モンサンミッシェル旅行記(ブログ) 一覧に戻る
モンサンミッシェルの修道院はフランス革命時に廃止され、監獄として使用されたため、民衆から見放されて荒廃が進みました。これが再生したのは小説家ヴィクトル・ユゴーの貢献が大きいと言われています。彼の妻は彼の親友と駆け落ちし、失意のどん底に落ち込んだ彼はやがて、たぐい稀なる美貌の持ち主にも関わらず、演技に難があってうれなかった女優(付録に写真を載せました)と恋に落ち、一緒にフランス各地を旅します。そして出会ったのがモンサンミッシェルでした。彼はその素晴らしさに驚嘆し、多くのスケッチと説明文を発表します。この中で彼は「モンサンミッシェルはフランスにとってエジプトのピラミッドに値する」と記し、これはフランス民衆のみならず、時の皇帝ナポレオン3世をも動かしました。そして監獄は廃止され、歴史的建造物として扱われることになったのです。1863年のことでした。  <br /><br />モンサンミッシェルの素晴らしさはその美しい外観や島からの景色だけでなく、その立地条件からくる自然現象、数奇な歴史的運命にもあります。本旅行記は地勢、歴史、宗教、建築、力学等様々な観点からモンサンミッシェルを解剖します。<br /><br />詳細は長くなるので、最後に付録としてのせました。興味と時間がある方はご覧ください。<br /><br />説明文の中の固有名詞は一般的に使われているものを使い、その後の( )内にフランス語を記しました。<br />

フランス 天空の巡礼地、モンサンミッシェル

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2013/05/03 - 2013/05/03

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bunbun

bunbunさん

モンサンミッシェルの修道院はフランス革命時に廃止され、監獄として使用されたため、民衆から見放されて荒廃が進みました。これが再生したのは小説家ヴィクトル・ユゴーの貢献が大きいと言われています。彼の妻は彼の親友と駆け落ちし、失意のどん底に落ち込んだ彼はやがて、たぐい稀なる美貌の持ち主にも関わらず、演技に難があってうれなかった女優(付録に写真を載せました)と恋に落ち、一緒にフランス各地を旅します。そして出会ったのがモンサンミッシェルでした。彼はその素晴らしさに驚嘆し、多くのスケッチと説明文を発表します。この中で彼は「モンサンミッシェルはフランスにとってエジプトのピラミッドに値する」と記し、これはフランス民衆のみならず、時の皇帝ナポレオン3世をも動かしました。そして監獄は廃止され、歴史的建造物として扱われることになったのです。1863年のことでした。  

モンサンミッシェルの素晴らしさはその美しい外観や島からの景色だけでなく、その立地条件からくる自然現象、数奇な歴史的運命にもあります。本旅行記は地勢、歴史、宗教、建築、力学等様々な観点からモンサンミッシェルを解剖します。

詳細は長くなるので、最後に付録としてのせました。興味と時間がある方はご覧ください。

説明文の中の固有名詞は一般的に使われているものを使い、その後の( )内にフランス語を記しました。

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  • バスでモンサンミッシェル(Mont Saint-Michel)へ向かいます。あっ、見えた、モンサンミッシェルだ。

    バスでモンサンミッシェル(Mont Saint-Michel)へ向かいます。あっ、見えた、モンサンミッシェルだ。

  • まずは、朝食をとるためにモンサンミッシェル対岸にあって、モンサンミッシェルが一望できるホテル:ル・ルレ・サン・ミシェル(Le Relais Saint-Michel)のレストランへ。レストランからモンサンミッシェルを望む。

    まずは、朝食をとるためにモンサンミッシェル対岸にあって、モンサンミッシェルが一望できるホテル:ル・ルレ・サン・ミシェル(Le Relais Saint-Michel)のレストランへ。レストランからモンサンミッシェルを望む。

  • モンサンミッシェル、ズームイン。<br /><br />蛇足<br />モンサンミッシェルがジブリ映画「天空の城ラピュタ」のモデルとなっている、との説明も散見されますが、スタジオジブリの公式発表では、大いに参考にした場所としてイギリス・ウェールズ地方を挙げています。<br />事実、宮崎駿監督はこのアニメの制作にあたり、その材料集めに約2週間ウェールズを旅行していますので、コンウィ城やポウィス城(Powis Castle)が参考になっているのかも知れません。もちろんモンサンミッシェルも参考にしてるかも知れませんし、セント・マイケルズ・マウント(英)、クラック・デ・シュヴァリエ(シリア)、も参考にしてるかも知れません。<br />

    モンサンミッシェル、ズームイン。

    蛇足
    モンサンミッシェルがジブリ映画「天空の城ラピュタ」のモデルとなっている、との説明も散見されますが、スタジオジブリの公式発表では、大いに参考にした場所としてイギリス・ウェールズ地方を挙げています。
    事実、宮崎駿監督はこのアニメの制作にあたり、その材料集めに約2週間ウェールズを旅行していますので、コンウィ城やポウィス城(Powis Castle)が参考になっているのかも知れません。もちろんモンサンミッシェルも参考にしてるかも知れませんし、セント・マイケルズ・マウント(英)、クラック・デ・シュヴァリエ(シリア)、も参考にしてるかも知れません。

  • 昼食です。モンサンミッシェルと言えばふんわりオムレツ。

    昼食です。モンサンミッシェルと言えばふんわりオムレツ。

  • メインは白身魚のソテー

    メインは白身魚のソテー

  • デザートのチーズケーキです。

    デザートのチーズケーキです。

  • 一般車両は島まで入れないため、前と後ろに運転席がある、こんなシャトルバズで島に行きました。

    一般車両は島まで入れないため、前と後ろに運転席がある、こんなシャトルバズで島に行きました。

  • その前にいろんな場所から、モンサンミッシェルの写真撮影。歩道から。

    その前にいろんな場所から、モンサンミッシェルの写真撮影。歩道から。

  • 歩道からズームインしてモンサンミッシェルを望む。

    歩道からズームインしてモンサンミッシェルを望む。

  • 歩道からさらにズームインしてモンサンミッシェルを望む。

    歩道からさらにズームインしてモンサンミッシェルを望む。

  • クエノン川(Le Couesnon)河口近くに作られた、クエノンダム(Barrage du Cuesnon、バラージュ ドゥ クエノン)(付録2参照)からモンサンミッシェルを望む。

    クエノン川(Le Couesnon)河口近くに作られた、クエノンダム(Barrage du Cuesnon、バラージュ ドゥ クエノン)(付録2参照)からモンサンミッシェルを望む。

  • クエノンダムからズームインしてモンサンミッシェルを望む。

    クエノンダムからズームインしてモンサンミッシェルを望む。

  • クエノンダムからさらにズームインしてモンサンミッシェルを望む。

    クエノンダムからさらにズームインしてモンサンミッシェルを望む。

  • 少し手前でバスから降ろされました。

    少し手前でバスから降ろされました。

  • 新しい橋を建設中ですね。(付録2参照。現在はもう完成してます。)

    新しい橋を建設中ですね。(付録2参照。現在はもう完成してます。)

  • 入口まで、この歩道を歩きます。

    入口まで、この歩道を歩きます。

  • 歩きます。

    歩きます。

  • 入口が近づいてきました。

    入口が近づいてきました。

  • モンサンミッシェルは入り組んでおり、修道院は狭い敷地に建てられているため、非常に複雑な3層構造となっています。この状態を知ってもらうため、以下順番に図面を示します。<br />これは島の全体図です。著作権の関係で正確な図面を入手できなかったため、自作です。形状の詳細は正確でないことをご了解ください。<br />

    モンサンミッシェルは入り組んでおり、修道院は狭い敷地に建てられているため、非常に複雑な3層構造となっています。この状態を知ってもらうため、以下順番に図面を示します。
    これは島の全体図です。著作権の関係で正確な図面を入手できなかったため、自作です。形状の詳細は正確でないことをご了解ください。

  • 上層部の平面図です。

    上層部の平面図です。

  • 中層部の平面図です。

    中層部の平面図です。

  • 下層部の平面図です。

    下層部の平面図です。

  • 南北方向の断面図です。

    南北方向の断面図です。

  •  入口のラヴァンセ門(Porte de l&#39;Avancée)からモンサンミッシェル(Mont Saint Michel)に入ります。

    入口のラヴァンセ門(Porte de l'Avancée)からモンサンミッシェル(Mont Saint Michel)に入ります。

  • 入ると広場があり、その向こうに大通り門(Porte du Boulevard)が見えます。

    入ると広場があり、その向こうに大通り門(Porte du Boulevard)が見えます。

  • 大通り門を抜けるとすぐ左側に百年戦争時にイングランド軍によって使われ、1437年6月17日にThomas de Scales によって廃棄された大砲があります。写真を撮ってこなかったんで、ウィキペディアの写真を拝借しました。現在は壁側の1つのみが展示されています。<br /><br />Cannons abandoned by Thomas de Scales at Mont Saint-Michel on 17 June 1434. (March 28, 2014, 13:25 UTC). In Wikipedia: The Free Encyclopedia. Retrieved from<br />http://en.wikipedia.org/wiki/Mont_Saint-Miche<br />Photo taken by Greenshed, on 14 May 209<br />I, the copyright holder of this work, release this work into the public domain. This applies worldwide.<br />In some countries this may not be legally possible; if so:<br />I grant anyone the right to use this work for any purpose, without any conditions, unless such conditions are required by law.<br />

    大通り門を抜けるとすぐ左側に百年戦争時にイングランド軍によって使われ、1437年6月17日にThomas de Scales によって廃棄された大砲があります。写真を撮ってこなかったんで、ウィキペディアの写真を拝借しました。現在は壁側の1つのみが展示されています。

    Cannons abandoned by Thomas de Scales at Mont Saint-Michel on 17 June 1434. (March 28, 2014, 13:25 UTC). In Wikipedia: The Free Encyclopedia. Retrieved from
    http://en.wikipedia.org/wiki/Mont_Saint-Miche
    Photo taken by Greenshed, on 14 May 209
    I, the copyright holder of this work, release this work into the public domain. This applies worldwide.
    In some countries this may not be legally possible; if so:
    I grant anyone the right to use this work for any purpose, without any conditions, unless such conditions are required by law.

  • 前方に、ふんわりオムレツで有名なLa Mere Poulard(ラ・メール・プーラール、プーラールおばさん)レストランの看板が見えてきました。1879年、彼女は夫と一緒にこの地にレストランを開業し、1888年には宿屋を開業しました。長旅で疲れきった訪れた巡礼者達に、彼女は自分が考案した、栄養価が高くボリュームのあるオムレツで、暖かい心のこもったおもてなしをしましたが、その他に700ものレシピを完成させたそうです。

    前方に、ふんわりオムレツで有名なLa Mere Poulard(ラ・メール・プーラール、プーラールおばさん)レストランの看板が見えてきました。1879年、彼女は夫と一緒にこの地にレストランを開業し、1888年には宿屋を開業しました。長旅で疲れきった訪れた巡礼者達に、彼女は自分が考案した、栄養価が高くボリュームのあるオムレツで、暖かい心のこもったおもてなしをしましたが、その他に700ものレシピを完成させたそうです。

  • すごい混雑ですねえ。

    すごい混雑ですねえ。

  • ちょっと覗くと、料理人のお兄さんがオムレツを作っている所を見られます。<br />お兄さんの制服は創業時から変わっていないそうです。<br />

    ちょっと覗くと、料理人のお兄さんがオムレツを作っている所を見られます。
    お兄さんの制服は創業時から変わっていないそうです。

  • マキかまどやフライパンは創業当時からのものだそうです。

    マキかまどやフライパンは創業当時からのものだそうです。

  • 王の門(Porte du Roi、ポルト・デュ・ルワ、中央)と王の塔(Tour du Roi、トゥール・デュ・ルワ、右) が見えます。これはかつて王が派遣した衛兵が詰めていた城門です。手前に飛び出した2本の柱に鎖がついていますが、これは敵の侵入者を防ぐ跳ね橋で1924年の再建されたものです。敵の襲撃に備え、上には石を落とす窓、下のアーチ内上部には瞬時に落ちて侵入を防ぐ格子があります。<br />この門から*修道院へ上る階段までをグランド・リュ*,**(Grande Rue)と呼びます。<br />*ここではこうしておきますが、対岸からの道路を含めてこう呼ぶ場合等、いろいろあります。<br />**「大通り」という訳も多用されていますが、誤解を招きます。grandは「大きい」という意味もありますが、日本語の「幅が広い」という意味ではなく、むしろ「重要な」、「偉大な」の方が適切です。rueは両側が家並みの街路で、日本語の「大通り」はフランス語では「avenue」や「boulevard」です。あえて日本語に訳すとすれば、「参道」の方が適切でしょう。<br />

    王の門(Porte du Roi、ポルト・デュ・ルワ、中央)と王の塔(Tour du Roi、トゥール・デュ・ルワ、右) が見えます。これはかつて王が派遣した衛兵が詰めていた城門です。手前に飛び出した2本の柱に鎖がついていますが、これは敵の侵入者を防ぐ跳ね橋で1924年の再建されたものです。敵の襲撃に備え、上には石を落とす窓、下のアーチ内上部には瞬時に落ちて侵入を防ぐ格子があります。
    この門から*修道院へ上る階段までをグランド・リュ*,**(Grande Rue)と呼びます。
    *ここではこうしておきますが、対岸からの道路を含めてこう呼ぶ場合等、いろいろあります。
    **「大通り」という訳も多用されていますが、誤解を招きます。grandは「大きい」という意味もありますが、日本語の「幅が広い」という意味ではなく、むしろ「重要な」、「偉大な」の方が適切です。rueは両側が家並みの街路で、日本語の「大通り」はフランス語では「avenue」や「boulevard」です。あえて日本語に訳すとすれば、「参道」の方が適切でしょう。

  • 王の門を潜り抜けると、

    王の門を潜り抜けると、

  • 左側に「LA POSTE」、正面に城壁を建物を結ぶ アーティチョークの家(Maison des Artichauts、メゾン・デ・アルティショー)と呼ばれる渡り廊下が見えます。

    左側に「LA POSTE」、正面に城壁を建物を結ぶ アーティチョークの家(Maison des Artichauts、メゾン・デ・アルティショー)と呼ばれる渡り廊下が見えます。

  • 郵便局ですね。

    郵便局ですね。

  • さらに進むと、左正面はアーティチョークの家。その名は屋根についている円錐の塔がアーチチョーク*です。左側はホテルになってますね。<br /><br />*和名は朝鮮薊で、その蕾に似ているからそう呼ばれるそうですが、食用とする花の蕾には似ても似つかず、食べるために花弁を剥ぎ取ると円錐形になります。<br />

    さらに進むと、左正面はアーティチョークの家。その名は屋根についている円錐の塔がアーチチョーク*です。左側はホテルになってますね。

    *和名は朝鮮薊で、その蕾に似ているからそう呼ばれるそうですが、食用とする花の蕾には似ても似つかず、食べるために花弁を剥ぎ取ると円錐形になります。

  • グランド・リュの両側は土産物店、レストラン、ホテルがぎっしり。

    グランド・リュの両側は土産物店、レストラン、ホテルがぎっしり。

  • 日本語も見えますね。

    日本語も見えますね。

  • グランド・リュの終わり近くで左を見上げると、高い塔を有する付属教会(大聖堂、Abbaye、アベイ)の尖塔(中央右)とラ・メルベイユ(La Merveill、驚異、軌跡)の東面(中央右)が見えます。<br />尖塔の手前の複数の尖塔を数する部分はゴシック建築特有の控え壁(contreforts、コントゥレフォル)、で、聖堂の外壁の補助壁として建造されたものです。<br />

    グランド・リュの終わり近くで左を見上げると、高い塔を有する付属教会(大聖堂、Abbaye、アベイ)の尖塔(中央右)とラ・メルベイユ(La Merveill、驚異、軌跡)の東面(中央右)が見えます。
    尖塔の手前の複数の尖塔を数する部分はゴシック建築特有の控え壁(contreforts、コントゥレフォル)、で、聖堂の外壁の補助壁として建造されたものです。

  • 高い塔を抱くのが教会、その手前は大修道院長の住宅、右側がメルヴェイユです。

    高い塔を抱くのが教会、その手前は大修道院長の住宅、右側がメルヴェイユです。

  • この階段を上って修道院へ。

    この階段を上って修道院へ。

  • 元修道僧の宿舎

    元修道僧の宿舎

  • 干潟

    干潟

  • 城壁に付けられた見張り台と、潟と海。見張り台はイギリス軍に対する要塞として、百年戦争時に建造されました。

    城壁に付けられた見張り台と、潟と海。見張り台はイギリス軍に対する要塞として、百年戦争時に建造されました。

  • まだ先は長い。

    まだ先は長い。

  • 巡礼たちが祈った広場

    巡礼たちが祈った広場

  • 修道院東面。中央がメルヴェイユ、その左が修道院入口である哨兵の門です。

    修道院東面。中央がメルヴェイユ、その左が修道院入口である哨兵の門です。

  • 途中の風景

    途中の風景

  • 哨兵の門が近づいてきました。

    哨兵の門が近づいてきました。

  • 哨兵の門

    哨兵の門

  • 90段ある大階段を上ります。

    90段ある大階段を上ります。

  • 何やら広場らしいものが見えてきた。

    何やら広場らしいものが見えてきた。

  • もう少しだ。

    もう少しだ。

  • 広場に着いた。広場から南方を望む。クエノン川(Le Couesnon)、シャトルバスで走ってきた道路、建設中の橋が見えます。<br />この広場はここから飛び降り自殺をした囚人の名前をとって、ソー・ゴーティエのテラス(Terrasse Saut Gautier)と呼ばれているそうです。標高約80 m。<br />

    広場に着いた。広場から南方を望む。クエノン川(Le Couesnon)、シャトルバスで走ってきた道路、建設中の橋が見えます。
    この広場はここから飛び降り自殺をした囚人の名前をとって、ソー・ゴーティエのテラス(Terrasse Saut Gautier)と呼ばれているそうです。標高約80 m。

  • ズームイン。クエノンダム(Barrage du Cuesnon、バラージュ ドゥ クエノン)(付録2参照)が見えますね。

    ズームイン。クエノンダム(Barrage du Cuesnon、バラージュ ドゥ クエノン)(付録2参照)が見えますね。

  • 南東を見上げた教会の塔。高さ約150m。

    南東を見上げた教会の塔。高さ約150m。

  • ミカエルさんが欠けたかな。もう一枚。

    ミカエルさんが欠けたかな。もう一枚。

  • ズームで撮影した大天使ミカエルの像。この位置からでは全貌がよくわかりません。

    ズームで撮影した大天使ミカエルの像。この位置からでは全貌がよくわかりません。

  • シャトルバスに乗る前に望遠で撮った大天使ミカエルの像です。高さは4.5 m。剣を抜いて悪魔の化身である悪竜を退治しているようすがよくわかります。

    シャトルバスに乗る前に望遠で撮った大天使ミカエルの像です。高さは4.5 m。剣を抜いて悪魔の化身である悪竜を退治しているようすがよくわかります。

  • テラスから大階段を見下ろす。うーん、ずいぶん頑張って上ってきたな。

    テラスから大階段を見下ろす。うーん、ずいぶん頑張って上ってきたな。

  • テラスの横に小さな建物があり、モンサンミッシェルが現在の形になるまでの様子を模型で展示してある。<br />“Abbaye pre-romane ?Xe siècle”、直訳すると「大修道院 プレ・ロマネスク -10世紀」だな。<br />

    テラスの横に小さな建物があり、モンサンミッシェルが現在の形になるまでの様子を模型で展示してある。
    “Abbaye pre-romane ?Xe siècle”、直訳すると「大修道院 プレ・ロマネスク -10世紀」だな。

  • “Abbaye romane aux XIe &amp; XIIe siècle”、直訳すると「大修道院 ロマネスク 11-12世紀」。

    “Abbaye romane aux XIe & XIIe siècle”、直訳すると「大修道院 ロマネスク 11-12世紀」。

  • “Abbaye aux XVIIe &amp; XVIIIe siècle”、直訳すると「大修道院 17-18世紀」。西構えがあるからどう見てもカロリング朝様式(付録3-(3)参照)だと思うんですがねえ。

    “Abbaye aux XVIIe & XVIIIe siècle”、直訳すると「大修道院 17-18世紀」。西構えがあるからどう見てもカロリング朝様式(付録3-(3)参照)だと思うんですがねえ。

  • “Abbaye du XXe siècle a nos jours”、 直訳すると「今日までの20世紀の大修道院」。

    “Abbaye du XXe siècle a nos jours”、 直訳すると「今日までの20世紀の大修道院」。

  • 西側テラスに出た。後方は修道院付属教会。この教会はもっと手前までありましたが、フォサードを含む西側の身廊の約半分が18世紀に火災消失。現在のファサードはその後再建されたものです。教会左横に接している三角屋根の建物は修道士の旧大寝室(Dortoir des Moines、ドルトワール・デ・モワヌ)です。

    西側テラスに出た。後方は修道院付属教会。この教会はもっと手前までありましたが、フォサードを含む西側の身廊の約半分が18世紀に火災消失。現在のファサードはその後再建されたものです。教会左横に接している三角屋根の建物は修道士の旧大寝室(Dortoir des Moines、ドルトワール・デ・モワヌ)です。

  • 下を覗くとガブリエルの塔 (Tour Gabriel) が見えますね。1524年に建造された城壁の一部で、防御のために大砲が置かれていたこともありますが、19世紀より灯台になっています。

    下を覗くとガブリエルの塔 (Tour Gabriel) が見えますね。1524年に建造された城壁の一部で、防御のために大砲が置かれていたこともありますが、19世紀より灯台になっています。

  • テラスから北西を望む。

    テラスから北西を望む。

  • このテラスからもクエノン川がみえますね。

    このテラスからもクエノン川がみえますね。

  • テラスから北西を望む。島が見えますね。

    テラスから北西を望む。島が見えますね。

  • トンブレーヌ (Tombelaine) 島です。この島は100年戦争のとき、イギリス軍が占領していました。

    トンブレーヌ (Tombelaine) 島です。この島は100年戦争のとき、イギリス軍が占領していました。

  • さらに北を見てみます。右手にラ・メルヴィイユの西側のファサードが見えます。最上階は廻廊、その下は騎士の間、さらにその下は貯蔵所です。

    さらに北を見てみます。右手にラ・メルヴィイユの西側のファサードが見えます。最上階は廻廊、その下は騎士の間、さらにその下は貯蔵所です。

  • 東をみると修道院付属教会と修道院の尖塔、旧寝所です。

    東をみると修道院付属教会と修道院の尖塔、旧寝所です。

  • 北西を見ると下には修道院庭の西端が見えます。

    北西を見ると下には修道院庭の西端が見えます。

  • 少し東に移動して下を見ると、芝生の修道院庭が見えます。

    少し東に移動して下を見ると、芝生の修道院庭が見えます。

  • 教会の中へ。11・12世紀のロマネスク様式で、3廊式です。左右は下から、大アーケード、トリフォリウム、クリアストーリーの三層構造です。その向こうはクロッシング(中央交差部)の天井で、さらにその先に内陣が見えます。

    教会の中へ。11・12世紀のロマネスク様式で、3廊式です。左右は下から、大アーケード、トリフォリウム、クリアストーリーの三層構造です。その向こうはクロッシング(中央交差部)の天井で、さらにその先に内陣が見えます。

  • クロッシングの天井とその先に内陣。クロッシング天井の手前は身廊の天井で柏の木の板張りのトンネルヴォールトです。この天井は船底を上下反転した形になっていますが、この地方は昔から船造りが盛んでその技術を使っており、軽くて強度の強い構造となっています。

    クロッシングの天井とその先に内陣。クロッシング天井の手前は身廊の天井で柏の木の板張りのトンネルヴォールトです。この天井は船底を上下反転した形になっていますが、この地方は昔から船造りが盛んでその技術を使っており、軽くて強度の強い構造となっています。

  • クロッシングの天井

    クロッシングの天井

  • 内陣上部。ロマネスク内陣は15世紀に崩れ、これは16世紀完成のフランボワイヤン式ゴシック様式(付録3-(5)参照)の内陣です。下から上に向かい、とがった大アーケード、透かしになったトリフォリウム、高窓のクリアストーリーで、天井までの高さ25メートル、身廊部に比べ垂直線が際立っています。内部は簡素な感じですが、かつて窓にはステンドグラスが入っていたそうです。後期ゴシックの装飾的要素の強いフランボワイアン式の特徴は内陣外部の控え壁部分などにみられます。

    内陣上部。ロマネスク内陣は15世紀に崩れ、これは16世紀完成のフランボワイヤン式ゴシック様式(付録3-(5)参照)の内陣です。下から上に向かい、とがった大アーケード、透かしになったトリフォリウム、高窓のクリアストーリーで、天井までの高さ25メートル、身廊部に比べ垂直線が際立っています。内部は簡素な感じですが、かつて窓にはステンドグラスが入っていたそうです。後期ゴシックの装飾的要素の強いフランボワイアン式の特徴は内陣外部の控え壁部分などにみられます。

  • 翼廊

    翼廊

  • 翼廊(左)と内陣(右)

    翼廊(左)と内陣(右)

  • クロッシングの内陣側左角にある、15世紀につくられた聖ミカエルの彫像<br />この像が持つ天秤は、人の善行と悪行を量り、その重さにより天国行きか地獄行きかを決めるのだそうです。(付録1-(1)参照)<br />

    クロッシングの内陣側左角にある、15世紀につくられた聖ミカエルの彫像
    この像が持つ天秤は、人の善行と悪行を量り、その重さにより天国行きか地獄行きかを決めるのだそうです。(付録1-(1)参照)

  • アプス。その向こうは周歩廊です。

    アプス。その向こうは周歩廊です。

  • 祭壇の左手前にある格子。今は強化ガラスで覆われていますが、昔は採光・通風孔として利用されていたようです。

    祭壇の左手前にある格子。今は強化ガラスで覆われていますが、昔は採光・通風孔として利用されていたようです。

  • 教会から廻廊に出ました。この廻廊はかつては祈りと瞑想の場で礼拝の行進が行われた場所で、現在芝生と花壇になっています真ん中部分は薬草や野菜が植えられていました。この部分を囲んで位相ずらした137本の柱からなる2重の列柱廊があります。ここは一見アルハンブラ宮殿のライオンの中庭と似ていますが、使用目的も建築様式も異なります。この廻廊は13世紀初頭に完成した「ラ・メルヴェイユ」の最上階にあって修道院の重要な部屋のすべてにつながっています。廻廊の下には騎士の間、さらに下には貯蔵所があります。

    教会から廻廊に出ました。この廻廊はかつては祈りと瞑想の場で礼拝の行進が行われた場所で、現在芝生と花壇になっています真ん中部分は薬草や野菜が植えられていました。この部分を囲んで位相ずらした137本の柱からなる2重の列柱廊があります。ここは一見アルハンブラ宮殿のライオンの中庭と似ていますが、使用目的も建築様式も異なります。この廻廊は13世紀初頭に完成した「ラ・メルヴェイユ」の最上階にあって修道院の重要な部屋のすべてにつながっています。廻廊の下には騎士の間、さらに下には貯蔵所があります。

  • 廻廊の西側窓から見た修道院庭

    廻廊の西側窓から見た修道院庭

  • そのまま後ろを振り返って、再び廻廊

    そのまま後ろを振り返って、再び廻廊

  • 列柱廊の天井は教会のクロッシングの天井と同様柏の木の板張り軽くて強度の強い構造となっており、直下の騎士の間のヴォ-ルトに重みがかからないよう工夫がなされていて、羽目板、列柱の骨組みにも木が使われているそうです。

    列柱廊の天井は教会のクロッシングの天井と同様柏の木の板張り軽くて強度の強い構造となっており、直下の騎士の間のヴォ-ルトに重みがかからないよう工夫がなされていて、羽目板、列柱の骨組みにも木が使われているそうです。

  • 廻廊からみた教会の塔下部

    廻廊からみた教会の塔下部

  • 廻廊からみた教会の塔

    廻廊からみた教会の塔

  • 列柱廊。とがったアーチの三角小間レリーフが綺麗ですね。

    列柱廊。とがったアーチの三角小間レリーフが綺麗ですね。

  • 廻廊通路の柱上部のレリーフ。淡黄色でソフトな感じのする石ですね。

    廻廊通路の柱上部のレリーフ。淡黄色でソフトな感じのする石ですね。

  • 廻廊通路の柱上部のレリーフ。モチーフは様々な植物、動物、人(神)、右側は人類最初のぶどう栽培業者のノエだそうです。

    廻廊通路の柱上部のレリーフ。モチーフは様々な植物、動物、人(神)、右側は人類最初のぶどう栽培業者のノエだそうです。

  • 廻廊から東に移動して、大食堂です。天井は木製トンネルヴォールト。<br />今は、壁側にベンチがあるが、修道院時代は、壁側にテーブルがあり、修道士は、相互の視線を避けるために、壁に向かい、聖人の詩が朗読されるなか、静かに食事をしたそうです。<br /><br />食事中は沈黙厳守が求められた。<br />

    廻廊から東に移動して、大食堂です。天井は木製トンネルヴォールト。
    今は、壁側にベンチがあるが、修道院時代は、壁側にテーブルがあり、修道士は、相互の視線を避けるために、壁に向かい、聖人の詩が朗読されるなか、静かに食事をしたそうです。

    食事中は沈黙厳守が求められた。

  • 大食堂から迎客室におりる階段の踊り場にある大天使ミカエルとオベール司教のレリーフ。大天使ミカエルがオベール教の頭蓋骨に触れ「かの山に我が名を讃えし聖堂を建てよ」とお告げしている場面です。

    大食堂から迎客室におりる階段の踊り場にある大天使ミカエルとオベール司教のレリーフ。大天使ミカエルがオベール教の頭蓋骨に触れ「かの山に我が名を讃えし聖堂を建てよ」とお告げしている場面です。

  • この方が見やすいですかねえ。

    この方が見やすいですかねえ。

  • 賓客室。大食堂の真下に位置します。

    賓客室。大食堂の真下に位置します。

  • 賓客室にある暖炉兼かまどの煙突内部。

    賓客室にある暖炉兼かまどの煙突内部。

  • サント・マドレーヌ聖堂

    サント・マドレーヌ聖堂

  • 太柱地下聖堂。15世紀半ばに作られたものでゴシック式内陣の真下に位置し、この太い柱で内陣の重量を支えています。

    太柱地下聖堂。15世紀半ばに作られたものでゴシック式内陣の真下に位置し、この太い柱で内陣の重量を支えています。

  • 太柱地下聖堂。太い柱は教会内陣東側の柱の下に円弧状に位置し、円弧の中央に少し細めの柱が2本位置します。

    太柱地下聖堂。太い柱は教会内陣東側の柱の下に円弧状に位置し、円弧の中央に少し細めの柱が2本位置します。

  • 位置関係が分かり易いように図面を作りました。赤が太柱地下聖堂の柱です。太柱地下聖堂の柱が上階の教会内陣を支えており、構造力学的に合理的な設計です。2本の細い柱は内陣の床を支えています。

    位置関係が分かり易いように図面を作りました。赤が太柱地下聖堂の柱です。太柱地下聖堂の柱が上階の教会内陣を支えており、構造力学的に合理的な設計です。2本の細い柱は内陣の床を支えています。

  • この壁の向こう側は岩盤となります。

    この壁の向こう側は岩盤となります。

  • 天井は交差リブヴォールトで、上階の先ほど見た格子が見えます。

    天井は交差リブヴォールトで、上階の先ほど見た格子が見えます。

  • 太柱地下聖堂から細い階段を少し降りると、マルティヌス礼拝堂(Chapelle Saint-Martin、シャペル サン・マルタン、サン・マルタン地下礼拝堂)です。教会の南翼廊の土台として10世紀末に建設されました。高さ9mの円形天井です。

    太柱地下聖堂から細い階段を少し降りると、マルティヌス礼拝堂(Chapelle Saint-Martin、シャペル サン・マルタン、サン・マルタン地下礼拝堂)です。教会の南翼廊の土台として10世紀末に建設されました。高さ9mの円形天井です。

  • 入って来た方向と反対側を左にぬけると、

    入って来た方向と反対側を左にぬけると、

  • 吹き抜けがあって教会の塔がみえます。

    吹き抜けがあって教会の塔がみえます。

  • さらに進むと、旧修道僧納骨堂にでます。ここに大きな木製の車輪型円筒がありますが、これは修道院が牢獄として使われていた1820年、食物等を運び上げるために設置された装置です。この中に最大6人の囚人が入り、ハムスターのように駆けることで回転軸に付けられたロープが巻きあげられる仕組みです。

    さらに進むと、旧修道僧納骨堂にでます。ここに大きな木製の車輪型円筒がありますが、これは修道院が牢獄として使われていた1820年、食物等を運び上げるために設置された装置です。この中に最大6人の囚人が入り、ハムスターのように駆けることで回転軸に付けられたロープが巻きあげられる仕組みです。

  • 肝心の部分の写真がないので、Wikipedia の写真を使わせてもらいます。この装置はもともと工事用に使われていた装置の技術を使って作られています。<br /><br />蛇足<br />円筒のモーメントとロープを巻き取る部分のモーメントは力学的に等しく、ロープを巻きつける軸の半径は円筒の半径に比べて1/10以下であるため、ロープの巻き取り始めに引き上げる力は、囚人が発生する力の10倍以上です。テコの原理と同じと考えてください。<br /><br />Treadwheel crane (March 20, 2015, 7:16 UTC). In Wikipedia: The Free Encyclopedia. Retrieved from<br />http://en.wikipedia.org/wiki/Mont_Saint_Michel_Abbey#<br />Photo taken by Pir6mon<br />Permission is granted to copy, distribute and/or modify this document under the terms of the GNU Free Documentation License, Version 1.2 or any later version published by the Free Software Foundation; with no Invariant Sections, no Front-Cover Texts, and no Back-Cover Texts. A copy of the license is included in the section entitled GNU Free Documentation License.<br />This file is licensed under the Creative Commons Attribution-Share Alike 3.0 Unported, 2.5 Generic, 2.0 Generic and 1.0 Generic license.<br />You are free: <br />? to share-to copy, distribute and transmit the work<br />? to remix -to adapt the work<br />Under the following conditions: <br />? attribution -You must attribute the work in the manner specified by the author or licensor (but not in any way that suggests that they endorse you or your use of the work).<br />? share alike-If you alter, transform, or build upon this work, you may distribute the resulting work only under the same or similar license to this one.<br />

    肝心の部分の写真がないので、Wikipedia の写真を使わせてもらいます。この装置はもともと工事用に使われていた装置の技術を使って作られています。

    蛇足
    円筒のモーメントとロープを巻き取る部分のモーメントは力学的に等しく、ロープを巻きつける軸の半径は円筒の半径に比べて1/10以下であるため、ロープの巻き取り始めに引き上げる力は、囚人が発生する力の10倍以上です。テコの原理と同じと考えてください。

    Treadwheel crane (March 20, 2015, 7:16 UTC). In Wikipedia: The Free Encyclopedia. Retrieved from
    http://en.wikipedia.org/wiki/Mont_Saint_Michel_Abbey#
    Photo taken by Pir6mon
    Permission is granted to copy, distribute and/or modify this document under the terms of the GNU Free Documentation License, Version 1.2 or any later version published by the Free Software Foundation; with no Invariant Sections, no Front-Cover Texts, and no Back-Cover Texts. A copy of the license is included in the section entitled GNU Free Documentation License.
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  • そのロープの先を覗いてみると、こんな感じです。

    そのロープの先を覗いてみると、こんな感じです。

  • 視線をあげると、ここからもクエノン川がみえますね。

    視線をあげると、ここからもクエノン川がみえますね。

  • 西隣の部屋に入ると、聖エチエンヌのチャペル(Chapelle Saint-Étienne)です。亡くなった修道士をここで弔ったとか。白い像の周りにたくさん人が集まってますね。

    西隣の部屋に入ると、聖エチエンヌのチャペル(Chapelle Saint-Étienne)です。亡くなった修道士をここで弔ったとか。白い像の周りにたくさん人が集まってますね。

  • ピエタ像ですね。キリストの頭部がとれちゃっている。<br />

    ピエタ像ですね。キリストの頭部がとれちゃっている。

  • 次は、騎士の間です。廻廊の真下に位置しており、東隣は賓客室です。

    次は、騎士の間です。廻廊の真下に位置しており、東隣は賓客室です。

  • 騎士の部屋の暖炉。この部屋は実は修道士の写字室でモンサンミッシェルが修道院だった時代、騎士は一人としてこの場所に足を踏み入れたことはないそうです。

    騎士の部屋の暖炉。この部屋は実は修道士の写字室でモンサンミッシェルが修道院だった時代、騎士は一人としてこの場所に足を踏み入れたことはないそうです。

  • らせん階段下りたショップの出口近くにある、塔の上のミカエル像のメッキしてないレプリカ。

    らせん階段下りたショップの出口近くにある、塔の上のミカエル像のメッキしてないレプリカ。

  • ミカエル像のレプリカ。

    ミカエル像のレプリカ。

  • 外にでて振り返ると、メルヴェイユがよく見えます。

    外にでて振り返ると、メルヴェイユがよく見えます。

  • 門をでて、まだ時間があるから、西の方を周ってみっか。ふーん。こんな岩の上に建ってるんだ。

    門をでて、まだ時間があるから、西の方を周ってみっか。ふーん。こんな岩の上に建ってるんだ。

  • ここからだと、教会の塔もかすかに見えるな。

    ここからだと、教会の塔もかすかに見えるな。

  • それじゃ、帰るるとするか。<br /><br />付録<br />1.	歴史<br />サン・マロ湾(Golfe de Saint-Malo)上に浮かぶこの島は、もともとモン・トンブ(Mont Tombe、墓の山)と呼ばれ、先住民のケルト人が信仰する聖地でした。708年、島の対岸のアヴランシュ(Avranches)に住む司教オベール(Aubert, évêque、オベール エヴェーケ)が夢のなかで大天使ミカエル(Archange Michel、アルカンジュ ミシェル)(1)から「かの山に我が名を讃えし聖堂を建てよ」とのお告げを受けましたが、信じませんでした。そこで大天使はオベールの額に指を触れて強く命じました。翌朝、オベールは自分の頭に穴が開いていることに気づいて、大天使ミカエルのお告げが本物であると確信し、ここに礼拝堂を造り始めました。966年にはノルマンディー公リシャール1世(Richard Ier de Normandie, 942年- 996年)がベネディクト会の修道院を島に建て、聖ミカエルに捧げました。その後増改築が重ねられ13世紀にはほぼ現在の形になりました。中世以来、カトリックの聖地として多くの巡礼者を集めてきました。フランス王位継承問題にイングランドが口をはさんだことに端を発した百年戦争(1337年(1339年とする考え方もある)~1453年)の期間は島全体が英仏海峡に浮かぶ要塞の役目を果しました。モンサンミッシェルの入り口には今もイギリス軍が捨てていった大砲とその弾が残っています。フランス革命時(1787年-1799年)に修道院は廃止されて1863年まで政治犯を収容する国の監獄として使用され、その後荒廃していましたが、「あゝ無情(Les Misérables 、レ・ミゼラブル)」で有名なヴィクトル・ユゴー(Victor Marie Hugo、1802年-1885年)の紹介がナポレオン3世を動かし(2)、1865年に再び修道院として復元されました。1977年には巡礼者をトンボロ現象の危険(「2.地形」参照)から守るため、陸との間に堤防を造成して道路ができ陸続きになり、フランス西部の有数の観光地となりました。1979年にはユネスコの世界遺産に登録され、現在も修道士、修道女が運営に当たっています。<br /><br />(1)	モンサンミッシェルを知る上で重要な事柄は、大天使ミシェルとは何者かということです。フランス語のミシェル(Michel)はヘブライ語のミカエルであり、その語源は「神に似たものは誰か」→「神に似た者」です。大天使は天使の階級の1つです。もともと聖書の正典に天使の階級という概念はありませんでしたが、神学が進化する過程でそれが創られ、様々な過程を経たのち、現在では6世紀に神学者偽ディオニシオスが「天上位階論」に記した階級がカトリック教会の正統とされています。これによると、天使の階級は大きく上位、中位、下位の3つに分け、それぞれがさらに3つの階級に分けられて、天使の階級は全部で9つとなります。ここで下位は上からそれぞれ権天使、大天使、天使に分けられます。したがって、ミカエルが所属する大天使は9階級の下から2番目となります。ここでの疑問は、このように低い階級の大天使が何故それほど崇敬されるかということです。それは、上位の天使は神と直接接触し、下位の天使は人間と直接接触し、中位は上位を介して神の光を下位に伝える役割を持っており、下位の天使が人間にとって一番身近で重要な役割を担っていることに加え、階級概念ができる前からミカエルは崇敬されおり、階級ができる過程でその階級が下がっていったという歴史的経緯によります。キリスト教では7人の大天使がいるとされていますが、ミカエルはその中で最も重要な地位にあり、モーセに十戒を記した石版を渡したり、悪魔退治をしたり、死者が天国に行くのか地獄に行くのか決めたり、ジャンヌ・ダルクにお告げをしたり、守護聖人となったりと実に様々な役割を果たします。<br />

    それじゃ、帰るるとするか。

    付録
    1. 歴史
    サン・マロ湾(Golfe de Saint-Malo)上に浮かぶこの島は、もともとモン・トンブ(Mont Tombe、墓の山)と呼ばれ、先住民のケルト人が信仰する聖地でした。708年、島の対岸のアヴランシュ(Avranches)に住む司教オベール(Aubert, évêque、オベール エヴェーケ)が夢のなかで大天使ミカエル(Archange Michel、アルカンジュ ミシェル)(1)から「かの山に我が名を讃えし聖堂を建てよ」とのお告げを受けましたが、信じませんでした。そこで大天使はオベールの額に指を触れて強く命じました。翌朝、オベールは自分の頭に穴が開いていることに気づいて、大天使ミカエルのお告げが本物であると確信し、ここに礼拝堂を造り始めました。966年にはノルマンディー公リシャール1世(Richard Ier de Normandie, 942年- 996年)がベネディクト会の修道院を島に建て、聖ミカエルに捧げました。その後増改築が重ねられ13世紀にはほぼ現在の形になりました。中世以来、カトリックの聖地として多くの巡礼者を集めてきました。フランス王位継承問題にイングランドが口をはさんだことに端を発した百年戦争(1337年(1339年とする考え方もある)~1453年)の期間は島全体が英仏海峡に浮かぶ要塞の役目を果しました。モンサンミッシェルの入り口には今もイギリス軍が捨てていった大砲とその弾が残っています。フランス革命時(1787年-1799年)に修道院は廃止されて1863年まで政治犯を収容する国の監獄として使用され、その後荒廃していましたが、「あゝ無情(Les Misérables 、レ・ミゼラブル)」で有名なヴィクトル・ユゴー(Victor Marie Hugo、1802年-1885年)の紹介がナポレオン3世を動かし(2)、1865年に再び修道院として復元されました。1977年には巡礼者をトンボロ現象の危険(「2.地形」参照)から守るため、陸との間に堤防を造成して道路ができ陸続きになり、フランス西部の有数の観光地となりました。1979年にはユネスコの世界遺産に登録され、現在も修道士、修道女が運営に当たっています。

    (1) モンサンミッシェルを知る上で重要な事柄は、大天使ミシェルとは何者かということです。フランス語のミシェル(Michel)はヘブライ語のミカエルであり、その語源は「神に似たものは誰か」→「神に似た者」です。大天使は天使の階級の1つです。もともと聖書の正典に天使の階級という概念はありませんでしたが、神学が進化する過程でそれが創られ、様々な過程を経たのち、現在では6世紀に神学者偽ディオニシオスが「天上位階論」に記した階級がカトリック教会の正統とされています。これによると、天使の階級は大きく上位、中位、下位の3つに分け、それぞれがさらに3つの階級に分けられて、天使の階級は全部で9つとなります。ここで下位は上からそれぞれ権天使、大天使、天使に分けられます。したがって、ミカエルが所属する大天使は9階級の下から2番目となります。ここでの疑問は、このように低い階級の大天使が何故それほど崇敬されるかということです。それは、上位の天使は神と直接接触し、下位の天使は人間と直接接触し、中位は上位を介して神の光を下位に伝える役割を持っており、下位の天使が人間にとって一番身近で重要な役割を担っていることに加え、階級概念ができる前からミカエルは崇敬されおり、階級ができる過程でその階級が下がっていったという歴史的経緯によります。キリスト教では7人の大天使がいるとされていますが、ミカエルはその中で最も重要な地位にあり、モーセに十戒を記した石版を渡したり、悪魔退治をしたり、死者が天国に行くのか地獄に行くのか決めたり、ジャンヌ・ダルクにお告げをしたり、守護聖人となったりと実に様々な役割を果たします。

  • ジュリエット・ドルエ(Juliette Drouet, 1806-1883)<br /><br />(2)	彼の妻アデール フーシェ(Adele Foucher Hugo, 1803-1868)は1832年、彼の親友サント・ブーヴ(Sainte-Beuve、1804-1869)と駆け落ちし、失意のどん底に落ち込んだ彼は1833年、たぐい稀なる美貌の持ち主にも関わらず、演技に難があってうれなかった女優ジュリエット・ドルエ(Juliette Drouet, 1806-1883)と恋に落ち、一緒にヨーロッパ各地を旅します。そして出会ったのがモンサンミッシェルでした。彼はその素晴らしさに驚嘆し、多くのスケッチと説明文を発表します。この中で彼は「モンサンミッシェルはフランスにとってエジプトのピラミッドに値する」と記し、これはフランス民衆のみならず、時の皇帝ナポレオン3世をも動かしました。そして監獄は廃止され、歴史的建造物として扱われることになったのです。1863年のことでした。<br /><br />2.地形<br />サン・マロ湾は世界的に見ても潮の干満の差が最も激しい所として知られています。潮の満ち引きの差は最大15メートル近くになります。このため、湾の南東部に位置する修道院が築かれた岩でできた小島はかつては満ち潮の時には海に浮かび、引き潮の時には自然に現れる陸橋で陸と繋がっていました(1)。島の入口には潮の干満時刻を示した表示があり(2)、満潮時には浜に降りないようにと記されています。最も大きい潮が押し寄せるのは満月と新月の約30時間後といわれており(3)、引き潮により沖合い18kmまで引いた潮が、猛烈な速度で押し寄せます。このためかつては多くの巡礼者が潮に飲まれて命を落としたそうです。<br /> 1977年には陸との間に堤防を造成して鉄道・道路ができ陸続きになり(鉄道は後に廃止)、フランス西部の有数の観光地となりました。1979年にはユネスコの世界遺産に登録され、現在も修道士、修道女が運営に当たっています。<br />上記堤防の影響により、島の周囲が砂洲化したため、国家事業として2億3000万ユーロ(約300億円)をかけて、かつての「島」に戻す工事が行われました。この工事は2006年から着手され、その一つは堤防道路の代わりに橋でつなぎ、海流により堆積砂を取り除くもので、潮の流れを妨げにくい脚付きの橋(長さ約760m)が2014年7月22日に開通しました。もう一つの工事はクエノン河口にクエノンダム(Barrage du Cuesnon、バラージュ ドゥ クエノン)を造ることで、こちらは2009年に完成・稼働しています。このダムの目的は満潮時に大量の海水を取り込み、干潮時に一気に放出することで、大量の堆積土砂が沖に流し、2025年には堤防道路がる造られる前の状態に戻ると予想されています。<br /><br />上記1.記載の道路が造られたのは、潮の干満に関係なく安全に島へと渡れるようするためです。しかし、これによって潮流をせき止めることとなり、100年間で2mもの砂が堆積してしまいました。急速な陸地化が島の周囲で進行し、島の間際まで潮がくることは滅多になくなりつつあるような状態になりました。そこで、かつての姿を取り戻すべく地続きの道路が取り壊され、2014年に潮が下を流れる新たな橋が完成しました。<br />(1)	このような現象は地学でトンボロ現象と呼ばれており、日本でも約10個の島でこのような現象が観察できます。参考までに私が撮影した鹿児島県指宿市の知林ヶ島の写真を以下に示します。島の手前はドラマ「青い鳥」で理森と誌織が南十字星を見るために渡った、トンボロ現象で現れた砂州です。このドラマは豊川悦司主演、恋人役のかおりに夏川結衣を配役し、1977年にTBS系で放送され、平均視聴率18%をとりました。<br />トンボロ現象と旧約聖書の「出エジプト記」との関係は気になるところです。虐げられていたユダヤの民を率いてエジプトを脱出したモーセは紅海に達しますが、背後にエジプト軍、前は海で窮地に立たされます。ここでモーセがとった行動は、両腕を振り上げ、紅海の海水を2つに割って陸路を造り、そこを通って逃げ延びます。この海に陸路ができる部分はモンサンミッシェルのトンボロ現象と共通する部分があり、これがキリスト教徒をして、モンサンミッシェルを聖なる島とした所以ではないかと、私は考えます。<br />一方で、海に浮かぶモンサンミッシェルと旧約聖書「創世記」にみるノアの箱舟も気になるところです。キリスト教徒は海に浮かぶモンサンミッシェルをノアの箱舟に見立て、これがキリスト教徒をして、モンサンミッシェルを聖なる島とした所以とするのは考え過ぎでしょうか。<br /><br />(2)	満潮時と干潮時の両方をご覧になりたい方は、事前に以下でその時刻を調べて旅行計画を立てられるのがよろしいかと思います。<br />http://www.ot-montsaintmichel.com/en/horaire-marees/mont-saint-michel.htm<br />干潮から次の干潮まで(あるいは満潮から次の満潮まで)の時間(周期)は平均約12時間25分です。ですから両方ご覧になりたい方は最低その半分の6時間13分は滞在する必要があります。潮の満ち引きの原因は下記(2)の通りですが、周期が12時間丁度にならない理由は月が公転している分24分、地球が公転している分1分が加算されることによります。<br />(3)潮の満ち引きは月と太陽の引力(正確には潮汐力)によりますが、前者は後者の約2倍です。したがって月が真上もしくは観察者に対して地球の真裏にある時が満ち潮、それから90°回転した位置にある時が引き潮となります。また太陽と地球と月が直線状に並んだ満月や新月のとき、潮汐力は最大となり、干満差が大きい大潮となります。約30時間は海水の移動に要する時間です。<br /><br />3.建築物<br />「主要部はゴシック様式だが、内部はさまざまな中世の建築方式が混ざり合って構成されている。教会堂はカロリング期の様式で、身廊はノルマン様式(フランス語版)(11~12世紀)、百年戦争後の1421年に破壊されたロマネスク様式の内陣はフランボワイアン・ゴシック様式(15世紀半ば~16世紀初頭)として再建された。これら周囲を13世紀の重層構造の修道院建築と13~15世紀の軍事施設が取り囲んでいる。ゴシック・リヴァイヴァル建築の鐘楼と尖塔は1897年に完成し、その上に奉られた剣と秤を持つ金のミカエル像は彫刻家エマニュエル・フレミエ(フランス語版)によって製作された。深層部からは、岩山の上に幾層にもわたり建造され続けた建築遺構も残る。」<br />「 」内の文章は、クリエイティブ・コモンズ・表示・継承ライセンス3.0の下で公表されたウィキペディア日本語版のモンサンミッシェル - Wikipedia<br />http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B5%E3%83%B3%EF%BC%9D%E3%83%9F%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%AB<br /><br />内の文章を利用して記述しています。この文章は、<br />クリエイティブ・コモンズ・表示・継承ライセンス3.0<br />http://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0/<br />の下、二次利用できます。<br />(1)	カロリング朝<br />395年、ローマ帝国はテオドシウス帝が領土を東経20度付近(現イタリアとギリシャの間)で東西に分割して2子に与えました。このうち東側、すなわち東ローマ帝国は、黒海北方にいたフン族の西方移動に端を発したゲルマン民族の大移動により、476年には滅亡します。その後ゲルマン諸族の中でもフランク族が最も有力となってフランク王国を設立し、やがて8世紀には西欧を支配するまでになります。このなかで、教皇の支持を受けてピピン3世(Pippin III、714-768)が始めた政権をカロリング朝と呼びます。<br />(2)	カロリング朝の様式<br />ピピンの後継者がチャールズ大帝(Charles the Great, 英語、カール大帝、Karl der Große,独語、シャルルマーニュ、Charlemagne, 仏語、742-814、アーヘン、Aachen)で、法律を制定し、産業を奨励し、教育制度を定め、学者を宮廷に招いて優遇しましたが、これをカロリング・ルネサンスといい、この時期の建築様式をカロリング様式と呼びます。カロリング様式の重要な特徴の一つは「西構え(Westwerk)」です。これはこの時代に突然出現したもので、上部に塔のような外観の突出部を備えた西端部を有する建築様式です。この様式はロマネスク時代からゴシック時代に引き継がれたことから、カロリング様式はプレ・ロマネスク様式の範疇に区分けされます。<br /><br />(3)ノルマン様式(Architecture normande)<br />フランスのノルマンディー地方で11世紀ころから発達した建築様式で、ロマネスク様式に分類されます。通常巨大で単純な石造りで、外部の装飾は少なく、重厚さを感じさせます。<br />(4) レイヨナン式<br />トレーサリー(アーチ形の窓の上部にはめこむ装飾。)として、円を基本とし、骨組みを極度に細くして、入念で華麗な装飾を施す13世紀フランスゴシックの建築様式です。<br />(5) フランボワイアン・ゴシック様式<br />14~15世紀、フランスやイギリスの後期ゴシック教会に使われた装飾性が際立つ様式で、構造力学的意味がまったくない小柱やリブヴォールト、装飾彫刻、複雑な曲線文様が多用され、火焔(flamboyant, フランボワイアン)のような煌びやか構造となっています。<br /> (6)ゴシック・リヴァイヴァル建築<br />18世紀後半から19世紀にかけてイギリスで興った中世回帰のゴシック建築です。その背景には、中世こそキリスト教信仰が正しい形で生きていた時代であった、とのゴシックの信仰的解釈があります。<br />

    ジュリエット・ドルエ(Juliette Drouet, 1806-1883)

    (2) 彼の妻アデール フーシェ(Adele Foucher Hugo, 1803-1868)は1832年、彼の親友サント・ブーヴ(Sainte-Beuve、1804-1869)と駆け落ちし、失意のどん底に落ち込んだ彼は1833年、たぐい稀なる美貌の持ち主にも関わらず、演技に難があってうれなかった女優ジュリエット・ドルエ(Juliette Drouet, 1806-1883)と恋に落ち、一緒にヨーロッパ各地を旅します。そして出会ったのがモンサンミッシェルでした。彼はその素晴らしさに驚嘆し、多くのスケッチと説明文を発表します。この中で彼は「モンサンミッシェルはフランスにとってエジプトのピラミッドに値する」と記し、これはフランス民衆のみならず、時の皇帝ナポレオン3世をも動かしました。そして監獄は廃止され、歴史的建造物として扱われることになったのです。1863年のことでした。

    2.地形
    サン・マロ湾は世界的に見ても潮の干満の差が最も激しい所として知られています。潮の満ち引きの差は最大15メートル近くになります。このため、湾の南東部に位置する修道院が築かれた岩でできた小島はかつては満ち潮の時には海に浮かび、引き潮の時には自然に現れる陸橋で陸と繋がっていました(1)。島の入口には潮の干満時刻を示した表示があり(2)、満潮時には浜に降りないようにと記されています。最も大きい潮が押し寄せるのは満月と新月の約30時間後といわれており(3)、引き潮により沖合い18kmまで引いた潮が、猛烈な速度で押し寄せます。このためかつては多くの巡礼者が潮に飲まれて命を落としたそうです。
     1977年には陸との間に堤防を造成して鉄道・道路ができ陸続きになり(鉄道は後に廃止)、フランス西部の有数の観光地となりました。1979年にはユネスコの世界遺産に登録され、現在も修道士、修道女が運営に当たっています。
    上記堤防の影響により、島の周囲が砂洲化したため、国家事業として2億3000万ユーロ(約300億円)をかけて、かつての「島」に戻す工事が行われました。この工事は2006年から着手され、その一つは堤防道路の代わりに橋でつなぎ、海流により堆積砂を取り除くもので、潮の流れを妨げにくい脚付きの橋(長さ約760m)が2014年7月22日に開通しました。もう一つの工事はクエノン河口にクエノンダム(Barrage du Cuesnon、バラージュ ドゥ クエノン)を造ることで、こちらは2009年に完成・稼働しています。このダムの目的は満潮時に大量の海水を取り込み、干潮時に一気に放出することで、大量の堆積土砂が沖に流し、2025年には堤防道路がる造られる前の状態に戻ると予想されています。

    上記1.記載の道路が造られたのは、潮の干満に関係なく安全に島へと渡れるようするためです。しかし、これによって潮流をせき止めることとなり、100年間で2mもの砂が堆積してしまいました。急速な陸地化が島の周囲で進行し、島の間際まで潮がくることは滅多になくなりつつあるような状態になりました。そこで、かつての姿を取り戻すべく地続きの道路が取り壊され、2014年に潮が下を流れる新たな橋が完成しました。
    (1) このような現象は地学でトンボロ現象と呼ばれており、日本でも約10個の島でこのような現象が観察できます。参考までに私が撮影した鹿児島県指宿市の知林ヶ島の写真を以下に示します。島の手前はドラマ「青い鳥」で理森と誌織が南十字星を見るために渡った、トンボロ現象で現れた砂州です。このドラマは豊川悦司主演、恋人役のかおりに夏川結衣を配役し、1977年にTBS系で放送され、平均視聴率18%をとりました。
    トンボロ現象と旧約聖書の「出エジプト記」との関係は気になるところです。虐げられていたユダヤの民を率いてエジプトを脱出したモーセは紅海に達しますが、背後にエジプト軍、前は海で窮地に立たされます。ここでモーセがとった行動は、両腕を振り上げ、紅海の海水を2つに割って陸路を造り、そこを通って逃げ延びます。この海に陸路ができる部分はモンサンミッシェルのトンボロ現象と共通する部分があり、これがキリスト教徒をして、モンサンミッシェルを聖なる島とした所以ではないかと、私は考えます。
    一方で、海に浮かぶモンサンミッシェルと旧約聖書「創世記」にみるノアの箱舟も気になるところです。キリスト教徒は海に浮かぶモンサンミッシェルをノアの箱舟に見立て、これがキリスト教徒をして、モンサンミッシェルを聖なる島とした所以とするのは考え過ぎでしょうか。

    (2) 満潮時と干潮時の両方をご覧になりたい方は、事前に以下でその時刻を調べて旅行計画を立てられるのがよろしいかと思います。
    http://www.ot-montsaintmichel.com/en/horaire-marees/mont-saint-michel.htm
    干潮から次の干潮まで(あるいは満潮から次の満潮まで)の時間(周期)は平均約12時間25分です。ですから両方ご覧になりたい方は最低その半分の6時間13分は滞在する必要があります。潮の満ち引きの原因は下記(2)の通りですが、周期が12時間丁度にならない理由は月が公転している分24分、地球が公転している分1分が加算されることによります。
    (3)潮の満ち引きは月と太陽の引力(正確には潮汐力)によりますが、前者は後者の約2倍です。したがって月が真上もしくは観察者に対して地球の真裏にある時が満ち潮、それから90°回転した位置にある時が引き潮となります。また太陽と地球と月が直線状に並んだ満月や新月のとき、潮汐力は最大となり、干満差が大きい大潮となります。約30時間は海水の移動に要する時間です。

    3.建築物
    「主要部はゴシック様式だが、内部はさまざまな中世の建築方式が混ざり合って構成されている。教会堂はカロリング期の様式で、身廊はノルマン様式(フランス語版)(11~12世紀)、百年戦争後の1421年に破壊されたロマネスク様式の内陣はフランボワイアン・ゴシック様式(15世紀半ば~16世紀初頭)として再建された。これら周囲を13世紀の重層構造の修道院建築と13~15世紀の軍事施設が取り囲んでいる。ゴシック・リヴァイヴァル建築の鐘楼と尖塔は1897年に完成し、その上に奉られた剣と秤を持つ金のミカエル像は彫刻家エマニュエル・フレミエ(フランス語版)によって製作された。深層部からは、岩山の上に幾層にもわたり建造され続けた建築遺構も残る。」
    「 」内の文章は、クリエイティブ・コモンズ・表示・継承ライセンス3.0の下で公表されたウィキペディア日本語版のモンサンミッシェル - Wikipedia
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B5%E3%83%B3%EF%BC%9D%E3%83%9F%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%AB

    内の文章を利用して記述しています。この文章は、
    クリエイティブ・コモンズ・表示・継承ライセンス3.0
    http://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0/
    の下、二次利用できます。
    (1) カロリング朝
    395年、ローマ帝国はテオドシウス帝が領土を東経20度付近(現イタリアとギリシャの間)で東西に分割して2子に与えました。このうち東側、すなわち東ローマ帝国は、黒海北方にいたフン族の西方移動に端を発したゲルマン民族の大移動により、476年には滅亡します。その後ゲルマン諸族の中でもフランク族が最も有力となってフランク王国を設立し、やがて8世紀には西欧を支配するまでになります。このなかで、教皇の支持を受けてピピン3世(Pippin III、714-768)が始めた政権をカロリング朝と呼びます。
    (2) カロリング朝の様式
    ピピンの後継者がチャールズ大帝(Charles the Great, 英語、カール大帝、Karl der Große,独語、シャルルマーニュ、Charlemagne, 仏語、742-814、アーヘン、Aachen)で、法律を制定し、産業を奨励し、教育制度を定め、学者を宮廷に招いて優遇しましたが、これをカロリング・ルネサンスといい、この時期の建築様式をカロリング様式と呼びます。カロリング様式の重要な特徴の一つは「西構え(Westwerk)」です。これはこの時代に突然出現したもので、上部に塔のような外観の突出部を備えた西端部を有する建築様式です。この様式はロマネスク時代からゴシック時代に引き継がれたことから、カロリング様式はプレ・ロマネスク様式の範疇に区分けされます。

    (3)ノルマン様式(Architecture normande)
    フランスのノルマンディー地方で11世紀ころから発達した建築様式で、ロマネスク様式に分類されます。通常巨大で単純な石造りで、外部の装飾は少なく、重厚さを感じさせます。
    (4) レイヨナン式
    トレーサリー(アーチ形の窓の上部にはめこむ装飾。)として、円を基本とし、骨組みを極度に細くして、入念で華麗な装飾を施す13世紀フランスゴシックの建築様式です。
    (5) フランボワイアン・ゴシック様式
    14~15世紀、フランスやイギリスの後期ゴシック教会に使われた装飾性が際立つ様式で、構造力学的意味がまったくない小柱やリブヴォールト、装飾彫刻、複雑な曲線文様が多用され、火焔(flamboyant, フランボワイアン)のような煌びやか構造となっています。
    (6)ゴシック・リヴァイヴァル建築
    18世紀後半から19世紀にかけてイギリスで興った中世回帰のゴシック建築です。その背景には、中世こそキリスト教信仰が正しい形で生きていた時代であった、とのゴシックの信仰的解釈があります。

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この旅行記へのコメント (8)

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  • arfaさん 2023/05/15 12:06:37
    モン・サン・ミシェル
    こんにちはarfaと申します。
    少し前までモン・サン・ミシェルにはまったく興味がなかったんですが「世界ふしぎ発見」でモン・サン・ミシェルの話を聞いて興味が湧いてきました。
    興味が湧いたのは一番最初に聖堂を建立した司教の頭蓋骨の穴でした。天使の御告げを夢だと信じない司教の頭に信じるように大天使ミカエルが指で触った跡が穴になっている。
    まさか間近で見ることは出来ないでしょうが日本でも夢枕に誰がが立って何かをするようにという話しはあるので惹かれました。

    あ、嫌いだったわけではなく私は近代文明より古代文明の方に惹かれるです。
    古代文明とは年代ではなくインカ、アンコール、インドのヒンドゥー寺院など自然のモノを組み合わせた文化、巨石であったり自然崇拝などです。
    それに近いものをモン・サン・ミシェルに感じてしまいました。

    bunbun

    bunbunさん からの返信 2023/05/16 15:14:54
    RE: モン・サン・ミシェル
    arfaさん、こんにちは。

    ご訪問、私の拙い旅行記にいつも投票ありがとうございます。

    プロフィールにも書きましたが、私は好奇心旺盛でなんにでも興味を持ちます。時間で言えば138億年前のビッグバンから∞先、空間でいえば素粒子から宇宙の果てまでです。これを細分化すると、太陽系の誕生から終焉まで、地球の誕生から終焉まで、生命の誕生から終焉まで、人類の誕生から終焉まで、人類社会の進化過程、文明、宗教、政治、経済等々となります。ただ4トラは旅行ブログなので、この中のごく一部しから書くことができません。地球の誕生とその後の経過についてはhttps://4travel.jp/travelogue/11426175の付録に、哺乳類の進化に関してはarfaさんからも「いいね」頂いた、マダガスカル レミュール・パーク(https://4travel.jp/travelogue/11630727)の付録に書かせて頂きました。その他、ちょこちょことではありますが、こういった事柄を旅行記に挟むようにしております。
    「インカ、アンコール、インドのヒンドゥー寺院など自然のモノを組み合わせた文化、巨石であったり自然崇拝」にも興味はありますが、私がかじったのはメサ・ヴェルデ国立公園(https://4travel.jp/travelogue/11696738)くらいで、その他はこれから行こうとしていた矢先、コロナが蔓延したため、まだ行けていません。

    arfaさんの兵庫県訪問記は工業技術、日本文化の歴史、マレーシアの旅行記は、文化、宗教、地質学的歴史等々も含め興味深く拝読させて頂きました。

    モン・サン・ミシェルはarfaさんに多少なりとも興味を持って頂き、嬉しく思います。

    これからもarfaさんの旅行記を楽しみにしております。

    今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

    bunbun
  • カフェこさん 2022/03/07 09:41:35
    10年前に…
    わたしもモン・サン・ミッシェル行きました~(*^^*)

    あっ!
    おはようございます!

    わたしが行った時は、雨でしたよ~
    上まで登りきった頃ちょっと止んでたかな~
    bunbunさんの時は、あっぱれな晴天で羨ましいです。
    名物のふわふわオムレツも食べました♪
    同じ店かと思うほど、白身魚やデザートが似てました(笑)

    モン・サン・ミッシェルでお土産を買った時、新聞紙に包まれたのがw(゜o゜)w
    日本の朝市かと…
    まぁ、それも良い思い出です^^;

    いつもわたしの拙い旅行記を読みに来てくださり、感謝ですm(_ _)m
    そして、これからも度々、bunbunさんの読ませて頂きますので、よろしくお願いします(*≧∇≦)ノ

    bunbun

    bunbunさん からの返信 2022/03/08 18:02:23
    RE: 10年前に…
    カフェこさん、こんにちは。

    ご訪問、私の拙い旅行記にいつも投票ありがとうございます。

    地中海性気候は夏が乾季で冬が雨期ですから、地中海沿岸の街は夏行けばほぼ晴れです。ところがアルプスから北は必ずしもそうはいかないので、晴れか雨かは運です。私は雨男ですが、モン・サン・ミッシェルに行ったときは快晴でラッキーでした。

    佐賀 嬉野温泉 大正屋さんは立派なホテルなんですね。風呂も、食事も、そしてなんといっても錦鯉が泳ぐ池は最高です。私はまだ佐賀には行ったことがありません。今度行くとしたらこんなホテルに宿泊したいです。
    2月なのにもう梅の花ですか。随分暖かいんですね。札幌は除雪した雪が道路脇にまだ2 m以上も残ってます。

    これからもカフェこさんの旅行記を楽しみにしております。

    こちらこそ、どうぞよろしくお願いいたします。

    bunbun
  • Kenz Kさん 2017/09/10 06:20:57
    はじめまして
    はじめまして、お邪魔いたします。

    詳細な説明素晴らしいですね。自分はフランスに1度行きましたがパリのみの滞在でしたので、行ってみたかったモンサンミッシェルに訪れた気分になれました。ありがとうございます。

    他の旅行記もゆっくりですが拝見させて頂きたいと思います。

    bunbun

    bunbunさん からの返信 2017/09/11 16:37:53
    RE: はじめまして
    Kenz Kさん、こんにちは。はじめまして。

    ご訪問、私の拙い旅行記への投票ありがとうございます。

    長い旅行記を最後までお読み頂き、感謝致します。
    私は気になることは何でも調べたくなる質で、旅行記も細かくて長くなり、書くのに時間がかかってしまいます。最初は全て写真の下に説明を書いていましたが、ある方から「細かすぎて読みにくい」とお叱りを受けましたので、あまり細かい説明は付録として最後に載せ、ご興味のある方だけにお読み頂くつもりでおります。少しでもお役に立てたようでしたら幸いです。

    「ハワイ」拝読しました。美しい景色と温暖(暑いですかねえ)な気候、ハワイはいいですね。昔マウイ島に2回行ったことがあります。パラセーリング、シュノーケリング、バーベキュー等、特に計画もなく4〜5日のんびり過ごしました。ハワイはそういう場所なんですよね。ああいった旅行はあの頃だけだったと思います。

    「富山」も拝読しました。昔金沢に住んでいましたので、富山や五箇山、能登半島や福井にはよく遊びに行きました。前回知人に呼び出されて行ったのが十数年前ですので、もう長いことご無沙汰です。本当に懐かしいです。

    素敵な旅行記をありがとうございました。

    bunbun
  • リリーさん 2017/08/05 22:56:16
    初めまして
    先日は私の拙い旅行記にいいねを下さり、ありがとうございます(^o^)。
    モンサンミッシェル、テレビで何度か見たことがあり、行ってみたい場所の一つです。学生のときにパリに留学し、フランス国内を旅行しましたが、ルーアンの友人の家には泊めてもらったものの、モンサンミッシェルには行かずじまいで^^;。
    でもすごく混んでいるんですネ。

    これからもよろしくお願いします(^O^)。

    bunbun

    bunbunさん からの返信 2017/08/06 22:02:06
    RE: 初めまして
    リリーさん、こんばんは。はじめまして。

    ご訪問、私の拙い旅行記にたくさんの投票ありがとうございます。

    最近はメジャーな観光地のハイシーズンはどこも混んでいます。モンサンミッシェルは混んでいても進めるのでまだいい方ですが、塔やゴンドラ等は行列に並ぶ必要あるので大変です。ツアーに参加して予め予約が入っていればいいのですが、個人で行くと長い行列に並ばなくてはいけません。7月、カナディアンロッキーにツアーで行きましたが、個人で車で行った人達はどこの湖も駐車場が満杯で随分手前で車を止め、シャトルバスで行っていましたが、そのシャトルバス待ちに長蛇の列ができていました。バンフの自由時間にサルファー山に上ろうとゴンドラの駅に行きましたが、長蛇の列で、2時間待ちとのことで諦めました。ツアーでパリに行ったとき、自由時間にエッフェル塔に上ろうとしましたが、長蛇の列で諦めました。

    「高野山」拝読しました。私はまだ行ったことはありませんが、さすが世界遺産だけあって参道もお地蔵様も立派ですし、奥之院も立派なんでしょうね。写真撮影禁止ですから、直接行くしかないですね。日本が世界に誇る遺産ですから外国人にはたまらないでしょうね。私も神社仏閣は好きで今年は身延山久遠寺、戸隠神社に行って来ました。

    パリに留学されていたとは羨ましい限りです。ということはフランス語はバッチリですね。私は語学が好きで、商売道具の英語の他、ドイツ語、スペイン語、イタリア語、フランス語、韓国語を若干話します。ラテン系の3つはよく似ていますが、フランス語は読み方、発音が一番難しいですね。ただフランス語はステイタスですから、流暢に話してみたいものです。

    これからもリリーさんの旅行記を楽しみにしております。

    こちらこそ、今後ともどうぞよろしくお願い致します。

    bunbun

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