2010/12/19 - 2010/12/19
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ドクターキムルさん
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横浜市戸塚区戸塚町にある親縁寺(しんねんじ)は時宗のお寺で富塚山親縁寺という。本尊は時宗で信仰する仏である阿弥陀如来である。開山は他阿呑海(たあどんかい)(文永2年(1265年)〜 嘉禎2年(1327年))である。呑海は俣野五郎景平の弟とされ、兄の援助で総本山清浄光寺(遊行寺)を開いた遊行四代で遊行寺の開山上人である。したがって、寺の創建は鎌倉末の元応元年(1319年)であるとされる。寺名は三縁(親縁・近縁・増上縁)に因っている。
山門石段下には寛永13年(1636年)銘、元禄7年(1694年)銘の庚申塔など4基が建ち、境内には哲善地蔵や熊野権現社、地蔵堂、鐘楼堂などが建っている。元は大坂下にあったが、明和年間(1764年〜1772年)にこの地に移ってきたというから、これらの庚申塔も運ばれてきたのであろう。地蔵堂は工事中で屋根を解体修理中であるが、前の参道に春負童女のお地蔵さまを中心に六地蔵が並んでいる。右端のお地蔵さまには5対の小地蔵が並び、その横に牛頭塚が建っている。鐘楼堂は萱葺きで天井絵が描かれているのは珍しいだろう。他に、花塚と筆塚がある。また、親縁寺テンプル斎場を併設していることで知られている。
(表紙写真は親縁寺本堂)
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鎌倉道道標。日立戸塚工場前に建つ宝永4年(1707年)銘の庚申講中が建てた道標。親縁寺は日立戸塚工場横と日立戸塚総合病院前を通る曲がりくねった旧街道沿いにある。
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親縁寺の寺号標石。
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庚申塔(寛永13年(1636年)銘)と供養塔。
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庚申塔(寛永13年(1636年)銘)。
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庚申塔(元禄7年(1694年)銘)。
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山門前の石段。
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山門。「富塚山」の扁額が掛かる。親縁寺の北には東海道を挟んで富塚古墳がある。
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山門から伸びる築地塀。
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山門。
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熊野権現社。
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熊野権現社。
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熊野権現社。
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哲善地蔵。
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哲善地蔵。
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哲善地蔵。
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哲善地蔵。
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哲善地蔵。
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哲善地蔵。
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哲善地蔵。
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石仏。
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鐘楼堂。
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鐘楼堂。
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鐘楼堂。
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鐘楼堂。
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鐘楼堂の天井絵と梵鐘。
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地蔵堂。
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地蔵堂。
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地蔵堂とその奥のお堂。
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春負童女のお地蔵さまを中心に六地蔵と牛頭塚。
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春負童女のお地蔵さまを中心に六地蔵。
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5体の小地蔵が並ぶ右端のお地蔵さま。春負童女のお地蔵さまと5体のお地蔵さまで六地蔵となっており、このお地蔵さまは戦後に奉納された新しいものである。
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牛頭塚。
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大銀杏。
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大銀杏。
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大銀杏。
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大銀杏横のベンチ。
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大銀杏横の東屋。
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花塚。
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筆塚。
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ペットの供養碑。前に犬猫の像が建つ。
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境内本堂前の枝垂れ桜。他に、山門階段下と山門裏に枝垂れ桜が植えられている。
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境内本堂前の銅燈籠。
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境内本堂前の銅燈籠。
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境内本堂前の銅睡蓮鉢。龍が付いている。
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境内本堂前の銅睡蓮鉢。
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親縁寺本堂。
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親縁寺本堂。
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親縁寺本堂。
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親縁寺本堂には「雙林院」の額が掛かる。
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庫裡。
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庫裡。
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庫裡。
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庚申塚。親縁寺前の道が柏尾川に突き当たる手前にある。かつての街道は柏尾川からはどうなっていたのであろうか?下倉田の大草鞋がある南谷あたりで鎌倉道に繋がっていたのであろうか?
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右下から庚申供養塔、庚申塔(享保10年(1725年)銘)、庚申塔(元禄4年(1692年)銘)、道祖神。道祖神の周りには五輪塔の一部が並ぶ。
右上から庚申供養塔、庚申塔(延宝5年(1677年)銘)。
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この旅行記へのコメント (2)
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- ELUさん 2010/12/22 13:18:37
- 哲善坐像
- あるタレントの葬儀記事から、親縁寺の記事を偶然新聞で見つけました。親縁寺の元住職佐藤哲善先生は、私の中学時代の恩師です。里帰りした折には、是非仏教のおはなしを伺いたいと思っておりました。親縁寺の場所がうるおぼえでしたので、ネットで調べると「親縁寺」がやたらと出てくるではありませんか。先生活躍なさってるんだと勝手に思い込んでおりましたら、坐像になって写真に写っているのをみてビックリ。亡くなられていたんですね。でも懐かしい本堂と階段を上がる石塔が写っておりました。今度、母と一緒にお参りに伺います。
- ドクターキムルさん からの返信 2010/12/22 20:48:06
- RE: 哲善坐像
- ELUさん
高嶋橋あたりを抜ける戸塚本宿道に対する筋違道としてあったのでしょうか、曲がった旧道沿いに親縁寺はありました。社殿が見え、神社かと思って寄ってみました。
Wikipediaには、「元住職佐藤哲善師を模した哲善地蔵」「元住職佐藤哲善は、時宗教学部長を務め、映画「捨聖一遍上人伝」記録映画「をどらば をどれ」(1994)を企画したほか、横浜市長選挙に立候補するなど、活動的な人物であった。」などとあります。Wikipediaには間違いが多いのですが、哲善地蔵は本尊ではなく、石段を登って山門左に鎮座しています。本堂には阿弥陀如来立像を真ん中にして三尊が並んでいました。
哲善地蔵からは沢山の結縁の糸が張られており、台座に並ぶ3体のお地蔵さまの他にも数え切れないほどの水子供養のお地蔵さまが添えられ、前と左右に沢山のお供えがありました。時節柄、靴下の形をしたクリスマスのお供えなどもあり、これほど慕われている地蔵尊を見たのは初めてでした。
ELUさんが言われるように、亡くなられて丈六の金銅地蔵尊になられたのでしょう。おそらくは地蔵尊のお顔も似せて造られたのでしょう。
生前は中学校の先生をされていて、教え子達から贈られた物も多いのでしょう。置き切れないほどのお供え物から元住職佐藤哲善師の人柄が偲ばれます。
ドクターキムルより
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