2010/11/09 - 2010/11/16
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世界遺産のモンサンミッシェル見学の続きです。建物内部に入場しての見学を終え、出口に向かう周回通路からの眺めの紹介です。
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モンサンミッシェルの見学を終えて、帰り道での撮影です。外壁に設けられた、尖ったアーチ形門です。この出入口は、今も使われていたようです。
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同じく外壁と城壁外周の通路の光景です。日が射さない外壁や石垣は苔生していましたが、見学通路は整備されていました。
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壁の隙間から眺めた外の光景です。モンサンミッシェルは、島に渡る通路の建設後、陸地化が進み、このような緑の光景が生まれたようです。元の島に戻すための方策がプロジェクトチームで検討され、実施される予定とされます。
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同じく壁の隙間からの眺めです。モンサンミッシェルの周辺は、1994年10月にラムサール条約登録地となっています。この方面には手前に海面が見えています。
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城壁の眼下の眺めです。とんがり帽子の屋根を持った小さな建物がありました。要塞時代であれば侵入者を監視するための、監獄時代には脱獄者を監視するための見張り台だったものでしょうか。
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こちらも、モンサンミッシェルの最外壁部の光景です。8世紀の初めに、最初の聖堂が建てられ、その後に増改築が重ねられ、13世紀頃には、ほぼ現在の光景となったようです。
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モンサンミッシェルの中に生える木々の頭越しに眺めた光景です。陸地化が進んでいる光景のようです。海水の代わりに広大な砂地が見えます。その砂地の中に見えるのは、トンブレーヌ岩のようです。その昔、モンサンミッシェルの付属聖堂があったとされます。
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頑丈な石造りの壁が続いていた通路の光景です。通路は石畳でした。ウィキペディアに掲載されている1900年の写真では、モンサンミッシェルは、完全な島でした。
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緩やかな下りの石段と、その先に続く通路の光景です。モンサンミッシェルの周囲を旋回しながら出口に向かっているようでした。木々の緑が多い一角です。
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砂地の光景が目の前に広がっていました。陸続きの道路が造られた後、100年間で2メートルの砂が堆積したと見積もられています。
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監獄時代を想起させる鉄格子です。大文豪のヴィクトル・ユゴーによるモンサンミッシェルの紹介がナポレオン三世を動かし、それまでの監獄は、1865年に再び修道院として復元されました。
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正確な位置関係は分かりませんが、恐らく北側に位置する城壁か石垣でしょう。一面を苔が覆っていました。
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苔が覆った城壁の下の部分の光景です。ここには苔でなく草が一面を覆っていました。落葉などで、土壌の下地が出来たのでしょうか。
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この場所は、積まれた石垣ではなく、自然石が露出していました。建物の中にも、自然石が露出した場所がありました。元々が岩山だったとされます。
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この辺りもモンサンミッシェルの北側になるようです。剪定された木々が見えます。庭として手入れされているようでした。
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かなり下ってきたようです。殆んど見上げる建物光景となりました。全体としてはゴチック様式とされる建物光景です。アーチ窓にはステンドグラスが用いられているようです。
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窓一つなく、上部が張り出した構造は、防御を主目的とした造りのようです。石壁には蔦が這っていました。
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つい、城壁と呼んでしまいそうな石垣の光景です。その壁には、縦に細長い穴が見えています。日本の城郭風に表現すれば、鉄砲狭間でしょうか。
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『城壁』の光景が続きます。上には旗が見えています。黒ずんだり苔生した『城壁』は、長い年月を感じさせます。
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どうやら、モンサンミッシェルの建物の周囲を1周したようです。見覚えがある、最初に入場した門に戻ってきました。後ろ向きの方達は、これから入場される観光客です。
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修道院と言うより、要塞のイメージが強い建物光景です。ここがメインの出入口のようです。建物の上には幾つかの旗が見えました。
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モンサンミッシェルの壁面光景です。快晴とはなりませんでしたが、見学には申し分のない天候でした。朝方の大雨に比べますと、本当にラッキーでした。
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ここからは、モンサンミッシェル各部の外観の紹介です。こちらの建物は、現在も居住用として使われているような雰囲気がありました。赤い窓枠がお洒落です。修道院の一部でしょうか。
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三角屋根の上に丸い屋根飾りがある光景です。やや青みを帯びた三角屋根と、大小様々な石を積んだ石垣の光景は、なかなか風情があります。
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すっきりとした外壁の建物です。この部分のイメージは修道院か、教会です。使われている石材も、やや赤みを帯びていました。石壁の上から、観光客の顔が見えています。
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少しだけアングルを変えた、同じ建物の光景です。右寄りに金色のミカエル像が見えています。左側に見える尖塔は、典型的なゴチック様式です。
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こちらは更に赤い色をした外壁です。イメージ的には、石造りではなく、赤レンガ造りの建物でした。塔の上から、鳩よりは大きな鳥が飛立ちました。
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アーチ形にくり抜かれた壁に設えてあった聖母子像です。推さない感じもする若い聖母と、両手を広げて大人びた幼子イエスです。この場所に置かれた像は、時代の変遷により、何度も入れ替わってきたのではないでしょうか。
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複雑な形をした壁の光景です。不要になった設備が取り払われ、石やセメントで塗り込められたような跡がありました。
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島に元々あった自然石と、人手による石積みが混在した光景です。緩衝材のような緑が見えています。
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