2010/12/28 - 2011/01/04
172位(同エリア448件中)
ひがしさん
年越しの休暇。寒い日本を離れて暖かい国へ。
12/28 深夜関空発
12/29 早朝バンコク着/カンチャナブリ
12/30 カンチャナブリ/アユタヤ
12/31 アユタヤ/バンコク
1/1 バンコク/ビエンチャン
1/2 ビエンチャン
1/3 ビエンチャン/深夜バンコク発
1/4 早朝関空着
旅は何時もの通り行き当たりばったり。終えてみて自分の足跡を思い出しながら整理しています。今回の旅は結局以下のような結果でした。
① 泰緬鉄道の足跡をたどる。
② 世界遺産のアユタヤの遺跡をたどる。
③ そして少しラオスなる国を見てみる。
- 旅行の満足度
- 5.0
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深夜のフライトで早朝にバンコク着。
早朝の空港でラオス方面に飛ぶフライトを探すも、ラオスエアーのカウンターはオープンしておらずバンコクエアウエイのみが営業していた。(そりゃ開いてないよね)
バンコクエアウエイは年末のハイシーズンでもあり往復で6万円位したので飛ぶのを止めてタイの近場を周るたびに気が変わりました。
さてどこに行きましょうか。地球の歩き方をパラパラみながら泰緬鉄道に乗るためにカンチャナブリに向かう事にしました。エアポートリンクで市内まで出かけて、そこからタクシーでバスターミナルに移動。1本後のバスのチケットを買い、まずは腹ごしらえでしたね。
ここも朝が早い為か、フードコートでも数軒しか店があいていなかった。メニューを見ても勿論わかりませんが、サンプルがあったので指差しで適当に頼んだチャーハンは蟹の身が沢山入っていて見かけ以上の代物でした。 -
バンコクのバスターミナルにて。ここからカンチャナブリまで約2時間くらいかかりました。ここも何もドラマ発生せずスムーズ乗れてしまう。少しくらいは難がないとね、、、、、
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カンチャナブリにも着いてしまった。
「泰緬鉄道」に乗車する楽しみは明日に取っておくことにして、この日はカンチャナブリのバスターミナルで即バスを乗り換えて郊外にあるらしい「ヘルファイアパス」という何とも恐そうな名前の場所に行く事にしました。
訳せば「地獄の火の峠」となるのでしょうか。ラッシュ工事で夜も灯りをつけて捕虜や労働者に強制労働をさせたところからついた名前だそうです。
バスは満員で運転手さんからギアボックスのカバーの上に座れと言われ、それから1時間半くらいの旅でした。 -
運転手さんの側で横向きに座る姿勢は何時もと違う風景が見れて意外に楽しかったりして。
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目的地に到着。バスはそそくさと去って行きました。当たり前か、、、
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運転手さんには「ヘルファイアパスに行きますよ」と言葉が通じようと通じまいと頻繁にアピールしていたおかげで、丁度のところで降ろしてもらえました。
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ここは軍事施設か何かのような感じの場所でした。
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表示に従ってどんどん中に入っていくと、何故か「ダチョウ」が放し飼いにされていた。
カメラを向けると柵はあるものの一斉にコチラに向かってきたので慌てて逃げました。 -
奥まった所に白い博物館がありました。
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博物館の裏からは山の斜面を降りる階段があり、正に泰緬鉄道がかつて通っていた場所に行けるようになっていました。
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今はレールと枕木は撤去されているものの、当時の雰囲気を感じる道が残されていました。
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今は単なる山の散歩道ですが、ここはかつての泰緬鉄道の線路の上を歩いているのですよね。
少し見える枕木のようなものは当時の名残なのでしょうか。 -
「ヘルファイアパス」に到着しました。
入り口の所には、新しいレールが一部置かれてあり、当時ここに線路が引かれていたイメージを沸かせるものでした。 -
人力で岩を崩した切り通しのヘルファイアパス。想像を絶する工事だったようで、ここは多くの死亡者を出した泰緬鉄道建設の中でも難所のひとつだったようです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%B0%E7%B7%AC%E9%89%84%E9%81%93
映画「戦場にかける橋」の音楽である「クワイ河のマーチ」の口笛の軽快な印象と全く正反対な重苦しい場所には驚きました。私にとっては小学校の運動会か何かで聞いた「平和の音楽」でした。今フト思いますが、小学校の先生はこんな現実を知っていてあの音楽を流していたのかなあ。私なら別の音楽にしますが。
http://www.youtube.com/watch?v=CB8F8g1-4Uw&feature=related -
ここは重機で掘削されたわけではなく、とにかく人力で切り開かれたそうです。遅れた工事の進捗を取り戻すためにラッシュワークもかけられ、1日18時間労働だったそうです。
博物館でみた西洋人捕虜の写真では、筋骨隆々であったはずの体が骨と皮の骸骨のようになっていたので過酷な労働がしのばれました。 -
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博物館に展示されていた写真によると当時はこんな感じだったそうです。
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ヘルファイアパスの見学終了。
カンチャナブリに戻るために道端でバスが通るのを待ちます。バス停が何ともタイでした。 -
カンチャナブリのバスターミナルまで戻りました。
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今日の宿を探すためにカンチャナブリの駅の方に向かって歩き出しました。
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連合軍の共同墓地がありました。泰緬鉄道建設で命を落とした連合軍兵士6982人が眠る墓地だそうです。
異国の地で亡くなるのは更に無念だったでしょうね。 -
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適当に通りに出ている看板を何軒か当たって今夜の宿を決めました。
道から奥まった所にあるなあと思いきや、何とクェイ河に浮かぶ筏のようなゲストハウスでした。 -
河に浮かんでいるのですから景色が悪いはずはありません。
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何とも最高でしたね。しょっぱなの宿ですが今回の旅で一番の宿でした。
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宿で気分を良くした勢いで食事にも出かけました。
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ここまで我慢していたビールを解禁。
ラベルが可愛い「チャン」を飲みました。タイと言えば「シンハビール」と思ってましたが、最近はこちらの方が売れているらしい。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%93%E3%82%A2%E3%83%BB%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%B3 -
青パパイヤのサラダ。
キリッと酸っぱいのかと思いきや、柑橘系の汁で和えてあったのでまろやかに甘い感じがした。
タイにきた実感が走りました。 -
鶏の炭焼き。
とにかく東南アジアは日本と違って鶏肉は断然美味しい気がしますね。 -
バンコクの空港を出発し、未知なるカンチャナブリにもちゃーんと到着するし、ヘルファイアパスも難なくこなし、おまけに宿も食事もご機嫌さん。
今日はついてますね。このままの勢いで、今度はトクトクで「戦場にかける橋」を見に行く事にしました。 -
橋の近くに博物館があったのでまずは見学。
錆付いた当時の蒸気機関車が展示されていました。 -
鉄橋を作る前に木の橋も作られていたそうで、博物館にあった木の橋の一部の朽ち果てた枕木等は当時のオリジナルだそうです。
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日本の軍人が西洋人の捕虜を使って鉄道を建設してるシーンでした。
ヘルファイアパスの博物館でも同様の西洋人の姿を写した写真を見ましたが、「裸に日本式のフンドシ姿」の西洋人に不思議な感じがした。 -
日本軍が持ち込んだ散髪屋さんのイス
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日本軍のバイク
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博物館から橋の方を見ると結構日が暮れてきていました。こりゃ急がねばと橋に向かいました。
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橋は自由に歩いて渡れました。
この角ばっている部分の端は、戦後に修復された部分だそうです。 -
列車が来た時に退避出来るスペースが橋には設けられてありました。
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この丸い部分は戦中のオリジナルな部分だそうです。
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とうとう日が暮れます。何とも美しい空の色でした。
バイクタクシーで宿のエリアに戻り、タイ式マッサージに行ってから缶ビールを買って帰り早めに寝ました。
健全且つ健康的な一日でした。
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