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 鎌倉市大町にある大宝寺は日蓮宗の寺院で、正式には多福山一乗院大宝寺と言う。応永6年(1399年)に佐竹義盛が若くして出家し多福寺を建立した。一旦、廃寺となった後、文安元年(1444年)に一乗院日出上人によって再興された。<br /> 境内には、佐竹氏の守護神社の多福明神社(大多福稲荷大明神)がある。新羅三郎義光(源義光)は永保3年(1083年)の後三年の役戦勝は、日頃から信仰していた多福大明神の加護によるとし、同地に構えていた屋敷の側に多福神社を建てたとされる。後、同地は源頼朝により、佐竹秀義へ与えられて屋敷を構え、代々佐竹氏の居館となっていた。門柱脇には昭和7年3月に鎌倉町青年団が建てた「佐竹屋敷跡」石碑がある。<br /> 法界満霊と彫られた台座石の上には地蔵尊が建ち、両側には「報国殉難戦死者之霊」の石塔と「大震災火災横死者之霊」の石塔が並んで建っている。下にも地蔵尊が建ち並び、一風変った延命子育地蔵尊もある。<br /> 大宝寺本堂の屋根瓦が新しくなっていた。境内にある多福明神社の屋根には長らく青のビニールシートが張られていたのとは対照的だ。鬼瓦の意匠にも多少の変化が見られるが、蕾の付いた牡丹の飾り瓦だけは同じ意匠ではあるが、新しいものに交換されたようだ。良く見られる飾り瓦であるから、カタログ品があるのかもしれない。<br />(表紙写真は瓦の葺替前の大宝寺本堂)

鎌倉大宝寺

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2008/12 - 2010/01

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ドクターキムル

ドクターキムルさん

 鎌倉市大町にある大宝寺は日蓮宗の寺院で、正式には多福山一乗院大宝寺と言う。応永6年(1399年)に佐竹義盛が若くして出家し多福寺を建立した。一旦、廃寺となった後、文安元年(1444年)に一乗院日出上人によって再興された。
 境内には、佐竹氏の守護神社の多福明神社(大多福稲荷大明神)がある。新羅三郎義光(源義光)は永保3年(1083年)の後三年の役戦勝は、日頃から信仰していた多福大明神の加護によるとし、同地に構えていた屋敷の側に多福神社を建てたとされる。後、同地は源頼朝により、佐竹秀義へ与えられて屋敷を構え、代々佐竹氏の居館となっていた。門柱脇には昭和7年3月に鎌倉町青年団が建てた「佐竹屋敷跡」石碑がある。
 法界満霊と彫られた台座石の上には地蔵尊が建ち、両側には「報国殉難戦死者之霊」の石塔と「大震災火災横死者之霊」の石塔が並んで建っている。下にも地蔵尊が建ち並び、一風変った延命子育地蔵尊もある。
 大宝寺本堂の屋根瓦が新しくなっていた。境内にある多福明神社の屋根には長らく青のビニールシートが張られていたのとは対照的だ。鬼瓦の意匠にも多少の変化が見られるが、蕾の付いた牡丹の飾り瓦だけは同じ意匠ではあるが、新しいものに交換されたようだ。良く見られる飾り瓦であるから、カタログ品があるのかもしれない。
(表紙写真は瓦の葺替前の大宝寺本堂)

  • 「佐竹屋敷跡」石碑(昭和7年3月、鎌倉町青年団)。

    「佐竹屋敷跡」石碑(昭和7年3月、鎌倉町青年団)。

  • 境内の井戸。

    境内の井戸。

  • 境内の塚。

    境内の塚。

  • 境内の塚。

    境内の塚。

  • 延命子育地蔵尊。

    延命子育地蔵尊。

  • 瓦の葺替後の大宝寺本堂。

    瓦の葺替後の大宝寺本堂。

  • 本堂屋根に上がる蕾付き牡丹の飾り瓦。

    本堂屋根に上がる蕾付き牡丹の飾り瓦。

  • 本堂屋根に上がる蕾付き牡丹の飾り瓦。

    本堂屋根に上がる蕾付き牡丹の飾り瓦。

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