2010/03/25 - 2010/03/25
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SUR SHANGHAIさん
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この日は、それまで滞在していた宏村を去って、振り出しの黄山市(屯渓)へとバス移動するSUR SHANGHAI。
2002年には友人たちと一度訪れていた宏村。
今回は一人じっくり数日泊まって、初体験の場所へもあちこち行けたのがよかったなあ。(*^。^*) 満足満足。
さて、バスで着いた黄山市からはさらにタクシーを雇って、またまた周辺の村々を訪れてみようと思います。
昨日までの雨模様がウソのようにすっきり明るく晴れ上がったこの日の後半。
タクシーの運転手さんお勧めの徽商大宅院と、棠[木越]の村を訪れてみます。
徽商大宅院(西園)と、棠[木越]の村は、どちらも黄山市歙県(きゅうけん)にある見所。
棠[木越]の村は、村はずれに並ぶ牌坊群で有名。
●注: 日本では県の中に市がありますが、中国では逆。市の中に県があります。
表紙の画像は、棠[木越]牌坊群のある菜の花畑で記念撮影する一家。
晴れ渡った菜の花畑の笑顔が一際眩しい。(*^。^*)
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ショッピング
- 4.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- タクシー
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
安徽南部の古村落の一つとして世界遺産に登録された宏村を去る朝。
その宏村から黄山市(屯渓)の黄山長途汽車站(長距離バスターミナル)へは、黄山旅游集散中心のバスが出ていました。
宏村での発着は、古村地区南湖の南岸にある大型駐車場。
2010年3月下旬現在、朝は始発が8:00。その後は9:00、10:00と続く1時間に1本で、16:00が最終。ただし、正午の便は無し。
宏村から黄山市(屯渓)の黄山長途汽車站(長距離バスターミナル)への所要時間は1時間15分ほどで運賃は15元。チケットは乗車後に車掌さんから直接買うようになっていました。
上記の黄山旅游集散中心のバス以外だと、宏村からバイク・タクシーで15分ほどの[黒多]県の町まで行き、そこの長途汽車站から黄山市(屯渓)の黄山長途汽車站に行く方法もありましたよ。 -
SUR SHANGHAIが乗った2010年3月下旬の11:00のバスはほとんど貸しきり状態。
宏村から黄山市(屯渓)の黄山長途汽車站(長距離バスターミナル)への道筋は、山間部では曲がりくねっている区間もありましたが、全面的に舗装されていて激しく揺れることは無し。
ちょっと前までの中国のバス旅って、どこのバスもおんぼろだったし、道の状態もひどかったのがもう遠い事のように思える…。
途中、数ヶ所の村や見所でお客さんを拾いながら黄山市へ向かったバス。
途中には、石炭を掘っているのかなという感じの場所があったり、日当たりのいい山の斜面には茶畑も広がる眺め。 -
無事に黄山市(屯渓)の黄山長途汽車站(長距離バスターミナル)に到着。
このバスターミナルは、空港や列車駅まで車で10分足らずの場所にあります。
敷地外側の駐車場が宏村からのバスの終点で、タクシーが客待ちしていました。
ここでSUR SHANGHAIは、このあとに寄ってみたい村々の名を挙げて、タクシーのおじさんたちと料金交渉。
結局、どう回るかなどもあれこれ話し合った結果、ルートは黄山長途汽車站→徽商大宅院(西園)→棠[木越」牌坊→唐模→呈坎→潜口→黄山機場(空港)で決まり。
料金は300元(各地での駐車料金、待ち時間込み)、と言った運転手おじさんにお願いしました。 -
今回は、黄山市(屯渓)の街の見学はしないことにしているSUR SHANGHAI。
タクシーの窓から見える街並みは、2002年に来た時の街並みと全然違う!もう全然面影が無いと言ってもいいくらい。(◎o◎)
ここでも建築ラッシュのようで、次々に新しいビルが建てられているのが一目瞭然。 -
さて、タクシーの運転手さんに最初に連れて行ってもらったのは、黄山市歙県にある徽商大宅院(西園)。
徽商と言うのは、簡単に言うと明・清時代に今の安徽省一帯で活躍していた徽州商人の集団。徽商大宅院(西園)は、そんな商人たちの29軒の豪邸を一ヶ所にまとめた場所。
SUR SHANGHAIは全然知らなかったんですが、運転手さんが「ここは見ておいて損は無い場所。俺が保障する。」と力説するので、以前行ってみた山西省の晋商の大豪邸とも比べてみたくなり、行ってもらいました。
結果的には…、
よかったですよ〜。(^◇^) 興味がある方は、行ってみるといいですよ。
徽商大宅院(西園)の場所は、黄山市歙県富資路。番地は特にありませんが、すぐ右隣が歙県人民検察院。
黄山機場(空港)近くにある黄山長途汽車站から車だと40分ほど。 -
これが徽商大宅院(西園)の正面入り口。
チケット売り場は、この門をくぐった所にありました。チケット80元。
それだけ聞くとずいぶん高いような感じですが、敷地面積13000?、建築面積9000?というその規模だけでなく、建物の構造や庭、細部の装飾や調度に目を見張ります。
内部を一通り見て回るのに1時間は見ておくのが○。
敷地内部に見学者用トイレあり。ペーパーは持参するのがいいですよ。
飲み物類は売っていなかったので、外で買っていきましょう。 -
この画像で見えている建物は、徽商大宅院(西園)のすぐ右隣にある歙県人民検察院。
徽商大宅院(西園)の敷地内に入っても、白壁越しにその姿が見えて、黄山市歙県の新旧を代表するかのよう。 -
これは、徽商大宅院(西園)の敷地内見取り図。
山西省の晋商の大豪邸の一つ喬家大院と並べて、≪北有喬家大院、南有徽商大宅院(北に喬家大院有り、南に徽商大宅院有り。≫と出ていました。
説明も付けられているので、足を止めていくといいですよ。
この画像は、クリックして元画像にすると大きく拡大されますが、一つ一つの部屋の名前まではコピー保存した後で拡大してみてもよく見えないと思います。 -
徽商大宅院(西園)は、宅と呼ばれる建物の集合体のような感じ。
これは、歙県に散在していた明、清、民国時代の29軒の邸宅をこの場所に移転・修復し、まとめ上げたからなんだそうです。
大小合わせて数百もの部屋があるので、一通り見て歩くだけで結構大変。
自分がどこを歩いているのかすぐに分からなくなってしまいます。
で、この画像の部屋は、宅院中央部にある中和堂だったと思うんですが、間違っていたらお許しを。m(__)m
安徽省南部の住居は、外観は白壁に黒瓦、内部は木彫りや透かし彫りの装飾が美しいのが特徴。
この徽商大宅院(西園)も例外ではありませんでした。 -
徽商大宅院(西園)の内部装飾。
木製部分には、これでもか!と言った感じで浮き彫りや透かし彫りが施されています。
外壁のシンプルなつるりとした白壁とは対照的。
そのあまりの細かさは、怖いくらいにしつこいと思う人がいるかも。
じっくり細部まで見ていたら、それだけで一日が暮れてしまいそう。
ちょっと不思議に思ったのは、右上の画像のように富裕層の人々の生活を表した部分がまったく破損していないこと。
宏村近くの盧村にある木雕楼では、同じような人物群像が文化大革命の時代には封建社会の象徴とされて顔を削ぎ落とされていたのに…。
どうやってその時代を乗り越えたのかと思う。
ひょっとして、修復されたのかな? -
徽商大宅院(西園)内の建物を結ぶ廊下。
花の形や花瓶の形に刳り貫かれた出入り口がいかにも中国的。
見学に訪れる人が少なかったので、通路に落ちる瓦屋根の影も静か。 -
徽商大宅院(西園)内の建物の一部。
シンプルな構造の部分もあって、見た目がすっきり。
夏は風が通って涼しげに見えそうだけど、冬は寒い造り。 -
徽商大宅院(西園)内の建物の一部。
台所や食糧倉庫になっていたらしい部屋。
左の画像に写っている大きな壺は、酢が入っていたのかな?それともお酒?
SUR SHANGHAIは、これと同じ形の壺をオブジェ代わりに部屋の中に置いてます。 -
徽商大宅院(西園)内の一角。
月映池と呼ばれるあたりは、日の光が燦燦と降り注ぐ庭。
ここだけもう春本番になったかのような陽気。
何の木なのか、赤紫の花が咲いていた。 -
徽商大宅院(西園)徽商大宅院(西園)内の内の楼閣の影が壁に映る。
反り返った屋根の形がいかにも中国。 -
徽商大宅院(西園)内の建物の一つ。
黄色い壁の前に立つ木が同じ色の芽を吹き始めた春。
暖かい色だね。 -
徽商大宅院(西園)内の建物が連なって通路になっている部分。
壁に落ちる屋根のシルエット。
見上げると、建物の合間から春色になった空の色が見えた。
昨日までのどんより曇った雨空が信じられないくらい。 -
徽商大宅院(西園)内の建物と建物の間の通路。
どこでどう繋がっているのか、ふと気付くと、同じ場所をぐるぐる回っていたり。(^^ゞ
これって、期せずして出来た迷宮のよう。 -
イチオシ
徽商大宅院(西園)の敷地には、丸子巷と名付けられた細い通路があった。
あれ? 気付いてみたら、これは上の画像の通路の反対側の出入り口だ。
この丸い出入り口から名付けられたのかな。
奥を見ると、まるで望遠鏡で覗いているような錯覚。 -
建物外壁の窓の上に廂を付けて、廂と窓との間に絵模様を描くのが安徽省南部の民家の特徴の一つじゃないかと思うSUR SHANGHAI。
徽商大宅院(西園)のこの建物には、蒔絵を広げた感じの絵が色褪せながらも残っていた。 -
徽商大宅院(西園)の敷地内にある建物の一つ。
門の上に見えている丸い模様は、八卦図と太極図を組み合わせているに違いない。
そう言っても、SUR SHANGHAIは八卦図とか太極図についてはよく分からないので、次のウィキペディアのページで見てみるといいですよ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E5%8D%A6 -
これは、出口近くに立っている石牌坊という鳥居のような門。
そろそろお次の棠[木越]牌坊群に向かわないと、時間が無くなっちゃう。
それに今日はそのほかにもまだ唐模や呈坎、潜口の村にも寄ってから上海行きの飛行機に乗る予定だし。
ちょっと欲張りすぎて、予定を詰め込み過ぎてしまった気がする…。(^^ゞ
お時間がある方は、この徽商大宅院(西園)はもっとゆっくり見てみては? -
徽商大宅院(西園)の白壁を背に咲いていた色濃い花。
春の陽だまりだね。(*^。^*) -
SUR SHANGHAIが出て来るのを待っていてくれたタクシーの運転手さん。
「どうだった? 俺が言ったとおり、徽商大宅院(西園)はよかっただろう!(^◇^)」と、我が家のように自慢。
「うん、全然名前を聞いたことが無い所だったけど、よかった〜。ありがとう。(*^。^*)」
で、お次の棠[木越]牌坊群がある棠[木越]の村へ。
徽商大宅院(西園)→棠[木越]の村の間のタクシーでの移動時間は15分ほどでした。
この画像に出ているのは、チケット売り場+駐車場+お土産屋さん街が並ぶ棠[木越]牌坊群への入り口。
棠[木越]牌坊と、近くの鮑家花園を合わせたチケットは100元。ここではガイドさんはチケットに込みではありませんでした。
SUR SHANGHAIは一人で歩いてみます。
なんだかずいぶん高いチケット代。(−−〆)。 -
これは、棠[木越]牌坊がある棠[木越]の村と、近くにある鮑家花園を合わせた地図。
画像をクリックして元画像で見てみると、地図上に書かれた文字も見えるようになります。
黄色い丸で囲んだ場所が、上の画像に出したチケット売り場+駐車場+お土産屋さん街が並ぶあたり。
そこから画像右上に延びている線上に、棠[木越]牌坊が並んでいます。
黄色い丸の上にループ状に線が描かれた場所が棠[木越]の村。
どちらもこれから見に行ってみます。
画像下側が、棠[木越]の村を築いた鮑家の庭園だったと言う鮑家花園の敷地。
いまではきれいに整備されていると言うその庭園は、SUR SHANGHAIはあんまり興味は無いんですが、チケット代に含まれているので、後でちょっとだけ寄ってみます。
結論から言うと、鮑家花園は盆栽(中国語だと盆景)が見事だったので、ここだけは見て行っては?
庭へ入って行く正門ではチケットを再提示しなければならないので、それまで失くさないようにご用心。 -
お天気が良くなって、棠[木越]の村にも蝋肉が盛大に干してあった。
蝋肉は、これまでにも何度か言ったように、大きく切り分けた豚肉をベーコンのように加工したもの。
安徽省南部では、よくスペインのハムのように後ろ足丸ごと一本で干してあるのを見かけます。
中には、元が豚だったのがよく分かるパーツも干してあるので、初めて見る人にはちょっとショックかも。
日本で言うと、鮭の新巻の頭を割って干したりするのと同じことだと思えばいいですよ。 -
さて、棠[木越]牌坊へ続く道沿いには、お土産屋さんがずらりと並んでいる棠[木越]の村。
黄山市歙県にあるこの村はとても小さいんですが、文房四宝(筆、墨、硯、紙)のうちの墨(徽墨)と硯(歙硯)が名産。
で、お店の中はこの通り。
小さく単純な形で気軽にひょいと買えるお値段の硯や墨があるかと思えば、細工も凝った大型の数千元以上のものまでさまざま。
質の良し悪しの分かる方が一緒だと安心してお買い物が出来ます。
画像のように、筆などもお試しさせてくれるお店もありますよ。 -
お土産屋さんが並ぶ通りを抜けると、石畳の広場がある棠[木越]の村。
この村は、南宋の時代にこの地にやって来た鮑氏一族によって築かれたのだそう。
広場に来てまず目に入るのは、左側2枚の画像の敦本堂(男祠)。反り返った屋根の形が印象的。
もう一つの清懿堂(女祠)もそのそばにあるんですが、目立たないので見落としてしまいそう。右上の画像の左手に見えている白壁の内側にありました。
どちらの祠も中に入ると、柱と壁だけの空っぽな姿なのが惜しい。 -
イチオシ
敦本堂(男祠)と清懿堂(女祠)を前にして、棠[木越]村の女性たちが何やらお稽古中。
武術に女性らしさをプラスした動きで、ちょっとダンスのようにも見える。
みんなでこうして集まって、健康作り+コミュニケーションを図っていると言った雰囲気。
手前にいる女の子は、あのグループの中に混じっているお母さんを待っているのかな。
色鮮やかな服が一際目立っていたっけ。 -
棠[木越]の村を有名にしているのは、この一連の画像に写っている七基の牌坊群。
牌坊は、元々は村などの入り口の役割を持った建築物だったのが、後世になって装飾的になり、記念碑的な役割も持つようになったのだそう。
遠目に見ると、日本の鳥居のような雰囲気。
牌坊は、安徽省だけではなく中国各地や中国の文化が受け継がれている地域ではよく見られます。
世界各地のチャイナタウンの入り口に、赤を基調にした極彩色の門がありますが、あれも牌坊の一形態。
棠[木越]にある七基の牌坊は、徽商(徽州商人)だった鮑氏一族の徳(忠、孝、節、義)を称えて、明・清の時代に建てられたのだそう。
一つ一つの牌坊には名前が付いていて、中国語と英語で簡単な説明が出ていたり、牌坊にまつわるお話をまとめた冊子が1元で売られていました。
その由来を知りたい方は読んでみては?
敦本堂(男祠)のあたりから弓なりになった小道に並んでいるので、地上から七基をまとめて撮るのはちょっと無理かも。
一番上の画像の牌坊は、鮑燦孝子坊、お次が慈孝里坊、三番目が鮑文齢妻節孝坊、ちょっとした休憩場所のような亭、その後には楽善好施坊、鮑文淵妻節孝坊、鮑逢昌孝子坊、鮑象賢尚書坊と続いています。
この日はお天気が良くなったのに、あんまり訪れる人がいなくてのんびりした雰囲気。
一番遠くに見えている鮑象賢尚書坊まで行って、戻ってこようと思います。 -
棠[木越]牌坊群を貫く石畳の道には、細い脇道もあって、畑や車道へ続いていた。
あ、この小道は2002年に友人たちとやって来た時にも撮った覚えがある。
まだ残っていたんだね。
あの時にも菜の花が咲いていたし、今日も同じだ。(^◇^) -
イチオシ
SUR SHANGHAIが3月下旬に再訪した棠[木越]牌坊群周辺の菜の花畑は満開!
この日は昨日までの雨も上がって、明るく輝く菜の花畑。
そんな菜の花畑に入って行って、記念撮影をしていた3人組。
服装が赤と黒の組み合わせでお揃いっぽいし、モデルになっている女性二人のお顔がそっくりだから、お母さんと娘さん?
どちらも美人で、菜の花畑の中の笑顔が爽やか。
カメラマン役になっているのはお父さん?
きっといい写真が撮れたことでしょう。
写真の出来具合が楽しみですね。(*^。^*) -
棠[木越]の村から一番離れている鮑象賢尚書坊まで行って引き返す。
一番離れていると言っても、1km無い距離なので、お散歩気分で歩けます。
今度は、脇を通っている農道から村へ帰ろうっと。
ちょっと逆光になった春景色の中に今もたたずむ牌坊群がのどかな景色。 -
イチオシ
棠[木越]牌坊群の脇を通っている車道。
車道って言うより農道かな。
トラクターやリヤカーオートバイがのんびり通る。
この道も昔はあぜ道くらいの幅で、牛や馬を追う村人たちが通っていたんだろうな。
画像奥の牌坊群も、そんな風景の移り変わりを見てきたに違いない。 -
イチオシ
車道から、菜の花畑の中の棠[木越]牌坊群を振り返る。
画像に写っているのは、手前が鮑逢昌孝子坊、奥が村から一番離れた鮑象賢尚書坊。
訪れる人がポツポツと牌坊の下を通って行くのも春の夢のよう。 -
棠[木越]の村の広場まで戻って来たSUR SHANGHAI。
今度は、こんな門をくぐり抜けて、村の中を歩いてみます。
村の規模は小さいので、一人で歩いても迷子になることはありません。 -
棠[木越]の村を築いた鮑氏のご先祖様の墓地へ。
村の道脇に、≪鮑氏始祖墓≫と書かれた碑とプレートが出ている塀があるのでお見逃し無く。
その鮑氏のお墓の写真を前にこう言うのは何ですが、サザエさんの親戚のような苗字だなあ…。(^^ゞ
ちょっとした霊園風の敷地内にあったのが、こんもりと土盛りがされた鮑氏のご先祖のお墓。
墓碑には≪鮑氏始祖≫とだけ彫られていたこのお墓は鮑氏の後裔が建てたもので、己卯十二月吉日立と彫られていました。
ちなみに己卯(つちのとう、きぼう)というのは干支の一つで、己卯の年は、西暦年を60で割った時に、割り切れずに19が余る年のことを言うんだそう。1900年代だと、1939年、1999年が己卯の年だったようです。
このお墓が建てられたのは、それよりも前の己卯の年だったのかどうかまではSUR SHANGHAIには分かりません。 -
棠[木越]の村の中。ここも人の姿が少ない。
道端に、由緒ありげな石造りの碑や古い建物の一部だったような石材がごろごろしているのがすごい。 -
棠[木越]の村の細い路地に入ってみた。
ん? この強烈な臭いは…(@_@;)
向こうから強烈な臭いと共にやって来るのは、堆肥を積んだ手押し車。
手押し車のおじさんには悪いけど、SUR SHANGHAIはここで退避。
シャレになってませんね。(−−〆) -
道端でまったりしていた牛。
野良牛じゃなくて、飼い牛よね?
以前、インドのバラナシで聖牛の頭突きを食らったことのあるSUR SHANGHAIは、こんな風に目が合うとギクッ。
なんだか寄り目で、牛らしくない顔立ちって言ったら気を悪くするよね。(^^ゞ -
棠[木越]の村の民家の壁。
細い物干し竿の影がその壁に映る。
ただそれだけの風景なのに、なぜか好きな写真。 -
ずいぶん苔むしているけど、これは幟のような昔の旗を立てるための石?
それとも石臼?
真ん中に穴が開けられている。
こんな文物や古民具がごろごろ道端に放置されている棠[木越]の村。 -
これは、今も使われている木製のおまる。
自分の家にトイレが無くて戸外の共同トイレを使っているお宅では、夜は寝室にこんなおまるを置いて使います。
朝、中身を始末した後は、洗って日光消毒。
こんな光景はこの棠[木越]の村だけのことではなくて、上海のような大都市でも下町に行くと今も見られます。 -
住む人がいなくなって崩れ去った民家。
その跡地を覗き込んでみると、大きな壺がごろり。
お酒か酢が入っていた壺に違いないから、この部分は台所だったのかも。
さ、そろそろお次に移動しようかな。
駐車場に戻って行くと、SUR SHANGHAIが雇ったタクシー運転手さんはお昼寝中。(^^ゞ
「ごめん、おじさん、次にお願い。」 -
棠[木越]牌坊と一緒のチケットに含まれている鮑家花園の入り口。
ここは棠[木越]の村から車だとすぐそこの距離。
タクシーの運転手おじさんは、「新しく整備された所だけど、チケットに込みなんだし、ちょっとだけでも見て行ったら?」
SUR SHANGHAIはちょっとだけ行ってみます。 -
鮑家花園敷地内は、庭と言うより新しく作られたばかりの公園と言った雰囲気。
でも、この徽風と名前が出ている盆栽(中国語だと盆景)コーナーは結構見応えあり。
ここには寄ってみる価値ありだと思います。
おっと、なんか午後の光になってきた。ちょっと先を急いだ方がいいかも。
SUR SHANGHAIは運転手さんをまた起こして、今日の後半の部の唐模→呈坎→潜口→黄山屯渓機場(空港)へと向かってもらいます。
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