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第二番・観音寺からの続きです。<br /><br /><br />前回の観音寺から神橋へ戻り、四本龍寺へ。四本龍寺は下野三十三観音札所・第三番です。<br /><br />四本龍寺に行くには神橋から二社一寺方面のすぐ横のルートになるのですが、ほとんどの人が二社一寺のルートに入ってしまうか、四本龍寺をかすめて行ってしまうので観光シーズンもほとんど人がいない場所です(^_^;)<br /><br /><br />四本龍寺はは勝道上人が日光山を開山する基となった場所と言われています。勝道上人は日光の地へ入山して以来15年の月日を修行に費やしていました。そして当時の補陀洛山(ほだらくさん:今の男体山)の頂上を極めます。<br /><br /><br />時代は天平神護二年(766)、大谷川を渡っていた勝道上人は東の空に紫色の雲が立ち上っているのを見ました。上人は、その雲が立ち上っていた場所にくるとこの場所に庵を建てて「紫雲立寺」と名付けました。これが現在の四本龍寺になりますが、この紫雲立寺のできた時が日光の開山とされています。<br /><br /><br />その後大同二年(807)に下野国の国司・橘利遠(としとお)によってこの地に観音堂が建立されて観世音菩薩を祀る場所となりました。現在の観音堂は五回の焼失にあい、今の姿になっていますが日光山内で唯一である素木造りの建物です。<br /><br />そして三重塔は鎌倉幕府三代将軍・源実朝の寄進と伝えられていますが再建され、去年度まで修復工事が行われていました。昔見た時の三重塔はかなり傷んだ状態だったのですが、今回行ってみてびっくりな綺麗なものに変わっていました。<br /><br /><br />ほとんどの人は間違ってこちらのルートに入ってきてしまって、本宮神社あたりで戻ってしまうのでここは別世界のような静けさの場所です。二社一寺を参拝した帰りに余裕のある方はこちらにも寄ってみてください。あちらとは空気の違う場所です(^◇^)<br />

日光紅葉巡り2008 下野三十三観音札所・第三番 【四本龍寺】」。

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2008/11/15 - 2008/11/15

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フロッガー

フロッガーさん

第二番・観音寺からの続きです。


前回の観音寺から神橋へ戻り、四本龍寺へ。四本龍寺は下野三十三観音札所・第三番です。

四本龍寺に行くには神橋から二社一寺方面のすぐ横のルートになるのですが、ほとんどの人が二社一寺のルートに入ってしまうか、四本龍寺をかすめて行ってしまうので観光シーズンもほとんど人がいない場所です(^_^;)


四本龍寺はは勝道上人が日光山を開山する基となった場所と言われています。勝道上人は日光の地へ入山して以来15年の月日を修行に費やしていました。そして当時の補陀洛山(ほだらくさん:今の男体山)の頂上を極めます。


時代は天平神護二年(766)、大谷川を渡っていた勝道上人は東の空に紫色の雲が立ち上っているのを見ました。上人は、その雲が立ち上っていた場所にくるとこの場所に庵を建てて「紫雲立寺」と名付けました。これが現在の四本龍寺になりますが、この紫雲立寺のできた時が日光の開山とされています。


その後大同二年(807)に下野国の国司・橘利遠(としとお)によってこの地に観音堂が建立されて観世音菩薩を祀る場所となりました。現在の観音堂は五回の焼失にあい、今の姿になっていますが日光山内で唯一である素木造りの建物です。

そして三重塔は鎌倉幕府三代将軍・源実朝の寄進と伝えられていますが再建され、去年度まで修復工事が行われていました。昔見た時の三重塔はかなり傷んだ状態だったのですが、今回行ってみてびっくりな綺麗なものに変わっていました。


ほとんどの人は間違ってこちらのルートに入ってきてしまって、本宮神社あたりで戻ってしまうのでここは別世界のような静けさの場所です。二社一寺を参拝した帰りに余裕のある方はこちらにも寄ってみてください。あちらとは空気の違う場所です(^◇^)

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  • 神橋の信号、右側から入るルートです。

    神橋の信号、右側から入るルートです。

  • この周辺は紅葉も進んでいます。

    この周辺は紅葉も進んでいます。

  • 紅葉に囲まれた民家?

    紅葉に囲まれた民家?

  • そして本宮神社が見えてきます。

    そして本宮神社が見えてきます。

  • 拝殿。<br /><br />本宮神社は、古くは新宮神社(今の二荒山神社)・滝尾神社とともに三社の一つとして数えられ、日光三社と呼ばれました。<br /><br />創建は大同三年(808)と言われ、味耜高彦根神(アヂスキタカヒコネノカミ)を祀ります。現在の本宮神社は二荒山神社の別宮として鎮座します。<br /><br />

    拝殿。

    本宮神社は、古くは新宮神社(今の二荒山神社)・滝尾神社とともに三社の一つとして数えられ、日光三社と呼ばれました。

    創建は大同三年(808)と言われ、味耜高彦根神(アヂスキタカヒコネノカミ)を祀ります。現在の本宮神社は二荒山神社の別宮として鎮座します。

  • 毎年4月17日の二荒さん神社・弥生祭には、この場所へ三社の神輿がここへ集まります。<br /><br />この本宮神社は貞享元年(1684)の大火によって焼失、翌年には再建されたと書いてあります。

    毎年4月17日の二荒さん神社・弥生祭には、この場所へ三社の神輿がここへ集まります。

    この本宮神社は貞享元年(1684)の大火によって焼失、翌年には再建されたと書いてあります。

  • 拝殿から本殿、そして三重塔。

    拝殿から本殿、そして三重塔。

  • 本殿裏。

    本殿裏。

  • 右側に見えるのが紫雲石。<br /><br />文中以外の説として、勝道上人は四本龍寺の近くにある唯心院の境内にて男体山に向かって礼拝をおこなっていたところ、この場所から雲が立ち上がるのを見たという説もあります。<br /><br />

    右側に見えるのが紫雲石。

    文中以外の説として、勝道上人は四本龍寺の近くにある唯心院の境内にて男体山に向かって礼拝をおこなっていたところ、この場所から雲が立ち上がるのを見たという説もあります。

  • 三重塔。<br /><br />看板によれば、日光山二十四世・弁覚が源実朝を供養するために仁治二年(1241)に東照宮の境内に建てたとあります。<br /><br />その後この場所へ移築されたそうです。

    三重塔。

    看板によれば、日光山二十四世・弁覚が源実朝を供養するために仁治二年(1241)に東照宮の境内に建てたとあります。

    その後この場所へ移築されたそうです。

  • 三重塔裏手からの日光幼稚園。平日だとこのあたりは静かで、幼稚園児の声しか聞こえません。

    三重塔裏手からの日光幼稚園。平日だとこのあたりは静かで、幼稚園児の声しか聞こえません。

  • そして観音堂と三重塔。<br /><br />

    そして観音堂と三重塔。

  • 大谷川を渡った勝道上人一行がこの地へ草庵を建てたと伝えられます。<br /><br />そして下野国国司の橘利遠によって観音堂が建立されました。

    大谷川を渡った勝道上人一行がこの地へ草庵を建てたと伝えられます。

    そして下野国国司の橘利遠によって観音堂が建立されました。

  • 幼稚園側の脇道から。

    幼稚園側の脇道から。

  • 三重塔

    三重塔

  • この日はちょうど、この路地周辺が紅葉真っ盛りでした(・へ・)

    この日はちょうど、この路地周辺が紅葉真っ盛りでした(・へ・)

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