2009/10/31 - 2012/09/07
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ヌールッディーンさん
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国の重要文化財に指定されている旧日本郵船小樽支店に行ってみた。
明治39年(1906年)10月に落成した近世ヨーロッパ復興様式の石造2階建建築。
設計者は工部大学校(現・東京大学工学部)1期生である佐立七次郎。工部大学校1期生は4人しかいませんが、彼らは日本で西洋建築を学び修得した最初の人びとと言って、恐らく間違いではないと思います。
ちなみに、小樽には工部大学校1期生4人のうち3人の作品(辰野金吾の旧日本銀行小樽支店と曾禰達蔵の旧三井銀行小樽支店)が揃っています。こんな「豪華な」都市は東京を除くと小樽だけ。小樽は明治から昭和初期の近代建築を見るのには非常に貴重な資源のある街なのです。
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船入澗(ふないりま)の跡。
現在、建物の前には噴水のある公園が広がっています。ここは「船入澗」という船からの荷物の積み下ろし場所だったところでしたが、1961年に埋め立てられました。
埠頭に船を接岸させて荷物を積み下ろしする方式が定着する以前は、船は港の中に留まったままにして、運河に艀(はしけ)という積み下ろし専用の船を着けて荷物の積み下ろしをしていたそうです。
普通、倉庫などには運河から積み下ろしをするのですが、この建物は専用の積み下ろしをする場所を設けていたのです。こうした施設と連結されていることは、この建物が持つ役割の大きさや日本郵船という会社が持っていた力の大きさを示すものと言えるでしょう。
なお、この船入澗の周辺は沢山の倉庫に囲まれていたそうです。現在はその数も少なくなってはいますが、幾つかは古い倉庫も残っているので、知識を持って行けば、往時の様子を想像することができると思います。 -
表玄関。
一般客が出入りした玄関。扉にはなかなか豪華な雰囲気の装飾がほどこされていました。
ちなみに、従業員は建物に向かって左側の従業員用の潜門を通って裏側の出入口から営業室に入り、貴賓つまりVIPは向かって右側の表門から貴賓用の出入口から入るようになっています。 -
応接室。
正面入口からここにそのまま向かうことができるようなつくりになっており、支店長室とも隣り合っています。
さすが商業建築だけあって、場所の配置は機能的によく考えられています。 -
営業室。
天井から吊るされた白熱電球は高さや方向を自在に調整できるもので、こうした機能性は商業建築ならではのものでしょう。
また、ランプやガス灯などが使われていた時代に、白熱電球が導入されていたことも、この建物の先進性を物語っています。 -
ガラスの電球の下に飛び出した部分があるのは、このガラス玉の製法に関係があるそうですが、詳細は忘れました。
次に行く機会に解説員の方に聞いてみたいと思います。
ちなみに、ガラス繋がりということで、余談を書くと、この建物はまだガラスが高価だった時代に窓ガラスを二重化しており、ふんだんにガラスを使っているそうで、また、国産の非常に古いガラスを使っており、今も古いものがある程度残っているようです。 -
金庫室。
壁の厚さが凄いですが、これは特別に金雇用に厚くしたのではなく、もともとのこの建物の壁の厚さだそうです。金庫というよりは重要書類の書庫などとして使われたようです。
奥に見える金庫のような扉は、金庫ではなく非常口だそうです。 -
貴賓用出入口。
残念ながら外の様子は見学できないようです(写真の展示あり)。 -
貴賓や支店長などが使う階段。
手すりの凝った装飾がなかなか見事です。
従業員は営業室から別の階段で2階に上ることができるしくみになっていました。そちらは幅ももっと狭く、装飾も簡単なもので、違いは一目瞭然でした。 -
貴賓室。
壁紙は金唐革紙(きんからかわかみ)というものです。
ヨーロッパに「金唐革」というなめし革に金属箔を貼りプレスして彩色したものがあったのですが、それを紙で模造したものです。
シックな色合いに見えますが、これは金属箔が錆びたためで、本来は部屋中が金ぴかだったそうです。奥の壁の右側の色が明るくなっているのは20年ほど前に修復した部分です。
左側に暖炉がありますが、完成以後100年以上一度も火をつけたことはないそうです。
なお、小樽は火事が多かったので、この建築では、そうした点にも非常に配慮されています。暖房はすべてボイラーで行っていて、火は室内では使わないようになっているのです。この部屋にも装飾付きのボイラー装置が2箇所に設置されています。 -
会議室。
竣工間もない1906(明治39)年11月に日露戦争後の国境策定会議が行われた場所。会議の際は戦勝国日本側が上座(窓側)に、ロシア側は下座(廊下側=写真手前側)に座って行われた。
一枚ものの絨毯やガラスの内側に模様が施された照明、金唐革紙の壁紙など、いずれも豪華な室内空間となっています。 -
2階廊下。
左が貴賓室、右が貴賓用の階段。アーチ上の仕切りの向こう側が会議室などとなっており、貴賓の空間と通常の空間を仕切るようにアーチがかけられています。
こうしたアーチなどを用いた仕掛けは、イスラーム世界の都市空間にもよく見られるもので、こうしたものが小樽の建築の内部でも使われていることに興味が惹かれました。 -
【20120929追記】
電気のスイッチやカバーがなかなか良い味を出しています。
普段はカバーが閉まっているのでこの場面は見ることができないかも知れません。
(IMG0422) -
【20120929追記】
小樽港の入港船舶隻数と出入貨物トン数を示すグラフが非常に興味深かったです。
日露戦争(明治37〜38年)を境に貨物の量が100万トン前後から300万トン前後へと3倍になっていることがわかります。南樺太への中継地として小樽港の重要性が増し、南樺太の開発などのために様々な物資が送られたためだと思われます。
ちなみに、明治32年に小樽港が外国貿易港に指定されたり、明治41年に北防波堤が完成することもこれとの関連で押さえておきたいところです。
また、昭和9年頃にさらに貨物が増えていますが、その理由も調べてみたいです。例えば、満州国の建国宣言が昭和7年であり、国際連盟脱退が昭和8年であるといった国際政治や植民地支配の環境の変化なども関係があるのかどうか興味を惹かれます。
(IMG0410) -
日本郵船主要航路(20120929追記)
小樽港は本州との航路はほとんどが函館経由で、西は大連や釜山、北は南樺太の大泊への航路があったことがわかります。
(IMG0412)
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