れます(有料)
写真は南を見たものです。お堀で囲まれてます。
このお堀を挟んで砲弾が飛び交い、日本は突破を幾度も試みます。 -
『城壁』
の上は自転車を借りてサイクリングできます。
だけど借りてたのは私だけ。寂し
(レンタル時はデポジット必要) -
『南京博物館』
古代から清の時代まで幅広い時代のものが展示されてます。
大きな博物館です。
私は恐竜好きですが、大した化石の展示物はありません。
近年、中国で北米でしか発掘されなかったティラノサウルス科(しかも羽毛のある新種)まで発見されたそうです。
(余談で失礼) -
『博物館 玉衣』
皇帝が死んだ時これで身を包んだのでしょうかね。 -
『中山門』
南京博物のすぐ東です。
ここも南京戦では激戦のあった城壁門です。
日本軍が占領後の南京入城の式典をやった門でもあります。
今は車しか通れず、徒歩でくぐることはできません。
当時の式典の松井司令官みたいに馬に乗って入城もダメですよ。 -
『新街口』
市の中心です。地下鉄の1号と2号線もここで交差します。
中華民国の首都だったわけですから今も都会ですね。 -
『フードコート』
デパ地下ファーストフード店街です。
眺めるだけにしておきます。
和食は値段高め。 -
『ホテル近くの食堂』
ここで夕食の揚餃子と豚肉ライスみたいの食べました。
中国語で「豚」は「猪(ジュー)」と書きます。
イノシシじゃないよ。
だからジブリ紅の豚は「紅猪(フォンジュー)」
8/3(水)終わり -
2016/8/4
『美齢宮(びれいきゅう)』
蒋介石の奥さんの住んでいた邸宅です。
宋美齢は財界重鎮の娘あり、
英チャーチル首相や米ルーズベルト大統領にも直接支援を要請するほどのファーストレディを超えた手腕を発揮した奥さんです。 -
『礼拝堂』
宋美齢はクリスチャンなので
蒋介石もキリスト教になります。
礼拝堂までも邸宅内にあります。
金持ちっすねー -
『中山陵(ちゅうざんりょう)』
孫文の眠るお墓です。
孫文本人は民族協和の近代国家を作りたかったのだから
自分をこんな立派な墓にしてほしくはなかったでしょうね。
今の中国共産党も辛亥革命の父である孫文にはちゃんと敬意を払ってるのですね。
日本と必死に戦った蒋介石は匪賊あつかいなのにね
もちろん、台湾では英雄です。 -
『孫文像』
この下に眠ってるそうです。
この太陽マークが国民党のシンボル -
『トーチカ』
中山陵の近くは明王朝の陵墓もあるのですが、
この時代は興味ないので帰ろうとしてました。
観光カーに乗ったら間違えて、この陵墓近くに来てしまった。
そしたら、トーチカ(コンクリート製で銃口がある防御陣地)を発見
個人的には興奮です!初めて見ました。
南京戦でも使ったでしょう。
ぐるっと見ても出入り口はなく、人は銃口から入るしかないようで、殺されるまで銃を打ち続けるのですね。へ〜
さすがにマニアの私も入ろうとは思いませんでした。
ベビとか居そうでこわい -
『手へんに邑・江・門(ゆうこうもん)』
城壁北に位置する門です。
激戦の地というわけではありません。
北に位置して長江に通じるこの門は、国民党軍の退路となった門です。
戦意を失い逃げようとする兵士らは仲間である隊にここで射殺されます。
兵士たちは敵軍にも自軍にも退路を絶たれ、南京の絶対死守を命じられたわけです。
国民党軍も必死だったのですね、悲劇の場所というわけです。
↓詳しいサイトがありました
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-414.html -
『中山埠頭(ジョンシャンマートウ)』
さきほどの「ゆうこうもん」を進むと埠頭に着きます。
南京虐殺とは
①非戦闘員である市民を巻き込んだ無差別の空爆や砲爆
②捕虜、市民の殺害
③強姦
などを指します。
どれも戦争国際法違反です。
この埠頭よりも下流に幕府山という山があり、今の長江大橋との中間あたりに国民党軍海軍施設があったそうです。その場を含むいくつかの場所で、1937/12月16,17,18日の連日に中国人捕虜(諸記録あり14,777~17,025人)の1/3(だから5,000人くらい)を集めて機関銃で殺害し、その後死体を長江へ流したところです。 -
『船』
せっかくなので長江を船で渡ることにしました。
たった2元でいけます。
ちょっとビビリなので救命胴衣の近くに座ります。 -
『長江(ちょうこう:チャンジアン)、別名:揚子江(ようすこう)』
「ちょうこうは♪ひろいーなー♪おーきーな♪」
大型の船も海からこんな内陸まで来れちゃいます。
日中戦争時も海軍が陸軍支援のため巡洋艦がここまでやってきます。
国民党軍も軍艦を所有しますが、近代化に勝る日本海軍に沈められます。
英国軍艦も常駐しているのですが、1937年時点では日英はまだ戦争でないので手足を出せません。 -
『浦口公園(プーコウゴンユエン)』
長江を渡ると浦口地区というところになります。
ここからしばらく歩くと浦口公園があります。
ここも南京戦では激戦があった場所です。
今はお年寄りがカラオケしたり二胡を弾いたりしてます。
スピーカー使ってて、うるさっ -
『長江大橋』
長江に架かる橋で、1968年に完成しました。
昔の土木技術者ってすごいなー -
『大橋からの眺め』
長江大橋は登ることができます。(有料)
写真は市内側を見た風景
橋は二段構造で、下は貨物鉄道が走ってます。 -
『訓練生?』
長江大橋の橋下で訓練中の軍?か武装警察?の訓練生の皆さん。
18歳くらいの青年たちで、つらそうな顔で走ってます。
うしろで鬼教官が見てます。
これを乗り越えれば中国では高給の公務員だっー
「加油!(ジアヨー:がんばれ)」 -
『南京大学』
南京の歴史ある大学。
戦時は安全区といって民間人の避難所でした。
命令で略奪行為は一応禁止したが、ずけずけと入っていき若い女性を募ると言う形ばかりの方法で女性を差し出させました。表面上だけ国際法厳守です。欧米国際社会は南京戦を非難します。
民間人をかくまった独人ラーベ氏の旧居もあるそうですが夜で見つけれませんでした。 -
『南京大の銭湯』
学生は各地から来るので寮で下宿しているのでしょうね、
学校内に銭湯があります。
恋人でしょうか?男女で仲良く洗面器など持って入って行きました。
南こうせつの「神田川」みたいな。
現代中国の青春ッて感じ? -
『夕食』
酸菜魚(サンツァイユー) 酸味の効いた魚料理
鴨血豆腐 レバーみたいに見えるのがそれです。
どちらも辛い。
翌日おしりがヒリヒリ
8/4終わり -
2016/8/5
『南京駅』
南京→上海へ戻ります。
南京観光 終わり
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