2008/11/15 - 2008/11/15
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フロッガーさん
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紅葉。。。というより目的は紅葉ではなく、年内に回ってしまいたい寺院が何箇所かあることからそちらが最優先でした(笑)。いわゆる、人がいない方を歩き回りあわよくばモミジ狩り。
土日で日光山内は紅葉真っただ中ということもあって渋滞だらけ、午前9時くらいには日光入りして午後3時くらいには撤収という予定でした。
一応行程的には、まだ鑑賞に間に合うと聞いた憾満ガ淵に午前中向って山内に戻りながら観音寺。午後から四本龍寺を始めにして北上して開山堂〜滝尾神社まで行く予定でした。
この日は前日の予報では午前中晴れとのことだったのでそれを見越していたのですが、日が明けると宇都宮は朝から曇りで時折雨がぱらついていました。日光では雨には降られませんでしたが、ずっと曇りでした。第一駐車場あたりも空いていてこの周辺は紅葉がピーク、ルンルンでちらっと神橋を横目に憾満ガ淵へ歩き出します。
憾満ガ淵は学生時代に行ったことがあったのですが、車で友人の横に乗ってきたので距離感間違っていました。歩いて10分かからないという思いこみでいたのですが遠い遠い。。。これが最大のミスになって後で計画が大狂いしました(爆)
ちなみに憾満ガ淵は慈雲寺の参道まで車で入れます。お茶屋さんの横の駐車場まで。ただ、帰りは神橋方向の道が混みますので本道に戻るのは大変です(^^ゞ
ということで、道沿いにあるくといったん大谷川を離れます。クタクタな頃に正面に見えるのは浄光寺。さて、始まりです!
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参道から。山門の屋根はは板橋石で葺かれたものです。屋根が石屋根の門は日光でもここだけ。
掲げられている門額「還源山」 は幕末三筆の一人と言われる市河米庵の書です。 -
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浄光寺は「還源山・妙覚院浄光寺」を名乗ります。日光を開山した勝道上人が、日光山の菩提寺として山内の仏岩の場所に往生院を創設したのが始まりとされています。
延応二年(1240)に日光山本坊として輪王寺の前身である本坊・光明院が創建されます。同時に六供浄光坊が設立され、後に往生院と合併しました。徳川三代将軍・家光時代の大改修において日光山内は整理されました。寛永十七年(1640)に今の場所に移されて、この地の菩提寺とされるようになりました。
本堂の中には、鎌倉時代の物とされる青石の碑と弘法大師真筆と言われる「妙覚門」の額が掲げられています。 -
本殿と地蔵尊。
「菅笠日限地蔵尊」と呼ばれています。石の菅笠を被る地蔵様で、困った人に代わって仕事をしてくれるという信仰だそうです。 -
本堂は昭和四十八年に増改築されました。内陣は江戸期のままだそうです。
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薬師堂。
薬師堂は大同元年(806)に創建されました。
飛騨の宮大工であった左甚五郎は、日光東照宮の修理工事のため山内に向かっていたそうですが、この場所で夕立に見舞われ雨乞いに立ち寄ることになったそうです。
その時に薬師堂が朽ち果てた状態だったのを見かねて、この雨宿りのお礼として一晩にして建立し、その足で日光に向かったという話が伝えられています。 -
梵鐘。この鐘は日光山内において一番古いものです。
室町時代・長禄三年(1459)に権律師源観(ごんりつし・げんかん)が日光山内の本宮に奉納したものです。鐘の銘文には当時の将軍である足利茂氏(しげうじ)の名も彫られています。
この鐘は工芸品としての価値から太平洋戦争時での差出をまぬがれましたが、傷みが激しく今は撞くことはできないそうです。 -
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