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天龍寺(てんりゅうじ)は、京都府京都市右京区嵯峨天龍寺芒ノ馬場町にある、臨済宗天龍寺派大本山の寺院。山号は霊亀山。寺号は詳しくは天龍資聖禅寺と称する。本尊は釈迦如来、開基(創立者)は足利尊氏、開山(初代住職)は夢窓疎石である。足利将軍家と桓武天皇ゆかりの禅寺として壮大な規模と高い格式を誇り、京都五山の第一位とされてきた。「古都京都の文化財」として世界遺産に登録されている。<br /><br />天龍寺の地には平安時代初期、嵯峨天皇の皇后橘嘉智子が開いた檀林寺があった。その後約4世紀を経て荒廃していた檀林寺の地に後嵯峨天皇(在位1242年 - 1246年)とその皇子である亀山天皇(在位1259年 - 1274年)は離宮を営み、「亀山殿」と称した。<br />足利尊氏が後醍醐天皇の菩提を弔うため、大覚寺統(亀山天皇の系統)の離宮であった亀山殿を寺に改めたのが天龍寺である。寺号は、当初は年号をとって「暦応資聖禅寺」と称する予定であったが、尊氏の弟・足利直義が、寺の南の大堰川(保津川)に金龍の舞う夢を見たことから「天龍資聖禅寺」と改めたという。寺の建設資金調達のため、天龍寺船という貿易船(寺社造営料唐船)が仕立てられたことは著名である。落慶供養は後醍醐天皇七回忌の康永4年(1345年)に行われた。<br /><br />後嵯峨天皇陵天龍寺は京都五山の第一として栄え、寺域は約950万平方メートル、広大なもので、子院150か寺を数えたという。<br />しかし、その後のたびたびの火災により、創建当時の建物はことごとく失われた。現存伽藍の大部分は明治時代後半以降のものである。なお、方丈の西側にある夢窓疎石作の庭園(特別名勝・史跡)にわずかに当初の面影がうかがえる。<br /><br />境内東端に勅使門、中門があり、参道は西へ伸びている。これは、通常の禅宗寺院が原則として南を正面とし、南北に主要建物を並べるのとは異なっている。参道両側に塔頭が並び、正面に法堂、その奥に大方丈、小方丈、庫裏、僧堂、多宝殿などがあるが、いずれも近代の再建である。<br /><br />勅使門 - 四脚門。寺内最古の建物である。 <br />法堂(はっとう) - 禅寺の中心堂宇としては珍しい、寄棟造単層の建物で、1900年(明治33年)の再建。本尊釈迦三尊像を安置する。天井画の雲龍図は明治時代、鈴木松年によって描かれたが、傷みがひどかったため、1997年(平成9年)加山又造により八方にらみの龍の雲龍図が描かれた。 <br />大方丈 - 1899年(明治32年)の建築。 <br />小方丈 - 1924年(大正13年)の建築。 <br />多宝殿 - 1934年(昭和9年)の建築。後醍醐天皇の木像を安置する。<br /><br />(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用)<br /><br />天龍寺については・・<br />http://www.rinnou.net/cont_03/10tenryu/<br /><br />さくらの京都・遷都1300年の奈良、吉野千本桜 3日間 (JTB/旅物語)<br />4月7日(水)1日目<br /> 東京発→京都→[桜]◎嵐山(桜100選)( 昼食:京都嵯峨料理)→◎京都御所一般公開(年に2回のイベント)→清水寺ライトアップ見学<br />京都市内旅館 銀閣(和室)泊<br />

京都-02 霊亀山天龍寺*京都五山の第一 ☆法堂や方丈を拝観

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2010/04/07 - 2010/04/07

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マキタン2

マキタン2さん

天龍寺(てんりゅうじ)は、京都府京都市右京区嵯峨天龍寺芒ノ馬場町にある、臨済宗天龍寺派大本山の寺院。山号は霊亀山。寺号は詳しくは天龍資聖禅寺と称する。本尊は釈迦如来、開基(創立者)は足利尊氏、開山(初代住職)は夢窓疎石である。足利将軍家と桓武天皇ゆかりの禅寺として壮大な規模と高い格式を誇り、京都五山の第一位とされてきた。「古都京都の文化財」として世界遺産に登録されている。

天龍寺の地には平安時代初期、嵯峨天皇の皇后橘嘉智子が開いた檀林寺があった。その後約4世紀を経て荒廃していた檀林寺の地に後嵯峨天皇(在位1242年 - 1246年)とその皇子である亀山天皇(在位1259年 - 1274年)は離宮を営み、「亀山殿」と称した。
足利尊氏が後醍醐天皇の菩提を弔うため、大覚寺統(亀山天皇の系統)の離宮であった亀山殿を寺に改めたのが天龍寺である。寺号は、当初は年号をとって「暦応資聖禅寺」と称する予定であったが、尊氏の弟・足利直義が、寺の南の大堰川(保津川)に金龍の舞う夢を見たことから「天龍資聖禅寺」と改めたという。寺の建設資金調達のため、天龍寺船という貿易船(寺社造営料唐船)が仕立てられたことは著名である。落慶供養は後醍醐天皇七回忌の康永4年(1345年)に行われた。

後嵯峨天皇陵天龍寺は京都五山の第一として栄え、寺域は約950万平方メートル、広大なもので、子院150か寺を数えたという。
しかし、その後のたびたびの火災により、創建当時の建物はことごとく失われた。現存伽藍の大部分は明治時代後半以降のものである。なお、方丈の西側にある夢窓疎石作の庭園(特別名勝・史跡)にわずかに当初の面影がうかがえる。

境内東端に勅使門、中門があり、参道は西へ伸びている。これは、通常の禅宗寺院が原則として南を正面とし、南北に主要建物を並べるのとは異なっている。参道両側に塔頭が並び、正面に法堂、その奥に大方丈、小方丈、庫裏、僧堂、多宝殿などがあるが、いずれも近代の再建である。

勅使門 - 四脚門。寺内最古の建物である。
法堂(はっとう) - 禅寺の中心堂宇としては珍しい、寄棟造単層の建物で、1900年(明治33年)の再建。本尊釈迦三尊像を安置する。天井画の雲龍図は明治時代、鈴木松年によって描かれたが、傷みがひどかったため、1997年(平成9年)加山又造により八方にらみの龍の雲龍図が描かれた。
大方丈 - 1899年(明治32年)の建築。
小方丈 - 1924年(大正13年)の建築。
多宝殿 - 1934年(昭和9年)の建築。後醍醐天皇の木像を安置する。

(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用)

天龍寺については・・
http://www.rinnou.net/cont_03/10tenryu/

さくらの京都・遷都1300年の奈良、吉野千本桜 3日間 (JTB/旅物語)
4月7日(水)1日目
東京発→京都→[桜]◎嵐山(桜100選)( 昼食:京都嵯峨料理)→◎京都御所一般公開(年に2回のイベント)→清水寺ライトアップ見学
京都市内旅館 銀閣(和室)泊

同行者
カップル・夫婦
一人あたり費用
3万円 - 5万円
交通手段
観光バス
旅行の手配内容
ツアー(添乗員同行あり)

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