2009/12/23 - 2010/01/02
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ヌールッディーンさん
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淡水で見たものについて簡単にコメントしていきます。
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台北県淡水鎮公所
日本で言えば町役場か市役所に当たる役所です。結構小さい。壁に色が塗ってあるのは、役所っぽくないかも。
ちなみに、右側の看板に「素阿給」という文字が見えますが、「阿給(agei)」とは「あげ=揚げ」のことで、淡水名物です。
淡水は港町だけあってか、いろいろと特産の食べ物があるので、訪れた際には是非食べてみてください。 -
古い町並みが残る老街。かつての港町が港町としては寂れてしまい、かつて賑わった商業街が古い町並みとして残ったというパターン。
これはこのブログでも少し紹介している小樽と同じパターンで、小樽の堺町通りや北のウォール街と対応する場所と言えましょう。 -
馬偕博士(Dr. Mackey)の彫像。
マッケイ博士は1872年に来台したカナダ長老教会の宣教師であり医師で、淡水の地には彼が残した多くのものが残されています。
「馬偕」は台湾語による当て字なので、北京語で読むと「マァジエ」になってしまいますが、やっぱり北京語では「マァジエ」と読んでいるようです。
この彫像について、台湾人の友人はタコに似ている、と言っていました。言われてみれば…。 -
淡水礼拝堂。
日曜日に行ったので礼拝で多くの人が訪れていました。
1932年に竣工したゴシック様式の教会です。ただ、内部構造や実際の建築の構造はオリジナルのゴシックとは違うようですが…。まぁ、19世紀から20世紀の植民地におけるゴシックというのは、そういうものなのでしょう。日本のいろいろなところにあるのも同じですし。 -
淡水礼拝堂の内部。
2年前にマカオでみたバロック風の教会と同じような感じでした。窓が尖塔アーチになっているのはゴシックの形式ですが。 -
淡水礼拝堂。
バットレスはあるけれども(ゴシック様式の特徴である)フライングバットレスではありません。 -
この日本風の家屋は恐らく「淡水町長・多田栄吉の旧居」と思われます。
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この写真にはほとんど写っていませんが、窓ガラスも割れていたり、荒れ放題に放置されている感じなのが少し残念です。
しかし、台湾でも古い文化財を保存する運動が盛んになっているようなので、こうしたものも保存対象になればいいと思います。 -
淡江中学八角塔
学校としては1914年にキリスト教の宣教師により創設された私立中学校で台湾初の神学校でしたが、後に一般教育も行われるようになったそうです。
この塔は中国の様式とビザンチン様式がミックスされたものだとのことで、私はこれを見た瞬間、恐らく1930年代後半以降に竣工したに違いないと予想したのですが、見事に外れたので強く印象に残っています。この建物の竣工は1925年でした。
私の予想の根拠は満州事変以降、日本統治時代の植民地建築は地元の様式を取り込んでいくようになったとされていることです。
しかし、よく見るとこの学校は私立の学校であり、公立ではないことがわかり、納得しました。ただ、その後の公共建築で土着的な要素を使うようになっていく以前から民間では既にそうしたスタイルが存在していたということを知ることができ非常に有益でした。 -
この塔は、もともと「信望愛塔」と称したそうで、その名の通り「信望愛」の文字が見えます。
また、「私立淡水中学校」の文字も残っています。
ちなみにこの中学は、中国語圏で人気のある歌手・俳優の周杰倫の出身校として最近観光客に注目されているそうです。 -
真理大学の理学堂大書院
真理大学の前身Oxford College(牛津学堂)の校舎。現在は真理大学校史館、馬偕紀念資料館、北部台湾基督長老教会大会史跡館となっています。
真理大学は台湾で最初の西洋式教育が行われた地として有名です。台湾の中心が南部から北部に移りつつあり、淡水港がまだ基隆港に取って代わられる前の時代だったことが、淡水にこうしたものが設置された要因なのでしょう。 -
建築様式は中国と西洋の折衷様式で、マッカイ博士の二文化融合の理念が表現されているとのこと。
中国の様式としては四合院が採用され(現在は前半部のみが残る)、また、入口をやや奥に引っ込ませて軒下を広く取る「凹寿」と呼ばれる民家でよく見られる手法がとられている。
西洋風のスタイルとしては屋根の上の手すりや窓枠上部のアーチ型装飾(これは上の写真の方が見やすい)などが採用されている。
赤瓦でふかれた台湾風の屋根にも、西洋式の天窓や教会特有の尖塔などが加えられており、しかもその尖塔は中国的な造形になっているなど、いたるところで折衷的なスタイルが見られるという。
ちなみに、Oxford Universityの名称は、マッケイ博士の故郷であるカナダのオックスフォード郡の人々の寄付でこの大学が創立されたことを記念してとられたものであり、イギリスのUniversity of Oxfordとは関係はありません。 -
紅毛城
淡水を観光で訪れる人なら必ず行くのがここ。
1629年にスペイン人により建てられたサント・ドミンゴ城。その後、オランダ、鄭成功、清朝と主を変え、アヘン戦争後にイギリス領事館が置かれました。
そのような経緯があるため、旧イギリス領事館がここにはあり、そちらの方が個人的には興味深かったりもしました。領事館内部では建築だけでなく日本統治時代の淡水についての展示などがありました。 -
旧英国領事館
高台にあり淡水河を望むことができ、アーチに支えられた大きなポルティコがあり、レンガ造の土台があり、傾斜した屋根を持ち、ブラインド付の窓があるなど植民地様式の特徴をふんだんに備えていることが分かります。
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