2010/03/22 - 2010/03/22
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SUR SHANGHAIさん
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安徽省南部の古村落の一つとして世界遺産に登録された宏村。
前日の夕暮れ時に到着した一泊目は、南湖近くの宏村飯店。
外国人が正規に泊まれる宿でうれしいにはうれしいけど、民家を改装した客桟に泊まってみたいSUR SHANGHAIにはちょいと不満。
その後は、外国人も正規に泊まれる自分好みの客桟も見つけて大満足。
その客桟≪碧園≫の様子は別編でご紹介することにして、ここではこの日バイク・タクシーを雇って訪れた宏村近郊の村々の様子をアップします。
この編では、最初に訪れた関麓の村をご紹介します。
2002年にこのあたりに来た時には行かなかった村だから、SUR SHANGHAIにとっても初体験の場所。
さて、そこで目にする村の様子は?
関麓は、宏村と同じく安徽省黄山市[黒多]県にある小さい村。
皖南(安徽省南部)の独特の風格を持つ汪氏の八大家連体古建築が美しい所。
●注: 日本では、県の中に市がありますが、中国では逆。市の中に県があります。
表紙の画像は、関麓の村での一風景。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- グルメ
- 3.5
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- タクシー
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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-
安徽省南部の古村落の一つとして世界遺産に登録された黄山市[黒多]県の宏村近辺にはさらに多くの古村が点在しているので、画像のようなバイクを改造したタクシーを雇って行くといいですよ。
体力に自信がある方は、自転車を借りてみるのもいいかも。
バイク・タクシーは、省道218号線から宏村内に入る宏際橋たもとでいつも何台か客待ちしていました。
フロントガラスや窓にいくつか行き先の地名が出ているので、回ってもらいたい場所をうまく組み合わせ、お値段交渉の上で往復で雇うのがよし。
音が大きくて車体はガタガタ揺れるし、風がビュービュー吹き込んで来るのが難点ですが、行き先への途中でも景色のいい場所などでは停まってもらえてとても便利。
下に出したお値段は、宏村からの往復+各地での見学の間の待ち時間、駐車料金を含めたものです。
●注:これはあくまでも参考例です。
この日は、宏村−関麓−南屏−宏村を回ってもらい50元。
別の日は、宏村−五里桃園基地−西遞−屏山−宏村を回ってもらい80元。
窓ガラスに出ている行き先地名は、木坑竹海、木雕楼、龍池湾、塔川、屏山、西遞、南屏、関麓、湯口で、それぞれに特色ある村や観光地。
そのほかの場所への移動は交渉してみるといいと思います。
そうそう、行く先々のトイレにはペーパーは無いものと思って持参すると憂い無しですよ。ウェット・ティッシュもあると重宝。
飲み物とスナックくらいは持って行くと、お店の無い道筋でも困りません。 -
この日は曇り空ながら気温は低くは無かったので、ドアも窓のプラスチック板も取り外したバイク・タクシーで出発。
それでも後ろに座っていると、吹き込む風が強くて段々に寒くなってきた。
ウィンド・ブレーカー着て来てよかった〜。
どんより曇った空の下、まずは関麓へと向かう道の両脇の菜の花畑がパッと明るい。今日はあまりに霧が濃いので菜の花畑の写真は無し。
宏村周辺の菜の花畑は、これからに続く別編でご紹介しようと思います。
この省道218号線は、この画像で見えている通り舗装は出来ていました。
ずいぶん新しく見えるから、近年舗装したばかりじゃないかな。
2002年にこのあたりに来た時の道はどうだったかなあ…、思い出せないSUR SHANGHAI。(^^ゞ -
宏村の宏際橋から省道218号線とその枝道を使って、関麓と南屏との分岐点までやって来た。ここまで宏村から20分くらい。
2002年にこのあたりに来た時には、南屏には行ったけど、関麓には行かなかったっけ。
関麓はSUR SHANGHAIにとっては初体験。
清朝の半ばには汪氏八人兄弟が住んでいた村で、この画像にもちょっと文字が見えている連体古建築が有名なんだそう。
さて、その連体古建築とは? これから確かめに行ってみます。 -
さて、到着したのは、関麓の村外れに作られたビジター・センター。
最近になって観光客のために新しく作られた、というのが一目で分かる真新しい建物で、駐車場もありました。
宏村からここまでバイク・タクシーで30分位。
関麓の村のチケットは35元で、中国語のガイドさん付きのお値段。
この画像の左手に写っているオレンジ色の服を着ているのがそのガイドさん。まだ20代初めの学生さんでした。 -
ホントはガイドさん無しで気ままに歩いてみたいSUR SHANGHAIですが、汪氏八人兄弟が住んでいた連体古建築はガイドさん無しにはどこが入り口になっているのか分からない、と言うことだったのでお願いしてみました。
これは、関麓の村の地図。この地図は、右上方向が北です。
画像をクリックして元画像で見てみても文字がはっきりしない場合は、一旦コピーで保存して、さらに拡大すると見えるようになると思います。
地図の右上に出ている游客中心というのは、上の画像のビジター・センターのこと。
あとは、地図にも見えている関麓古驛道を通って、村の中へ入って行きます。 -
上の画像の地図に出ている月塘という池の南側を通っている関麓古驛道は、関麓野村へ入っていく道の一つ。
この関麓古驛道というのは、このあたりの中心地の黟県から関麓の村を通り、江西、湖北一帯に通じる主要道だったのだそう。
今はその道も寂れて、月塘のあたりには、細々と野菜を売っているお店がポツリ。 -
関麓は、月塘方向に流れていく絳下渓という細い川に沿って出来た村。
規模は大きくは無い村で、気が付いた限りでは外国人が泊まれそうな宿は見かけませんでした。
家々の表には「これが八人兄弟の内の誰それの家」という標識は付けていなかったので、関麓八大家とも呼ばれる汪氏八人兄弟の家を見つけるには、やはりガイドさんと一緒に歩くのが○。
ガイドさんが鍵を持っていて、扉を開けてくれる所もありました。 -
汪氏八人兄弟の家は、長男の家、次男の家、三男の家…と見ていくわけではなく、歩く道順に並んでいるとおりに見学して行きます。
最初に見学したのは、汪氏八人兄弟の内の六男、汪令鐘の敦睦庭。
上の方に出した関麓の村の地図にもその場所が出ています。
絳下渓に面した家で、上の画像でも左手にその入り口が写っています。 -
汪氏八人兄弟の内の六男、汪令鐘の敦睦庭の内部。
中に出ていた説明によると、清の同治年間に建てられたのだそう。
とすると、140年は経った建物。
安徽省南部の古民家に共通しているのは、家の中に細長い中庭があって、その部分の屋根が無いこと。
この明り取りの天窓は、中国語で天井と言います。
日本語の天井とは意味が違うのでご注意を。
ちなみに、日本語で言う意味の天井は、中国語では天花板と言います。 -
一軒ずつ歩いて見て回っているとなかなか気付かないんですが、汪氏八人兄弟の関麓八大家は、一軒ずつ独立しているように見えながら、実は繋がって一体になっているんだそう。それが連体古建築の謂れだそうです。
この小道も、兄弟の家々を結んでいる通路だったのだそう。
汪氏八人兄弟の関麓八大家全体の面積は6000?ほどで、楼房は16軒、四合院が2軒、学堂と書斎がそれぞれ1軒あるんだそうです。 -
イチオシ
関麓の村の中ではほとんど村人を見なかった。
朝の9時過ぎだから、みんなそれぞれ農作業や仕事に就いた時間。
一軒の戸口の前でなにやらお話をしているおばあさんが2人。
汪氏八人兄弟の内の誰かの末裔なんだろうか、と想像してみる。 -
お次に訪れたのは、汪氏八人兄弟の内の四男、汪令[金玉]の瑞靄庭。
やはり清代の同治年間に建てられたのだそう。
中に入ると、ガイドさんが「この部屋の上に描かれている絵はきれいですよ。」と指差してくれた。
あ、自分一人だと気付かなかったかも。
色は褪せているけど、繊細な絵柄で埋め尽くされている。
菊の花模様を散らした上に、さらに他の草木や人物像もうっすらと見えていました。 -
これも、汪氏八人兄弟の内の四男、汪令[金玉]の瑞靄庭の内部。
実用的な機能にプラスして、繊細な彫刻が施された窓枠や壁。
今回SUR SHANGHAIの旅の拠点になった宏村の近くには繊細な彫刻で覆われた木雕楼で有名な盧村があるんですが、それはまた別編でご紹介しようと思います。
その木雕楼の彫刻とも引けをとらない瑞靄庭。
この瑞靄庭には、窓も扉もとても小さいのに、中に置いてある机はずいぶん大きいという部屋もありました。これは、部屋ができた後で机の材料を運び込み作り上げたのだそう。
その部屋はあまりに暗すぎたので、写真は撮りませんでした。 -
最初に見学した汪氏八人兄弟の内の六男、汪令鐘の敦睦庭には、今では住む人も居なくなったのかどうかガラ〜ンとした印象でしたが、四男の汪令[金玉]の瑞靄庭には、今も住人がいて、日用品も雑多に置かれていました。
左の画像に見えている木製の小さな湯船のようなものは、火桶と呼ばれるポータブル掘りごたつ。関麓の村だけではなく、今回、安徽省南部の古村巡りではあちこちで見かけました。
使い方は、まず、灰に埋めた火種をホーロー製の洗面器に入れて火桶の底に置き、その上に金網を架けます。
火桶には椅子のようにお尻を置く板も付いているので掘りごたつのように中に脚を入れて座り、足は上記の金網の上に置いて暖める仕組み。
あとは膝の上に毛布などをかけます。
右の画像は、火桶使用中の宏村のおじいさん。 -
これも、汪氏八人兄弟の内の四男、汪令[金玉]の瑞靄庭の内部。
ここでも古風な木製の洗面器の台が今も使われていました。
上海あたりの骨董家具屋さんでは、古民家の家具などを買い取ってリフォーム後に販売していますが、その中にはこんな洗面台も見かけます。
小さい鏡がはめてある板回りの彫刻や透かし彫りが凝ったものだと、千元単位の結構なお値段になります。 -
お次に見学したのは、汪氏八人兄弟の内の長男、汪令鑾の吾愛吾廬。
上段の画像だと、左手の建物がそう。
子弟教育に使われたという建物部分には、左下段の画像のように巻物を広げた形の出入り口があったり、右下段の画像のように、「落葉帰根(故郷から離れた華僑も、いずれは故郷に帰る)」を表した形の出入り口があったり。
これは、学問を積んで外に出て行き、成功した後はいずれ故郷に帰って来るという意味もあるのかも?
関麓は元々宋の時代に汪氏によって開かれたそうなんですが、清の時代の半ばに財を成して戻って来た子孫によって、現在の関麓や八大家が築かれたらしいので、その経緯をも暗示しているような気がするSUR SHANGHAI。 -
汪氏八人兄弟の内の長男、汪令鑾の吾愛吾廬内部。
通路の天井(天花板)を見上げてみると、青い小花が散らしてあるシンプルな模様が美しい。 -
汪氏八人兄弟の内の三男、汪令[金辰]の九思庭。
ここの広い土間風のスペースでは、清代の竈、民国時代の竈、解放後の竈、そして現代のガス・コンロが置いてあるキッチン台、と四つの時代の厨房が見学できますよ。
これはその全体像。
左手に見えているのは、プロパン・ガスを使った現代のキッチン台。外への出入り口そばにありました。
あとの三つはと言うと…、 -
…左の画像は清代の竈。煙出しと明り取りを兼ねた天窓の下にあって、雨も降り込むと言う不便な造り。
真ん中の画像は民国時代の竈。この九思庭の厨房では一番奥にありましたが、煙突が付いていないので、周辺の壁や天井は煤で真っ黒。
右側の画像は、解放後の竈。構造的には民国時代のものとほぼ同じですが、煙突が付いています。
この竈では、今もご飯を炊いているそうです。
今回の安徽省の古村を巡る旅では、他にも数軒のお宅の厨房を見学させていただきましたが、どこもこの九思庭と同じような造りでした。 -
九思庭の厨房で使われている品々。甕や籠、笊も置いてある厨房の片隅。
左の画像では、テーブルの上に炊飯器が置いてありますが、上の方の画像で見た竈で炊いた方がおいしいからと言って、あんまり使っていないそうです。
日本でも、SUR SHANGHAIが小さかった時には、おばあちゃんの家の土間にあった竈でご飯を炊いていたのを思い出す。 -
イチオシ
九思庭にも人が住んでいて、居間には上の方で紹介した火桶も置いてありました。
これは普通の桶を転用したのかな。
腰掛ける部分が無くて、足だけを入れる構造になっている。
後ろの小箪笥の上に置いてあるポットがレトロ。
まだまだ田舎では健在だ〜。
これもレトロな魔法瓶という名前がピッタリ。 -
関麓の村の中。
黒い瓦を乗せた白壁が続く。
階段状に段々に造られた壁は、火事の際の火を防ぐためという用途から封火墻と呼ばれたり、形状から馬頭墻とも呼ばれるようです。
これは江南一帯でよく見られる民家の造り。
う〜ん、雨が落ちて来そうな空になってきた…。
上海でもそうだけど、春先はこんなにどんより曇ってジメジメすることが多い。
お日様が顔を覗かせる日も、黄砂で視界が曇るのは、この安徽省でも同じでした。 -
関麓の村の中の小道。
これも汪氏八人兄弟の八大家を結ぶ通路だったのか、それとも村の誰もが使える道なのかはっきりしない…。 -
関麓は、村の入り口にある月塘方向に流れていく絳下渓沿いの小さい村。
ここでも水の流れは大切な財産で、さまざまに使われる。
この女性は、今日のおかずになる野菜を洗いに来たらしい。 -
またまたお次の見学場所に移って、ここは汪氏八人兄弟の内の八男、汪令鍠の春満庭。
絳下渓に面した位置でした。
初めは八人兄弟が揃って住んでいた家ということで、内部は広め。 -
春満庭の中庭。
威勢のいい雄鶏が駆け回ってSUR SHANGHAIを威嚇した後は、堂々と胸を張って縄張りを主張。
その元気の良さにちょっとびっくり。
鶏舎で飼われているブロイラーとは大違い。 -
同じく春満庭の内部。ここにも住人がいて、やはりお一人様用の火桶を日常的に使っているようでした。
掛け軸が下がっている壁の前には細長いテーブルが置いてあって、祭壇風に飾り付けがしてあります。
これも一定の決まりがあって、中央に置かれるのは置時計(中国語では鐘)、向かって右側に置かれるのは花瓶、左手に置かれるのは鏡。
これは簡単に言うと、鐘声瓶鏡(置時計の音と花瓶と鏡)の発音が、終生平静(生涯平穏とか生涯安泰の意味)に通じるからなのだそう。
このお宅だけに限ったことではないので、古い民家を訪れる時には注意して見てみるといいですよ。
中国にはこれと同じように、謎解きのような言葉遊びのような言い回しがたくさんあります。あれこれ探してみては?
ついでに言うと、置時計を挟んで左右には筒状の瓶が置かれていますが、これは家の主が帰宅した時に帽子を架けて置くための物だったんだそう。
帽子の有無で、来客は家の主が在宅か留守かが分かる仕組みにもなっていたようです。 -
同じく春満庭の家屋の一部。
実用の域を超えた細かい細工彫りがしてある窓枠や洗面台、黒いレンガがしっとりときれい。 -
同じく春満庭の家屋の一部。
あ、この壁と屋根、丸い窓の感じがいいなあ、とパチリ!
ガイドさんが一言ポツリ。「それ、トイレだけど…。(^^ゞ」
「トイレでも、この風情がいい。」と言っても、「外国からのお客さんって、みんなヘンな写真ばかり撮るなあ。何がいいのか私には分からない。」 -
イチオシ
春満庭を出て来て、絳下渓の向こうを見れば、春の訪れを告げる菜の花畑。
天秤棒を担いで行く人もいる関麓の村。 -
イチオシ
木々が芽吹き始める前に枝打ちをしたらしい。
細い枝が束ねられて民家の前に置いてあった。
これは竈の燃料になるのかな。 -
中国の田舎を旅行している時に、壁に書かれた字が消えかけている建物を見かけたらちょっと足を止めてみるのがよし。
文革時代のスローガンの名残だったりします。
安徽省の片田舎と思える関麓の村にもそんな時代の痕跡を発見。
この壁の文字はほとんど消えかけているんですが、それでも毛主席語録とか、一切緊○○毛主席の文字が読み取れました。
注: 上記の○は、読み取れなかった漢字です。 -
関麓の村を歩いていると、民家の中庭でなにやら作業中の女性が一人。
これは、この村の名物の夾心香干と呼ばれる大豆製品を作っているところ。煮上がった夾心香干を網の上に広げて汁気を切っています。
香干と言うのは、豆腐をぎゅっと圧縮して醤油味で煮〆たような食べ物で、一口大に切ってあります。噛み応えはちょっとガムのよう。
似たような食べ物は他の地域にもありますが、この夾心香干はその名の通りに真ん中に別の色(黄色)の香干が挟んであるのが特徴。
注: 夾心は、間に挟む、とか、混ぜ合わせる の意味。 -
上記の女性は小さなお店も経営していて、真空パック入りにした夾心香干を売っていました。
上の方でも言ったように、香干は豆腐をぎゅっと圧縮して醤油味で煮〆たような大豆製品。噛み応えはちょっとガムのよう。
画像のものは150g入りで6元くらいだったと思います。
食べてすぐにおいしさが分かるというより、食べ慣れた後でそのよさがジワジワと分かるようになるといった感じの味わいです。 -
これは、汪令録の延禧庭。
戸口から外に向かって外壁が八の字に広がった形は、本来ならお役人しか使えないんだそうですが、敢えてこのスタイルで家を建てさせたんだそう。
単にこのスタイルが好きだっただけ?
それとも見栄っ張りの人だったのかも? -
延禧庭の母屋向かいの壁に出ていた福の字。
これは、出門見福と言って、外出の際の幸運を祈るおまじない的言葉なんだそう。出入り口を背にすると、正面に見える壁に出ていました。
これも関麓だけの風習ではなく、あちこちで見かけます。 -
またまた細い小路が続く関麓の村。
これは、八大家のそれぞれを結ぶ通路のような雰囲気。
ここでもニワトリが元気に駆け回る。 -
最後に訪れたのは、汪氏八人兄弟の内の次男、汪令鐸の淡月山房。
扉に付いている赤い表札のような札には≪光栄軍属≫と書かれていたから、このお宅からは軍人さんが出たらしい。
ここはガイドさんが中に向かって声を掛けても返事が無かったので、住民の方はお留守のよう。
それでもガイドさんとはお互いに了解が出来ているようで、合鍵で扉を開けてもらえました。
こうしてガイドさんを後ろから見ると、この安徽省の小さい関麓の村でも髪を染めるのはもう普通のことになっているみたい。 -
淡月山房の内部。
立派なお宅なのに、今は人が住まなくなった部分もあって、荒れ始めているのが侘しい。
やっぱり、人の気配が無くなった家って朽ちるのが速い。 -
淡月山房の中でも、今も住人がいる部分の厨房。
薪が積み上げてある壁、古びたテーブル、そこここに置かれた鍋や布巾…が、何かを語りかけてきそうな風情。 -
イチオシ
淡月山房を出て、そろそろバイク・タクシーのおじちゃんを待たせてある駐車場へと戻ることに。
ふと気付いて、「あれ? 汪氏八人兄弟の五男坊の家って、行かなかったんじゃない?」とガイドさんに聞いてみると、「ええ、非公開になってるんです。」の答え。
「ん? 何か公開できないような事があった家なの?」と思ってしまったSUR SHANGHAIは、ミステリー小説の読み過ぎ?(^^ゞ -
駐車場近くまで戻ってくると、村の規模の割りにずいぶん大きい小学校があった。
でも、だ〜れもいない。
どうしたのかと思って、これもガイドさんに質問すると、
「一人っ子政策で子どもが減ったから、別の地区と合併して生徒はそっちに通ってるんです。」
う〜ん、せっかく建てた校舎なのにもったいない。
さらに辺鄙な所に行くと、設備らしい設備も無い小学校を何度も見てきたから、一層そう思ってしまう。 -
最初のビジター・センターに戻って、ガイドさんとはそこでお別れ。
ありがとう〜〜。(@^^)/~~~
バイク・タクシーの運転手おじさん、お待たせ〜。
じゃ、次は、南屏の村までお願いね。
関麓の村を出て、南屏へと向かう道筋も菜の花が満開。
お天気はあんまりよくないけど、南屏では菜の花畑も撮れるといいな。
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